第002話 リボルバー
バラバラニナッタ
カラダガ ウゴカナイ
ダカラ喰オウ
メノマエノ犬
イキテル
アア、オビエテイル
ニゲナイデ
タダ 喰ベルダケダカラ
ツカマエタ アバレテモムダダヨ
アシヲ折ロウ
美味シイ
ムシャムシャ
ウルサイカラ アタマヲ喰ベヨウ
美味シイ 犬ノ 味ガスル
シズカニナッタ
オイシイ
ムシャムシャ ムシャムシャ
コノ犬 タダノ肉ジャナイ
フワフワ オカシナカンジスル
ケド 栄養アル
コレデカラダヲモドス
バラバラヲチカヅケテ
ツナゲル ノバス
ツブレタ頭 元ノカタチニナオス
脳ガツブレテル 思イダセナイ カラ
魂カラデータヲろーどスル
固定サレタ魂 モトノカタチヲ記録シテイル
モンダイナイ ナオセル
フワフワヲツカッテ スコシズツ増ヤス
ツナゲタ ツナゲタ ナオッタ
ヨカッタ
マザッテルケド イイ
オレヒヨワ タブンヒツヨウ
ダイジナモノ 奧ニシマッテ 犬ヲソトニ
ハハハハ カンセイシタ
サア起キヨウ 三度メノ朝ダ
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「最悪だ」
男は夢を見た。自分が化け物になって黒い犬を食べる夢を見た。犬を栄養にして、バラバラになった身体を繋げて元通りにする。そんな悪夢を男は見たのだ。目覚めは最悪としか言いようがなかった。もっとも、最悪な状況は目覚めた後も変わらなかった。
「……ここはどこなんだ?」
男が苛立ちを露わにしながら周囲を見回す。
嫌な臭いがしている。上を見上げればどこまでも壁が続いていた。男が倒れていた地面は血塗れだったが、肉片ひとつ落ちていない。一緒に落ちたはずの黒犬の姿もいなかった。いや、それも夢だったのかと男は思い直す。
ともあれ、男はそこにひとりで倒れていたのだ。
「ふーむ。なんだろうな。こりゃあ」
『明かりはなかった』が、幸いなことに周囲が見えないほど暗くはなかった。動くのに支障はないと考え、男は立ち上がった。
「よいしょっと」
この場で待っていても助けはこないだろうと、男は分かっていた。それに先ほどまであった怯えも男の中から消えている。何かが変わった気がしたが、そのキッカケは男の記憶にはなかった。
死体の山の上で起きて、犬と大男に追いかけられ、落下して、バラバラになって、犬を喰らって元に戻った……悪夢を見た。それより前の記憶が男にはない。
「人生でワースト1の悪夢だな。ミーシャに言ったら気味悪がられそうだ」
男は女の名前を口にしながら、それには気付かずに周囲を観察し続ける。
ここがどういった場所なのかが男には分からない。昔映画で見た、ギリシャ神話に出てくるミノス王の迷宮のようなところだなと男は思ったが、入り口に向かうための糸はどこにも落ちてはいなかった。
「ま、進みゃあ出口も見つかるだろう」
そう男は結論付けて、先へ続く通路を歩いていく。
また、通路のあちらこちらに人とも獣ともしれぬ骨が散乱しているのを男は目撃していた。演出用の道具か……などとはさすがにもう思えない。記憶がないことも含めて、すべては夢なのではないかとも男は考える。
「こりゃあ、悪夢は続いてるってわけか……もしかして明晰夢ってヤツか?」
男はそんなことを呟きながら、自分の言葉に肩をすくめて先へと進む。不思議なことに、この状況に対する怯えが今の男にはまったくなかった。慣れてきたのか、何かが変わったのか、そもそも変わったとはいつと比較してなのか。
男には死体の山の上で起きた夢より前の記憶がない。ただ、足下にあった女の死体を『誰かと勘違いした』ことだけはよく覚えていた。
(誰だった? 俺は『誰』と勘違いした? 何かを忘れてる?)
その溢れ出る感情の源泉がどこにあるのか、男は自分の気持ちも測りかねていた。もっとも、それをより深く探ろうとする前に、男の意識は別のモノに向けられることとなる。
「キルルルルッ」
どこかしらから奇妙な鳴き声が聞こえてきたのだ。
(なんだ、ありゃあ)
男が鳴き声のする方へと顔を向けてみると、通路の角から姿を現したのは巨大な、首の長い爬虫類のような生き物だった。
(……ドラゴン?)
男はその生き物の姿を見てそう思ったが、冷静に考えてみて首を横に振った。その表皮は白く、ヌルッとしていて見るからに気持ちが悪い。退化しているのか目もなく、それはドラゴンというよりも、ドラゴンの形を模したミミズのような生き物と言った方が的確であった。
そんな化け物がクンクンと床の臭いを嗅ぎながら、ゆっくりと男の方へと近付いてきていたのだ。
(おいおい、あんなの見たことないぞ)
男に過去の記憶はないはずだったが、不思議と目の前の生き物を見たことがないということだけは認識できていた。
(見つかったら……あ、ヤバい)
そして化け物の頭部が、男の方へと向けられた。それから目がなくとも鼻は利いているようだったと男は気付く。
「キル……」
その声に男の全身が震え上がった。ここまで麻痺していたかのように感じていなかった恐怖が突然男の中に蘇ってきたのだ。目と目が合ったわけではないが、男は直感的にバレたと感じて一歩後ろへと下がった。
「キルルルルルルウウウウ」
その動きに反応したのか、化け物の頭部がガバッと四つに裂ける。それはもうドラゴンでも何でもなかった。頭部と思われた部位にあったものは口と、恐らくは鼻だけであった。
「くそったれ。なんだよ、それッ!?」
男はすぐさまUターンして走り出す。同時に巨大な化け物が駆け出した。
「追ってくるんじゃねえよ。チクショウ」
叫びながら男が道を曲がると、化け物が壁に激突して倒れ込んだ。それを見て、やはり目は存在していないようだと男は把握したが、化け物はすぐさま起き上がって再び男に対して走り始めた。
「あんなデカいのに、なんであんなに走れるんだよ」
その化け物の速度に対抗できている男の脚力も人間離れしているのだが、必死な男はそのことにまったく気付いていない。
「くそ、妙に入り組んでやがる。迷路かよ」
もう何度目かの愚痴をこぼしつつ男は通路を駆けていく。後ろから迫る足音はジグザグと入り組んだ通路を動き回ったせいか、距離が遠ざかり始めているようだった。
「よし、これなら逃げられ、うぉっと」
「キルルゥゥウウ」
少しばかりの希望が見えたと思った矢先である。化け物の鳴き声が今度は前から聞こえてきた。
「先回り? いや」
男の耳には後ろからの足音もはっきりと聞こえている。つまり化け物は二匹いたのだ。その事実に男の顔が青ざめた。通路は一本道。前からも後ろからも化け物が迫ってきているのだ。男は焦った顔で周囲を見回すが、回避する手段などありはしない。
「ど、どうすりゃいいんだよ。クソッ!?」
『おい、こっちだ』
「あ?」
突然、どこからか声が聞こえてきた。それは男の視線よりも下の方から発せられたものだった。そして視線を落とした男の瞳に、人ひとりが入れる程度の穴が映ったのだ。その穴を見て、男が眉をひそめる。
「なんだ、そこは? 人がいるのか?」
『いいから中に入んな。死にてえのか?』
「くっ、そりゃそうだ」
前後の通路からはもうハッキリと鳴き声が聞こえてくる。もはやどちらの化け物もすぐそばまで近付いている。そして、化け物二匹の姿が見えたところで、男は急いで穴の中へと飛び込んだ。
「キルルゥゥウ」
「キルルルルルル」
間一髪というべきか、男が入った直後、外では化け物たちが正面から激突していた。それから共に何かを叫び合って牽制してから、周囲を見回すように首を動かした。穴の方にも一度頭部を向けたのだが、特にリアクションもせず、それからどちらからともなく「キルルルルッ」と鳴きながら、どちらも元来た道へと戻っていったのである。
「た、助かった……」
『わけねえだろ。マヌケ野郎』
男の安堵の言葉に、何者かが罵声を浴びせる。
「な、どういう……いや、それよりも助かったぜ。あんたの声がなければ……?」
男が声の方へと視線を向けると、そこには誰もいなかった。
「いない? いや、銃……?」
ただそこには台座があって、その上にリボルバーが一丁置いてあった。銃身にまるで呪術に使われるかのような紋様が刻まれているリボルバーに訝しげな視線を男が向けていると、再び声が届いた。
『よう犬臭ぇマヌケ野郎。間の抜けた顔して、こんなところで散歩たぁ、随分と余裕そうじゃねえか。今夜は寝付けなかったのかい?』
その声の出元に気付いた男が目を丸くして、アングリと口を開けた。もっとも男がそうした状態になるのも仕方のないことだろう。何しろ声を発していたのは目の前のリボルバーだったのだから。
『なーに、しけたツラしてんだよ。テメエの短い人生の大切な相棒様と出会えたんだぜ。ほれ、テメェの小せえウィンナーを震わせながら泣いて感謝しやがれ』
「な、何だよお前?」
男が愕然とした顔で、リボルバーに指を差して尋ねる。対してリボルバーは陽気な声で男の質問に答えた。
『ハッハー、俺様の名前はジョニー・マッド。イカした頼れるリボルバーだ。短い間になるだろうがよろしくな、相棒さんよ』
声が狭い部屋の中に響き渡った。男が出会った相手、それはしゃべるリボルバーだった。