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act3 ケースカンファレンス

 児童擁護施設加瀬園は、鳳町と呼ばれる小さな町の一画に児童福祉を目的として創設された社会福祉法人の一つで、本格的に運営が始まってからの歴史はまだ浅い。しかし元々最初から統合失調症や重度の自閉症スペクトラムなど、精神的疾患を抱えた児童を対象に設立されていたために、内容的には専門的かつ最新に近い設備の整った、研究所に類似する施設として名を馳せている。

 建物は約40名の施設利用者が生活可能な居住棟と、事務室や病院施設などの施設管理のために必要な設備が集められた管理棟に分かれていて、敷地内には利用者がゆとりを持って生活ができるように整備された広い中庭や体育館、談話室や図書室等も設けられている。

 ただ精神疾患の患者を主に扱うことから、若干その外装には温かみが欠けるというか、在籍児童の不要な脱走等を未然に防ぐために大袈裟なフェンスが張られたり、多数の監視カメラが設置されるなど過度なセキュリティーが目立つ。

 しかしフタを開けてみれば、収容児童はほとんどが内部の努力により急を要する事態が起きることが皆無だったため、そのセキュリティが具体的に役立ったということも無く、現在は日中に限り施錠もされていない。


 加瀬園の創設者で初代の最高責任者でもある園長の名は『加瀬良蔵』だが、現在はその息子である『加瀬重雄』が実質的な運営を任されている。また重雄は良蔵自慢の精神分析医でもあり、ここでの診察の全ては彼が行っていた。

 重雄は五十代前半のやり手の経営者として定評があり、地域でも名士として一目置かれている。容姿は薄くなった頭と中年太りの腹から頼り無さそうにも見えるが、加瀬園を運営するための多額の資金は重雄の手腕によるものともっぱらの噂で、特に運営面で黒い噂が立つようなことは無い。

 しかし、おそらく知らない人から見れば、加瀬園は警備の重厚さから刑務所のように見えることも多いらしく、加瀬園が【枷園】と噂されるのも、そこから来ているのだろう。


 この日。加瀬園の管理棟側にある小会議室で、高村雅酒を対象とした定期のケースカンファレンスが行われていた。ケースカンファレンスとは事例検討会とも呼ばれる、施設利用者の日常の様子から今後の方向性を話し合う担当者会議のことで、出席者は施設責任者で担当医師でもある加瀬重雄。雅酒の生活担当の職員の美代子。施設の判定員1名。児童相談所の高村雅酒担当の児童福祉司・園田和義(かずよし)の計4名。

 しかし担当職員や判定員よりは、雅酒の普段の生活に特に大きな変化は無いと報告され、また重雄もこのまま服薬治療を継続するのが妥当という方針を示したことで、方向性の変更の必要は特に無かったため、ケースカンファレンスは30分程度で終了。その後重雄と園田は来客用の園長室に場を移し、取るに足らない雑談をしていた。


 雑談とは言え、やはり話の中身は雅酒のことに移っていく。実は園田には周囲も周知している悩みがあり、今日もその悩みを数度のため息と苦笑いを交えながら話していた。

 園田の悩みとは、雅酒に強く毛嫌いされていること。

 彼は児童福祉司になってから10年を超えるベテランで、今までも様々なタイプの児童と接してきている。主に児童養護施設を利用している児童は、その入所理由が複雑不遇なことが多いため、比較的気難しい子が多いとされていて、そのため担当と言えどなかなか順調に話ができない場合も少なくは無い。今園田が直面している彼女との関係は正にその通りのことで、彼が雅酒の担当になって約1年になるが、面会どころかほとんど話もできていない状況なのである。

 彼は四十代前半だが、重雄とは対照的にすらっとした容姿のスポーツマンタイプで、児童福祉司としては人気のある方だと言われている。しかし雅酒との相性には改善の兆しすら無く、毎日診察のために会うことを承知している重雄を前に、今日も少し恨めしそうな顔をしていた。


「今日も会ってはくれませんでしたか」

「笑い事じゃないですよ、加瀬さん」

 重雄はもちろん園田の理解者ではあるが、その境遇を少し面白がって見ている一面もあり、時々笑みが漏れることがある。園田はそのことに気付いていて、先程から何度か繰り返していたため息を、再びわざとらしくついた。

「いったいどうすればいいんでしょうね。そろそろ彼女に心を開いてもらわないと、私も児相(児童相談所)で白い目で見られてしまいますよ」

「何を言ってるんですか。園田さんが有能な福祉司だっていうのは、みんな知ってますよ。マキだって、別にあなたが嫌いで会わないわけじゃ無い」

「そりゃあ、一応判ってはいるつもりですがね。パターンというやつでしょ?」


「ええ。マキは現在能動的に園田さんとの面会は拒んでいますが、別に考えてそうしているわけじゃ無い。たまたま最初に会った時に拒絶してしまったのがパターン化して、深く考えずに同じことを繰り返しているだけです。これも統合失調症が絡んだ行動の一つのようなもんですよ。症状が回復していけば思考にも余裕が持てるようになって、きっと園田さんの面会にも応じていくようにもなりますよ」


「そうだといいんですがね〜。ちなみに回復の兆しはありますかね?」

「それは・・・まだまだでしょうな」

「はあ・・・」

「そんなに悩むことも無いでしょう。必要な情報は担当職員を通じてマキには伝えられているし、返事もきちんともらっている。扉を挟みながらも、努力して彼女にいろいろと話しかけているでしょう。園田さんが仕事をサボっているなんて、誰も思ってはいません」

 慰めの言葉に更に考え込む園田の表情を見て、にやけ笑いを重ねていた重雄だったが、この時園田が思い出したように急に顔を上げたため、重雄は笑いを無理に噛み殺した。


「そう言えば・・加瀬さん」

「はい!・・・なんでしょうか」

「実は、そのマキの治療に関することなんですが・・・」

 園田は自分の鞄からファイルを取り出すと、その中から1枚の書類を取り出し、重雄に渡した。

「忘れていました。実は厚労省から書類が届いていました」

「何の書類ですか?」

「ええ。彼女の統合失調症の治療に使っている薬について、報告が必要になったんですよ。それと判るような書面はありませんかね?コピーでもいただけるとありがたいんですがね」

「ああ、マキの薬ですね。ちょっと待ってください」


 重雄は鍵のかかった棚から雅酒のカルテを取り出すと、それに付属してあった服薬票をコピーして園田に渡した。そして園田はそのコピーをチラリと見てファイルに挿めようとしたが、この時あることに気付き、重雄に質問をした。

「あれ?薬が増えていますね」

「すみません。園田さんへの報告を忘れていましたよ。実は本来の統合失調症の治療に使っていた【セロクエル】【エビリファイ】【リチオマール】に加えて、新たに【メラトニン】を使用しています」

「メラトニンですか」


「ええ。ご存知の通り、先の3種は主に統合失調症の原因となる、ドーパミンやセロトニンの摂取量を調整する薬ですが、副作用として眠気が強くなります。実は最近マキの生活リズムが少し崩れていましてね。朝になってもなかなか目覚めてくれないんですよ。まあケースカンファレンスで報告するほどのものでは無いんですが、現在メラトニンを使用して、生活リズムを改善しているところなんです」

「ほう。生活改善ですか」

「メラトニンは元々トウモロコシ等に含まれている成分で、一般には時差ボケ対策の薬としても使われています。最近はサプリメントとしても出回っているようですし、生活が不規則になったと思ったら、園田さんも試してみたらいかがですか?」


 こうして園田は重雄との話を終えると、児童相談所への帰途に就こうとしたが、ここでなんとか雅酒に逢えないかと考え、一度居住棟に立ち寄ることにした。現在の時間はちょうど昼の12時を回ったところで、特に急いで職場に戻る必要も無い。

 加瀬園では管理棟から居住棟まで続く廊下は、1階から3階までそれぞれ鍵付きの扉で仕切られていて、園田は雅酒の個室がある1階の廊下を通り、居住棟に入ったが・・・。

 園田はそこである光景を目にし、思わずドキリとしてしまった。

 彼の数メートル先に、雅酒がいたのである。

挿絵(By みてみん)


 雅酒は園田には気付かず、廊下に並んだ窓の一つから外を眺めていたが、そこに佇む少女の自然な姿に、園田は自分の目を疑っていた。

 あれが本当に、精神病を患う人間の姿なのだろうか・・・?


 雅酒は外から自然に流れ込んでくる風に身を委ね、腕を組んで黙って遠くを見つめている。そこにはとても『考えることを止めてしまった』という表現が当てはまる人格は微塵も無く、どこにでもいるごく普通のあどけない少女の姿があった。

 そしてそれは無言のメッセージを持って、園田の意識に自らの職務への再確認を促す。


 自分は子どもたちの幸せを願い、児童福祉司の職に就いた。今までその精神に背いた行為はしたことが無いし、誇りを持って職務を遂行している。しかし日々のマンネリ化に流され、何か大事なものを見落とそうとしていないだろうか?

 精神疾患など、あるいは二の次のこと。ごく普通の幸せな生活ができるはずだった少女が、一夜にして多くの不幸を背負い込んでしまったのである。雅酒の悲しみを考えれば、心を閉ざして自分の殻に閉じ篭りたくなるのは当たり前のこと。

 つい雅酒との関係ばかり気にしていたが、その悲しみを理解できているのなら、もっと他のことで悩まなければいけないのではないだろうか?


「・・・あ」

 なぜかまだ児童福祉司になったばかりの頃の想いが過ぎったような気がした園田は、彼女がこちらに気付く素振りを見せたことに焦り、咄嗟に側にあった階段の物陰に隠れた。幸い雅酒は自分の存在に気付かなかったようで、辺りをキョロキョロと見回している。

 園田は蘇った若い時分の熱い想いに、なんとなく気恥ずかしさのようなものがあったが、同時にその想いの大事さを雅酒に訓えられたようにも感じている。

 今彼女が心に描いていることは母のことか、それとも鷺岸市に置いてきてしまった思い出なのか、はたまたもっと取るに足らない些細なことなのかは判らない。そしてそんな想像すら浮かばない自分に小さな憤りを感じた園田は、同時に今まで悩んでいたことへの枷が外れたような気もして、自分の頭の中を整理すべく、結局雅酒に声をかけずに加瀬園を後にしていた。


『・・・不思議な子だな。こんな想いが浮かぶなんて、久しぶりのことだ・・・』



★☆★☆★☆

 

 園田が加瀬園を離れようとした時、彼はたまたま外で美代子とすれ違った。園田は廊下での想いが少し後を引いていて、ここは挨拶だけにして児童相談所に戻ろう思っていたが、ふっと重雄との会話を思い出し、美代子にある質問をした。

「そう言えば・・・美代子さん。最近マキさんは、寝起きが悪いという話でしたね」

「は?」

 すると美代子は奇妙な表情を浮かべ、園田にこのような返答をしていた。


「マキさんは2年前から、ずーっと朝はピッタリ6時30分に起床していて、それがずれたことなんて一度もありませんよ。何かの間違いじゃありませんか?」

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