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act2 連なる夢

 雅酒が見る夢は、決まって母の夢である。

 2年前の事件の際にPCに収められていた母の画像は、全て犯人によりHDごと破壊されてしまい、通常の写真を残していなかったため、日を追うごとに彼女の母の表情の記憶は薄くなってきている。

 夢の中の母は、過去の現実同様に優しいものだが、時折ふと思い出したように母の顔を覗き込むと、最近は薄ら影がかかったようにボンヤリとしか見えない。しかし母のもつ独特の雰囲気は今も夢の中では健在で、唯一凍りついた感情が解放される夢の中の短い時間では、彼女も閉ざされた心を全て母の前にさらけ出している。それはまだ加瀬園に来る前の自分がそこにいるからで、もしかしたら夢の中だけが、雅酒の心安らげる場所として彼女を支えているのかも知れない。

 そして夢から覚めた時には、再び閉じ込められた自分の魂を歯がゆいと感じるのだが、結局薬のせいか、その歯がゆさも長続きしないのである。

 

 目覚めた瞬間まで近くに感じる、母のぬくもり。

 上手では無いが、笑顔で食事を作ってくれた母。

 寝床で本を読んでくれた母。

 仕事でいつもPCとにらめっこしていた母。

 

 古い思い出の中には、母が祖父母とケンカをし、雅酒を連れて遠く離れた鷺岸市のアパートに住むようになった頃の事も、わずかだが残っている。今現在も母が何の仕事をしていたのかは知らないが、確か祖父母との仲違いは、その仕事が原因だったような気もする。あの時は母は泣いていたことが多かったが、反面雅酒自身への愛情も一層厚くなり、思い出として鮮明に彼女の頭脳に残っている映像は、アパートに移った後のものが一番多い。生活は質素だったが、特に貧しさを感じたことは無かったし、父がいないことを寂しく感じたこともあったが、母がいれば、それはそれで満足感は満たされていた。


 そして雅酒の夢は、決まってあの日のあの時を再現する。

 

 あの日彼女は、少し暗い気持ちで放課後を過ごしていた。

 雅酒が通っていた小学校は、大きな鷺岸市の片隅にある第五小学校で、児童数は少なく一学年一クラスのこじんまりした生徒で構成されていた。だから子どもたちの人間関係も比較的深いものが多く、彼女もそんな中で数名の仲良しと過ごしていたのだが、たまたま友人との間で仲違いがあった上に帰宅途中で転倒してしまい、ひざを擦り剥いた状態で帰宅していたのである。母はPCで在宅の仕事をしていたが、ケガをして泣きながら帰ってきた雅酒を慈しみながらもにこやかな表情で迎え、優しく気持ちを受け止めてくれていた。

 普段母は彼女がケガをした時には、「我慢しなさい」とか「大丈夫大丈夫!」とか言いながら気持ちを自分で切り替える強さを持てるように励ましてくれるのだが、稀に泣き続ける赤ちゃんをあやすように、強さでは無く優しさを全面に出して受け止めてくれることがあった。その違いは単なる母のその日の気分の違いかとも思っていたのだが、今考えてみると、なんとなくその違いが判るような気がする。母はおそらく雅酒の悲しみの度合いを測っていたのだろう。ただケガをして帰ってきただけだったら、おそらく母は励ますだけの対応をしていたのだろうが、確かあの時彼女は友人とケンカをしたことを切々と訴えながら帰宅していたはず。きっと母は、自分が立ち直る最善の方法を考えてくれていたのだろうと今は思っている。

 そしてそんな時、母はいつも不思議なことをしてくれた。ただのケガなら消毒や絆創膏等の対応をしてくれるのだが、母は時折痛みを和らげるために、不思議なおまじないを唱えながら、左手で優しく患部を撫でてくれるのである。それはとても心地良い感覚と温かさを備えたおまじないで、母はそれを『星のおまじない』と呼んでいた。星のおまじないをしてもらうと、ケガの痛みどころか風邪の気持ち悪さやお腹の痛みすらも吹き飛んでいたような気もする。

 あの日は、本当にそのような優しさに包まれていた一日だった。

 

 そして記憶の中で空白となる事件が起きたのは、その日の夜のこと。

 警察からは、おそらく深夜0時から1時の間頃だったのではと言われているが、彼女は当時の時間に対する手がかりを記憶に宿してはいない。ただまるで厳冬のように切り裂かれるような寒さが、体に染み付くように残されてはいたが。

 

 その夜。雅酒はいつものように自室のベッドで本を読んでいた。直前まで母も読書に付き合っていたが、就寝時間と決めていた夜9時に近づいたことと、まだやり残した仕事があるということで、母は小さな廊下をはさんだ居間に戻っていった。雅酒のベッドから距離にして5mほどだろうか。ちょっとした声を上げれば、お互いの耳に届く程度の距離だ。

 当時の母は、自宅のPCでの仕事を主にはしていたが、そのデスクトップに映された画像は外国の文字や記号、図形や遺跡の写真のようなものがほとんどで、それが何かを雅酒が尋ねると、母は「おもしろいでしょ?」とだけ答えていた。

 また母は稀に家を空けることがあり、その間だけはケンカ別れしていたはずの祖母が、彼女の世話のためにアパートを訪れていた。詳しくは判らないが、どうも祖母は祖父に旅行か何かでの外出と偽ってきていたようで、雅酒の中にはいろいろと渦巻く想いはあったが、それはそれでただ単純に「うれしい」と思っていた。


 あの事件があったのは、その母の1週間の外泊があった後のことで、彼女は雅酒へのお土産と一緒にいくつかの奇妙な品を持ち帰っている。それはスーツケースいっぱいに詰め込まれた古い調度品や書物、何の物か判らない欠片がほとんどで、雅酒にはあまり興味を持てないような品々だった。

 母が言っていた『残っている仕事』というのは、おそらくそれらの品物を調べること。これは実際にその様子を見ていたわけでは無いが、多分間違いないと警察には伝えている。そして深夜に母の「えっ!?」という声が居間から聞こえたことが、雅酒が目覚めるきっかけになったということも。

 雅酒が母の声に気付いた時、自分の吐息がほんのりと白かったことを憶えている。季節は春先でまだ暖かいとは言えないが、それでも息が白くなるようなことは無いはずで、ベッドから降りると、フローリングの床敷は空気同様に冷たく彼女の足を捉え、ともすれば何かに切られるような痛みを感じる。何か奇妙な雰囲気に気付いた彼女は自室の扉を開き、母がいるはずの居間に向かった。


 そして居間の扉を開いた時・・・。

 雅酒はここでいつも『あ、まただ・・』と気付く。これが夢だということ、ここからまたいつもの出口の無い迷路に戻されるということを。

 

 雅酒が開いた扉の先にあるのは、いつも『虚無』。それは色にすれば黒一色で、吐き気がするほどのひどい腐臭と、車酔いのような強い平衡感覚の乱れを伴っている。それは『なんとなく』というような甘いものではなく、まるで自分の体から魂が無理矢理剥がされるのではと思うほど強烈なもので、虚無はそれ自体が本体なのか、それとも自分の脳が本来の映像をリセットしてしまっただけのことなのか、雅酒には判らない。そして、ただ自分に不快と悲嘆を与えるためだけに存在しているように思えるそれは、必ずいつも同じ結末を彼女にもたらしてくる。


 母を失う絶望感と、左腕から甲にかけての焼け付くような痛み。

 そして彼女はいつもここで目覚め、あきらめの気持ちを自分に再確認するように、左腕の大きな傷を見つめるのである。


『お母さんは死んだの。希望を持ってはいけない』と・・・。

挿絵(By みてみん)

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