◇一難去ってまた一難とは聞いたことあるけれど。
河原から少し森の中に分け入った場所に、その巨大な黒いモノリスは存在していた。確かに、昨日はそこに何もなかった……はず。しかし、今朝になると森の中に鎮座し、確かな存在感を放っていた。
そして、その周囲の森の中に、マーダートレントが樹木に擬態して紛れていたのだ。
VRMMOゲーム『ゼノン・クロニクル』では、森の中にある隠しダンジョン等に、ゲートを護るガーディアンとして配置されていた。他のトレント系の魔獣は、長い年月魔素を吸収し続けて、魔獣化した樹木であった。だが、マーダートレントに至っては、実際の所、トレントに似た姿さえも擬態なのだ。本来の姿は、スライム等と同じくアメーバ状の不定形魔獣。だからなのか、対物理、対魔法の防御力が、はんぱなく強力なものであった。ゲーム内でも、上位ランクのプレイヤーでなければ、とても太刀打ち出来るものではない魔獣だったのだ。
そもそもが、隠しダンジョン内には、強力な高レベル魔獣が多数徘徊していた。だから、ダンジョン内を探索するだけの力があるのか、その資格があるのか、マーダートレントと相対する事が、それを試す試練のようなものであった。
確かにここは、ゲームとは違う異世界。といっても、あのダンジョンへの入口となるモノリスや、そこに刻まれた運営会社の社章を見る限り、何故そのような物があるのかは別にして、マーダートレントも同じような能力を有すると考えて良いと思う。
だとしたら、今の俺や、サラと獣人達で……。
――まともに戦えるのか?
そんな事を考えつつ、マーダートレントに目を向ける。
そこでは蜥蜴人のグイドが、上下左右から伸びてくる触手のような枝を、手に持つ盾で上手く捌いていた。その隙に、他の獣人達が、マーダートレント囲むように散開して攻め立てている。しかし、ここは森の中、周りの樹木に邪魔をされ、上手く連携が取れないようだ。
そんな少しまごつきを見せる獣人達に、今度はマーダートレントが、更に強力な攻勢を仕掛ける。本体である幹から生える数本の太い枝を、鞭のようにしならせ、周りの木々ごと横に薙いでくる。沢山の細い小枝は触手となり、樹木の間を縫うように迫ると、囲む獣人達を逆に絡め取ろうとしていた。
――まずいな。
見たところ、上手く戦えているのはグイドぐらいか。他の獣人の戦士達では攻勢を掛けるどころか、躱すのが精一杯。少々、手に余るようだ。
俺とサラは少し離れた場所で並び立ち、獣人達とマーダートレントのそんな争いを眺めていた。そのサラを守るため、タンガとクルスは俺達の前にいるのだが、その争いを見て顔をしかめている。
「お嬢、この森の中で、あのトレントと渡り合うのは、俺達にかなり不利だ」
タンガが振り返ると、こちらに厳しい顔を見せサラに話し掛けていた。サラはマーダートレントを見詰めたまま、微かに頷くと、直ぐさま皆に指示を出す。
「全員河原まで退避! 河原にてトレントを迎え撃つ!」
サラの言葉に、皆が一斉に動き出した。
「グイドとタンガには悪いが、殿を頼みたい! それと、出来れば、少し時間を稼いで欲しい!」
「オォ、任シテオケ!」
「おっしゃあ、昨日は良いところ見せれなかったからな。今日は、俺の男っ振りを、皆に見せてやるぜ!」
皆が、河原へと後退していく中、サラが二人に声を掛けていた。それに、タンガとグイドが張り切った様子で頷いているが、相手はあのマーダートレントだ。一抹の不安を覚えてしまう。それが、顔の表情に出ていたのか、タンガがにやりと、凄みのある笑みを浮かべた顔を向けてきた。
「なぁに、心配は無用だ、ヒューマン。俺達は今でこそ、お嬢の家と専属契約を結んでいるが、元々は、ハンターギルドに所属していたフリーのハンターだ。その頃の俺やグイドは、魔獣を討伐するのを生業としていたからな。トレントも数多く討伐している」
んっ、冒険者ではなく、ハンター? ゲーム内では聞かない言葉に戸惑うが、今はそんな事より……。
「あれはトレントに見えるが違う。あれは……マーダートレントと言って、似てるけど全く違う魔獣なんだ」
「何を言ってる。あれは、どう見てもトレント。まぁ、素人は黙ってみてな」
マーダートレントの事を知らないのか。さすがに、ゲーム内でいた魔獣について説明するのには困る。それに、俺自体もモノリスやマーダートレントを見て、混乱しているのもあった。あれが本当に、マーダートレントなのかも実際は分からない。俺がどうしようか迷ってる間に、二人はマーダートレントに向かい、サラ達は河原へと走り出していた。それに、引きずられる形で俺も、サラ達の後を追いかける。
幸いなことに、マーダートレントの防御力は上級の魔獣クラスだが、その攻撃力は中級程度。移動する早さに至っては、亀の歩み並みの遅さだったはず。
後ろを振り返りつつ、今はタンガ達の無事を祈るしかなかった。
森の中から河原に出ると、そこに残っていたヒューマン達が、その顔に喜色を浮かべてサラ達を迎える。だが、直ぐにサラ達のただならぬ様子に気付き、驚きの表情に変わっていた。
「もうじき魔獣が来る。非戦闘員は船へ、戦闘員は投石機の用意を。今回は、火焔石と爆雷矢の使用を許可する」
サラが矢継ぎ早に、周りの者に指示を出していた。
――火焔石に爆雷矢?
また、聞きなれない言葉に首を傾げる。まあ、ネーミングから大体の察しはつくが、知らない言葉がぽんぽん出てくるのには困惑してしまう。
もしかすると、ゲームに似た世界と思っていたが、実際はその逆。この世界を模倣して作られたのが、あの『ゼノン・クロニクル』ではないのか。そう考えると納得がいく。どんなに優秀なゲームであろうと、実際の世界の言葉や道具類の全てを、網羅できるはずが無いのだから。
周囲に目を向けると、皆が戦闘準備のため忙しく立ち働いていた。船からはカタパルト式の投石機が降ろされ組み立てられている。その投石機は、木製の台座に、受け皿が先端に付いた金属板を立て、巻き上げ機でそれを撓らせて石を飛ばすようだ。確か、中世の頃に使われていた、オナガーとか呼ばれている物に似ている。それ以外にも、鏃の代わりに、何かの結晶を先端に取り付けた矢柄を束ねた物等を、船から下ろしていた。
それらを、満足そうな様子で、サラが眺めている。
「何か、俺に出来る事はないのか」
俺はやる事もなく、手持ちぶさたなので、サラに声をかけた。
「……慣れぬ者が手伝うと余計に時間が掛かるもの。ヒューマン……お前は、戦いが始まったら魔法で……いや、それも余計だな。他人に要らぬ手出しをされると、連携に齟齬が生じて混乱が起きるとも限らん。昨晩は世話になったが、今回は大人しく我らの手並みを見ていてもらおう」
どうにも、この美女エルフは苦手だ。その綺麗な顔立ちから男っぽい喋り方をされると、何故か萎縮してしまう。
俺はこの集団の中では、今は微妙な立ち位置にいる。最初は、この森の中を一人で彷徨っていた事から、怪しい者だとも思われているようだった。だが、昨晩は俺が活躍して助けた事もあり、捕虜というわけでもなく、今は微妙な関係になっている。
しかし、他人かぁ……綺麗な女性から他人ときっぱり言われると、妙にぐさりと胸に突き刺さるのは、男の性ですかねぇ。
そんな、この場の雰囲気にそぐわない馬鹿な事を考えていると、森の樹木を轟音と共に薙ぎ倒して、マーダートレントがその巨大な姿を現した。森の中では周りの樹木に邪魔され、その全容が分からなかったが、今ははっきりと見える。
全長は十メートルを優に越え、本体の太い幹は両手を伸ばしても届かないほど。数本の太い枝を鞭のようにしならせ振り回し、無数の細い小枝はそれ自体が生き物のように蠢いている。そして、本来は地中深く潜り込み、本体を支えるべき根の部分をうねうねと蠕動させて前へ進んでいた。
そのマーダートレントの前では、グイドが盾で枝の攻撃を捌き、タンガは猫科の獣人特有の軽やかな動きで躱していた。二人は、時には立ち止まり、伸びてくる枝を剣で斬り払い、上手く誘導して此方に向かって来る。
「まだ、もう少し。森への延焼の恐れがない、河原中央にて魔獣を討ち取る。正面から投石機を用いて火焔石を、左右からは弩で爆雷矢を放つ」
サラはそう言って周りに指示を出すと、精霊魔法を放つために呪文の詠唱を始める。
「お嬢の魔法に合わせて、一斉に攻撃するぞ」
クルスが獣人達に呼び掛けると、皆は頷き、数人が弩を抱えて左右に別れて走り出す。投石機の傍にいる戦士も、一抱えもある真っ赤な石を受け皿に乗せていた。
サラや獣人戦士達が用意を整え待ち受ける中、マーダートレントが河原中央に達する。その時、クルスが、タンガとグイドに大声で呼び掛けた。
「タンガ、グイド! 二人共、そのトレントから大急ぎで離れろ!」
その声を聞いた二人が一気に走る速度を上げて、最後は俺達の所に転がるように飛び込んで来た。それを横目で確認したサラが、呪文の詠唱を完成させる。
「……我の呼び掛けに集いし炎の精霊達よ、炎界の劫火にて我が敵を焼き払え!」
サラの周囲に数個の炎が現れると、渦を巻きながらマーダートレントに向かっていく。
それと同時に、「放て!」と、クルスの号令が辺りに響き渡る。
正面からはサラの魔法と、投石機から放たれた火焔石が。左右からは弩から飛び出した爆雷矢が、マーダートレントに殺到する。
だが、マーダートレントは全ての枝を本体の周囲に密集させると、突如、無数の樹葉を生やす。あっという間に、マーダートレントが緑に覆われた。そこに、魔法と火焔石、それと爆雷矢が命中する。途端に、火柱を上げて、凄まじい轟音と煙りに包まれた。
「殺ったか?」
タンガが俺のすぐ横で、掠れた声で呟く。その呟きに、サラが落ち着いた声で冷静に答える。
「これほどの火力だ。耐えれるトレントなどいないだろう」
だが、暫くして煙りが晴れると、そこには……。
――やはり駄目か。
確かに、数多くあった枝の類いは、全て爆散するか焼け落ちていたが、本体ともいえる幹自体は無傷で存在していた。そして、次の瞬間にはその幹からまた、するすると大小様々な枝を伸ばしている。
「ば、馬鹿な……」
サラも獣人達も、呆気に取られて、その高速再生を見詰めていた。