第三十二話 神父とイザナ
四月中に投稿できなかった・・・。
湖のほとりを神父が歩いてくる。神父と言ってはいるが、イザナは余りキリスト教の聖職者に詳しくないので神父や牧師、司祭などの区別はできていない。ちなみに神父と牧師の違いは神父がカトリックや東方正教会における聖職者で、牧師がプロテスタントの聖職者である。また、神父とは司祭の敬称なので同じことを意味している。
さらに言えば、イザナが神父だと思ったのは誰もがイメージするのではないだろうかと思われる黒い服――スターン――を着ているからだ。本を抱えながら歩くその姿が聖職者に見えた。
そして、神父が本を持っているのを見て、イザナはスカイドラゴンの老人から貰った本をバックの中に入れっぱなしなことに気が付いた。あれだけは自分自身で持っていようと思っていたのだ。しかし、すぐに一度読んだしまあ良いか、と思い直した。
神父はゆっくりと確実にイザナのいる方へ近づいてくる。悠然と銀に輝く男にしては長いその髪を靡かせながら歩くその姿が余りにも絵になっていたので、ついつい凝視してしまった。
イザナは隠れることもせず神父を眺めていたので、当たり前だが逆に神父がイザナを見つける。イザナが神父を簡単に見つけられたように神父もイザナを容易に見つけることができた。見つけると言うより視界に当たり前のように入ってくるのだからイザナの存在を認めることは容易であろう。
神父はイザナの姿を認めると誰もが安心するような優しい微笑みをイザナに向ける。
「おや、珍しいですね。旅のお方ですか?」
「ええ、まあ。そういうあなたこそ、ここで何をなさっているので?」
互いに友人と会話するには少しばかり遠い場所まで近づくと神父の方が先に話しかけてきた。
「ええ、見て判るかと思いますが、こう見えて私<エルミナ教>の聖職者でして、世界各地を巡り<エルミナ教>の教えを説いて回っているのです」
神父の様子を見るに独りで世界各地を回っているのだろう。それはとても立派であるし、素晴らしいことだとも思えるが、イザナはさっきよりもさらに警戒心を引き上げる。そして、何よりこの神父は今自分が居る場所がどこなのか理解しているのだろうか。
「こんな辺鄙なところまで?」
今イザナたちがいるのは言うまでもなく《カルマナ大森林》である。ここは世界的にも有名ではあるが、この森林の中に入る者は数少ない。なぜなら、この森林にはある組織が定めた魔物の強さを表すランクがかなり高位の魔物がいるのだ。
普通ランクは強い順からSS、S、A、B、C、D、Eと分けられている。しかし、それは種族として一括りにまとめられたものであり、中には個体として他を超絶した魔物が現れることがある。そのランクがSSより上の時にのみSSSとEXのランクが存在する。SSSとEXではEXの方が強い。と言うより、現在確認されているランクEXは獣王だけである。
つまり、この森林に入るのはランクSSとされている種族を倒して世に名を広めようとする冒険者やこの土地を奪おうとする国の軍隊ぐらいのものである。そして、何よりこの森林の中に人が暮らしているとは思われていない。なので、まずその魔物より先にその森の住人たちと戦わなくてはならず、ほとんどの人がその魔物に出会う前に逃げ帰る。しかし、不思議なことに誰一人としてこの森林でそこの住人と戦ったことを憶えていない。ちなみに、ランクSSの種族は言うまでもなく神鳥カルマの種族であるナサンダーフェニックスのことである。
「――ええ、ええ。とは言え、<エルミナ教>とは別の敬虔な信者に、それこそ他の人から悪魔と言われている存在を崇拝していたとしても、<エルミナ教>の教えを説く。それは時に命の危険が付き纏うこともあるでしょう。しかし、様々な人々に<エルミナ教>の素晴らしさを説くことは私の使命であり生きがいなのです」
さも当然かのように心にもないことを言っている。
イザナは直観的にそう感じた。理屈ではない。自身の心がコイツはウソツキだと叫んでいる。否、羊の皮を被った狼、劇を演じる役者のような気配。どことなく不気味な影に見えてくる。どこからどう見ても、怪しくとも何ともないのに。
神父に対して警戒ももちろんしているが、心のどこかで怖れている。しかし、何故かが全く解らない。
こんな経験は初めてであった。
初対面の人間に好意を抱いたことはある。嫌悪も然り、と言うのは言い過ぎかもしれないが、苦手意識を持った人なら居た。しかし、会話をしただけで恐怖したことはない。
「おや? 気分が優れておられないようですが大丈夫ですか?」
「あ、ああ、大丈夫だ。気にしないでくれ」
神父の言う通りイザナの顔色は少し悪い。しかし、神父に施しを受ける気にもなれない。
「そう、ですか」
神父はこちらの様子を伺いながら、一応納得した。
「しかし、私が言うのもなんですが、貴方は何故このような場所にいらっしゃるのですか?」
イザナがした質問を逆に問われた。互いに自分たちにもここに居る理由はもちろんあるが、相手からしたらこんな場所にいる方がおかしいと思うのは当然だ。何しろ常識ある普通の人間はこんな森の中に入らないのだから。
「……。見ての通り旅の途中でね。ここが有名な場所だから入ってみたんだ」
一見するとマントが首より下を覆っているので旅装束のように見えなくはないだろう。しかし、今着ている服は制服なのでその見た目は一人旅をしている者ではなくどこか裕福な――それどころか大商人や位の高低は判らないが貴族と言ってもよさそうな格好なので、付き人や護衛を付けずに一人でここに居るのは些か無理があるかもしれない。
神父の目に制服は見えていない様でどこぞの冒険者とでも思われているのだろう。
「しかし、入ったはいいけど、恥ずかしながら迷ってしまって、丁度水辺のあるここに出たんで、一休みしてたんだ」
「そこで、私に遇った、という訳ですか」
「ああ、そうなんだ。ところで、神父様に訊きたいんだが、あっちに向かえば人里に出られるのかな?」
イザナは神父が歩いてきた方向を指さしながら訊いてみる。
「ええ、ええ。確かにあちらの方に歩いていけば、人のいる村に出ますよ。――ただ、私は神父ではありませんよ。しがない聖職者です」
「え? ――あぁ、すみません」
「いえいえ、謝っていただく必要はありませんよ。宗教に興味がない方は神父やら司祭やらの違いなんて解からんでしょうし。何より私自身そう気にしていませんから」
相も変わらずニコニコと優しい笑みを浮かべる。
「しかし、それでは私の事を呼びづらいでしょうから、神父と呼んで頂いて結構ですよ」
「そうかですか、それでは、ありがたく神父様と呼ばせてもらいます」
「ええ、ええ。そうしてください」
それから少しばかり神父と雑談を興じた。雑談と言っても腹の探り合いのような感じになってしまったが。
しばらくすると、神父がイザナの方を見て首を傾げる。
「ところで、どこか怪我をなさっているのですか?」
「え?」
イザナはその言葉に目を見開く。イザナ自身弱みを見せないようにと体中の痛みを感じさせないように振る舞っていたつもりなのだ。
「いえね、何やら先程から何度か身体を庇いながら動かしていたようなので」
「ええ、少し前に身体を痛めまして」
相手にバレたのならいっそ開き直ってその事実を認めることにした。
その言葉を聞いた神父はどこからか取り出した小さい瓶詰の液体をイザナの方へ投げてきた。それを一瞬驚いたが難なくキャッチしたイザナは、手の中にある液体を《鑑定》してみることにした。
「―――っ」
――超療水。そう《鑑定》には出た。極療水は少し触れただけで手を溶かすだけの効果を発揮する治療薬――果たしてそれを治療薬と認めて良いかは甚だ疑問ではあるが――だが、超療水は飲めば大抵の傷は一晩で元に戻るほど効果を発揮する。
「な、なぜ?」
何故こんな高価であろう物をイザナに渡してきたのか理解できなった。
「気にすることはありませんよ。こう見えて私は聖職者ですから、迷える子羊や傷付いた小鳥に手を差し伸べるのは当たり前ではないですか」
人を安心させる笑顔のまま聖者のようなことを言う。
イザナは本当に信用していいのか考える。本能は信用するなと叫んでいるが、出会ったばかりの自分に何かをしでかすとは思えない。それこそ聖職者としての神父が演技だとしても、その正体を自分に明かすとは思えない。何しろ自分で《鑑定》をして確かめたのだ。確かに超療水と表示されていた。もし毒の類でも[色欲]<約束されし生存者>の効果で状態異常は無効化できる。
しばらく逡巡しながら神父と超療水の入った瓶に視線を行ったり来たりしていた。そして、意を決したのか瓶の蓋を開けると勢い良く瓶の中を飲み干した。
「ああっ、そんな勢いで飲んではダメです!」
神父が何かを言っているがもうすでにしてしまったことを咎めてももう遅い。
(体が燃えるように熱い! 何だこれ!?)
体の芯から火が出るかのように熱い。言葉に出せないほどの熱さである。だが、身体が痛くない。熱さで少しのたうち回ったが、さっきまで感じていた痛みが和らいだように引いていた。身体中に駆け巡る熱のせいで身体中の痛みを忘れてしまったと言う可能性も考えられるけれども。
しばらくすると身体中を駆け巡っていた熱は引いていき、いつの間にか体が軽くなっていた。
「はあ、はあ、はあ」
「どうですか? 身体中の痛みはきえたでしょう?」
「消えたが逆に燃えるように熱かったけどな」
「当たり前でしょう。療水のように一気に飲んで良いものではないのですから」
「けど、助かった。これでいままで以上の速さでこの森を出られそうだ」
「それは何よりです」
イザナが超療水のお礼がしたいと申し出たが、神父はそれをきっぱりと断った。これは自分がしたいから行ったことで、その人から見返りが欲しい訳ではありません、と本人がイザナに諭すように言ったので、何もできそうにないが、何度もお礼だけはした。
「では、私はこれで」
「え?」
神父が別れを告げてきた。一瞬何を言われたか分からなかったが確かにイザナとの別れを告げていた。
「これから人と会う約束をしてまして。その方をこれ以上待たすわけにもいかないので」
「それは済まないことをした」
すぐさまイザナは神父に謝罪した。だが、神父は気を悪くした様子はなく。出会った時から変わらずの笑顔をイザナに向けてくる。
「いえいえ、お気になさらず。私は存外楽しめましたし。今日この日に出会えたことを祝福したいほどです」
そういうと神父は歩き出す。イザナがここに来た時と同じ方角に向かって。五歩ほど歩くと後ろを向いて、優しい笑顔を見せながら、
「貴方に幸在らんことを」
と言って再び歩き出した。
イザナは神父の後ろ姿が見えなくなるまで見続けた。イザナは自身も気づかぬうちに手に汗を握っていた。
◯◎◎◯
神父はリアやシェイナがいる村の付近まで近づいていた。しかし、村には入らず村人から見えないように隠れながら村の周りをウロウロしていた。
どっからどう見ても不審者のそれにしか見えないが、見張りをしている村人には気付かれていないところを見ると相当な隠形である。
「全く何をしているの?」
しかし、そんな彼も呆気なく見つかってしまった。が、神父の方は別段驚いた様子を見せずに声の主に向かって笑顔のまま手を振った。そんな彼の行動に呆れながら村の方から出てきた女性が神父に歩み寄る。
「やはり、貴女でしたか」
「わたし以外にあなたみたいな狂人と逢おうとする人なんかいないでしょ?」
「失敬な。これでも私にも親しい友はいるのですよ」
「向こうは友とは思っていないかもしれないけどね」
彼女は神父がここまで歩いて来てまで会おうとした人である。
「まあ、それはいいわ」
「いえ、良くはありませんが」
「今は関係ないから置いとこうと言う話よ」
「………そう、ですか」
「ところで、ここまで来るのに時間が掛かったようだけど、何かあったの?」
「いえ、少々道に迷いまして、それに道中面白い方と出会って話し込んでしまいまして」
「あなた準備の方は大丈夫なの?」
「ええ、ええ。いつでも大丈夫ですよ。そちらこそ準備の方はできてますか?」
「わたしはただただ食すだけ。準備なんて必要ないわ」
「相変わらず、と言ったところでしょうか」
「それはあなたもでしょう」
2人は話し合いながら、村の中に入っていった。
誰にも気づかれずに、村の中に裏切り者がいることも知らずに。