第二十話 氷の棺
右肩をリアが一度食い千切ったが、それをすぐさま再生させたヤラハクは右腕を軽く動かしたあと、怒りの形相でリアに向かって襲い掛かる。
「リア!?」
避けるだけに徹しているので、リアに攻撃はかすりもしていない。が、見ているこっちがハラハラするような状況だ。
『………………』
「――? どうした、ウサギ?」
何やらさっきから様子がおかしいツキにイザナがリアの方を気にしながら尋ねる。もしかしたら、さっきの光のことで怒っているかもと思ったが、イザナにとってはどうでもいいことだと思い、もしそのことだったら知らんぷりをしようと決めた。
『………さっきの光のこと憶えてる?』
イザナはやっぱりこのことかと思い、絶対に謝らないぞと再度心に誓う。
「ヤラハクが襲ってきた時のだろ? 憶えてるも何も――――」
『いや、そっちじゃなくて』
「?」
どうやらそのことではないらしい。では、ツキはいつのことを言っているのか。
『ほら、お兄ちゃんの荷物が光ってさ、音楽が聞こえてきたじゃん?』
「ああ、そっちのことか。―――で、それがどうしたんだ?」
『あの時、リア姉ちゃんが歌を歌った時になんかリア姉ちゃんの体内の魔力が少し動いたような気がするの』
「魔力が体内で動く?」
『うん。なんかまるで魔法を発動するときのような動き方だったから、少し気になって』
「――――なに? それは本当か」
もしそれが本当ならリアが歌っていたあれは歌詞ではなく、魔法の詠唱だと言うことになる。
『たぶんそうだと思うけど……』
どうやらツキにも確かなことは解らないらしい。
「………。もし、リアの魔力が全快なら、発動できると思うか?」
『え? で、でも、魔法かどうかも怪しいのに……。それにあいつに魔法は効かないんでしょ!?』
「それはそうだが、やってみる価値はあるんじゃないか?」
イザナはあの時起きた不思議な現象がこの戦いの勝敗を分けるような気がした。つまり、もしあの歌詞が魔法の詠唱ならその魔法がヤラハクに止めを刺す気がしてならないのだ。イザナ自身こんなことを思うなんて、不思議でならないがその不思議さに身を任せても良い気がした。
『お兄ちゃんがそんな風に言うなんて珍しいね』
「たまにはいじゃないか」
『まあ、こんな戦いの最中に言うことではないと思うけどね。―――けど、そうだね。やってみるのは良いんじゃない? それに魔力ならボクが回復できるからさ』
「解った。とりあえず、リアと選手交代しないとな」
リアの方を見ると依然とヤラハクの攻撃を紙一重に避けていた。斬撃の攻撃をせず、怒りに任せて腕を振るっているだけのヤラハクの攻撃を避けるぐらいのことはリアにとって簡単なことだ。怒りに任せている分速さとパワーが上がっているが危ないという訳ではない。しかし、リアが紙一重に避けるだけのスピードだと言うことも確かだ。
それを今のイザナが相手するにはかなり分が悪いと言わざるをえない。さらに、今のヤラハクがイザナのことを認識するか判らないと言うこともある。けど、イザナはそれをやるしかないのだ。イザナたちがやろうとしていることが成功するとは限らない。むしろ、魔法が効かないのによくやろうとする気になったものだ。
イザナはあの時、リリーシャがリアに託した気がした。だったら、やはりヤラハクの止めを刺すのはリアがするべきことなのだ。
イザナはツキを地面に下ろして、リアの方へ移動する。そして、今乗っている玉以外にあと2つだけ玉を円盤状にする。そして、残りの玉を全て短剣状にしてイザナの傍に浮遊させる。その中の赤色の短剣だけはイザナが空中で掴み取り、短剣を逆手に持ったままヤラハクに向かって一直線に突っ込んでいく。そして、ヤラハク横顔が直前に見えるところまで近づき、ジャンプした。
「うぉおおおおおお!!」
そして、短剣をヤラハクの眼に突き刺す。
例え身体が硬くても生物なら目まで硬くないと睨んでいたが、事実ヤラハクの眼にいとも簡単に突き刺せた。ヤラハクもイザナの存在に気付いていなかった。だからこそ、簡単に刺すことができたのだ。
突然、片目が潰れたことでヤラハクは激しく暴れ出す。当然イザナがいる場所は首近くなので、ヤラハクは首を大きく横に振る。その時の頭がイザナにぶつかり、イザナは空中に投げ飛ばされた。
吹き飛ばされたイザナは円盤を自分の近くに持ってきて、倒れこみながら円盤に掴み、落っこちないようにリアの近くに寄る。
『イ、イザナ!? 大丈夫なの!?』
「リア! ヤラハクは俺が相手してるから今すぐウサギのところに行け!」
『え? どういうこと!?』
「理由はウサギに聞け!!」
イザナはリアから離れ、ヤラハクの潰してない方の目の傍によって、今度は浮遊させていた短剣をその眼めがけて突撃させる。ちなみに、もう一つの眼には再生しないように今なお短剣が取れないように深く刺さっている。
ヤラハクは近づいてくる短剣から目を守るように短剣を叩き落とす。が、イザナが操作しているので何本かはヤラハクの攻撃を避けて近づいていく。そして、叩き落とされたのも眼に向かって何度も突撃させる。
短剣だけでなくイザナにも攻撃が来るが、円盤状にした玉で何とか攻撃を防ぎながらヤラハクが視界に入るだろう場所を浮遊し続けている。
そのおかげでヤラハクの意識はリアからイザナに完全に移っていた。リアはツキと合流したようで、ツキがリアの魔力を元に戻している。だから、イザナもするべきことを為していく。
リアがツキからイザナが言っていた理由をリアの魔力を回復させながら聞いていた。
『―――そんな訳でリア姉ちゃんにはアイツに向けてその魔法をぶつけてほしいの』
『何言っているのよ。アイツには魔法が効かないことぐらい知っているでしょ!? なのに、今更魔法を使ったところで………』
『そんなの解っているよ! で、でも、お兄ちゃんがやってみる価値はあるって!』
『―――イザナが?』
イザナがそんなこと言うなんて考えられなかった。確かにいつも未知のモノに対してイザナは実験と称して色々やっているが、戦いの時にまでそんなことはしたことがない。するとしても新しく発現したスキルのようにすでにどんなものか解っているモノでしか試さない。なのに、そのイザナが未知の――それもかなり敵を斃せる確率の低い――モノを使ってみようと言うこと自体リアには不思議でならなかった。今までのイザナでは絶対とまでは言わないが、決して言うはずのない言葉だ。
さらに言えば、リリーシャの子守唄を歌っていた時にリアは母リリーシャと繋がった気がした。何が繋がっていたのかは判らないが、それでもあの時傍にリリーシャがいてくれた気がするのだ。リアに何かを教えるかのように、それとも何かを託すかのように。
そして、ツキはあの子守唄が魔法の詠唱だと言っていた。
(もしかして―――――)
リリーシャがリアにまだ幼いからと教えてくれなかった魔法がある。それはきっとリアのレベルが低すぎて、その魔法の最低魔力に達していなかったからリアにはまだ早いと判断したのだろう。しかし、今のリアはリリーシャに近いレベルである。それはつまり、もうその魔法を使うだけの魔力があると言うことだ。
リリーシャにその魔法の詠唱などを教わっていないが、どんな魔法かは知っている。リアがその魔法を知りたくてリリーシャにどんな魔法か無理に聞いた。すると、リリーシャは自分が教えなくてもいつか解かるようになる魔法だからと教えてくれた。その時はあれはとてもキレイな氷の棺だと言っていた。それはリリーシャの全魔力を以ってしても人間が5人入ればいっぱいになってしまうような棺。人間を収めるには充分だが、大きい魔物を収めるには小さいと言わざるを得ない魔法だ。リリーシャがリアにその魔法を教えたとしてもとても前のリアでは不発して終わってしまうような魔法。
しかし、それが今名前も知らない魔法のはずなのに、記憶の奥底に刻まれた魂のようにその魔法のことが湧き上がってくる。ツキに子守唄が魔法の詠唱ではないかと言われ、昔聞いたリリーシャに教わらなかった魔法を思い出す。知らないはずの魔法なのにどんな魔法なのかどうやって使うのかその魔法の名前など様々なことが魂に刻まれていくように、否、初めから刻まれていたようにその魔法のことを理解する。
そのことに対する驚きは何故かなかった。むしろ、しっくりくる。今までかみ合っていなかった――動いていなかった歯車がようやく動き出して、本来の自分に戻った気分だった。
だが、この魔法を使ってみる価値は確かにある。これは氷の魔法だが氷魔法ではない。
『ツキ。あとどれくらいで魔力が全快になる?』
『う~ん、あともう少しだと思うんだけど………、リア姉ちゃんの方が自分のことなんだし解るんじゃない? というより、リア姉ちゃんよりボクの方が先に魔力が切れそう』
『………そっか。ありがとう』
『ううん、気にしないで。それよりもどうかした?』
『―――? どうかって?』
『なんかリア姉ちゃんさっきと違う気がする………』
『大丈夫よ。わたしはワタシだから』
リアが見つめる先にはヤラハクと戦っているイザナがいる。戦っているというよりもヤラハクの視線を自分の方に惹きつけようとしている。短剣を使い――大したダメージを与えられないにも関わらず――潰されていない方の眼をたまに潰そうと動かしているのが良いのだろう。今なおヤラハクはリアとツキの方へ意識を向けていない。
そして、あの魔法を使うなら今が絶好の好機でもあるのだ。あの魔法は【ハドマ】とは違い広域魔法ではなく、最初に定めた領域から動かすことができないタイプの魔法なのだ。だから、もし詠唱中にヤラハクがその場を動いたら魔法はヤラハクではなく何もない空中を凍らせてしまうことになる。
リアの魔力が全快になる前にツキの魔力が切れてしまった。リアの前にイザナのことを回復していたのだから、ツキの魔力が切れてもおかしくない。むしろよくやってくれたと褒めてやりたいほどである。
『イザナ! 絶対にソイツをそこから動かさないで!』
リアはツキに覆いかぶさるように立ち、静かにあの魔法の発動する詠唱を唱え始める。それは高い音量だったわけではないが、この部屋全体に力強く響き渡った。
『―――【世界を綴れ、世界を謳え、白銀に染まる世界を讃えよ――』
それを聞いた瞬間、何かを感じたのかヤラハクが急激にリアの方へ方向転換し、リアの方へ向かおうとした。しかし、イザナがここぞとばかりにヤラハクの眼めがけて短剣を突撃させたことにより、目を潰すまではいかなかったが目に傷を負わせることはできた。
『――神々さえ畏れる美しき箱庭を全てに魅せよ。謳え、奏でよ、これが真なる世界である。そこは全てが終わりを告げて、始まりを閉じ込める――』
イザナは[暴食]のスキルを使ってリアのところに行こうとしたが、ヤラハクにスキルが効かないのに使っても大丈夫なのかという疑問が立ち塞がった。それにイザナが聞いたものより長くなっている。これではいつ魔法が発動するかが判らない。リアはヤラハクをここから動かすなと言った。それはつまり動かれると非常にまずいと言うことだ。
だが、このままではヤラハクが向こうに行ってしまう。イザナは橙玉の短剣を握ったまま地面に突き刺して、たった魔力1の状態で魔法を発動する。
それはとてもとても小さな落とし穴。普通に使えば何の意味があるのかさえ判らないような地面の凹凸。しかし、ヤラハクの体勢を崩すだけの力がそれにはあった。倒れこそしなかったが、たった数秒だけだったが、確かにヤラハクはそこに留まった。
そして、その数秒は詠唱を終えるには十分な時間だった。
『――そこに始まりはなく――』
『お兄ちゃん! 戻ってきて!』
その声を聴いた瞬間に急いでリアたちの方へ向かう。リアの方へ向かうのに、眼に刺してあった赤い短剣を抜き取った。そして、その痛みでさらにヤラハクは足止めをくらうこととなった。
『――終焉のみが記される。視よ、魅せよ、その真なる世界を】』
「――【怒れ、グングニル】!」
戻ってきた瞬間にリアは詠唱を終えた。そして、イザナはそれに合わせるかのように[憤怒]のスキルをその魔法に使う。その魔法の威力ではなく、範囲に。
そして、イザナがヤラハクの方を振り返るとそこにはヤラハクが立っていた。
氷の棺とも言えるような氷の柱の中に。その柱は地面から天井にまで達しているほどの長さがあり、ヤラハクの身体が氷の柱の中に完全にすっぽりと余裕で入ってしまうほど広かった。それは墓標にするには少々どころかかなり大きかった。
「うわぁ――」
『すっごく、綺麗』
そして、それは幻想的だった。イザナがこの世界の太陽を見た時のように見入る。
ユニーク魔法【絶対零度】
スノーウルフでも限られた者にしか使うことができない氷魔法ではない氷の魔法。
なぜヤラハクにこの魔法が通用したのか。氷魔法はその魔力で氷を創るから氷魔法と呼ばれる。他の属性の魔法も同様にその使用者の魔力によって具現化されている。しかし、この魔法の氷は魔力で形成された訳ではない。
『絶対零度』。それは分子の振動が小さくなり、もっともエネルギーが低くなる温度のことである。そして、それは熱がないとも言う。熱とは分子が運動することによって生じるものだ。熱がなくなると言うことは温度が低くなると言うこと。温度が低くなれば、気体が液体に、液体が個体へと状態変化する。
つまり、この魔法はある一定の領域内にあるすべての分子の運動を完全に止める魔法なのだ。本来なら絶対零度でも微かに振動しているので、運動を完全に止めることができないのだが、これはそれを実現させる。
だからこそ、ヤラハクを凍らせることができたのだ。
しかし、3人はその後その部屋がどうなったのかは知らない。イザナとツキが言葉を発した瞬間魔方陣が床から出現し、3人を飛ばしたのだ。
それは良かったのかもしれない。あのままそこにいたら3人ともどうなっていたか判らないからだ。下手をしたらそのまま死んでいた可能性すらある。だが、ここで起きてもいないことをとやかく言うのは止そう。
その部屋から消えるその時まで、リアは満足そうに最後までその氷の柱を見続けた。
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