03
軽く現実逃避を始めてしまった彼の口に、唐突に蜜柑が一房放り込まれる。
「……むぐ?」
無意識に蜜柑を咀嚼し、現実に戻って来る事が出来たケイト。そんなケイトの口にまたも蜜柑が一房放り込まれる。ケイトは拒まずに蜜柑を味わい、誰が口に入れたのかと蜜柑が現れた方を見れば、何時の間にか蜜柑の皮を剥いていたアランが一房摘まんでいるのが見て取れた。
「疲れている時に甘いものはいいのですよ」
と言いながらもう一房ケイトの口に蜜柑を放り込むアラン。あぁ、そうか。自分は精神的に多大な疲労を感じていたのか、とケイトは少し遠い目をする。何も知らない者が巡るめくダンジョンの変化を短時間で見せられたのだ。理解が追い付かず、精神に負担がかかるのは無理もない。
そんな精神的疲労も、蜜柑の甘さが解きほぐしていくのがケイトには感じ取れる。既に蜜柑なしでは生きて行かない領域に足を一歩踏み入れている事に彼は気付いていないが。
「落ち着きました?」
蜜柑を一個まるまる食べ終えたケイトは、アランの確認に頷く。頭は少しだけクリアになり、先程の現象をすんなり、とまではいかないまでも受け入れる余裕が生まれている。
つまり、春斗とアランはこのダンジョンを作った事は紛れもない真実だ。もはや疑う余地も無いのでケイトはその真実を素直に受け止める。
「では、次は我々の事について説明しましょう」
軽く茶を啜り、喉を潤したアランがケイトに自分達の事についての説明を始める。
「私と春斗は、こことは別の世界から来たのです。そして、春斗と私も、それぞれ別の世界の住人です」
「あ、そうなんだ」
間の抜けた声がケイトの口から漏れた。ダンジョンを作った、と言ったその次は別の世界から来た、と言われたのだ。普通なら嘘だろ、と一蹴するが、先程人の手では到底出来ない事を何の消費も無くやってのけたので、抵抗も無く受け入れてしまった。
「一応証拠となるか分かりませんが、この部屋の内装は全て春斗の故郷では一般とされるものをベースにしています。この蜜柑も、お茶も、我々が着ている服も春斗の世界の物です」
通りで見た事も無いものだらけな筈だ、と妙に納得するケイト。そして、この蜜柑は別世界の果実で、こちらの世界では手に入らないのか、と内心でがっかりし始める。冒険者になったのだから、世界中を巡れば何時かは手に入れる事が出来ると心の何処かで思っていた。しかし、そんな未来は先の言葉で脆くも崩れ去ってしまった。下手をすると、この先もう蜜柑を味わう事が出来なくなるのでは……と焦燥感にも駆られてしまう。
「では、どうして我々がこの世界に来てダンジョンを作ったのか? そちらの説明に移らせていただきます」
がっかり感を表に出さないように努めているケイトの様子に実は気付いていながらもアランは気付かない振りをして説明に戻る。
「まず、この世界に来た理由ですが。率直に言いますと何処ぞの誰かに我々の意思とは関係なく連れて来られた、と言うものです。春斗は買い物に行こうと玄関の扉を開けたら、私は資料を取りに行こうと扉を開けたら丁度この場所に来てしまったのです」
「で、ほぼ同時にここに来て、暫く目が合って、我に返って急いで戻ろうとしたら扉が無くなって帰れなくなってたんだよね。因みに、内装は今のようじゃなく、椅子と机とモニターがあるだけのさっぱりした奴だったね」
あ、モニターってこの光る板の事ね、と春斗は宙に浮かんでいるモニターを指出す。
「一先ず、我々は互いに自己紹介をして状況の整理を行いました。そして、机の上にこんなものが置かれていたの発見しました」
アランは懐に手を入れて、そこから二冊の本を取り出してケイトの目の前に置く。ケイトはそれを手に取って題字を確認する。モニターに表示されている文字とは違い、題字の文字はケイトでも読む事が出来た。
「……『ダンジョン作成の基礎知識』と『異世界フレグルの常識』?」
「はい。こちらにはダンジョンの規模、魔物や罠、宝箱の配置等、ダンジョン作成に必要な情報が記載されています。これを元に、モニターで操作をしてダンジョンを作成しました。そして、こちらの本でこちらの世界――フレグルの常識を頭に叩き込みました」
成程、とケイトは本の中を確認するべく表紙をめくる。しかし、中の文字はモニターの文字と同種で、ケイトには何と書かれているか理解出来ない。
「で、ここで僕達が思ったのは誰かが僕達をここに連れて来て、ダンジョンを作らせようとしてる、って事」
いやぁ、参ったねぇ、と春斗は軽く笑い、ですねとアランもつられて微笑んで済ましているがそんな簡単に済ませられる問題じゃないだろう、とケイトは心の中で突っ込みを入れる。
自分の意思とは関係なく、無理矢理連れて来られるなぞまさに拉致そのものだ。しかも元の世界に戻る術は二人の反応からして見当がついていないように見える。いつ帰れるか分からない状況なのに、どうして二人は平然としていられるのだろう? もしかして、無理をしているのではなかろうか? もしくは、既に諦めてしまったとか。
そう思うと二人は辛い境遇にいるだろうに、とケイトは同情してしまう。表情からケイトの内心を読み取ってしまい、思わず春斗とアランは苦笑を浮かべる。
実際の所、春斗もアランも帰れなくても問題ないと思っているので心配はないのだが、ここでそう告げれば無理をしているようにも捉えられてしまう。なので、彼等は今はまだケイトへ告げない方向に決める。
そして、少し重くなってしまった空気を換えるべく、春斗は「それはさておき」軽く咳払いをしてから本題へと入る。
「で、僕達は試しにダンジョンを作ってみたんだけど。ケイトくんの感想を訊いてみたいな」
「……俺の?」
「うん」
「……もしかして、感想訊きたいから俺をここに連れて来た?」
「それもある」
春斗はケイトの言葉に即答える。それも(・)ある、その言葉に引っ掛かりを覚えるも、ケイトは二人の苦労を慮り、律儀に今日このダンジョンを調査した時の感想を彼等に述べる。
「……感想としては、あまり危険度も無く、余程の事がない限り死ぬ事がない、かと言って罠や魔物がいない訳じゃないから、駆け出し冒険者がダンジョン慣れするにはもってこいの場所、かな」
「ふむふむ、成程」
顎に手を当て、頭の中でケイトの感想を反復させる春斗。
「……よし、コンプセント通りの物が出来たみたいだね」
「そうですね」
「はい?」
にっこりと笑い、柏手を一つ打つ春斗と頷くアランに、ケイトは何がコンプセント通りなのか分からずに目をパチクリさせる。一人取り残されているケイトに春斗は説明をする。
「あぁ、いやね。僕達は誰でも安全に楽しめるダンジョンを作ろうと思ってるんだ。で、一番最初に作ったもの――今日ケイトくん達が潜ったダンジョンはそのプロトタイプ。一般的に言われてるっぽいダンジョンに慣れる為のギミックしかないダンジョンさ」
「初めてのダンジョンで死ぬような思いをするのも一つの経験ですが、危険のあまりない場所で時間をかけてノウハウを学べるのは今後の活動を大きく後押しするものだと思いまして、作ってみたのです」
「確かに有り難いって思った」
ケイトが拠点にしてる町は周りに強い魔物があまりいない。なので、駆け出しの冒険者が最初に拠点とするにはもってこいの立地となっている。ただ、今までは近くにダンジョンがなかったので、ダンジョン慣れするには少し遠くにある街へと拠点を移動させなければならなかった。
しかし、今では春斗とアランによって近隣にダンジョンが作られた。それも、ダンジョンに慣れる為のダンジョンとなれば、冒険者の地力を上げるのに一役買う事になる。
「あ、因みにね。僕達の作ったダンジョンでは死なないから。比喩じゃなくて、本当に」
「え?」
改めて、このダンジョンのありがたみを噛み締めていると、春斗の口からとんでもない爆弾が投下される。ダンジョン内で死なない? そんな事が可能なのか? ケイトは流石に信じられないと頭を振り、アランが補足説明をする。
「信じられないかもしれませんが、事実です。少し特殊な空間に変容させまして、死ぬような事態に陥った場合、自動的にダンジョンの入口へと転送するようにしてあります。勿論、ダンジョン内で受けたもの限定ですが傷も治ります」
「言ったでしょ? 僕達は誰もが安心して楽しめるダンジョンを作ろうと思ってるって。一番の安全って、どんな事があっても死なない事じゃない? だから死なないよう、しかもきちんとアフターケアを施してるって訳」
春斗は一度お茶を飲み、一息吐いて改めてケイトへと視線を向ける。
「……さて。ケイトくん? どうして僕達がこんな重要機密っぽい事を君に話したのか分かる?」
やや真剣みを帯びた春斗の問い掛けにケイトは顎に手を当てて考える。しかし、それと言った理由が思い浮かばず、首を横に振る。
「僕達はね、君に協力して欲しいんだ」
「協力?」
「はい。これから私達が多く作り出すダンジョン、そのテストプレイをして欲しいのです」
テストプレイ? とケイトは僅かに首を傾げて言葉を反復する。
「いやね、これから色々なダンジョンを作ってみようかと思うんだ。でも、ダンジョン作っても潜る人が楽しんでくれるか分からないから、この世界の人に潜って貰っていろいろ意見を訊こうかと思って。で、僕達は君に白羽の矢を立てたって訳さ」
「はぁ……」
成程、とケイトは少しばかり納得する。ダンジョンを作ったとしても、それが楽しめなければこの二人にとっては意味がない。そしてダンジョンの様相が二人にとっては楽しめるものでも、実際に潜る者が楽しくなければただのエゴで終わる。そうならないように第三者の視点からの意見を取り入れようという魂胆だ。
しかし、そうなると一つの疑問が生じる。
「えっと、一つ訊いてもいい?」
「どうぞ」
「何で、俺?」
そもそもが、そこだ。このテストプレイにケイトである必要があるのか? 否、ケイトである必要はない。それでも彼はある意味で選ばれ、こうして協力を持ちかけられている。
そんなケイトの疑問を春斗はあっけらかんと氷解させる。
「今日ダンジョンに潜った中で最後尾を歩いてたから、拉致……ごほん、ここに連れて来ても他の皆に気付かれにくいと思ったから。ただそれだけだよ」
「今、拉致って言わなかった?」
「気の所為だよ」
眉根を寄せたケイトは春斗に訝しげな眼差しを向けるも、白い歯を見せながらややおどけながらにっこりと笑って煙に巻かれる。これ以上追及しても意味がないと悟り、ケイトは嘆息を吐く。そんな中「それで」と今度はアランが口を開く。
「協力してくれますか? 勿論、無理強いはしません。ケイトくんの意思を尊重しますし、勿論謝礼もあります」
「ちょっと考えてもいい?」
「はい」
ダンジョン内で死ぬ危険はないと言われても、実際に体感しない事には信じられず、かと言ってわざと死ぬような真似はごめんなので暫しケイトは二人に協力するか考える。今までのやりとりや雰囲気から春斗とアランが決して嘘は吐いていないと言えるが、それでもダンジョンのテストプレイという命を張るような頼みに直ぐに答えが出る訳ない。
この選択は、ある意味で自身の今後の道を決めるターニングポイントだ。ケイトは悔いの残らないようにする為、ひたすらに悩み、考える。
「あ、そうだ」
ケイトが熟考していると、何かを思い出したように春斗は手を叩く。
「今回の謝礼――と言うか勝手に連れてきちゃった迷惑料はこの蜜柑一ネット分ね」
そう言って春斗は自分の脇に置いてあった、赤い網の中にぎっしりと入った蜜柑をケイトへと手渡す。数にして十以上。ケイトは思わず春斗と蜜柑を交互に見てしまう。
「……………………蜜柑」
「あ、お金の方がよかった?」
「いや、こっちで」
ケイトは蜜柑を渡さないとばかりに素早く胸に抱え込む。
「因みに、協力した時の謝礼は蜜柑を所望してもいいの?」
「いいよ。けど、お金じゃなくて蜜柑でいいの?」
ケイトの質問に春斗は頷くが如何せん理解出来ずに首を傾げる。春斗にとっては馴染みのある果物だが、ケイトにとっては今まで出逢った事のない衝撃的な果物だ。金を貰ってもこの異世界の果物――蜜柑は決して買う事が出来ない。ケイトにとって金よりも蜜柑の方が価値のあるものになっている。なので、ケイトは謝礼は金ではなく蜜柑でもいいか、と尋ねたのだ。それ程までに、蜜柑は彼にとって代え難く堪え難いものに位置づけられてしまった。
この瞬間、彼の心の天秤に乗せられた蜜柑と命は、蜜柑の方が重いと判定した。
ちらっ、と蜜柑を一瞥し、ケイトは軽く咳払いをして一言。
「協力するよ」
「本当かい?」
「うん。こんな美味しいものが謝礼なら、やる気が出る。と言うか、是非やらせて下さい」
蜜柑を抱えたまま、二人に頭を下げるケイト。
「いやいや、頭下げないで。頼んでるのはこっちなんだし」
頭を下げたケイトに手をパタパタと横に振り、春斗は顔を上げるように促す。ケイトが顔を上げたのを見て、二人は居住まいを正す。
「じゃあ、これからよろしくね」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
ケイト、春斗、アランは互いに頭を下げた後、握手を交わす。