第一話
シノは村はずれの森に来ていた。母に必要な薬草を摘む為である。もちろん避難命令が出ている事は分かっていた。
籠をちらりと見た。もうすぐ一杯になる。ほう、と一息ついた。
がさり。
振り向く。二本足で立つ鎧を着たトカゲ。初めて見た。噂に聞いた通りだった。湾曲した禍々しい剣を持ったそれはシノを見ていた。ニタリ、笑ったような気がした。膝が笑う。歯を食いしばる。後ろを向いて走り出す。やはり追ってきた。胸を恐怖が締め付ける。息が上手く出来なくなってくる。ただ、手に持つ籠の存在だけがシノの足を動かしていた。しかし、限界が来るのは早かった。何かにつまずいたのかどうか、シノは転んだ。すぐ後ろで草を踏む音。そっちを向く勇気はすでに残ってなかった。立ち上がれないまま、シノは遠ざかろうとあがく。草を踏む音。絶望がそこに来ていた。
蹄の音。
シノははっとそちらを見た。すでに音はかなり近い。そして現れた騎影。馬上の男は既に剣を振りかぶっていた。トカゲも視界に入った。騎影に向かって剣を構えようとしていた。その姿が真っ二つになった。崩れ落ちる。死体は残らない。シュウ、黒い煙になって消えてしまった。
助かった。その事実がなかなか飲み込めない。ただただ目に映る光景を呆然と眺めるしかなかった。男が馬から降りた。目が会った。シノの感情が再び動きだす。
とくん。
男はしゃがみ、シノの顔を覗き込んだ。
とくん、とくん。
「シャッコ村の者だな。大丈夫か?」
シノは頷く。たくさん頷く。
「なら良かった。村の者は皆すでに避難し終わっている。それに奴らが他に近くにいるといけない。さ、君も早くタニアン砦に」
目の前に差し出される大きな手。シノはぼうっとその手を見つめる。気がついた。慌ててその手を掴む。大きく暖かな手。シノは引き上げられる。が、バランスを崩した。再び崩れ落ちようとする体をしっかりと支える力強い手。
「怪我をしているのか」
「足を……くじいてしまったようです」
男は頷いた。シノは宙に浮いた。抱き抱えられたまま馬上へ。
「しっかり掴まってろ」
シノは頷いた。そして言葉に従った。
男は馬を走らせる。無言で。その胸に顔を顔を埋め、やがてシノは口を開く。
「すみませんでした……」
「うむ」
そう言ったっきり、男はまた黙り込んだ。男はシノの行動をを責めるでもなく、気を安らかにする為の言葉を掛けるでもなく、ただ謝罪を受け入れた。
「あの……」
シノはまた口を開く。
「うん?」
「ありがとうございました」
「あ、あー、……いや、これは私の任務でして、その、……あ、私はタニアン砦で一番隊の隊長をやっているエイタルという者でして……」
「あ、私はシノと言います」
「あ、ああ……」
そしてまた二人は黙った。
しかし、先程までとは違う空気が二人を包んでいた。