第一章 キマイラ 其の一
変更履歴
2010/09/23 誤植修正 召還 → 召喚
2011/04/07 誤植修正 様子を伺う → 様子を窺う
2011/04/11 小題修正 キマイラ1 → キマイラ
2011/08/12 誤植修正 “。。” → “。”
2011/08/27 記述修正 己の肉体の変化にも注意を向けていた。 → 己の肉体の変化にも注意を向けていると、
2011/08/27 改行追加 ただ背中の鷲の翼は~ → 行分割
2011/08/27 改行追加 もちろん床に描かれていた模様は~ → 行分割
2011/08/27 句読点変換 “。” → “、”
2011/08/27 句読点削除
2011/09/13 記述統一 1、10、100 → 一、十、百
2011/09/13 記述修正 泣き声 → 鳴き声
2011/09/18 誤植修正 乗せた、乗せて → 載せた、載せて
2011/09/21 誤植修正 私は、自分の体の具合を確認いたのだが → 私はこの間、自分の体の具合を確認していたのだが
2011/09/21 誤植修正 異変なども兆候を見られないが → 異変などの兆候も見られないが
2011/09/21 誤植修正 一気に後足床を蹴って前転して胴体を檻へと転がり込むのだ。 → 一気に後足で床を蹴って前転し檻へと転がり込むのだ。
2011/09/21 誤植修正 この方法て気になったのは → この方法で気になったのは
2011/09/21 記述修正 綱 → 鎖
2011/09/21 記述修正 この上に何かを塗って → その上に何かを塗って
2011/09/21 記述修正 詠唱などの言語では違ったものだから → 詠唱では通常会話に用いる言語ではないだろうから
2011/09/22 記述修正 獣の血肉で出来たようだが、 → 獣の血肉で出来ているが、それだけではなく
2011/09/22 記述修正 檻を祭壇の前の → 祭壇の前の
2011/09/22 記述修正 ここは私は彼らの望みに答え → ここは彼らの望みに答え
2011/09/22 記述修正 大した力が無いことが → 大した力が無いのが
2011/09/22 記述修正 追加して取り付けた。奴隷たちは兵士風の → 追加して取り付けてから、兵士風の
2011/09/22 記述修正 瞬間移動 → 空間転移
2011/09/23 記述統一 容れられるべきか → 入れられるべきか
2011/10/08 変更履歴及び全本文張替えミスの修正
2011/10/08 誤植修正 私の意志か → 私の意思か
私は暗闇の中にいる。
目の前には、いつもと同じ獣の血肉で出来ているが、それだけではなく遠くから何かの鳴き声が響くトンネル。
私は、何らかの変化を期待しつつ、奥へと進んでいく……
目を開くと、いつもと同じ風景が広がっていた。
正確には別の場所なのかもしれないが、数え切れないほど同じような風景を見させられ続けた私には、もうどこも同じにしか見えなくなっていた。
相変わらずの薄暗い地下の大広間に、巨大な祭壇、そして祈りを捧げている何かの信者達と、大広間の隅には多くの獣の死体の山。
信者達のところと、自分がいる祭壇を中心とした周りの床には、二重の円に様々な模様や秘文字のような、意味の分からないものが描かれている。
しかし今回は、今までとは違うところがあった、明らかに今までよりも意識がはっきりしていて、呼吸も苦しくない。
この場所も今までより暗さは変わらないはずだが、焦点が合うようになり、明確に見ることが出来ている。
最も強く感じたのは、首に違和感がなく、一体感があることだ。
この理由は恐らく、切断されていない首がついているか、或いは精巧な外科的技術で、首が繋がれているかのいずれかだ。
首に関しては良い発見だが、その他の部位はやはり、大半が切断されているようで、ほとんど動かすことが出来ない。
私は自分の宿った肉体を確認してみる。
胴体を見ると虎のようだ、動かない前足は黒くて大きい、これは熊だろう、尻尾は蛇に変わっていた。
それに背中にもどうやら翼がつけられているのと、頭はあと二つ、本来の虎の首の左右にもついているようで、どうやら豹と獅子のようだ。
無事に動くのを確認できたのは、虎の頭と後足で、変えられていた前足や尻尾や背中の翼、豹と獅子の頭は動かすことは出来ない。
今までならもう意識を失っていたであろう、これだけの確認をしても、まだまだ力尽きる感覚はやってこない。
私は、この貴重な機会を無駄にしないように、行うべきことを考える。
まず確認したいのは私を召喚する目的だ、これほどしつこく同じような人間達が、同じような姿の存在を召喚し続けるのは、偶然であるはずが無い。
彼らはこの合成獣たる私をどうしたいのだろう、これは是非確認したい。
それと、この世界に長く留まる手段が無いかについても、気になっていた。
この世界により長い時間留まることが出来れば、それだけ色々と探る機会も増えるだろう。
まずは召喚者の出方を見るべく、部分的ではあるが召喚に成功したことを、この人間達に知らせることにする。
私は、横たえられた状態から首だけを上げて、未だに詠唱を続けるフードを目深に被った、ローブ姿の者達に判るように、声を、咆哮を上げる。
吠えるという動作は、今までにも何度と無く試みていたので、どうすればよいかは確認済みだ、ただ想像でしかなかったが。
しかし実際に試すと、思っていたよりも大きくはなかったが、無事に声を出すことが出来た。
その咆哮を耳にした人間達は、詠唱を止めて皆一斉に頭を上げた、そしてその白い顔は驚愕の表情をしている、まるで奇跡を見ているような。
私は、彼らの態度に少々苛立ちを感じた、まさか成功するとは思っていなかったというような、顔つきをしていたからだ。
いや逆にその驚く様は、今回の儀式が前例の無いもので、本来出来るはずが無いと思われていたのが、逆に成功した、という驚きと読み取るべきか。
私は後者の可能性が高いと推測し、考えを改めて苛立ちを抑え、再び彼らの様子を窺う。
するとこの儀式の首謀者だろうか、最前列の中央にいた一人だけ杖を持つ者が、後ろの者に何か指示を出すと、命じられた数名が杖の者と共に詠唱の列から離れ、大広間の後方の闇の中へと消えていく。
彼らの動きを眺めている間、己の肉体の変化にも注意を向けていると、僅かずつではあるが、今までの召喚で感じていた死に至る症状が出始めていた。
しばらくすると、先ほど奥へと姿を消した者たちが戻ってくる。
その後に続いて、ここで私を召喚していた者たちよりも、明らかに位が高い身なりをした、持ち主の身長の倍はある長い杖を手にし、複雑な模様の刺繍が施されたローブをまとった者たちが続く。
その後には屈強な体をした、褐色の肌をした二十人ほどの鎖で繋がれた奴隷と、こちらもフードの男たち同様白人だろう、その奴隷たちに指示を出す兵士のような男が続き、奴隷たちに引かれて来る巨大な空の檻が現れる。
六面全てが丸太ほどもある太さの格子で囲まれていて、底面の横には、人間の背丈の半分ほどの高さがあろう、丸太から切り出したような車輪が付いている。
それに伴って、詠唱を続けていたローブの者たちは、左右に分かれてその場所を空ける。
その檻は明らかに、この合成獣を入れるのにあわせた寸法で、間違いないだろう、あれは私を閉じ込める目的に使われる。
奴隷たちは男の指示で祭壇の前の、詠唱者が退いた場所である、床の円形の模様の中心に檻を配置させた。
その間に杖を持つ者たちが、祭壇の周囲を囲むように八方に陣取り、今までのものとは別の詠唱を始める。
祭壇と檻との間には、そこへ導くかのように火が焚かれ、何やら鉱物か薬でも入れられているのか、その炎の色は青や緑へと変化している。
私はこの間、自分の体の具合を確認していたのだが、そのうちにこの人間たちが先ほどから行っている儀式について、疑問を感じ始めた。
呼び出された当初から、終始何らかの事象を起こすために、それは行われていると思うのだが、身体には何の変化も感じない。
もしや、彼らはその呪文の詠唱や、地面に描いた模様などもそうだが、これらの行動が必要なものと認識しているのだろうが、実は何の意味も無いのではないだろうか。
まあ、まだ後で影響が出てくるのかも知れないので、もうしばらくは様子を見てみよう。
杖を持つ者たちの詠唱は、召喚時に唱えられていたものよりも声は大きく、複雑な言い回しをしつつ、その抑揚もまた大きくなっていく。
明らかに、最初に召喚した者たちよりも、高度な呪文を唱えているのだろう、しかしまだ変化は見られない。
彼らはこの儀式が終了したら、私をあの檻に入れて、別の場所へ運ぼうとしているのだと推測している。
ここには私を召喚した儀式に使った物以外に何もなく、またここで行うべき事が出来るのであれば、あの檻は要らないだろうと思えるからだ。
で、次なる問題は、あの檻に入れられるべきかどうかだ。
今までの失敗してきた召喚に比べれば、格段に緩やかと言えるが、確実にこの器にも死は訪れる。
檻に入れば、次なる新たな展開が起こるのは間違いないが、もし衰弱した状態で器ではなく私自身に危険が及ぶ、かの紳士が言っていた隷属、などが実行されてしまう可能性は大きくなるだろう。
ならば、檻に入るのを抵抗してみるか。
しかしそれでは、恐らくこの広間からは出られずに、衰弱が進んでいつもの様に、死に至る結果になりそうだ。
別の選択肢としては、ここにいる人間を殺して自ら生贄を増やしてみるというのもある。
この床の模様も呪文の詠唱も、実は私を拘束する術とは関係なく、更に魂を捕食する事が出来るなら、糧を増やしつつここを自力で脱出し、もっと動き回ることが出来るかも知れない。
しかし、この杖の男達が行おうとしている魔法が、私をあの檻へ移動させるような類のものであれば、私は抵抗も出来ずに、やすやすと捕らわれるのかも知れない。
まだ詠唱は続いていて、異変などの兆候も見られないが、やるのであれば、あの術が終了する前に、出来るだけ早くに仕掛けるべきだろう。
檻に入ってみるか、抵抗してみるか、襲い掛かって逃亡を試みるか。
私は緩慢な死を感じつつ、どの行動を取るべきかを考察する。
まず、隷属させる事が出来るほどの力があるのであれば、あのような檻が必要になるだろうか。
あのような頑丈そうな作りの檻をわざわざここへ持ってくるのは、彼らは私たるこのキマイラの力に及ばないが故であるのを証明している。
それと、襲い掛かって新たな糧を得るという選択については、紳士の話から想定すると恐らく失敗するのだろう、彼らは召喚者であって生贄ではないだろうから。
また、この場所で檻に入るのを拒絶したところで、その先の展開はやはり期待できそうも無く、ここで無駄に時間を浪費して死んでいくことになりそうだ。
何より、もっとも私が気になっているのは、この召喚の目的についてだ。
これを知るには、彼らの望みに従って、目的の場所へと運ばれることが最も確実に思える。
囚われる危険性は増えることになりそうだが、ここは危険の回避よりも、この又と無い機会を生かすべきだ。
ここは彼らの望みに答え、更なる展開を期待して、あの檻へと入ることに決めた。
私が行動の選択肢を決定したすぐ後に、続いていた詠唱もほぼ同時に止まった。
あの呪文は何を引き起こすのかと、ずっと興味と僅かだが恐怖を抱いていたのに、詠唱が止んでも何事も起こらない。
やはり、ただの儀式の中の一つの手順でしかなかったようだ。
私は自分がこんな体をしていながら、つい、やはり魔法などというものは実在せず、単なる儀式の過剰な演出でしかないかと思ってしまう。
そしてすぐ後に、ならば自分は何なのだと、自嘲的な自問をして思わず失笑しそうになる。
己に起こる非現実的な事象は、驚いたりしながらも、受け入れるしか無いせいか許容としてきたのに、他の人間が行う非現実的なものに対して批判的に捉えてしまうのは、私が根本的にこのようなものを肯定していない人間だったからなのだろうか。
私が元々存在した世界には、このようなものが一切無いか、或いは否定された世界だったのかも知れない。
このような儀式は、トンネルを通る度に嫌と言うほど見た光景であるから、もはや驚くこともないが、これが日常として普通に起こる風景と見えたことは一度も無い。
こんなことを考えていると、人間達に新たな展開が起こり、杖を持つ者たちが、一斉に杖の下の部分を床に打ちつけて、まるで何かが起こりそうな動きを見せる。
それと同時に奴隷達が、巨大な檻の私がいる方の側面の脇についていた、檻の下の部分につながっている鎖を引っ張り始める。
すると、檻の側面の下側が上部を支点に、ゆっくりと手前にむかって開き始めた。
これで可能性の一つであった、空間転移の術などを使って、私の体が為すすべなく囚われる可能性はほぼなくなった。
彼らは私を、物理的に移動させて檻に入れることしか出来ないのが、証明されたのだ。
彼らに大した力が無いのが判明したことにより、このまま促されるままに捕らえられたとしても、危険な状況となる可能性はかなり低そうだと思えた。
檻の側面である入り口が開き終えると、杖の者たちは新たな低い詠唱を始めながら、私に向かって杖をかざし、檻の方へ進み始めた。
どうやら彼らはその呪術で以って、私の意思か肉体を操り、檻に誘導しているつもりらしい。
これに気づいた時、私は思わず笑いそうになってしまい、こらえるのに少々苦労した。
全くの茶番を、これだけの人間が、さも厳粛な儀式として行っている光景は、大変愚かしく滑稽としか言えないもので、無知であるこの人間たちに憐れみすら感じた。
ここで動かないと、せっかくの新たな展開が遠のきそうだと感じて、私は彼らの悲しい猿芝居に合わせてやり、檻へと向かって動くことにした。
さて私はここで考える、どうやって檻の中へ入ろうかと。
動かせる部位は、頭部と胴体と後足のみで、この体では前足はただぶら下がっているだけで全く動かせない。
前足の肩に当たる箇所から切断・縫合されている為に、前足は全く体を支えることが出来ないのだ。
通常の四足の動物がとる歩行手段である、四本の足で立ってバランスを取りつつ、前へと進むのは不可能だ。
では、後足で立ち上がり、人間のように二本足で歩くのはどうだろうか。
この案はすぐに消去した、この獣の器を動かすのに熟練していれば、それも可能かもしれないが、立ち上がったときにバランスを取るのはかなり難しそうで、立ち上がった途端に、そのままあらぬ方向へ倒れる可能性が濃厚だ。
これがあの術者たちの前で起きれば、やはり大騒ぎになり、時間を浪費するような気がしている。
残るは、体をよじって横に転がって移動する手もありそうだが、これはそんな運動を前足が動かないで可能なのかが分からないのと、転がった際に、体の各部位が損傷するのではないかと言う危険性が高そうに思える。
やはり無難に転倒などのリスクが少なく、彼らにも出来るだけ違和感を与えないようにするには、前足は仕方が無いので引きずりながら、後足で体を伏せたまま、前へと押していくしかないだろう。
それでもおかしな歩き方に見えるだろうが、彼らの目的が私を檻に入れて、別の場所へ移動させるのが最優先と信じて、彼らに操られている振りを続けよう。
もし、不完全な肉体の合成獣では駄目なら、この檻へと向かうところで彼らにもはっきりと分かるだろう、その時の彼らの反応を見てうまくいきそうもなければ、その時点で別の行動に切り替えるかを考えても、まあ大丈夫だろう。
檻へと入ることに決めた私は、まず祭壇の上で横を向いていた体を、身を捩じらせて祭壇前へと下りようと試みたが、やはり前足が機能しないのは非常に動きづらく、身をよじっているうちに祭壇前へと転がりすぎてそのまま転落した。
すぐに見える範囲で、各部位に異常が無いかを確認するが、どこもちぎれたり、外れたりはしなかったようだ。
ただ背中の鷲の翼は、最初に見た時と形状が違って見えていて、どうやら変形していそうだ。
杖を持つ者たちは、私がまともに立ち上がったり歩いたりせずに、動きがぎこちないのが、自分達の力不足であると思ったようで、詠唱の声を上げ、更に脇へと下がっていた杖を持たない者たちも、詠唱に参加し始めた。
私はのたうちながらも、何とか体の向きを檻の入り口へと向けることに成功した。
もちろん床に描かれていた模様はすでにあちこち崩れ、または掻き消えている。
その点は彼らは気にしていないのか、それどころではない状況と理解したのか、少なくとも私が移動するための術には、もう関係ないものとなっているらしい。
まあ、おそらく初めから一切関係なかったとは思うが。
杖を持つ者たちは、私がのたうちまわっても、すばやくそれに合わせて移動し、あくまで私を中心に取り囲みつつ、若干檻の方へ寄り気味の位置を保ち続ける。
まるで、この移動させる術は、この陣形が崩れれば失敗するかのようだ、実際は私の努力の如何のみが、成功か失敗かを決めるのだが。
とにかく、私は慎重に出来るだけ急いで、腹をする匍匐の体勢で、檻の方へと向かっていく。
結構な時間をかけて、檻の前まで辿り着くと、奴隷達が持ち上げている開口したところへと、まず頭を載せた。
床と檻とは、檻の底面部分と車輪の高さの分高くなっていて、そのまま匍匐していては入る事が出来ない。
そこで、頭を檻の入り口の淵に載せて、首から肩の部分を支点にして後足で体を支えて起き上がり、一気に後足で床を蹴って前転し檻へと転がり込むのだ。
この方法で気になったのは、檻の淵で全体重を受けることになる、肩と背中の部分だ。
死肉で出来ているところの、縫合部分の強度は十分あるだろうか。
失敗して全体重が掛かるように倒れれば、肩にある豹や獅子の頭か熊の前足が、もげるような気がしてならない。
背中の翼の損傷については、この際諦めるしかないだろう。
思い切り後足で蹴り上げて、出来るだけ各部位を壊さないように、胴体の何も付いていない後方側面の腰や後足の部分で、着地するように回れればよいのだが、こればかりはうまくいくことを願ってやってみるしかない。
私は息を整えると、頭部から右肩で体重を支えるように胴体を丸め、後足で立ち上がると膝を曲げて蹴り上げる体勢に入った。
そしてタイミングを計ると、一気に床を蹴って胴体を宙に上げつつ、胴を丸めて転がる体勢となる。
ここで一つ私の考えに誤算があり、虎の運動能力は人間のそれとは異なり、かなり強靭でかつ、この体はほとんど失敗してはいるものの、怪物キマイラとしてのものだという認識が欠けていた。
蹴り上げた反動は、転がるどころかこの体を檻の天井部まで飛ばし、さらに蹴り上げた勢いにより宙で体が若干回転した結果、天井部の檻に腰がぶつかり、かなり大きな音と共にそのまま床へと落下してしまった。
私はすぐに体に異常がないかを確認する、まずは生きている部位からだ。
思ったほど動く部位の痛みは少なかった、この檻は最初は色味からして、金属でできていると思っていたのだが、実際は丸太の表面を滑らかにして、その上に何かを塗ってあるだけのようだ。
そのおかげで、強打したであろう、腰は思ったよりも痛みが少なかったのだろう。
この檻は見た目よりも脆く、いざと言う時に、檻を破壊して逃れられる可能性は大幅に上がった。
これは思わぬ有益な情報を手に入れることが出来た、檻の状態については後でじっくりと確認しておくことにしよう。
私は次に死んでいる部位を確認する。
今の落下で衝撃を受けたのは前足で、ほぼ全体重を落下する勢いで押しつぶしてしまう結果となった。
左右の獅子と豹の首が邪魔で見えづらいが、案の定、前足である熊のそれは、落下の衝撃のせいで、肩の部分の縫合が上半分が裂けてしまい、縫い合わされていた傷口が開いている。
しかし腰などとは異なり、死んでいる部位ゆえか、痛みは全く感じていない。
傷が開いてみるとその縫合の技術がよく分かり、単に毛皮とその下の筋肉の箇所に太い紐を使って縫い付けていただけで、肩から伸びている二の腕の骨は根元からすぐに切断されていた。
熊の前足の骨ものこぎりで切り落としたのだろう、平らな切断面が見えている。
これらの骨には接着するような加工は見て取れず、その他の神経などについても切断しただけで骨と同様だった。
やはり医学の知識を持たない者たちによる、加工であったことが明白となった。
両肩の前足は下半分だけで繋がっていたが、縫合自体はかなりしっかりとされていて、すぐに外れてしまうことはなさそうだ。
私が一通りの体の確認を終えたと同時に、奴隷たちは引っ張っていた鎖を放し、開口していた檻の側面は勢いよく閉まった。
奴隷たちはすばやく先ほどまで引っ張っていた鎖を、左右共に檻の格子に巻きつけて、先端を錠で固定した。
これで移動の術は完了したらしく、杖を持つ者たちの詠唱も止まり、大半の者が精魂尽き果てたと言わんばかりに、その場に崩れ落ちる。
これこそ無駄な努力だと、内心私はほくそ笑みつつ、次の展開を待ち受ける。
力尽きた杖を持つ者たちをそのままにして、いつの間にか兵士風の男が指示を出していたのか、奴隷の増援が入って来る。
空の檻を運ぶのにやっとだった頭数では、力が足りないためだろう、檻の引き手たちは倍の四十人程になった。
奴隷たちは引っ張るための鎖を、檻の入り口があった側から、逆側へと付け直し、更に新たな鎖を追加して取り付けてから、兵士風の男の指示により、鎖を引くための配置に付く。
前方で鎖を引くのが三十人で、残りは後ろから押すらしい。
先の新たな奴隷をつれてきた兵士風の男が、前方の鎖を引く奴隷達を指揮して、最初に入ってきた兵士風の男は、後方の奴隷たちを指揮している。
どうもこのキマイラでは、所詮は獣の寄せ集めの怪物だからか、彼らの話している言葉の内容が理解できない。
最初は詠唱では通常会話に用いる言語ではないだろうから、意味が分からないのかと思っていたのだが、奴隷に命令する男の話している内容も、音としては聞こえても理解できないのは、キマイラというものが、人の言葉を理解しない存在なのだろう。
これで直接ここにいる人間達と、会話して情報を得るのは難しそうだと理解したが、キマイラに理解出来る言語を使える人間が現れる可能性も、完全に無いわけでも無いと思いなおし、ここは次なる展開に若干期待することにした。
前後の男達が、奴隷の準備が整ったことを互いに確認しあうと、出発の号令らしき声を上げる。
奴隷たちは一斉に力を込めて、私の入った巨大な丸太の檻を前から引き、後ろから押し始める。
四つの車輪はゆっくりと回転を始め、檻は動き始めた。