序章 其の八 召喚
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2010/09/23 誤植修正 召還 → 召喚
2011/08/26 改行追加 これは、覚悟しておかなくてはと、私は気を引き締めた。 → 行分割
2011/08/26 句読点変換 “。” → “、”
2011/08/26 句読点削除
2011/08/26 文字変換 半角 → 全角
2011/09/12 誤植修正 確立 → 確率
2011/09/12 記述統一 1、10、100 → 一、十、百
2011/09/19 記述修正 死肉の寄せ集めた → 死肉を寄せ集めた
2011/09/19 記述修正 やはり要求を叶えようとも → 要求を叶えようとも
2011/09/20 記述修正 明らかな需要と供給の~ → 明らかに需要と供給の~
2011/10/11 記述修正 合わせて → 併せて
“嘶くロバ”の話にあった、あの向こう側の世界へ呼び出される、というのが事実だという事は、大して日を待たずに分かった。
翌日には、光点が見える数がかなり増えていて、数秒間光り続けるものが見つかったと思うと、丸一日光っているものも現れた。
そして、光り続けるものの中には、段々とその光の色や形も違って見えるものも現れ始めた。
しかし、ロバの紳士の話とは食い違う箇所も見えてきた。
日を追うごとに数と大きさを増していくそれらは、まず色が違っていて乳白色ではなく、黒や茶色の暗い色ばかりだった。
現れたそれらは、とてもでないが嫌な感覚だけしかしないもので、あの中に飛び込むのを想像すると、まるで汚物の中にでも飛び込めと言われているのに近く、あれが目の前まで来ないことを願った。
この願いは、幸か不幸か、結構な確率で叶っていった。
大半のこちらへと向かってくるトンネルは、途中で消えていったからだ。
神頼みたる召喚とは、向こう側の世界でも、誰でも気軽に出来る行為ではないということだろうか。
とにかく、最初はどういったのに当たるか分からないが、安全で簡単に済むものを期待しつつ、その時を待ち受けた。
やはり私の希望は叶うことは無く、最初に私の元にまで届いたのは、無数の動物の死体が寄せ集められて作られている、気味の悪いトンネルだった。
実は、この手の悪趣味なものが、今まで近づいてきたトンネルを集計すると最も数が多く、出来れば避けたかったものだ。
このトンネルの外観は、その先にある向こう側の世界の状態と、きっと関係があるのだろう、そう思うと、余計に気が滅入った。
トンネルは目の前まで来ると、体が否応なしにその中へ勝手に進んでいき、抵抗も何もやりようが無いのは、紳士の話と一致していた。
このトンネルの内部は予想通りの醜悪さで、実に様々な動物の死骸で構成されていて、中には人間の死体も混ざっていた。
何となくではあるが、この死体の種類には偏りがあり、猛獣や猛毒を持つものや、肉食動物などが多く見られるように思える。
この体では感じないはずなのだが、この周囲を死体に囲まれた場所では、さぞ凄まじい死臭であろうことを考えるだけで、出しようもないはずの吐き気すらこみ上げる。
そのうち、呪詛のようなものが遠くから響いてくる、何かの儀式なのだろうか。
これは覚悟しておかなくてはと、私は気を引き締めた。
トンネルはものの数秒だったのか、数分だったのか、よく判らないうちに奥の出口へと辿り着き、一旦視界が真っ白になった後に、世界が切り替わった。
ついに呼び出された闇の世界以外の場所、向こう側の世界。
周囲はかなり暗くはあったが、完全な闇ではないことと、自分自身の肉体の存在を感じた私は、どういう形であれ、あの闇の世界を出ることが出来たことに思わず感激した。
私がいる場所は、地下の大きな広間のようで、等間隔に整列して配置された燭台に灯された小さな灯火が、どこからかの隙間風に揺らめきながら、おぼろげに周囲を照らしていた。
かなり大きな地下の広間だろうその場所を、若干高い場所から見下ろしているようだ。
視界の範囲には、燭台の配置された範囲である広間の中央に陣取った、暗くて判りづらいが黒いローブをまとった人間が、燭台の間を埋めるように十数人がひざまづいて、よく判らない言葉を発している。
と、ここで歓喜のあまり今まで気がつかなかったが、息が出来ないことに気づいた。
闇の世界では肉体がないので、息などする必要もなく、すっかり忘れていたが、こちらでは必要なことなのか?
そして召喚されて一分と経たず、視界が段々と歪み、ぼやけていく。
手や足を動かそうとしたが、首から下の体の感覚が全くなく、何故か体の重さだけは感じ取れるだけだった。
肉体を持てたと思ったのはどうやら誤りのようで、まるでまともに動くことも出来ない肉塊に取り込まれ、入った途端に死に始めたかのようだ。
あまりの息苦しさに思わず悲鳴を上げようとしたが、息が出来ないのでもちろん声を発するのも無理だった。
更に息苦しくなりつつも、自分の姿を確認したいと思い、首を下へまげて目線を下へと向けてみる。
薄れていく意識の中で、かろうじて視界に入った自分の肉体は、色々な動物の部位を縫い合わせた、死体で出来た怪物であった。
私の意識はそこで途絶えた。
ふと気がつくと、再び、こちら側の闇の世界へと戻っていた。
向こう側で感じた肉体的な苦痛は、もう一切なくなっていて、行く前と同じように、何も感じない状態へと戻っていた。
私が味わった向こう側で起こった事は、“嘶くロバ”の話とは随分と異なる感じだったが、ここでロバの仮説を思い出した。
確かその中に、召喚者が用意した物が器となる、と言うのがあったはずだ。
ということは、今回の召喚で召喚者、恐らくあの下にいた、黒衣の人間達が用意した器たる肉体が、あの怪物だったということか。
で、これも推測だが、その器は私が宿るには不完全だったのだろう。
あの紳士の話では向こう側に着いてから、だんだんと動作が不自由になったと言っていた。
これが死んだ人間の子供を器としたからだとすると、自分の時との違いを考えてみる。
双方とも死んでいるところは同じだ、後は、人間かそれとも獣の合成物かどうかの違いだ。
紳士の憑依した娘の死因は失血によるもので、その他の部位には大きな損傷はなかったはず。
それに対して自分のは、まるで人形を縫うかのように縫い合わせてつなげられた、異なる動物の部位の塊だった。
生物として動くために必要な状態が、より維持されているのは間違いなく前者だ。
彼が言っていた、こちら側では意味が無いという話だった、肉体を動かす為に必要な条件は、向こう側の世界では必須ということなのではないだろうか。
息が出来なかった理由は、頭と胴体をつなぐ首の縫合がずさんで、胴体にある肺を動かすことが出来なかったからに違いない。
目で見る事と耳で音を聞くのは出来ていた、これは首だけが正しく、という表現が正しいのか分からないが、憑依できていたのか。
首以外の部位は、単に肉塊が首からつながっていただけで、全く機能していないからまともな感覚も無かったと推測出来た。
となると、向こう側でまともに動くのは、あんな死肉を寄せ集めたトンネルからの召喚では、難しいということだろう。
私は、今の自論の真偽を確かめるために、あの紳士を呼んでみようかと思ったが、すぐに思い留まった。
もうしばらく、この自論を自力で確認してみよう、もっと多くのトンネルが来れば、その内にまともなものにも当たるかもしれないし、同じようなものが来たとしても、自論を検証することは出来るはずだ。
そう思いなおし、新たなトンネルを待つことにした。
私の推測を検証する機会は、残念なことに思いのほか恵まれていた、というより、その他のトンネルは一切来ず、全て血肉で出来たトンネルしか届かなかったからだ。
これらのトンネルの先では、後ほど理解できたのだが、彼らは合成獣の召喚をおこなっているようだ。
キマイラとは神ではなく、より強い動物を合成して、命を与えることにより作られる生物らしい。
このキマイラの召喚の儀式は、幾度となく実行されているようで、トンネルは二日に一度は現れた。
それにしてもこのキマイラというものは、これと決まった姿を持っていないのだろうか。
召喚されるたびに、縫合されたその醜態は、全く異なっていたのだ。
頭と胴体と手足が、別々の獣にされているというところまでは同じなのだが、それぞれのパーツの組み合わせは皆違っている。
使われる動物の種類には、多分強い獣、という区分があり、ライオン、虎、熊、鷲、大蛇、鰐、犬、狼等を組み合わせているのが多い。
これらの獣の体の部位を縫い合わせた、死肉で出来た化け物の人形として、数秒から十分程度の時間、死に至るまでの苦痛に耐える日課が続いた。
せめて頭と胴体だけでもそのままにしてくれれば助かるのだが、どうしてもそこは譲れないのか、ほとんどがわざわざ別種を縫い付けていたものばかりだ。
おかげで、これらの召喚によって、猛獣に属する生物については、各部位についてとても勉強になった、ひとつに合わさった時にどう動くのかは、以前として謎のままだが。
それと、そんな怪物を呼び出して何を企んでいるかも、あの短い時間では探りきれずにいた。
まだ調べる機会はありそうなので、私はその時をじっくりと待つことにした。
この後、実に数多くの向こう側へのトンネルが現れたが、やはり大半は届く前に消えうせていった。
この数は、もうどれくらいか判らないが、多分一万を超えているだろう。
こちらに届いた中でも、そのほとんどは初回と同様のパターンで、向こうで目覚めてから十分と経たずに、何も出来ずに死んでいった。
なので、これらに関してはあまりにも数が多すぎて、もはや個々の詳細は覚えていない。
この無数の召喚によって私は改めて、人間の欲というのは際限がなく、また多種多様な要求が存在するものだというのが、嫌になるほど分かった。
各個人の単位では、宗教上信仰しているだけの人間や、更には無神論者や理神論者も数多いはずだが、人間の数は無数にいて、それに応じる神の代行者はほんの数名という、明らかに需要と供給のバランスが崩れた状況では、神は奴隷のように人間に使われるのだということを理解した。
呼び出す人間側からすれば、召喚は一生に一度あるかないかの大変な出来事となっているのだろう、だがこちら側からすればそれは日常茶飯事で、息をすれば空気が吸えるように、こちら側にいるだけで要求は次々とやってくるのだ。
また、この召喚の求めに対してどう応じるかについて、類似した召喚において色々と実験をしてみたが、要求を叶えようとも失敗しようとも、私に対しては何の影響も及ぼさないようだった。
これは、神の代行業務にはノルマも成功報酬も、失敗時のペナルティも存在しないことが、一種の懲罰や労働の一環として与えられた立場ではないと思われて、比喩ではなく本当に神の代行として振舞う力を得る代償としては、この闇の世界に拘束されるのは仕方がないのかも知れないとさえ思える時もあった。
だが決してこの境遇に屈服して、元の居場所への帰還を諦めた訳ではないのだが、これだけの時間を使い、膨大な召喚をこなしてみても、自分の過去や存在に対する情報はほんの僅かしか得ることが出来ず、その僅かなものも、より謎を深めるような情報でしかないのが多かった。
しかし、“嘶くロバ”の言うとおり、向こう側で体験したことから学んでいき、何かこの世界から脱出する手段を見出すしか手は無いのが事実だ。
私はそのように思い、これまでの幾多の召喚の中から、特に印象深い顛末を迎えたものについて、これから考察をしていきたいと思う。
この、トンネルでの試行錯誤の合間にも、彼との情報交換や意見を求めたりといった会話も幾度となく行い、双方の得てきた情報を共有し、また一方の立てた仮説について、議論を交わしたりもおこなった。
この“嘶くロバ”との議論についても、併せて検討することにする。
さて、それではそろそろ始めよう、全ての話はトンネルが届いたところから始まる……
序章はこれにて終了、
次回から第一章となります。