第十六章 断罪と贖罪 其の二
変更履歴
2011/05/18 誤記修正 残り百粒しか残っていませんでした。 → このままでは二十五歳になる頃に薬は尽きてしまうのが判りました。
2011/05/18 誤記修正 七年が過ぎた頃 → 六年が過ぎた頃
2012/05/10 誤植修正 あらゆ仕事や → あらゆる仕事や
2012/05/10 誤植修正 金額まで溜まった → 金額まで貯まった
2012/05/10 句読点調整
2012/05/10 記述修正 私はここから遥か遠くの国の → 私は見ての通りの混血で、ここから遥か遠くの国の
2012/05/10 記述修正 私はこの通りの混血で、母は → 母は
2012/05/10 記述修正 庶子だったのもあって → 妾だった農奴の娘との間に出来た庶子だったのもあって、
2012/05/10 記述修正 そこで暮らしていました → そこに住んでいました
2012/05/10 記述修正 嫌がらせが数多くありました → 嫌がらせを数多く受けました
2012/05/10 記述修正 特に母の容姿は → 母の容姿は
2012/05/10 記述修正 黒髪に黒い瞳しかいない他の村人からすると → 黒い髪と瞳に有色の肌しかいない村人からすると
2012/05/10 記述修正 常に奇異の目で見られていました → 常に奇異の目で見られていたのだと思います
2012/05/10 記述修正 魔女なんじゃないかとか → 魔女なんじゃないかと
2012/05/10 記述修正 陰口を叩かれていたりして → 陰口を叩かれたり
2012/05/10 記述修正 罵声を浴びせられたりもされていました → 謂れのない罵声を浴びせられたりする毎日でした
2012/05/10 記述修正 同じ子供からは嫌がらせを受けていて → 村の子供は一人の時には逃げて行き、集団でいる時は皆で嫌がらせをしてきたりと
2012/05/10 記述修正 いつも嫌な思いをさせられていたのです → いつも嫌な思いをしていました
2012/05/10 記述修正 本当に母は死んでしまって、もう二度と母とは逢えなくなる事を実感して → 本当に母は死んでしまいもう二度と逢えなくなる事を実感し
2012/05/10 記述修正 押しつぶされそうになっていました → 押しつぶされそうでした
2012/05/10 記述修正 我慢しようと決めました → 我慢しようと決心しました
2012/05/10 記述修正 働かなければなりませんでした → 働かされました
2012/05/10 記述修正 聞いてしまったのです → 偶然聞いてしまったのです
2012/05/10 記述修正 このままでは二十五歳になる頃に → 二十五歳になる頃に
2012/05/10 記述修正 皆のところへ行けば良いし → 死んで皆のところへ行けばいいし
2012/05/10 記述修正 こちらから父を探しに行く為に → 父を探しに行く為に
2012/05/10 記述修正 旅の貯める事を決心したのです → 資金を貯めて旅に出る決意をしたのです
2012/05/10 記述修正 目が弱い事にしておいて → 目が弱い事にしておいて、帽子やフードを目深に被って目立たない様にしながら
2012/05/10 記述削除 ただ孤児から修道見習いへと変わったので、
2012/05/10 記述削除 修道院内でも立場は、只の奴隷か召使いでしかありませんでした。
2012/05/10 記述移動 もしかしたら勉強も~
2012/05/10 記述修正 私は考えていました → この頃にはすっかり諦めていました
2012/05/10 記述修正 仕事にはあまり困らずに → 旅費にはあまり困らずに
2012/05/10 記述修正 唯一感謝した出来事になりました → 唯一感謝したところです
2012/05/10 記述修正 こうして各地を彷徨い続けて → そうして各地を彷徨い続けて
2012/05/10 記述修正 それがとても辛くて → それがとても辛く
2012/05/10 記述修正 どうして村の人達と → どうして他の人達と
2012/05/10 記述修正 今でははっきりと → はっきりと
2012/05/10 記述修正 必ず迎えに行くから → 必ず迎えに来るから
2012/05/10 記述修正 頑張って欲しいと頼まれました → 頑張って欲しいと何度も説得されました
2012/05/10 記述修正 一晩泣き明かしましたが → ひとり置き去りにされる悲しさと不安で、一晩中泣き明かしましたが
2012/05/10 記述修正 有数の大富農の一族の血を → 有数の大富農である一族の血を
2012/05/10 記述修正 当番で持ち回りである筈の → 皆で持ち回りになっている筈の
2012/05/10 記述修正 他人の分まで働かされました → 、私は他人の分も働かされました
2012/05/10 記述修正 そこは、夏はとても暑くて → その部屋は、夏はとても暑くて
2012/05/10 記述修正 そんな酷い部屋やベッドでも → そんな酷い部屋やベッドでも孤児院内では
2012/05/10 記述修正 一人でゆっくり休む事が出来る唯一の場所であり → 一人でゆっくり休む事が出来る唯一の場所で
2012/05/10 記述修正 我慢していれば良いんだと → 我慢していればいいんだと
2012/05/10 記述修正 もしそれが事実なら → もしそれが本当だったら
2012/05/10 記述修正 再会出来なければ → 再会出来なければ、どのみち
2012/05/10 記述修正 行っているだろうから → 旅しているだろうから
2012/05/10 記述削除 しかし修道見習いになっても孤児院にいた時と何も変わらず、
2012/05/10 記述修正 部屋も物置小屋で → 部屋もやはり物置小屋で、
2012/05/10 記述修正 こちらでも雑用を言い渡されていましたが → こちらでも只の下働き同然に雑用ばかりをさせられていましたが
2012/05/10 記述修正 もうすっかりそんな暮らしには → そんな暮らしには
2012/05/10 記述修正 後にしました → ここを後にしました
2012/05/10 記述修正 この修道院の宗派では → この修道院の宗派では修道見習いに対して
2012/05/10 記述修正 修道女達は私の事を → 修道女達は私の扱いを
2012/05/10 記述修正 掛けたりして来ましたが → 掛けて来ましたが
2012/05/10 記述修正 商売を続けて過ごしました → 旅費と情報を得る為に商売をして過ごしました
2012/05/10 記述修正 通りすがりの商人や旅人からは → そんな商人や旅人へと尋ねても
2012/05/10 記述修正 この薬は母は → この薬を母は
2012/05/10 記述修正 二十五歳になる頃に薬は → 二十五歳になる頃には
2012/05/10 記述修正 魔女の落とし子は見捨てられたのだと言って、毎日の様に私は罵られ始めました → 魔女の落とし子は自分を捨てた親を呪い殺したんだと、日々騒ぎ立てる様になりました
2012/05/10 記述修正 強く生きなければいけないと → 私は母の分まで強く生きなければいけないと、
2012/05/10 記述修正 誰も私とは同じ部屋になりたがらなった為に → 部屋も大部屋には空きベッドがあったのにそこではなく
2012/05/10 記述修正 夜はそこで眠っていました → 夜はそこで私だけ一人で眠りました
2012/05/10 記述修正 お金や物を受け取っていたりしていたのは → お金や物を受け取っていたのは
2012/05/10 記述修正 忘れられない記憶の一つです → 忘れる事の出来ない辛い記憶の一つです
2012/05/10 記述修正 子供の村人からは魔女の娘だとか → 村の子供からは魔女の娘だとか
2012/05/10 記述修正 悪魔退治と言って棒や紐で叩かれたり、時には石を投げられたりも → 悪魔退治と叫びながら石を投げられたり、棒や縄で叩かれたり
2012/05/10 記述修正 私は他人の分も働かされました → 私は他の孤児達の分まで働かなければなりませんでした
2012/05/10 記述修正 それから私は → それからの私は
2012/05/10 記述分割 叶える事は出来ませんでした、私はその後 → 叶える事は出来ませんでした。私はその後
2012/05/10 記述修正 預けられる事になったのです → 預けられる事になったからです
2012/05/10 記述修正 これをこのまま地面の岩にでも叩きつけてやれば → 弟を今ここで地面に叩きつけて殺せば
2012/05/10 記述修正 命を取り戻して → 命を取り戻して蘇り
2012/05/10 記述修正 私が母に言われて母の体の中を → 母からの指示だったとは言え、母の体の中を
2012/05/10 記述修正 その手が血で染まった事は → 私の手が母の血で染まる程に出血させた事が原因で
2012/05/10 記述修正 その後の母の運命の原因になったのではないかと → 母がそうなってしまったのは
2012/05/10 記述修正 ずっと思い悩み続ける事になりましたし、私はあの時 → それは私が失敗したからだと思ったのです。私はあの時
2012/05/10 記述移動 母からの指示だったとは言え~
2012/05/10 記述修正 母からの指示だったとは言え、母の体の中を切って私の手が母の血で染まる程に出血させた事が原因で、母がそうなってしまったのは、 → 母がこうなってしまったのは、母からの指示だったとは言え、母の体の中を切ってベッドが血塗れになる程出血させたのが原因で、
2012/05/10 記述修正 しかしそんな幸せな暮らしも長くは続かなくて → しかしそんなささやかな幸せも長くは続かず
2012/05/10 記述修正 私が五歳の時に大きな出来事が起きました → 母はまるで命を吸い取られていくかの様に、お腹が大きくなるに連れて弱っていき、殆んどベッドで過ごす様になりました
2012/05/10 記述修正 お腹が大きくなるに連れて体調が悪化していた
2012/05/10 記述修正 この他にも時間があれば、母は → この他にも母は
2012/05/10 記述修正 魔女の様な呪文も幾つかあって → 魔女の様な呪文も幾つかあり
2012/05/10 記述修正 それは悪魔を呼ぶのではなくて → それは悪魔を呼ぶのではなく
2012/05/10 記述修正 襲われた時に逃れる術、更に → 襲われた時に逃れる対処や、
2012/05/10 記述修正 近くの丘で採取した → 近くの森で採取した
2012/05/10 記述修正 このまま飲み続けていれば、後十年も経たずになくなってしまい、そうなった時に → 薬がなくなった時に
2012/05/10 記述修正 母の言葉からして、多分死んでしまうのだろうと思いました → 多分死ぬのだろうと思っていました
2012/05/10 記述修正 この噂を聞いた夜だけは耐え切れず、夜中に → この話を聞いた日だけは耐え切れず
2012/05/10 記述修正 一晩母の墓の前でずっと → 母の墓の前で
2012/05/10 記述修正 食事も他の孤児に取られて → 食事も他の孤児達に取られて
2012/05/10 記述修正 他の暇な孤児達からはいつも苛められて → 暇な孤児達からはいつも苛められており
2012/05/10 記述修正 私の事を白い目で → 私の事を遠くから白い目で
2012/05/10 記述修正 最後に父の言う事を良く聞いて、 → 父の言う事を良く聞いて
2012/05/10 記述修正 生きて欲しいと言い残すと母は眠ってしまい → 生きて欲しいと、母は最後に言うと目を閉じ
2012/05/10 記述修正 臨月が迫りつつある → 臨月にはまだ日のある
2012/05/10 記述修正 母は急に具合が悪くなってしまい → 母は予定日よりも随分早く産気づいてしまい
2012/05/10 記述修正 暫くして母は身篭り → 私が五歳になった頃に母は身篭り
2012/05/10 記述修正 母から将来私に弟か妹が出来ると → 将来私に弟か妹が出来ると母から
2012/05/10 記述修正 母以外の遊び相手も → 母以外には話し相手すら
2012/05/10 記述修正 私は新たな兄弟の誕生を → 私は新たな家族の誕生を
2012/05/10 記述修正 父はこの部族の者ではなく → 父は部外者だったので
2012/05/10 記述修正 この地で生きる事は許されず、ここから去り → この地で生きる事は許されず、追放されてここから去り
2012/05/10 記述修正 私は父と弟を探しました → 私は父と弟の事を尋ねて回りました
2012/05/10 記述修正 だけど結局、母から → だけど母から
2012/05/10 記述修正 母の墓は → 母の亡骸は
2012/05/10 記述修正 荒地の中でした → 荒地の中に埋葬しました
2012/05/10 記述修正 予期しなかった別れの話を聞かされた時 → 全く予期していなかった別れの話を聞かされた時
2012/05/10 記述削除 こうなったのが自分の所為なのではないかと思い、
2012/05/10 記述修正 悲しくて悲しくて仕方がなくて、 → 悲しくて
2012/05/10 記述修正 少しずつ貯めていた旅費が → 少しずつ貯めていた旅の資金が
2012/05/10 記述修正 修道院を出る事を決意しました → 修道院を出る決心をしました
2012/05/10 記述修正 もっと大きな丘の上にあって → もっと大きな丘にあって
2012/05/10 記述修正 村人からは迫害は受けましたが → 村人からは迫害を受けましたが
2012/05/10 記述修正 家族三人で生きていけるだけでも → 家族三人で生きていけるだけで
2012/05/10 記述修正 父と私と生まれたばかりの弟だけの → 私達家族三人だけの
2012/05/10 記述修正 いつもなら半日もあれば → いつもなら時課の鐘が二回鳴るまでには
2012/05/10 記述修正 各都市毎に幾つもあって → 各都市毎に幾つもあり
2012/05/10 記述修正 譲ってもらったりして、用意しました → 譲ってもらったりして揃えました
2012/05/10 記述修正 それには幼い子供と赤ん坊を → それには小さな子供二人を
2012/05/10 記述結合 私だけにはその機会は与えられず、部屋もやはり物置小屋で
2012/05/10 記述修正 この瞳には部族としての → この瞳は部族としての
「私は見ての通りの混血で、ここから遥か遠くの国の、山間の中の丘陵地帯にある農村で生まれました。
母はこの部族出身の者ですが父は部外者だったので、両親は掟に因りこの地で生きる事は許されず、追放されてここから去り、父の生まれ故郷で暮らしておりました。
父の立場は村の中でも、有数の大富農の子供の一人でしたが、妾だった農奴の娘との間に出来た庶子だったのもあって、そこでの立場は良いものではなく、住まいも村外れにある小さな小屋を与えられて、そこに住んでいました。
父の職業は行商人で家にいる事は少なく、いつも私は母と二人きりで過ごしており、父が不在の時は村人からの嫌がらせを数多く受けました。
母の容姿は、黒い髪と瞳に有色の肌しかいない村人からすると、かなり違っていて、常に奇異の目で見られていたのだと思います。
そうした見た目の違いから、魔女なんじゃないかと陰口を叩かれたり、常に除者にされていて、村で何か悪い事が起こる度に、遠巻きに母の事を睨んだり、謂れのない罵声を浴びせられたりする毎日でした。
私も母と似た青白い目をしている事から、魔女の娘だと大人からは気味悪がられたり、村の子供は一人の時には逃げて行き、集団でいる時は皆で嫌がらせをしてきたりと、いつも嫌な思いをしていました。
幼い私にはそれがとても辛く、ある時私は母に、母や自分の目の色がどうして他の人達と違うのかを、尋ねた事があります。
その時母は、自分の生まれ故郷の話をしてくれて、信仰している三柱の神々の話や、私のこの目が月の瞳と言う事や、それが祖父譲りで、この瞳は部族としての能力の強さを表している事も、その時に聞きました。
だけどその事は、他の村の人に話してはいけないと言われていたので、その言いつけを守って、自分の心の中だけに留めておきました。
この頃は母の言葉の真意を理解していなかったのもあって、幼い私の中ではお伽話の様なものなのかと、漠然と思っていたのを何となく覚えております。
でもそれを聞いた事で、自分は周りの村人達よりも劣っているとか、魔女の仲間なんかじゃなくて、ちゃんとした人間なんだと信じる事が出来ました。
この他にも母は色んな話を聞かせてくれて、その中には本当の魔女の様な呪文も幾つかあり、最初は驚きましたが、それは悪魔を呼ぶのではなく、神様へ助けを乞う為のお呪いなんだと聞かされて、子供心に安心した記憶もあります。
その後も相変わらず色々と、村人からは迫害を受けましたが、父と母と家族三人で生きていけるだけで、私にとっては十分幸せだったのです。
私が五歳になった頃に母は身篭り、将来私に弟か妹が出来ると母から聞かされて、今までずっと母以外には話し相手すらいなかったのもあり、私は新たな家族の誕生をとても楽しみにしていました。
しかしそんなささやかな幸せも長くは続かず、母はまるで命を吸い取られていくかの様に、お腹が大きくなるに連れて弱っていき、殆んどベッドで過ごす様になりました。
臨月にはまだ日のある、長雨が続く秋の終わり頃のある日、母は予定日よりも随分早く産気づいてしまい、その時家に帰って来ていた父は産婆を連れてくると言って、大雨の中家を出て行きました。
父が出て行った後、私は必死に母の看病をしたのですが、いつもなら時課の鐘が二回鳴るまでには戻って来るのに、この日は半日経っても一日経っても父は戻って来ませんでした。
翌日も私は、苦しみ続ける母を、不安と恐怖で一杯になりながら看病し続けていましたが、幼い子供でしかない私では大した事も出来ず、私自身も三日目に過労で倒れてしまいました。
倒れてから再び意識を取り戻した私は、衰弱していた母に呼ばれ、手伝う様に言われて弟の出産に立ち会いました。
この時は色々な事があって、はっきりと思い出せないところも多いのですが、私がこの手で弟を取り上げた事と、私の身に起きた不思議な力の事だけは今でも良く覚えています。
私はあの時大怪我を負ったはずなのに、母の不思議な言葉の後にそれが何故かすぐに治ったのは、きっと母が語っていた信仰する神の力なのだと、幼心に思ったものです。
弟の出産を終えて、これでもう大丈夫だと思っていた母から、全く予期していなかった別れの話を聞かされた時、私は悲しくて涙が止まりませんでした。
母がこうなってしまったのは、母からの指示だったとは言え、母の体の中を切ってベッドが血塗れになる程出血させたのが原因で、それは私が失敗したからだと思ったのです。
母はそんな私へと、これは元々の運命で私の所為ではないと、何度も言って慰めてくれた後に、いつも飲んでいる丸薬は決して飲み忘れてはいけない事と、それを弟にも飲ませて欲しいと言いました。
父の言う事を良く聞いて強く素直に生きて欲しいと、母は最後に言うと目を閉じ、そのすぐ後に産婆を連れた父が家へと入って来ましたが、もうその時には母は亡くなっていました。
私達が済む家は、村の中心から離れた丘陵の途中にあり、その道中には小さな小川を越えて行くのですが、折からの長雨で小川が増水して橋が流されてしまい、川の水が引いて橋を渡せる様になるまで、父は戻って来れなかったのです。
父は、もっと早くに村に向かっていれば、こんな事にはならなかったのにと、ずっと悔やんでいたのを覚えています。
翌日は母の葬儀でしたが、村の人は誰一人として参列する事はなく、私達家族三人だけの寂しいものでした。
墓地は麓の村とは反対方向へと進んだ、私達の家のある丘の頂きを越えた先の、もっと大きな丘にあって、そこへの道中には修道院もあるのですが、そこの人達も魔女と噂された母の為には、祈ってはくれませんでした。
でも母にとっては、それで良かったのかも知れません、母が最期まで信じていたのは、この故郷の信仰だけでしたから。
母の亡骸は、墓地の中でも最も奥まった外れにある、荒地の中に埋葬しました。
母との最後のお別れの後、母が身に着けていた物を形見として父が分けてくれて、その時に私は、母の右腕に嵌められていた腕輪を受け取りました。
幼い私の細い腕にはまだ着けられないので、父が用意してくれていた紐で首から提げて貰った時、私の心の中で、本当に母は死んでしまいもう二度と逢えなくなる事を実感し、悲しさで押しつぶされそうでした。
それに比べて、まだ何も理解していない弟の方は、父からもう一つの腕輪を渡されて、私の腕の中で嬉しそうに笑っていました。
その無邪気な笑顔を見た時、小さな子供でしかなかった私の心には、私の手で取り上げた、母から託された弟を、これから母に代わって、守り育てていかなければいけないと言う決意や使命感と、この弟さえいなければ、母は死なずに済んだのではないか、或いは弟の身代わりに母は死んだのではないか、と言う疑念や憎悪の、相反する感情が鬩ぎ合っていたのです。
弟を今ここで地面に叩きつけて殺せば、若しかして母は弟に与えてしまった命を取り戻して蘇り、また幸せな日々が帰って来るんじゃないか、少しだけそう思いました。
だけど母から最期に言われた願いを、裏切る事は出来ないと思い直して、父が母の遺体を埋めている間も、しっかりとかけがえのない弟を抱き締めていました。
埋葬を終えた母の墓前で、母の代わりに弟の面倒を見て、亡き母との約束を必ず守ると私は誓ったのです。
でもそんな私の思いも、叶える事は出来ませんでした。
私はその後父や弟と離れて、一人であの修道院の中にある孤児院へと、預けられる事になったからです。
父は行商人でしたから、旅をしながら商売を続けていく暮らしをしなければならず、それには小さな子供二人を連れては行けませんでした。
そこで苦渋の決断として、敬遠されていた母親そっくりの容姿をした、手のかかる赤ん坊の弟よりも、まだ弟より大きくて手のかからない、髪の色は黒い私の方が預けられる事になったのです。
父は母の葬儀の日からずっと考えて決めた事だと言って、私へと何度も頭を下げて、五年したら必ず迎えに来るから、それまで頑張って欲しいと何度も説得されました。
この決断を聞かされた夜、私は置き去りにされる悲しさと不安で、一晩中泣き明かしましたが、でも仕方がない事だと諦めて、頑張って父が迎えに来る日まで我慢しようと決心しました。
翌朝、旅支度を整えた父と赤ん坊の弟と共に修道院まで行き、私はそこで旅立つ父や弟と別れを告げて、一人孤児院に預けられたのです。
それからの私は、誰も味方のいない修道院内の孤児院で養育される孤児として、ひたすら孤独と迫害の日々を耐えて暮らしました。
今までは庶子とは言え、この村でも有数の大富農である一族の血を引いていた父がいたから、母や私には直接手を出してこなかったのでしょうが、父も当分来る事も無く、魔女と恐れられた母も亡くなってしまえば、私はただの気味の悪い子供でしかなくて、鬱憤の溜まっている孤児達の格好の標的にされたのです。
孤児院の中では、本来皆で持ち回りになっている筈の雑用や辛い作業は、全て私に押しつけられていて、朝は賛課の鐘よりも早く起きて、夜は真っ暗になる寸前の晩課の鐘がなるまで、私は他の孤児達の分まで働かなければなりませんでした。
食事も他の孤児達に取られて減らされてしまい、暇な孤児達からはいつも苛められており、その様子を孤児院を仕切る修道女達は、全て見て見ぬ振りをしながら、私の事を遠くから白い目で見ているだけでした。
村へと用事で行かされれば、私の姿を見た途端に、大人の村人からは避けられたり嫌味を言われたり、身に覚えのない事で罵られたりしたし、村の子供は魔女の娘だとか悪魔の子供だとか騒ぎ立てて、悪魔退治と叫びながら石を投げられたり、棒や縄で叩かれたりもしました。
共に用事に出された他の孤児や付き添いの修道女達は、そんな光景をいつも離れたところで、可笑しそうに笑って眺めていたり、私を見世物にして村人からお金や物を受け取っていたのは、忘れる事の出来ない辛い記憶の一つです。
部屋も大部屋には空きベッドがあったのにそこではなく、物置部屋の一画をあてがわれて、そこに壊れかけたベッドを置いて寝床を作り、夜はそこで私だけ一人で眠りました。
その部屋は、夏はとても暑くて鼠や様々な虫がそこら中から湧くし、冬は隙間風で凍えるほど寒い場所でしたが、そんな酷い部屋やベッドでも孤児院内では、誰からの嫌がらせも干渉も受けず、一人でゆっくり休む事が出来る唯一の場所で、そこでの晩課の鐘から賛課の鐘の間の就寝の時間だけが、私にとっての安らぎの時間でした。
この様な辛い日々の中で、幾度となく挫けそうになる度に、私はいつも母の最期の言葉を思い出しては、私は母の分まで強く生きなければいけないと、自分に言い聞かせて、父が迎えに来る五年と言う歳月を、ひたすら耐えて過ごしました。
こうして苦痛に満ちた五年が経ち、私は十歳になりましたが、それだけ経っても未だに私の地位は変わらず雑用係のままで、後から入ってきた幼い孤児よりも、私は下の扱いを受け続けていました。
でももうすぐ父が迎えに来てくれるから、あと少しだけ我慢していればいいんだと、自分を慰めて再開の日を待っていたのですが、父はなかなか現れませんでした。
そのうちに季節は流れて行き、春から夏、夏から秋、そして秋から冬へと変わっても、父はまだ現れませんでした。
その内に父が私を引き取りに現れないのは、父が死んだからだと言う噂が流れ始めて、孤児達も私に向かって、魔女の落とし子は自分を捨てた親を呪い殺したんだと、日々騒ぎ立てる様になりました。
終いには、この噂の事を修道院長が話していて、私の扱いをどうするかで困っているのを、偶然聞いてしまったのです。
自分に対するどんな酷い仕打ちも、父が迎えに来てくれると信じていたからこそ、耐える事が出来たのに、その父が死んだなんて言う話が事実だとしたら、それは私にとって何よりも耐え難い事でした。
もしそれが本当だったら、父と一緒に旅立っていた弟ももう死んでいるに違いない、そしたら私にはもう身内は誰もいない、この世界で独りだけになってしまう、これはあまりにも辛過ぎる事です。
これまでどんなに辛くても、与えられた仕事はこなしていたけど、この話を聞いた日だけは耐え切れず孤児院を抜け出して、母の墓の前で泣き崩れていました。
こうして約束の一年は、噂を裏づけるかの様に、父からの便りも無く過ぎ去りました。
父が迎えに来てくれなかったのは、とても辛い事でしたが、それ以外にも問題が起き始めていました。
母から必ず飲むようにと言われていた丸薬が、大分減って来ているのに気づいたのです。
この薬を母は毎週欠かさず飲んでいて、私は月に一度だけで良いと言われていたので、それを続けていたのですが、母のいた時は常に切れる事無くずっとあった薬は、改めて袋の中を数えてみると、二十五歳になる頃には尽きてしまうのが判りました。
薬がなくなった時に私はどうなるのかについて、母から教えられてはいなかったけれど、多分死ぬのだろうと思っていました。
この薬は父が何処からか、手に入れていた物だと思っていた私は、父に再会出来なければ、どのみち命は無いのだと考えるようになりました。
もし噂の通り父も弟も既にこの世に無いのであれば、その時はもう生きていても仕方が無いから、死んで皆のところへ行けばいいし、生きているなら何かここに来れない理由があるのだろうから、こちらから探しに行った方が再会出来る可能性は上がる筈だと考えて、私は父を探しに行く為に、資金を貯めて旅に出る決意をしたのです。
それから私は、雑用に追われる忙しい日々から、僅かでも時間を作っては、村から少し離れた街道まで出て、そこを通る父と同じ行商人や旅人相手に、近くの森で採取した薬草や山菜を売ったりして、少しずつ旅費を貯め始めました。
こうやって地道に貯めたお金は、宿舎に置いておけば誰かに取られてしまうだろうから、絶対に誰も村人は近づかない母の墓の近くに隠しました。
声をかける相手は、出来るだけ珍しい物を扱っている商人や、髪や肌や目の色がここの村人と違っている相手にしました。
こう言う相手なら、きっと遠い国まで旅しているだろうから、私の目を見ても普通に話をしてもらえたからです。
ただそれでも、やはりこの月の瞳は目立ってしまうので、生まれつき目が弱い事にしておいて、帽子やフードを目深に被って目立たない様にしながら、時間を作っては街道での商売を続けました。
細々ではありましたが商売を続けていると、この街道を定期的に往復している商人の中には、いつも立ち寄ってくれる人も増えてきて、そうした顔馴染みになった人達と話をする様になりました。
そんな商人や旅人へと尋ねても、父の消息や私の飲んでいた丸薬の事となると、誰も判る人は居なかったのですが、その代わりに旅に出る為の常識や、色々な知恵を教えて貰いました。
私の場合だと、若い女の一人旅になるので、出来るだけ集団と共に行動するだとか、攫われたり襲われた時に逃れる対処や、狙われない様にする方法など、ここで話を聞いていなければ全く判らなかったと思える事を、沢山知る事が出来ました。
こうして親切な人達から、商売を通じて多くの事を学びながら、私は孤児院の雑用をこなしつつ、旅費と情報を得る為に商売をして過ごしました。
父との約束の年から更に五年の月日が経って私は十五歳になり、この頃には孤児院から修道院へと移されて、修道見習いとなっていました。
もしかしたら勉強も出来るのかも知れないと、少し期待していたのですが、私だけにはその機会は与えられず、部屋もやはり物置小屋で、こちらでも只の下働き同然に雑用ばかりをさせられていましたが、そんな暮らしには慣れてしまっていたので、もうそれには何とも思わなくなっていました。
これだけの歳月が流れても父からは音信不通で、もう父は迎えに来る事が出来なくなってしまっているのだと、この頃にはすっかり諦めていました。
この五年間で少しずつ貯めていた旅の資金が、ようやく目標の金額まで貯まった事もあって、私は修道院を出る決心をしました。
旅に出る為に必要な情報は、街道での商売相手の人達に教えてもらい、必要な道具なども交換したり、貯めたお金で譲ってもらったりして揃えました。
旅立つ準備が整ったところで、私は修道院長の所へと赴き、巡礼の旅に出たいと申し出ました。
この修道院の宗派では修道見習いに対して、本来は祈りと生活に最低限必要な外出以外は認めていないのですが、厄介払いが出来ると思ったのでしょう、院長はすぐに許可してくれました。
修道女達は私の扱いをよほど困っていたのか、皆安堵して私へと労いの言葉を掛けて来ましたが、若い修道見習い達は、雑用を押しつける相手がいなくなる事に苛立っていました。
結局私は、この修道院で孤児院時代も含めて十年間過ごしましたが、この教派の教義や教えは何一つ学ぶ事は無く、様々な雑用のこなし方だけを習得して、ここを後にしました。
こうして修道院を出た私は、巡礼者に扮して父と弟を探す旅に出たのです。
私は事前に得た情報を元に、行商人が多く行き来する大きな貿易都市や港町を目指して、旅する事にしていました。
しかし巡礼者とはいえ女の一人旅では危険も多いので、修道院長に巡礼者の集まる順路を記したものや、紹介状の様な物を書いて貰っておき、それらを使って巡礼者の旅団に合流してから目的地を目指しました。
この教派の信仰では、大陸のあちこちに聖地や巡礼地があって、それらを巡れば巡る程に徳が高まるとされており、そうした聖地は人も物も多く集まる場所になっていたのは、あちこちを彷徨う私にとってとても好都合でした。
こうして私は巡礼の旅団と行動を共にしながら、道すがら父と同じ様な姿をした行商人に声を掛けて、父の事を尋ねながらの巡礼の旅を続けました。
路銀が底を突きそうになると、どんな雑用でも厭わず行って稼ぎながらの旅でしたが、孤児院や修道院であらゆる仕事や雑用をやらされていたおかげで、旅費にはあまり困らずに済んだのは、あの生活の成果だと唯一感謝したところです。
商人なら商売をする以上、その地域の組合に加盟している筈で、そこに行けば足取りが掴めるかも知れないと、前に教えて貰っていたので、私はまず最初に父が所属していた商人組合を探しました。
ですが商人組合は地域では勿論、扱っている品物に因っても分かれていて、それが各都市毎に幾つもあり、なかなか父の足取りは掴めず、こうやって巡礼者として旅をしながら、育った村を中心にして各地の商人組合を訪ね歩く日々が、延々と続きました。
そして一年が過ぎ、今度はもう少し北へと足を伸ばし、もう一年が経ち、今度はもっと南へと足を伸ばし、と言う様に徐々に探す範囲を広げながら、私は父と弟の事を尋ねて回りました。
そうして各地を彷徨い続けて六年が過ぎた頃、とある北方の街道沿いにある貿易都市の組合で、とうとう父と弟の足取りを掴む事が出来ました。
もう十年以上も前に、父はその都市から大陸北東の、荒涼とした山岳地帯の麓にある町へと向かったらしいのです。
それ以降は、父がその組合に立ち寄った事はないと聞かされて、かなり不安になりましたが、とにかく私はやっと掴んだ情報を頼りに、かつて父の向かった町を目指して一人出発しました。