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『誓約(ゲッシュ) 第一編』  作者: 津洲 珠手(zzzz)
第十六章 断罪と贖罪
73/100

第十六章 断罪と贖罪 其の一

変更履歴

2011/12/24 記述統一 一センチ、十メートル → 1cm、10m

2011/12/25 誤植修正 関わらず → 拘わらず

2011/12/25 誤植修正 して見れば → してみれば

2012/05/20 誤植修正 時間はあるのでは → 時間はあるのではと

2012/05/20 誤植修正 視界の上部や両脇には → 視界の上部や両脇は

2012/05/20 誤植修正 碧眼・碧腕 → 隻眼・隻腕

2012/05/20 誤植修正 四肢の全て覆って → 四肢の全てを覆って

2012/05/20 句読点調整

2012/05/20 詠唱部分レイアウト調整

2012/05/20 記述修正 幹に特徴のある傷が付けられている → 幹に傷のある大樹が並ぶ

2012/05/20 記述修正 大樹が立ち並ぶ森のトンネル → 濃霧で仄暗い中に木漏れ日の差す森のトンネル

2012/05/20 記述修正 僅かに俯いているのか → 俯いているのか

2012/05/20 記述修正 もう少し頭を上げて → 頭を上げて

2012/05/20 記述修正 背の高い樹に囲まれた → 背の高い木々に囲まれた

2012/05/20 記述修正 かつての憑依の → これもかつての憑依の

2012/05/20 記述修正 裁きの間に上げられて → 裁きの場に引き出されて

2012/05/20 記述修正 巫女の前に出されているだけとも → 巫女の前に引き出されただけとも

2012/05/20 記述移動 この器の視界には特徴があって~

2012/05/20 記述修正 鮮明になるのを繰り返している → 鮮明になるのを繰り返しているらしい

2012/05/20 記述修正 銀色の壁の正体が → 銀色の壁の正体は

2012/05/20 記述修正 手まで隠れている袖を捲くってみると → 指先まで覆われた袖を捲くると

2012/05/20 記述削除 以前も決して太っていた訳では無いが、

2012/05/20 記述修正 きっと体も修道服で目立たないがかなり → 修道服で目立たないものの、きっと体も以前より更に

2012/05/20 記述修正 これは癖なのだろうか → これは痛むからなのか或いは癖なのだろうか

2012/05/20 記述修正 その右手の切断先を → その右手の切断面を

2012/05/20 記述修正 部族の男達の → 部族の男達が唱えていた

2012/05/20 記述修正 思わぬ機会を得た驚きと → 思わぬ好機を得た驚きと

2012/05/20 記述修正 死に瀕していたのにも拘わらず → 死に瀕していたにも拘わらず

2012/05/20 記述修正 ここまで戻って辿り着いたのか → ここまで辿り着いたのか

2012/05/20 記述修正 何故なら大半は → 何故なら大半の者達は

2012/05/20 記述修正 なかなか見せて来ないで → なかなか見せずに

2012/05/20 記述修正 霞みがかり濁っている様に思われ → 霞み濁っている様に思われ

2012/05/20 記述修正 途轍もなく重くて → 途轍もなく重く

2012/05/20 記述修正 きっとこんな物なのだろうと把握する → きっとこんな感じなのだろうと理解する

2012/05/20 記述分割 白く美しい手があり、一応足も確認すべく → 白く美しい手があった。一応足も確認すべく

2012/05/20 記述修正 手と同じ様に → こちらも手と同じ様に

2012/05/20 記述修正 殆んどが木製であり → 殆んどが木製で

2012/05/20 記述修正 男達の容姿は、皆白い肌に → 男達の容姿は皆肌が白く、

2012/05/20 記述修正 黎明の刻 → 黎明の刻と言う事は

2012/05/20 記述修正 常に潤む瞳では → 常に潤む瞳は

2012/05/20 記述修正 延々と繰り返しつつ → 延々と繰り返す中

2012/05/20 記述修正 私はこれは拭っても → これを拭っても

2012/05/20 記述修正 良いものかとも思いながら → 良いものかと私は思い悩みつつ

2012/05/20 記述修正 頭部から項へと伸びる → 頭部から下へと伸びる

2012/05/20 記述修正 それを手にとって → 手にとって

2012/05/20 記述修正 体を僅かに左側を → 僅かに体の左側を

2012/05/20 記述修正 廃人か死人の様にしか → 廃人の様にしか

2012/05/20 記述修正 隻眼・隻腕・白髪の修道女 → 隻眼・隻腕・白髪の修道服の女

2012/05/20 記述修正 炎上する館の中で → 炎上する館の中

2012/05/20 記述修正 色をしたものが → 色をしたものを

2012/05/20 記述修正 向かって右側の列の男達は → 右側の列の男達は

2012/05/20 記述修正 少々異なってはいるが → 少々異なっているが

2012/05/20 記述修正 そういったものは一般的だったのかと → この手法での召喚が一般的だったのかと

2012/05/20 記述修正 臥す娘へと意識を向けると → 臥す娘へと意識を向けた途端

2012/05/20 記述修正 視界が真っ白になった後に眩暈を感じて意識が遠のいた → 眩暈を感じると同時に視界が真っ白になった

2012/05/20 記述修正 最初ははっきりとは聞き取れなかったのだが → 最初は良く判らなかったのだが

2012/05/20 記述修正 歩く事すら覚束無い修道女を → 歩く事すら覚束無い不具の女を

2012/05/20 記述修正 男達の各列の前へと → 座っている男達の各列の前へと

2012/05/20 記述修正 蒼玉の氏族の代表、緋玉の氏族の代表、翠玉の氏族の代表 → 蒼玉の氏族、緋玉の氏族、翠玉の氏族の各代表

2012/05/20 記述修正 湖の中央から眺めていた → 湖の中央から見えた

2012/05/20 記述分割 気になっていた、それなりに時間はあるのではと → 気になっていた。それなりに時間はあるのではと

2012/05/20 記述修正 対話にはならないなんて → 対話にならないなんて

2012/05/20 記述修正 果たして姉は~、そしてその内容を~、更には私の正体を知ったら~ → 私の正体を知ったら~、果たして姉は~、そしてその内容を~

2012/05/20 記述修正 静かに立ち上がって → 静かに立ち上がり

2012/05/20 記述修正 修道女姿の老女を → 修道服姿の老女を

2012/05/20 記述修正 似つかわしくない姿の → 似つかわしくない格好をした

2012/05/20 記述修正 扇状に三つの列で、五人ずつ並ぶ → 私のいる祭壇を中心とした扇状に、三つの列で五人ずつ並ぶ

2012/05/20 記述修正 向かって中央の列の男達が → 中央の列の男達が

2012/05/20 記述修正 人間らしき姿も見えていて → 女らしき姿も見えていて

2012/05/20 記述修正 臥したる蒼玉の巫女らしいのが → 臥す蒼玉の巫女らしいのが

2012/05/20 記述修正 四肢の全てを覆ってしまっており → 四肢の全てを覆ってしまっているので

2012/05/20 記述修正 実際に存在しているのか目視では → 本当に実在しているのか

2012/05/20 記述修正 やっと焦点の合った碧眼で → だが焦点の合った左眼で

2012/05/20 記述修正 私の顔を見上げつつ → 私の顔を見た後は死んでいた目に光が宿り、正気に返った様に

2012/05/20 記述修正 遂に修道女の姉は → 詠唱の時よりも確りした声で

2012/05/20 記述修正 うら若き娘の体を借りて → うら若き少女の体を借りて

2012/05/20 記述修正 この連行されて来た修道女が → 連行されて来た修道女が

2012/05/20 記述修正 月単位の歳月だと思えるのだが → 月単位の期間だと思えるのだが

2012/05/20 記述修正 詠唱しているのだろうが、その他の者達はこの儀式の立会人の様な者なのかも知れない → 詠唱しているのだろうと思える

2012/05/20 記述修正 中央と下部に水面が → 中央から下にかけて水面が

2012/05/20 記述修正 丸薬が尽きていた事に因る老化も → 丸薬が尽きていた事に因る肉体的な老化も

2012/05/20 記述修正 あの装身具をつけた人間が → 装身具をつけた人間達が

2012/05/20 記述修正 そして湖面へと落ちて → その湖面へと落ちて


私は暗闇の中にいる。

目の前には、幹に傷のある大樹が並ぶ、濃霧で仄暗い中に木漏れ日の差す森のトンネル。

私は、枝葉の戦ぐ微かなざわめきを耳にしつつ、奥へと進んでいく……




目を覚ますと、そこは池なのか湖なのか判らないが、広い水面の上に居た。

これをより正確に表現するならば、流れてもいなければ波立ってもおらず、時折小さな波紋が広がっているところから、湖に浮いていた、と言うか湖面に立っている様だ。

どうやら俯いているのか、視界の上部や両脇は輝く遮蔽物で覆われていて、中央から下にかけて水面が見えている。

この器の視界には特徴があって、一定の間隔で徐々にぼやけてはまた鮮明になるのを繰り返しているらしい。

頭を上げて周囲を確認してみると、背の高い木々に囲まれた森の中にある、小さな湖の中央付近に居るのが判った。

今回の私の器は人間の姿をしており、更に四肢も白い衣服に隠されているが、通常の人間と同様に存在している感覚を感じていた。

だが身に纏っている衣服の形状が四肢の全てを覆ってしまっているので、本当に実在しているのか確認出来てはいない。

自身の手足を確認している時に、終始見えていた視界の遮蔽物、両脇を狭める様に下へ行く程に青みが増している銀色の壁の正体は、自分の髪であるのが暫くして理解出来た。

その銀髪は途中で細かく小さな白銀の髪留めで括り分けられて、幾重にも枝分かれしながら足元へとうねりつつ垂れており、湖面に到達するところでは湖の水と同化していた。

その湖面へと落ちて波紋を作る雫が、自分の顎から滴り落ちているのに気づいた時、私は今回の器の正体を悟った。

この長い銀色から青く澄んだ清水へと変化する長い髪、手や足まで覆う継ぎ目の無い白いドレスの様な服、止め処なく流れる涙、これは蒼玉の女王では無いだろうか。

私の推測が間違い無いかを確認すべく項に手をやると、頭部から下へと伸びる細い鎖の先に小さな球状の物が吊り下がっているのが判り、手にとって前方へと寄せてみると、それは銀色の鎖に繋がれた青い半透明の宝玉であるのが判った。

これは蒼玉の女王の特徴である蒼玉の髪飾りだ、これでもう間違い無いだろう、私は蒼玉の女王として召喚されたのだ。

常に潤む瞳は涙が溜まるにつれて視界が滲み、涙が零れると鮮明になった後にまた段々と滲んで来るのを、延々と繰り返す中、これを拭っても良いものかと私は思い悩みつつ、改めて顔を上げて湖の周辺へと目を向けた。

滲む視界や距離があるのもあるが、まだ夜明け前なのか薄暗い上に霧が掛かっており、湖岸の様子ははっきりとは判らないものの、大きな石で出来た祭壇の周りに篝火が焚かれている。

そこでは何かの儀式めいた事を行っているらしく、どうやらあれが私を召喚した者達の居場所であろう。

確かこの女神は人間に素顔は見せないとされていた筈なのを思い出し、今の距離であれば顔を上げていても見られる心配は無いだろうが、果たしてあの人間達の元へと近づいても良いのかどうかを疑問に感じ始めた。

蒼玉の女王は常に顔が見えない女神なのだから、もしこのまま人間達の居る場所へと近づけば、顔は見られてしまうのではないか、そしてそれはこの器の行動としては許されている行為なのかが判らない。

そうして対処の方法について迷っていると、湖岸の人間達の方から詠唱が聞こえ始めた。

最初は良く判らなかったのだが、次第に聞き取れる様になって来ると、それが私を呼び寄せる言葉であるのが判った。

「蒼玉の女王よ、

    黎明の刻に我等は女神を呼ぶ、

       何処に囚わる咎人に裁きを下し給え。

 蒼玉の女王よ、

    女神の怜悧なる知恵と意思を、

       其処に臥す蒼玉の巫女へと宿し給え。

 蒼玉の女王よ、

    苟且なる巫の器の耳で以って、

       此処に座す咎人より献言を聴き給え。

 蒼玉の女王よ、

    苟且なる巫の器の口で以って、

       此処に伏す咎人へと至言を授け給え」

声の方を良く見ると、祭壇の上に横たわる女らしき姿も見えていて、どうもそれが臥す蒼玉の巫女らしいのが判った。

体を奪おうとした緋玉の王の時とは少々異なっているが、この器は人間への憑依と言うか交霊術の類なのか、この手法での召喚が一般的だったのかと思いつつ、私はその台座に臥す娘へと意識を向けた途端、眩暈を感じると同時に視界が真っ白になった。




立ち眩みの様な一瞬の眩暈の後に、再び目を開くと私は空を見上げていた。

黎明の刻と言う事は、即ち夜明け前なのだろう、空はまだ暗いが周囲に篝火が焚かれていて、私の居る場所一帯は十分に明るくなっている。

辺りからは人間の居る気配を感じ、低い詠唱も聞こえて来る場所に移ったらしく、背中からはひんやりした石の冷たさを感じている点からして、ここはきっとつい先程まで湖の中央から見えた、篝火に照らされていた祭壇に違いない。

今の私は召喚者達の術に因って、蒼玉の巫女と言う娘の体に憑依したのだろうか。

上半身を起こしつつ周囲を見てみると、向かって左側は先程居た場所だろうか、光も無く暗い湖が広がり、右側には私のいる祭壇を中心とした扇状に、三つの列で五人ずつ並ぶ男や老人達が見えており、中央の列の男達が詠唱を続けている。

男達の容姿は皆肌が白く、長く伸ばされた髪は金髪からもっと淡い銀髪をしており、こちらを見据える眼の色は青からもっと淡い水色であった。

基本的に地味な男達の身なりには、所々に鮮やかな装身具や衣服の装飾が施されていて、中央の列の男達は青い色をしたものを、右側の列の男達は赤い色のものを、左側の列の男達は緑色をした物を身につけているのが判った。

装飾品は殆んどが木製で、かつて何度か見かけた細かな白く細い線の模様が刻まれているのが見えており、これの意味するのは彼等はそれぞれ、蒼玉の氏族、緋玉の氏族、翠玉の氏族の各代表と言う事なのだろうか。

察するに、蒼玉の女王を呼び出す為の儀式であるから、蒼玉の氏族が中央に座り詠唱しているのだろうと思える。

これだけの数の装身具をつけた人間達が集まっている点からして、ここはあの修道女の母親の故郷なのは、間違いなさそうだ。

次に自分の体を見てみると、先程の女神の銀髪と比べるとやはり色褪せて見えるものの、腰よりも長いかなり淡い豊かな金髪が体の両脇にうねり、女神と合わせたのだろう、長い髪は末端へと向かうに連れて青く染められていた。

着ている衣装も蒼玉の女王のそれと似た、飾り気の無い白地のワンピースの様な衣装であり、女神のそれと合わせている指先まで覆われた袖を捲くると、そこにはちゃんと青く装飾された爪のある、白く美しい手があった。

一応足も確認すべくスカートの裾を少し引き揚げてみると、こちらも手と同じ様に青く塗られた爪をした足がちゃんと存在していた。

肌の色もその衣装に劣らぬ程に白く、体つきからしても相当に若いであろうこの娘は、今は確認出来ないがきっと月の瞳をしていて、神をその身に宿す役目の巫女として、恐らく資質的に最も優れた者なのだろうと推測した。

湖上の女神の時に比べると体は途轍もなく重く、一つ一つの動作が煩わしくて仕方なく感じるのだが、これは人間の体に降りた場合には、きっとこんな感じなのだろうと理解する。

憑依しているこの娘は、生贄として捧げられているのかと気になって、糧の在り処を探ってみると、湖の中からこちらへと流れてくるだけで、この若き娘の魂や体からは何も感じない。

これは一時的に私を宿しているだけで、この交霊術が終われば元に戻るのだろうかと考えつつ、私は1m程度の高さの祭壇から、部族の男達の居る地面へと降り立ってみた。

するとこの巫女の体が予想以上に小柄なのが判り、まだ十代前半の子供なのではないかと感じた。

それまで私の方を黙って見つめていた男達のうち、緋玉の氏族の者達の一人が立ち上がると、篝火の届かない奥へと消えて行く。




暫くして、先程の男が数人の人間を引き連れて、再びこの儀式の場へと戻って来た。

新たに連れて来た人間は三人で横一列に並んでおり、左右に居るのは武装した兵士風の装いの若い男達で、その二人に左右から支えられる様にして連れて来られた中央の者は、この場に似つかわしくない格好をした老いた女だった。

木製の足枷を嵌められた、かなり痩せ衰えている様子の女は、まだ僅かに黒髪が残るほぼ白髪に近い灰色の長い髪に、この部族の信仰では無いであろう薄汚れた修道服を着ていた。

更にこの老女には身体的な特徴があり、まず右腕が途中から無く、破れ目のある右腕の袖は肩から少し先で垂れ下がり、右眼も失明している様で、長い髪が右眼の辺りまで掛かっていて判りづらいが、右側の眼に黒い眼帯を着用しているのが判った。

本来なら両脇から自由を拘束する為に居るのであろう二人の兵士は、満足に歩く事すら覚束無い不具の女を半ば引き摺る様にして、私の立っている所の目の前に当たる、座っている男達の各列の前へと引っ立ててから、崩れ落ちるのを支えつつ座らせたに等しい動きで、老いた女を其処に跪かせてから、奥へと下がり消えた。

こうして2m程度の距離で対峙した、篝火に照らされた修道服姿の老女を、私はまじまじと眺めた。

隻眼・隻腕・白髪の修道服の女、色々と変わり果ててしまっているところもあるが、これは間違いなくあの弟殺しで炎上する館の中、力尽きた後に何者かに因って連れ去られた、月の瞳を持つ修道女の姉だった。

こちら側では、あの日からどれだけの日数が経過しているのかは良く判らないが、あの時と同じ修道服を着たままと言う事は、年単位では歳月は流れておらず、長くてもせいぜい月単位の期間だと思えるのだが、そうだとするとこの姉の窶れ様は目を疑うものがあった。

確か弟を殺した時は二十代の若い女であったと推測していたのだが、今の修道女は十年は老け込んでいる様に見えた。

血の気の失せた顔にはあの時に出来た火傷が幾つか見られ、苦悩に因るものなのか眉間には深い皺が刻まれていて、頬は肉が削げ落ちた様に無くなり、眼の下には大きな隈がはっきりと見える。

黒髪はすっかり色褪せて殆んど白髪に変わり、修道服で目立たないものの、きっと体も以前より更に痩せ細っているに違いない。

腕輪の発した熱で焼かれて裂けた右の袖からは、肩と肘の間で焼き切られた様な、黒い模様の火傷痕を残しているのが少しだけ見えていて、これは痛むからなのか或いは癖なのだろうか、左手でその右手の切断面を押さえる様にしている。

右眼と右耳が不自由な所為なのか、女は僅かに体の左側を前に出す様な斜めの体勢で、私の方を見つめていたのだが、その表情には一切の感情が見られず、まるで廃人の様にしか見えない。

最大の特徴でもあった月の瞳は片目だけになり、その残った左眼もかつて程の美しさは無く、青白く淡い月の色と言うよりはどんよりと霞み濁っている様に思われ、更に白目は血走っている。

これもかつての憑依の後遺症なのか、時々顔を歪めて眼帯を着けた右眼を、左手で押さえる行動が目についた。

変わり果てた修道女の様子を確認した私はここで、部族の男達が唱えていた詠唱の内容を思い出していた。

詠唱では、私の役目は咎人の裁きを行う事で、その為にこの蒼玉の巫女である、うら若き少女の体を借りて人間達の前に呼ばれた訳で、そう考えるとこの状況では、連行されて来た修道女が罪人に当たる咎人なのは明らかだ。

そして私がこの修道女の犯した罪に対する裁きを行う為に、今から修道女の証言を聞く事になるのだろうか。

私が生ける屍と化しているかつての修道女の娘と対峙していると、頃合を見計らっていたのかいつの間にか詠唱も止んでいて、三列に座していた男達は静かに立ち上がり、篝火の届かぬ奥へと下がって行く。

どうやら神の化身と咎人との対話は、二者の間だけで交わされるものらしい、私はそれを、思わぬ好機を得た驚きと共に見つめていた。




男達が全員消えたところで改めて私はすっかり窶れてしまった、数少ない向こう側の世界の知人とも言える老いた娘を見つめた。

この状況ならば私の記憶にある昔話を語っても、他の者達に聞かれないのだから妙な事にはならないだろう。

修道女の姉にはあの召喚以降、色々と聞きたい事もあったが、“嘶くロバ”も言っていた通り、二度と遭遇する事は無いだろうと殆んど諦めていた。

だがこうして、奇跡とも思える事に生きて再開が叶ったのだ、これほどに驚く事は無い。

しかし問題はその当人が、もう正常な精神を保っていないのではないかと思える程に変貌していた事だ。

この疲弊しきった様な状態は、命を維持する為の丸薬が尽きていた事に因る肉体的な老化もあるのかも知れないが、あの日の出来事が起因しているのも間違い無いと判るからこそ、余計に話をしたいと私は強く思っていた。

商館での緋玉の王として肉体を共有しての弟との戦いや、弟の出産の立会いとその後の母親との死別や葬儀の事など、姉からすれば人生における大きな分岐点でもあり苦痛だったろうが、多くの時を共有した出来事が私の記憶に残っているし、更に姉は直接関わってはいないが、父親の死別と弟の救済などもあった。

姉が耳にしていた、弟の今際の言葉は何だったのかも知りたかったし、炎上する商館の中で、見えない筈の私を見上げて告げようとしていた言葉の続きも聞いてみたい。

あの焼け落ちる商館で、最後に現われた一団の正体や、更に明らかに死に瀕していたにも拘わらず、どうやってここまで辿り着いたのか、その経緯も気になる。

幾多の召喚をこなして来たが、これほどまでに多くの関わりを持った人間は他にはいない、何故なら大半の者達は一度の召喚で死んでしまっているからだ。

だからこそ、こうして無事に再会を果したのだから、出来る事なら是非その感情を共有したいと望んでもいたし、姉が望むのであれば、私の知る父親と弟の召喚の事を語り教える事も、可能であるのなら知らせてやりたいとも思っていた。

私の正体を知ったらこの疲れ果てた女はどう思うのだろうか、果たして姉は私が語る事実を聞いてくれるのだろうか、そしてその内容を理解してくれるのだろうか。

それらの私からの語りたい事柄とは別に、この儀式での本来の語る献言とは、一体何なのかも気になっていた。

裁判で罪人が語ると言えば、通常なら罪状を否定する釈明か、罪状を認めて後悔と反省を述べるか、このいずれかであろうが、不具者と化した廃人の様な女の胸中には、今は何が去来しているのだろう。

ここへと連行されて来る際も、抵抗らしい抵抗もせず、かと言って自らこの反論の機会に意気込んでいる様子も全く無く、ただ引き摺られてここに持って来られた、壊れた人形の様な状態は当初から今も変わらない。

まあこれは、私からすれば感動の再会なのだが、この白髪の娘からしてみれば裁きの場に引き出されて、直接関わった事の無い蒼玉の女王の化身と化した、巫女の前に引き出されただけとも言えるのだろうから、私から多くの事実を聞くまではこの状況は変わらないかも知れない。

また別の不安としては、こうして不具の娘と会話が出来る時間はいつまでなのかについても気になっていた。

それなりに時間はあるのではと暗に考えているがどの程度なのか、それとこの状況で私は女と言葉が通じないなんて事は無いと疑いもしなかったのだが、まさかまたいつもの様に一方通行で、対話にならないなんて事は無いだろうか。

いざこれから、咎人である女の声が聞けると思った途端に、幾つもの不安要素が湧き上がって来る。

この儀式の手順としては、まず咎人の言葉を聞いて、それから私が裁きの言葉を答える形式なのだろうから、時間の猶予が判らない以上早く語り始めて欲しいのだが、無表情の不具者は動き出す気配をなかなか見せずに、沈黙し続けていた。

その視線は確かに私へと注がれているのだが、何かを待っている訳でも無いだろうに、何故ずっと黙っているのだろう。

私は蒼玉の巫女の子供の頭よりも低い位置にある、跪いたままの耄碌した娘の目を軽く見下ろしながら、暫く沈黙に耐えてその顔を見つめていた。

もう、これ以上は待っていられない、こちらから声を掛けようとした時、やっと待望の声が発せられた。

「蒼玉の女王よ、

    我が、我が言葉を聞き給え。

 蒼玉の女王よ、

    我が罪を、我が咎を、我が過ちを、裁き給え。

 蒼玉の女王よ、

    そして我に御言葉を授け給え」

それは、かつての記憶と比べると同一人物とは思えない、随分と聴き取り辛い嗄れた声であった。

だが焦点の合った左眼で私の顔を見た後は、正気に返った様に死んでいた目に光が宿り、詠唱の時よりも確りした声で語り始めた。





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