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『誓約(ゲッシュ) 第一編』  作者: 津洲 珠手(zzzz)
第十三章 誕生と離散
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第十三章 誕生と離散 其の三

変更履歴

2011/03/27 語句修正 碧玉 → 翠玉

2011/05/15 記述修正 修道士や修道女の姿が → 修道女の姿が

2011/12/01 誤植修正 乗っていた → 載っていた

2012/02/21 誤植修正 の夫の後から → その夫の後から

2012/02/21 誤植修正 流れ続けているとなっていた → 流れ続けていた

2012/02/21 誤植修正 来る日に臨んでいたかに → 来たる日に備えていたかに

2012/02/21 誤植修正 彷彿とさせるかの様な → 彷彿とさせる様な

2012/02/21 誤植修正 かの紳士を姿を → かの紳士の姿を

2012/02/21 誤植修正 それもと私は → それとも私は

2012/02/21 誤植修正 娘を連れて揺り篭へと向かい、その後を娘がついて行く → 娘を連れて揺り篭へと近づいた

2012/02/21 誤植修正 夜が更ける時刻になったのか → 夜が明ける時刻になったのか

2012/02/21 句読点調整

2012/02/21 記述修正 タンス → チェスト

2012/02/21 記述修正 ゆっくりと上げて行く → ゆっくりと上げた

2012/02/21 記述修正 そこまでの嫌悪感を露には → そこまでの嫌悪感を露に

2012/02/21 記述修正 どうも明らかに異郷出身者である → 明らかに異郷出身者である

2012/02/21 記述修正 腕輪の上空に宛ら紐で繋がった風船の如く腕輪に連動して → 腕輪に紐で繋がった風船の如く、引っ張られる様に

2012/02/21 記述修正 今回の召喚では初めて → 今回の召喚で初めて

2012/02/21 記述修正 思念を送って見たが → 思念を送ってみたが

2012/02/21 記述修正 乗って来た荷馬車は → 乗って来たであろう荷馬車は

2012/02/21 記述修正 荷馬車は遺体への配慮か → 荷馬車は赤子や遺体への配慮か

2012/02/21 記述削除 下りきった場所には修道院の建物が見えて、

2012/02/21 記述分割 小さく見えて、修道院の前には → 小さく見えた。丘を下りきった場所には修道院の建物があり、その前には

2012/02/21 記述修正 上り始めた丘には → 修道院を過ぎて再び上り始めた丘には

2012/02/21 記述修正 止まる事無く進み続けていた → 止まる事無く荷馬車は進み続けた

2012/02/21 記述修正 疑問に感じつつ、荷馬車が → 疑問に感じている内に、荷馬車は

2012/02/21 記述分割 頂上に辿り着くと、こちらの丘は → 頂上に達していた。こちらの丘は

2012/02/21 記述修正 家と修道院の間の丘よりも → 家のあった丘よりも

2012/02/21 記述修正 荷馬車はこの辺りには止まらず → 荷馬車はこの辺りにも止まらず

2012/02/21 記述修正 集落の傍は一面背の低い → 集落の傍では一面背の低い

2012/02/21 記述削除 修道院の人間達の様子からして~

2012/02/21 記述分割 揺り動かそうとして、娘は目覚めたものの → 起こそうと揺り動かしていた。それで娘は目覚めたものの

2012/02/21 記述修正 既に妻たる母親が → 既に母親が

2012/02/21 記述修正 直ぐに娘と母親を起こそうと → 直ぐに二人を起こそうと

2012/02/21 記述修正 嗚咽を漏らし始めた娘を → 啜り泣き始めた娘を

2012/02/21 記述修正 母親の骸をベッドに寝かせると → 母親の骸へと毛布を掛け直してやると

2012/02/21 記述修正 静かに見つめていて → 静かに眺めていて

2012/02/21 記述修正 弟に因って母を殺したと言う → 弟に因って母を殺されたと言う

2012/02/21 記述修正 母親を失った出来事を → 母親を失った今回の出来事を

2012/02/21 記述修正 弟との再会を果した時の → 再会を果した時の

2012/02/21 記述修正 このずっと抑制されて来た → それまでずっと抑制されて来た

2012/02/21 記述修正 負の感情が現れたのだろうか → 負の感情が溢れ出したのだろうか

2012/02/21 記述修正 それ以前に今の幼い娘が → それ以前に現在の幼い娘が

2012/02/21 記述修正 何か声を掛けていた → 何か声を掛けた

2012/02/21 記述修正 妻を抱えて起こして → 妻を抱えて起こし

2012/02/21 記述修正 寄り掛からせて → 寄り掛からせてから

2012/02/21 記述修正 汚れた着衣を脱がせると → 着ていた寝衣を脱がせると

2012/02/21 記述修正 姿を現した父親の手には → 姿を現した父親はその手に

2012/02/21 記述修正 修道女の姿が見えている → 三人の修道女の姿が見えている

2012/02/21 記述修正 声を掛けるのかと思ったが → 声を掛けるのかと思ったが、通る前に修道女達は逃げる様に敷地へと戻って門を閉ざし

2012/02/21 記述修正 停まる事も無く荷馬車は通り過ぎて、その先の上り坂を登り始めた → 荷馬車も停まる事も無く通り過ぎた

2012/02/21 記述修正 どうも事前に用意されていた様に → 相当前から用意されていた様に

2012/02/21 記述分割 作業に入った様で、父親の手に因り → 作業に入った。まず父親の手に因り

2012/02/21 記述修正 まず父親は、蒼玉の首飾りを → そして蒼玉の首飾りを

2012/02/21 記述修正 いつの間にか娘は → 娘は

2012/02/21 記述修正 拒絶したかの様に → 拒絶したかの様に気を失ったらしく

2012/02/21 記述修正 凭れ掛った姿勢で気を失ったらしく、動かなくなっていた → 凭れ掛った姿勢で倒れていた

2012/02/21 記述修正 向かって進んでいるかに見えた → 向かって進んでいる様に見えた

2012/02/21 記述修正 布切れで汚れを拭き取っている → 布切れで丁寧に磨いている

2012/02/21 記述修正 向けられるその態度は → 向けられるその視線は

2012/02/21 記述修正 祝福している態度では → 祝福している様子では

2012/02/21 記述修正 父親の行方については → 父親の行方について

2012/02/21 記述修正 変化が起きた事に気付いた → 今までに無い変化が起きた

2012/02/21 記述修正 能力で判っていたのか → 能力で判っていて

2012/02/21 記述修正 それとも命を落とすのを → それでも命を落とすのを

2012/02/21 記述修正 出産に臨んだかの、何れでは → 出産に臨んだのでは

2012/02/21 記述修正 鍋や沸かした水は → 鍋で沸かした湯は

2012/02/21 記述修正 暗くなっているのが見えた → 暗く変わっていた

2012/02/21 記述修正 両手を上に上げているのが → 両手を上げているのが

2012/02/21 記述削除 通り過ぎる際に~

2012/02/21 記述修正 恐らくだが産婆の態度が → 恐らく産婆の態度が

2012/02/21 記述修正 集落内に住んでいない → 集落に住んでいない

2012/02/21 記述修正 この家族は集落から疎まれていた → この家族は疎まれていた

2012/02/21 記述修正 家屋ではない小屋であったらしい → 家屋ではなく納屋か何かだったらしい

2012/02/21 記述修正 妻が死んだ事への現状に落胆しているのか → 妻が死んだ現実に打ち拉がれているのか

2012/02/21 記述修正 そのままベッドの母親や娘には目もくれずに → そのまま振り返る事なく

2012/02/21 記述修正 赤ん坊は、自分の体に置かれた腕輪を → 弟たる赤ん坊は、自分の体に置かれた腕輪を

2012/02/21 記述修正 母親の形見だと感じ取ったのか → それが母親の形見だと判る筈は無いが何かを感じ取ったのか

2012/02/21 記述修正 無邪気に笑い声を上げていた → 腕輪を持ち上げて無邪気に笑い声を上げていた

2012/02/21 記述修正 やはり姉弟からは → 姉弟からは

2012/02/21 記述修正 私はいよいよ母親が埋葬される時が → いよいよ母親が埋葬される時が

2012/02/21 記述修正 最後にもう一度力を使って → 私は最後にもう一度力を使って

2012/02/21 記述修正 この地域に住む人種では無い → この地域に住む人種では無く

2012/02/21 記述修正 赤ん坊へと渡された後から → 赤ん坊へと渡されると

2012/02/21 記述修正 家の中へと戻り、その時に坂道の集落の方を → 家の中へと戻ったので、何となく集落へと向かう道を

2012/02/21 記述修正 母親の物であるからか私は消えず → 母親の物であるから私は消えず

2012/02/21 記述修正 そんな様子の変わった娘へと父親は声を掛けると → 依然として無表情な娘へと父親が声を掛けると

2012/02/21 記述修正 梳かしてやり始めた → 梳かし始めた

2012/02/21 記述修正 水甕から水を汲んで来ては注いでいた → その後水甕から水を汲んで盥へと注いでいた

2012/02/21 記述修正 その物音からして想像するに → その音から想像するに

2012/02/21 記述修正 停まった様だ → 停まった様に思える

2012/02/21 記述修正 道や集落から遠ざかる程 → 集落や一本道から遠ざかる程

2012/02/21 記述修正 二人が現れた → 二人の人間が現れた

2012/02/21 記述修正 暫く時間は流れ → あれから暫く時間は流れ

2012/02/21 記述修正 空には日が昇り朝を迎えた → 窓から光が差し込み朝を迎えたのが判った

2012/02/21 記述修正 不毛だと判断して、気晴らしに外の様子を確認すると → 不毛だと判断して、考えるのを止めて窓の外を眺めると

2012/02/21 記述修正 ショックから来る変化であろうと → ショックから来る失神であろうと

2012/02/21 記述修正 私が残っていると言う事は → 私が残っている点や、母親の魂の姿が見当たらない点を踏まえると

2012/02/21 記述修正 父親は娘の頭を → 娘の言葉を聞いた父親は娘の頭を

2012/02/21 記述修正 喚き散らす様な口調では → 喚き散らす様な語勢では

2012/02/21 記述修正 様子では無いのが明らかだ → 様子で無いのは明らかだ

2012/02/21 記述修正 夫や子供等に渡すと → 夫や子供等に託すと


召喚者たる母親の死に因って、私と言う存在はどう変化するのかと慎重に様子を見ていたが、特に何も変化が見られない事に私は疑問を感じていた。

てっきりこれで、召喚自体が終了するのではと考えていたのだが、まだ引き続きこうして私が残っている点や、母親の魂の姿が見当たらない点を踏まえると、どうやら母親の最期の祈りが、召喚者としての命を引き換えとした願望と見做されたのかも知れない。

とにかく未だ私には、義務を果す責任があると言う事らしいと判断して、その守護対象の一人である幼い娘へと視点を移した。

娘は母親の手が止まった事に気づいた後、信じたくない現実を見る様に、母親の体に押し付けていた顔をゆっくりと上げた。

娘の頭が上がると、力無く載っていた母親の手は、娘の背中へと滑り落ちた。

人間、本当に絶望してしまった時と言うのは、感情すら表に出て来ないのだろうか、先程まで嗚咽を漏らして泣いていた娘の顔は、まるで凍りついた様に固まってしまい、ひたすら涙だけが頬を伝って流れ続けていた。

母親も死に、娘も凍りついた家の中では、今や赤ん坊の声が僅かに聞こえて来るだけであった。

赤ん坊は母親の死など知る由も無く、その声からも元気な様子で、母親を求めているかの様に両手を上げているのが見えている。

この後私は、念の為に赤ん坊や娘の生命力を確認してみると、赤ん坊の方は回復させた時と比べて変化は無かったが、娘の方は若干光が暗く変化しているのに気づいた。

私が赤ん坊の様子を見ている間に、娘は辛く悲しい現実を拒絶したかの様に気を失ったらしく、母親の亡骸に凭れ掛った姿勢で倒れていた。

しかし特定の部位に異常は見られない事から、恐らくこれは精神的なショックから来る失神であろうと、私は判断した。

ここで私は改めて、母親と娘の行動に関して考察を行う事にした。

娘が苦労して用意していた鍋で沸かした湯は、てっきり産湯に使うものだと思っていたのだが、どうもこれは娘と赤ん坊の為に、室内の温度と湿度を維持する効果を狙ったのではないかと、思えていた。

若しかすると、母親はここで死ぬ事が判っていて、残された子供等の為の措置をさせていたのでは無いだろうか。

そうでなければあの様な年端も行かない子供が、母親の状態を目にしていながら、あれだけの行動が冷静に出来るとは考えづらいし、実際に母親と娘が交わした会話の時間を考えても、あの短い時間にこれだけの指示を出していたとは思えない。

予めこの様な日がいつ訪れても良い様に、娘にも事前に説明をしてやるべき事を教えておき、来たる日に備えていたかに見えるのだ。

母親には赤ん坊の出産の時が、自分の死期である事が預言や何らかの能力で判っていて、それでも命を落とすのを承知で妊娠し、出産に臨んだのではないだろうか。

今となってはこれも確認する術は無く、それを知る母親はもう既に聖母を彷彿とさせる様な、安らかな表情で永久の眠りについている。

全てが憶測の域を出ず、これ以上の考察が不毛だと判断して、考えるのを止めて窓の外を眺めると、外では雨は止んだらしく夜が明ける時刻になったのか、完全な闇夜から僅かに白み始めていた。




あれから暫く時間は流れ、窓から光が差し込み朝を迎えたのが判った。

この間に私は、今まではその必要が無かったので考えずにいた、この場所からの移動についての確認を行ってみたのだが、翠玉の大樹はその形状が不動の樹木である事からか、翠玉の腕輪の傍からは離れられず、この狭い家すら出るのも不可能なのが判った。

家の外の様子を確認してみたいのもあったが、私の召喚目的はここに居る姉弟を守る事であるから、この家から遠くへ離れる心算は無かったが、父親の行方についてどうにか調べる術は無いのかと考えあぐねていると、今までに無い変化が起きた。

娘も赤ん坊も眠りについて、外からは小鳥の囀りが聞こえる中で、それら以外の別の物音が外から聞こえて来たのだ。

その音から想像するに、馬車が家の前に乗り付けて停まった様に思える。

それを推測すると同時に家の扉が開かれて、屋内へと駆け込んで来た男と、その後から入って来た年老いた女の、二人の人間が現れた。

この男の姿はかつて洞穴で目撃した死体と良く似た、巻き毛ではあったが姉と似た暗褐色の髪と、姉弟よりも暗い肌をしている事から、これが父親であろうと思われた。

男は妻や娘の名であろうか、それを大きく叫びつつ母親と娘の居るベッドへと真っ直ぐに向かい、直ぐに二人を起こそうと揺り動かしていた。

それで娘は目覚めたものの、既に母親が死んでいるのが判り、男は再び啜り泣き始めた娘をしっかりと抱き寄せながら、妻である母親の亡骸を見つめて項垂れている。

この様子を察するに、父親は産婆を呼びに行ったが、結局それは間に合わずに、母親は自力で娘の助力で以って出産を行い息絶えた、これが現状なのだろう。

その夫の後から入って来た、大きな荷物を抱えた老婆は、親子の様子を一瞥だけして、すぐにこの物音で目覚めた赤ん坊の泣き声に気づくと、揺り篭の方へと向かって行く。

この老婆は産婆なのだろうか、それにしても父親の狼狽振りと比べて随分と冷静なところを見ると、産婆にはこの状況が予想出来ていたのかも知れないと、私には思えた。

老婆はその姿を確認出来た時から、機嫌の悪そうな表情をし続けていて、ベッドに向けられた一瞥には悲哀の感情は感じられない。

揺り篭の所へと辿り着いた産婆は、赤ん坊の様子を確認した途端に驚いた様な動作をして、何か悲鳴じみた嗄れ声を発した。

そして苛立ちをぶつける様に、ベッドの方にいた父親へと大声で喚き散らしている。

その老婆の声で父親は我に返ったらしく、娘を一旦引き離してから母親の骸へと毛布を掛け直してやると、娘を連れて揺り篭へと近づいた。

産婆は父親へと罵声と思われる言動を散々発しながら、渋々と言った感ではあるが、手馴れた様子で赤ん坊の面倒を見ていて、どうやら産湯の準備に入ったらしく、娘が運んで来ていた盥に鍋の湯を注ぎ、その後水甕から水を汲んで盥へと注いでいた。

しかし、赤ん坊へと向けられるその視線は、まるで穢れたものでも触るかの様で、どう見ても祝福している様子で無いのは明らかだ。

産婆の容姿は髪の色こそ灰色ではあるが、肌や目の色からして父親と同じ人種と思われるのと、父親に対しての態度には、そこまでの嫌悪感を露にしていない点からして、明らかに異郷出身者である、母親の事を忌み嫌っているらしい。

産婆の手に因って、赤ん坊は産湯で体を洗われた後に、産婆が持参していた小さな衣服とおくるみを着せられて、再び揺り篭へと戻されていた。

この時の娘はもう泣いてはおらず、産婆から少し離れた向かい側から近づいて弟の様子を静かに眺めていて、産婆から若干鬱陶しそうに睨まれても、それでもじっと弟の姿を見つめていた。

しかしそれは、自らの手で取り上げた愛しい弟を見る表情とは言い難く、母親が死ぬ前までに見せていたいじらしさは消えていて、無表情に見つめる月の瞳からは、娘の抱いている感情が明確には読み取れない。

この時に私は、かつて修道女から聞いた言葉を思い出し、その真意を理解する事が出来た。

以前に緋玉の王として片腕に宿っていた時に語っていた、弟に因って母を殺されたと言う言葉の意味は、弟を出産すると同時に母親を失った今回の出来事を意味していたのだろう。

この事実が弟の誕生に因って齎されたと言う記憶が、弟に対する負の感情として幼い娘の心に芽生え、成長して修道女となった後にも何処かにそれは燻ぶり続け、再会を果した時の弟の態度を見て、それまでずっと抑制されて来た負の感情が溢れ出したのだろうか。

勿論、今の感情を抱いたままに成長して、ずっと復讐を企み続けた挙句に、凶行に及んだ訳では無いと信じたいのだが、通訳が唯一可能だった母親は既に亡くなっており、娘へと尋ねる手段は存在せず、それ以前に現在の幼い娘が未来の感情を知る筈も無いのだから、今の私にはそれを知る術は無い。

だが恐らくは、これが私を緋玉の王として召喚するに至った、経緯の真相であったのだろう、遂に修道女の抱いていた真意を知る事が出来たと、私は憶測ながら確信していた。

今この時点で幼い娘へと何かを施せば、これから未来に起こるであろう、姉弟の殺し合いを止められるのかも知れないのだが、この器ではその様な働きかけは難しいと言える。

依然として無表情な娘へと父親が声を掛けると、娘の様子は元に戻って、父親の言いつけであろうか、一旦チェストへと向かい抽斗からブラシを取ってから、母親の遺体の傍らへと向かうと、死に化粧か母親の髪を梳かし始めた。

先程まで赤ん坊の世話をしていた産婆はもう作業を終えており、今は父親へと何かを話し始めていた。

その口調はもう先程の様な、喚き散らす様な語勢では無かったが、決して親しげなものでは無く、半ば咎める様な刺々しさが感じられる。

未だ何かを産婆へと言いかけていた様にも見えた父親を無視して、産婆はその言葉を最後まで聞く事は無く、持ってきた荷物を置いたままで、自分の話が終わるとすぐに家の出口へと向かって、そのまま振り返る事なく家を出て行った。

父親は産婆の後を追って家を出て行ったがすぐに戻って来て、テーブルの脇にあった背の高い椅子にゆっくりと腰を下ろすと、妻が死んだ現実に打ち拉がれているのか、額に手を当てて深い溜息をついていた。

そんな父親の元に娘は歩み寄って、心配そうに見上げながら何か声を掛けた。

その言葉を聞いた父親は娘の頭を撫でてやりながら、赤ん坊の方を一度見つめてから立ち上がるとチェストへと向かって、抽斗から母親の為の死に装束であろう、白っぽいワンピースらしき形状の衣服を取り出した。

その後父親はベッドに横たわる妻を抱えて起こし、ベッドの端に腰掛けるような体勢で寄り掛からせてから、着ていた寝衣を脱がせると、体を鍋の湯で濡らした布切れで拭いた後に、取り出して来た白い服に着替えさせ始めた。

この時に母親が身に着けていた装身具は一旦外されて、それを娘が布切れで丁寧に磨いている。

確か母親の今際の言葉では、装身具は夫や子供等に託すと言っていたが、そうなった場合に私自身がどうなるのかについて、少々気に掛かり始めていた。

召喚者は既に死んでいるが、糧の根源となる翠玉の腕輪は所有者たる主を守護すべく動き続けるのなら、今は未だ母親の物であるから私は消えず、形見として譲渡された時点で所有者が切り替わって、その時に母親の召喚は終わるのだろうか。

死に装束へと着替えを終えて、首飾りや腕輪も生前と同様に身につけさせると、父親は母親の亡骸を抱え上げて、家の扉から出て外へと運んでいく。

私は父親に抱き抱えられた母親の左腕に嵌められた翠玉の腕輪に、紐で繋がった風船の如く引っ張られる様に移動しながら、今回の召喚で初めて屋外へと出る事が出来た。

そこは小さな丘陵の中腹に当たる場所で、周囲には他の民家も見当たらない荒涼とした、荒地の斜面の途中に建つ家であったのが判った。

坂を下った先の平野部には、点々と民家らしき建物がある集落が見えており、逆方向の坂の上を見ると、丘陵の頂上まで僅かに蛇行しつつ、馬車がすれ違える程度の幅の道が続き、道の先端が見切れているのが判った。

どうやらこの家は、集落から外れた場所に立つ、元々は家屋ではなく納屋か何かだったらしい。

集落に住んでいない状況を見るに、この家族は疎まれていた存在であり、恐らく産婆の態度がこの集落の者達の総意であろうと推測出来た。

これ以外の理由もあるのかも知れないが、現状では母親がこの地域に住む人種では無く、異国の人間だったのが大きな理由の様に思える。

父親が産婆を連れて乗って来たであろう荷馬車は、家の前に丘の上を向けて停められており、そこに繋がれていたのは痩せこけている年老いたロバだった。

繋がれたロバの顔を見ると、意図せずにかの紳士の姿を思い出してしまい、有り得ないとは思いつつ、実は“嘶くロバ”だったりしないかと、念の為に思念を送ってみたが、やはり只のロバであったらしく普通に弱々しく嘶いていた。

母親を荷台へと乗せた父親は、再び家の中へと戻ったので、何となく集落へと向かう道を眺めると、遠くに先程出て行った産婆が歩いているのが確認出来た。

暫くして姿を現した父親はその手に赤ん坊を抱いていて、その後ろには片手で父親の服の裾を掴んだ娘が、後に続いている。

父親は荷馬車の御者台の座面にまず赤ん坊を乗せてから、次に父親が乗り込み、最後に娘が父親の手を借りて御者台へと乗ると、父親は荷馬車を出した。

どうやら母親を埋葬する墓地は、この丘の向こう側にある様だ。

私は踏み固められただけの土の道を、揺れながら進む荷馬車の進行方向へと目を向けて、目指す場所をいち早く確認すべく、遠方を眺めていた。




荷馬車は赤子や遺体への配慮か、緩々と緩やかな上り坂を登ってゆく。

そして、頂上へと辿り着くとその先の道は直ぐに下り坂で、その先はまたも上り坂になり、次の丘には無数の墓標が並んでいるのが小さく見えた。

丘を下りきった場所には修道院の建物があり、その前には掃除をしている三人の修道女の姿が見えている。

荷馬車は修道院で止まって、葬儀に参加する聖職者へと声を掛けるのかと思ったが、通る前に修道女達は逃げる様に敷地へ戻って門を閉ざし、荷馬車も停まる事も無く通り過ぎた。

修道院を過ぎて再び上り始めた丘には、中腹より上には墓標が規則正しく配置され、その中央を貫く様に通る道を止まる事無く、荷馬車は進み続けた。

何処まで進むのだろうかと疑問に感じている内に、荷馬車は墓地の丘陵の頂上に達していた。

こちらの丘は先程越えて来た家のあった丘よりも、高度は同様であったものの直径は数倍はある大きな丘で、ここから先の道の両側の斜面は全て墓標が立ち並んでいた。

近くの墓標ほど大きくて立派なもので、集落や一本道から遠ざかる程小さく粗末な墓標へと変わっていくのが見て取れた。

荷馬車はこの辺りにも止まらず、更に墓地の丘の外れまで進んで行き、周囲はもう見捨てられた様な、倒れていたり壊れていたり、墓標そのものが無くなっている様な荒れ果てた場所までやって来ると、ようやく荷馬車は止まった。

ここより先にはもう道も墓地も無く、ただの荒地になっていて、その先には鬱蒼とした暗い森が広がっていた。

父親は御者台から降りて娘から赤ん坊を受け取ってから、娘の降りるのを手伝った後に赤ん坊を再び娘へと預けると、荷台から母親の亡骸を抱え上げて、道から外れて墓地の外れへと向かって歩き出した。

集落の傍では一面背の低い草原だった墓地の丘は、ここまで奥地になると大きな岩や枯れ木が点在する歩きづらい場所に変わっていて、父親はそんな荒地の中を進める道を慎重に選びながら、丘の緩やかな斜面を下っていき、その後を赤ん坊を抱いた娘が、覚束無い足取りで父親を追いかけて行く。

父親が目指している方向へと目を向けると、荷馬車程もある大きな岩へと向かって進んでいる様に見えた。

親子は黙々と進み続けてその大岩の裏へと回り込むと、そこには大きな穴が開けられていて、大岩には一本の鋤と掘られた土砂が山になっていた。

母親の墓穴であろうその大穴は、昨日今日に掘られたものでは無く、相当前から用意されていた様に思われて、これは母親が事前に知らせていたのではないかと思えた。

父親は、ずっと抱き抱えてきた妻の骸を、穴の脇に広げて置いてあった布の上に置いた。

そして妻の身なりを整えている間に、娘も追いついて来て、親子は揃った所で亡き母親へと黙祷を捧げている。

いよいよ母親が埋葬される時が迫っていると感じて、私は最後にもう一度力を使って、ここに居る人間の生命力を確認しておく事にした。

父親、姉たる娘、弟たる赤ん坊、どれも疲労と推測される若干の明度の低下は見られるものの、根本的には十分な光点と燐光を体から見る事が出来たのだが、姉弟からは時折光の粒が零れ落ちる様子が確認出来ており、一方父親からはその様な様子は一切見られない。

やはりこの光の流出は、母親の部族の血統から来る、先天的な寿命を縮めていく症状なのだと判った。

黙祷を終えて最後の別れを済ました親子は、遂に母親の亡骸から形見を受け継ぐ作業に入った。

まず父親の手に因り、体の上で組まれていた母親の両手を解いてから、首に掛けられていた首飾りと両腕に嵌められていた二つの腕輪を外した。

そして蒼玉の首飾りを自分の首に掛けてから、次に右腕に嵌められていた緋玉の腕輪に、ズボンの隠しから取り出した紐で輪を作り、赤ん坊を抱いていた娘の首に掛けてやった。

娘はこの直後に再び涙を零していたが、両手が赤ん坊を抱いていて塞がっている為に、涙は頬を伝うままに啜り泣きを続けていた。

この後父親は、もう一つの左腕に嵌められていた翠玉の腕輪を手に取ると、これにも紐を括りつけて娘の抱く赤ん坊の首へと掛けてやった。

弟たる赤ん坊は、自分の体に置かれた腕輪をその小さな手で掴み、それが母親の形見だと判る筈は無いが何かを感じ取ったのか、腕輪を持ち上げて無邪気に笑い声を上げていた。

その声を聞くと父親は悲痛な表情を浮かべ、娘は啜り泣きつつもその月の瞳には、何とも言い難い感情を浮かばせている様に見えた。

事前に推測していた通り、翠玉の腕輪が赤ん坊へと渡されると、腕輪からの糧の供給は止まった様で、私は糧の枯渇を感じ始めた。

どうやら、私が直接確認出来るのは、ここまでらしい。

このまま私が消えた後に辿る未来は、過去に私が体験して来た未来と繋がっていくのだろうか、それとも私は未来の継続に失敗しているだろうか、或いはより良い未来へと変えられたのか。

消えゆく今の私には、いつもの事だがそれを知る方法は無い、だがかつて関わった末路よりも悪くは無い未来を、あわよくばより良い未来を期待したい、今まで結果として彼等の人生を翻弄し続けた私としては、そう願わざるを得ない。

この後父親が、母親の体に敷かれていた布で母親を包んで、墓穴に入ってから母親の骸を穴の底に横たえてから、這い上がって穴へと土で埋め始めた所まで確認出来たが、そこで視界は途絶え、その後すぐに意識も失われた。





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