第十一章 逃亡 其の四
変更履歴
2011/04/14 誤植修正 その機会を伺う為に → その機会を窺う為に
2011/11/14 誤植修正 位 → くらい
2011/11/14 誤植修正 乗せる → 載せる
2011/11/14 誤植修正 意志を → 意思を
2012/02/03 誤植修正 その同盟の意志で → これらの同盟国に対して
2012/02/03 誤植修正 ところであったのば事実だ → ところであったのは事実だ
2012/02/03 誤植修正 妃の子供であるのは → 后の子供であるのは
2012/02/03 誤植修正 膨らかな若い女で → 膨よかな若い女で
2012/02/03 誤植修正 妹が想い描いた → 妹が思い描いた
2012/02/03 句読点調整
2012/02/03 記述修正 足元に立てて置いたトランクに、 → 立てて置いたトランクに
2012/02/03 記述修正 寄りかかる様にして立ちながら → 腰掛ける様にしながら
2012/02/03 記述修正 真相は判らないが → 真相は判らないものの
2012/02/03 記述修正 都市国家的な規模しか無く → 都市国家程度の規模しか無く
2012/02/03 記述修正 侵攻したのが発端です → 侵攻したのが事の発端です
2012/02/03 記述修正 この狩猟民族の信仰する → この狩猟民族が信仰する
2012/02/03 記述修正 名前が失われた理由としては → 名前が失われた理由として
2012/02/03 記述修正 この民族の基本的な教えには → この民族の基本的な教えに
2012/02/03 記述修正 草木や人間が見て頭が無い生物や → 植物等の頭部が無い生物や
2012/02/03 記述修正 見える様なものが無ければ → 見える様なものが無い生物は
2012/02/03 記述修正 それには意思を持たない → 意思を持たない
2012/02/03 記述修正 他は、奴隷の神、家畜の神、武器の神、等が居ますが → 他は奴隷の神・家畜の神・武器の神等が居ますが
2012/02/03 記述修正 武器の神は、必要に応じて → 武器の神は
2012/02/03 記述修正 これは男は尊いとは言っても → いかに男は尊いとは言っても
2012/02/03 記述修正 忌々しい妃の子供であるのは男も女も → 男も女も忌々しい妃の子供であるのは
2012/02/03 記述修正 首を切り落とした后と → 首無き神は首を切り落とした后と
2012/02/03 記述修正 最も強い雄の首を捧げて → 最も強い雄を選びその首を捧げて
2012/02/03 記述修正 最も見た目も美しく、処女で、従順な娘を選び → 見た目も美しく従順な処女の娘を選び
2012/02/03 記述修正 雨や水の恵みを表していて → 雨や水の恵みを表し
2012/02/03 記述修正 女の孕んだ腹、若しくは胎児を → 新たな生命の象徴である女の孕んだ腹や卵や種子を
2012/02/03 記述修正 大地の神、豊穰の神、出産の神 → 大地の神・実りの神・出産の神
2012/02/03 記述修正 多産、肥沃、豊穣 → 肥沃・豊穣・多産
2012/02/03 記述修正 独自の大地母神の定義として、貴殿は現れたのです → 独自の大地母神の定義を元に、貴殿は形成されたのです
2012/02/03 記述修正 その力を限定していくのです → その力を限定していくもの
2012/02/03 記述修正 命を懸けたとは言え → 命を捧げても
2012/02/03 記述修正 追手の事を加味すると貴殿が倒さなければ、大の男達四人と犬がいて → 大の男達四人と犬がいた追手の事を加味すると、貴殿が倒さなければ
2012/02/03 記述修正 妻は男の子供を作る為の用具である → 妻は夫の子供を作る為の用具である
2012/02/03 記述修正 母は男の行動を助ける為の道具である → 母は父の行動を助ける為の道具である
2012/02/03 記述修正 この后を激しく憎み → 激しく憎み、主人に従わぬ従僕など要らぬと罵って
2012/02/03 記述修正 こんな后との間の子供も → こんな忌々しい后との間の子供も
2012/02/03 記述修正 それを見つけるまではそれは出来ないと悟り → それを見つけるまでは出来ないと悟り
2012/02/03 記述修正 呼ばれる者の中には、存在しておらず → 呼ばれる者の中に存在しておらず
2012/02/03 記述修正 一般的には女神や聖母と呼ばれます → 通常は女神や聖母と呼ばれます
2012/02/03 記述修正 無事に逃げ果せるとは → 無事に逃げ果せたとは
2012/02/03 記述分割 歪めているのですから、我々がそれを → 歪めているのですから。我々がそれを
2012/02/03 記述修正 その願望が正否と関連していないと → その願望が善悪や正否と関連していないとは
2012/02/03 記述修正 ワンピースのスカート姿をしていて → ワンピースのスカートに
2012/02/03 記述修正 細い袖口をした長袖に → 細い袖口をした長袖の
2012/02/03 記述修正 今回の召喚を語り始めた → 語り始めた
2012/02/03 記述修正 否定すら出来ないのだ → 否定すら出来ない
2012/02/03 記述修正 定義の条件は只一つで → 定義の成立条件は只一つで
2012/02/03 記述修正 召喚者の姉妹の言っていた → 召喚者の姉妹が言っていた
2012/02/03 記述修正 その一つが奪還祭と呼ばれる祭事です → その行いの一つが奪還祭と呼ばれる祭事なのです
2012/02/03 記述修正 四人姉妹の中から → 巨人族の四人姉妹の中から
2012/02/03 記述修正 狩猟技術は他の民族より → 狩猟技術と戦闘力は他の民族よりも
2012/02/03 記述追加 それにしてもこの逸話~
2012/02/03 記述追加 恐らく信仰者達からすれば~
2012/02/03 記述追加 この様に、とにかく男尊女卑を~
2012/02/03 記述修正 この逸話がこの信仰の → この逸話が信仰の
2012/02/03 記述修正 子供は生まれませんでした → 子供は出来ませんでした
私が意識を取り戻してから四日後に、前回の正装からまた元に戻った、普段着の“嘶くロバ”が姿を現した。
ただ今回は、何の意味があるのか判らないが、右手に黒の蝙蝠傘を、左手にはすっかり日に焼けた、革製の古ぼけた大きなトランクを持っているものの、それらには一切触れる事無く、まず最初に訪れるのが遅くなった事について、謝罪して馬面を下げた。
日数が空いたのは、私が見つからなかったのでは無く、どうやらロバの紳士側の都合で、私の元へと現れるのが遅れたのだと弁明していた。
私としては、今回の召喚ではもう結果は分かっているのもあって、別段後日談には期待してもおらず、彼の登場の遅延に関しては特に気にしていないのが本心で、その旨を返答しておいた。
“嘶くロバ”はそれを聞くと安堵の表情を浮かべて、本題である今回の召喚について問うて来たので、それに私は答える様に語り始めた。
「ほほう、首無き神に大地母神、それと奪還祭となると、ああ、あの辺りか、ふむふむ」
“嘶くロバ”は立てて置いたトランクに腰掛ける様にしながら、両手で持った蝙蝠傘の石突で地面に当たる箇所を突いて、掘り返す様な動作を続けながら、私の説明に対して第一声を発した。
ロバの目には、そこに穿られた土や出来た窪みでも見えるかの様に、一心に足元の石突の先を見つめており、暗黒しか無い筈のこの世界であっても、宛らそこに大地があるかの様な錯覚をこの私にも与えている。
こうやって衣装や小道具にも凝っている所からして、ここへと来る前の彼の前世はパントマイムでもやっていた、役者や大道芸人の類なのでは無いかと勘ぐったりもするのだが、依然として一切の証拠も証言も無いので真相は判らないものの、少なくともロバ当人はその様な自覚はしていない様に見える。
やがて、この見事な小芝居を終えて手を止めた紳士は、手にしていた蝙蝠傘を自分の足元の大地に突き立てて、両手をその傘の柄に載せると、こちらを真っ直ぐに見据えてから、続きを語り出した。
「さあて、何からご説明致しましょうか、そうですなぁ、ではまずは時代背景から始めましょうか。
貴殿が赴いたのは、吾輩の最も長く滞在した時代から二百年程前の、大陸東方の一地方の様ですな。
その地域は嶮しい地形に寸断された狭い土地に、幾つもの小国が点在する地方で、大半の国が小規模な都市国家的程度の規模しか無く、半自給自足で生活をしている様な地域であったと、文献に記されております。
各国は僅かな平地を中心にして生活し、農耕よりも狩猟で獲た獲物に因って、日々の生活を成り立たせています。
そんな地域の中でも、召喚者が属していたのは、比較的農業を行える平地を多く持っていた民族であり、その国は作物の取引で他の幾つかの国と同盟を結んでいました。
これらの同盟国に対して、ここよりも更に山間部で生活していた、首無き神を信仰する狩猟民族が、より豊かな土地を求めて侵攻したのが事の発端です。
こちらの民族は、農耕が可能な土地を一切持たない完全な狩猟民族で、狩猟技術と戦闘力は他の民族よりも秀でており、同盟の各国はこの狩猟民族の侵攻を食い止める事が出来ず、同盟側はこれ以上の犠牲を出す事を避ける為に、停戦の取引をしました。
それが、召喚者の暮らす領土の譲渡だった訳です。
肥沃な平地を欲していた、首無き神の民族はその条件を飲んで、この地の戦争は終結しました。
これがこの度の召喚の背景となります。
ここまでは、興亡を繰り返す世界の歴史からすれば、何処にでも有る話であって、特にどうと言う事も無いのですがね、男達が連れ去られたのは敗戦国の人間を奴隷として扱っただけですしねえ。
女に対しての扱いについては、かなり劣悪であったとは言えますが、その原因はあの首無き神の信仰です。
次にこれについて、解説致しましょう。
首無き神とは、この狩猟民族が信仰する宗教の主神の俗称で、正式な名前は不明です。
その容姿は俗称の示す通りで、この神は長身で逞しい肉体を持つ戦士ですが、首から上が無い姿で描かれます。
勿論元々は首も名前もあったのですが、首を失うと共にその正しき名前も失ったとされています。
名前が失われた理由として、この民族の基本的な教えに、顔を持つものが意思を持つ生き物だとする考え方があって、意思を持つ生き物を名付ける権限は、万物の種の父たる主神かその生き物の親にあるとして、その意思の宿る場所は顔とされておるのです。
即ち、植物等の頭部が無い生物や、頭部はあっても顔に見える様なものが無い生物は、意思を持たない下等な生き物だと見做されます。
因みに意思を持たない生き物は、上位たる顔を持つ生き物から、呼び名としての名前を与えられるのです。
これに因り、首から上を失った主神は、その尊き名前も同時に失って、主神の地位を汚す様な醜態を晒し続けている、これが首無き神の今の姿です。
しかし主神は万物の頂点の存在であるから、人間ごときが名前を与える事など畏れ多くて出来ないので、名無しのままで首無き神と言う、その姿を形容した呼び名で呼ばれ続けているのです。
ではどうして、この様な姿になってしまったのかについては、逸話が残っておりまして、この逸話が信仰の教義にもなっています。
その逸話は世界創造の話でありまして、この世界に降り立った主神が、各地に生き物を配置する事にしたところから始まります。
その為に主神は、巨人族の四人姉妹の中から后を娶る事にしました。
一人目の后は長女で、我が侭で主神の言う事も聞かず、主神の求めにも答えようとはしませんでした。
女としての価値である、尽くす事を拒絶した事に主神は苛立ち、女は男に快楽を与える為の玩具である、それが出来ぬ我が侭な女など要らぬと罵って、この后を殺してしまいます。
二人目の后は次女で、子作りには励んだものの、一向に子供は出来ませんでした。
妻としての能力である、孕む力が無いと判った主神は后を蔑み、妻は夫の子供を作る為の用具である、それが出来ぬ不具の妻など要らぬと罵って、この后を殺してしまいます。
三人目の后は三女で、この后との間には無事に子供が生まれて、神の子供が様々な生物の祖先となり、世界中に散らばって行きましたが、子作りで疲れた后は家の仕事をしない様になりました。
母としての義務である、家を守りもせずに怠けてばかりの后を見て主神は強く厭い、母は父の行動を助ける為の道具である、それが出来ぬ怠惰な母など要らぬと罵って、この后を殺してしまいます。
この后から生まれた子供達にも主神の怒りは及んで、全ての子供は顔を奪われてしまい、下等な生き物へと変えられてしまいました。
四人目の后は四女で、この后との間にも無事に子供が生まれて、前と同じ様に神の子供が様々な生物の祖先となって、世界中に散らばって行きました。
更にこの后は家も守ったので、主神はこの后に満足しました。
しかし后は主神に従ったのではなく、今まで殺された三人の姉達の報復を企んでいて、その機会を窺う為に望まれた后を演じていたのです。
生き物を生み出す子作りもひと段落して、世界にはこの后と主神との子供である、様々な生き物が繁栄し始めた時、后は眠っている主神の首を切り落として、生まれた子供が溢れかえる世界へと投げ捨てた後、逃げ出しました。
主神の首は、世界中に散らばった生物のどれかの首となって、埋もれてしまいました。
主神は不死身である為、首を失っても死ぬ事は無く、すぐに后を追いかけて捕らえると、拷問にかけて自分の首を何処にやったのかを、白状させようとしました。
しかし后は何も答える事は無く、その態度に主神は激しく憎み、主人に従わぬ従僕など要らぬと罵って、この后を殺してしまいます。
そして、こんな忌々しい后との間の子供も殺してしまおうと思ったのですが、この中に自分の首を持つ子供がいる筈で、それを見つけるまでは出来ないと悟り、主神はこれ以降自分の首を捜し求めているのだそうです。
因みにこの主神以外の神については、同等の力を持つ者は居らず、他は奴隷の神・家畜の神・武器の神等が居ますが、これらは意思を持つ神の一柱と言うよりは、こう言った名前の魔法の品と認識した方が、判りやすいかと思われますな。
奴隷の神は、どれだけ酷使して死なせてしまっても、翌日には再び蘇る下僕です。
家畜の神は、増やしたい分の餌を与えれば、翌日にはその分増えている獣です。
武器の神は、決して折れない槍であったり、どれだけ使っても減らない弓矢と言った、その時に必要な形状となる武器です。
それと言うまでも無いですが、女は神と呼ばれる者の中に存在しておらず、女と言う固有の物だとされています。
この逸話に因んで教義が作られている為、この民族では男尊女卑の思想が激しく、女は常に男を悦ばせ、男の子供を産み、男の暮らしを助ける為に存在するとされていて、勿論女には男と同等の権限は無く家畜と同等です。
ですが、いかに男は尊いとは言っても、憎悪に狂う主神の前では、男も女も忌々しい后の子供であるのは変わらず、首無き神は首を切り落とした后と、その子供全てに憎悪を抱いております。
その憎しみがあらゆる自然災害となって現われ、神の子供なのに死が訪れるのは、首を持っていないと判った生き物の命を奪っているからだと云われています。
それ故、神の憎悪の対象である人間は、主神の憎しみを静める為に努力しなければならず、その行いの一つが奪還祭と呼ばれる祭事なのです。
主神の首を持つ生き物は、父なる神の力を有していて、他の同種の生き物よりもより強いとされている事から、十年に一度、顔を持つ生き物全ての種族毎に、最も強い雄を選びその首を捧げて、首無き神へと首を返す行為を行う事で、生物の母たる后の罪を雪ぎ主神を宥めるのが目的です。
この時あらゆる種族の雄の首と共に、人間の女の中から主神を宥める役目を与えられた、決して裏切らない新たな妃として、見た目も美しく従順な処女の娘を選び、生贄として捧げるのです。
これが、召喚者の姉妹が言っていた、妃の事ですな。
姉は逃亡させない為に、妹の足の腱を切られたと思っていた様ですが、それは間違いで、この儀式で首無き神の妃とされる娘は、主神に尽くし子を産み家を守る事を誓い、この全てを行う場所である家を離れて、遠くへ逃げ出す事はしない証として、腱を切るのです。
この民族の男が捧げる首に選ばれる事は、その一族にとっては大変な名誉であるとされていて、それは自分の所有する女や奴隷や家畜から選ばれた場合も同様で、この時には多くの金品がその一族や所有者に渡ります。
この宗教のシンボルは、あの禍々しい形状の黒い短剣です。
ここまで説明すれば、何の為にあんな形状なのかはお分かりでしょう、あの短剣は最後の后が主神の首を切り落とした短剣であり、波打つ刃と鋸状の刃は、どんな獣の首の骨でも切り落とせる様になっているのです。
信者である男達は皆これを常に携帯していて、首無き神への服従の証として、いつでも失われた首を返す用意がある事を、これで示すのだそうです。
それにしてもこの逸話、その名の如く首無き神は頭が無いのに、后を追いかけて捕まえたり拷問したり罵ったりと、随分矛盾と感じる箇所がありますなぁ。
恐らく信仰者達からすればそんな事はどうでも良く、主神は后であった女達に裏切られて、その報復を行なったと言うストーリーが重要なのでしょう。
この様に、とにかく男尊女卑を正当化する為にある様な、偏見に満ちた信仰であるのはお分かり頂けたでしょうか。
首無き神の方はこのくらいにして、次は大地母神の話を致しましょう。
こちらは、元々この地に住んでいた少数民族から生まれた信仰で、自分達に与えられた平地を土地神とした物です。
容姿としては、微笑する穏やかな顔と、豊かな胸をした膨よかな若い女で、丸みを帯びた腹をした妊婦の姿で描かれています。
服装はこの民族の女達の格好と同様で、細い袖口をした長袖の踝まであるワンピースのスカートに、妊婦である為かベルトはしておらず、頭には頭巾を被っています。
その手には、豊穣を表す麦の穂を握った眠る赤子を抱いており、視線はその赤子へと向けられている姿が一般的で、正式には大地母神なのですが、通常は女神や聖母と呼ばれます。
貴殿も目にした橙色の護符、あれはその色が朝日や夕日を象徴し、太陽の恵みを表していて、あの滴る水滴の様な形状が雨や水の恵みを表し、あの丸みを帯びた膨らみが新たな生命の象徴である、女の孕んだ腹や卵や種子を表しているそうです。
この大地母神は、大地の神・実りの神・出産の神でもあり、その力は肥沃・豊穣・多産だとされていますが、今際の際に娘が語っていた、巫女であった母親の言葉の通りで、癒しの力は持っていません。
それに古代の神ですから、娘の使っていた言葉とは異なる、あの護符に描かれていた古代文字しか判らず、召喚当時の言語が通じる事はありません。
では何故貴殿は分かり様も無い筈の、召喚者の姉の言葉が理解出来たのかについてですが、貴殿は厳密には、この大地母神では無かったと言うのが回答になりますな。
どう言う意味かと申しますと、召喚者の幼い妹は、若干五歳で敗戦により両親と死に別れて、旧領主の娘として、姉と共に監禁生活を送っていました。
ですから巫女であった母親から、この神の事を聞かされていたのは五歳までであり、まだ幼い子供には大地母神の姿や力の詳細は、理解し切れなかったのでしょう。
その為に妹の脳裏にあった大地母神像は詳細が曖昧のままに、それを定義として貴殿を召喚した結果、古代の神でありながらあの時代の言葉を理解し、持つ筈の無い癒しの力すら持っている、妹が思い描いた独自の大地母神の定義を元に、貴殿は形成されたのです。
神の定義にはこれと言った決まりは無く、それを信じる人間達が自ら制限を創造して、その力を限定していくもの。
そしてそれは、多くの人間が同じものを思い描かなければならないなんて事も無く、定義の成立条件は只一つで、その存在を強く信じる事、即ち頑なな信仰心さえあれば良いのですよ。
幼い妹は、亡き母親から大地母神の話を聞いて、理解出来ない部分は自身の想像力で以って補完しながら、信仰対象の定義を作り出していたのですなあ。
これは、巫女の血を受け継いでいたから出来た事なのか、それとも単に妹が空想好きだっただけなのか、何とも言えませんが、こうした経緯で想定外の力を有する神として、貴殿は行動出来たのでしょう。
しかし、命を捧げても幼い娘一人の生贄では、召喚とその能力を満足に使いこなすだけの糧には足りず、貴殿の姿はあの様な煙でしかなく、移動もままならなかった。
でもこれが逆に、存在に対する糧の消費を軽減する事に繋がって、その結果姉の窮地を救う際に役立ったのは、不完全であったが故の幸運でしたなあ。
最後に、貴殿が思い悩んでいるであろう、果たして貴殿の行いは、召喚の成果としてどうであったのかについて、吾輩の解釈をお話し致しましょうか。
吾輩の見るところ、貴殿の存在が無ければあの娘は、坂の頂上で倒れる事は無かったかも知れません。
その結果として、目指していた湖に辿り着けたかも知れないと考えれば、無意味であったと言えましょう。
しかし、貴殿の癒しと倒れていた間の休息が、あの湖までの道のりを歩むだけの力を与えたとするならば、それは有益であったと思われます。
更に、大の男達四人と犬がいた追手の事を加味すると、貴殿が倒さなければ、無事に逃げ果せたとは考えづらいでしょうから、やはり有益だったのでしょう。
とは言いつつも、どちらにしたところで、本質的に妹の望みも、姉の望んだ事も叶わなかったのですから、現状を甘んじて受け入れればどうですかな、雪だるま卿。
吾輩であればこの様な些細な事なぞ、戻った時には綺麗さっぱり忘却の彼方へと送ってしまうのですが、貴殿は向こう側の者達に少々気を使い過ぎだと思いますぞ。
重々お判りだとは思いますが、人の命の一つや二つでいちいち気に病んでいては、切りが有りませんからなあ。
我々の力なぞどの様に与えられたとしても、結局のところ自分達の為にはならず、誰のどんな願いであろうともそれは、多かれ少なかれ、本来干渉される筈では無かった人間の人生を冒して、その結果望まぬものを与え、得ていたものを奪い、進むべき道筋を歪めているのですから。
我々がそれを望もうと望まぬとも、ねえ。
それと、貴殿の望むのは常に召喚者の願望に即している様ですが、果たしてそれが正しいとする根拠はお有りですかな?
召喚が成功するか否かは、召喚者の感情に比例している可能性が高く、その願望が善悪や正否とは関連していないと吾輩は推測しておるので、貴殿の振る舞いが正しい事とも殊勝な事とも、思えないのですよ。
まあ、だからと言って必ずしも間違っているとも、断言出来る材料も無いのですがね。
そこのところは、良くご理解頂きたいものですなあ」
何時に無く、辛辣な諌言を私へと投げ掛けてから、“嘶くロバ”は頭を深く下げて大仰な挨拶をした後に、トランクと傘を抱えながら姿を消した。
彼の言う事は一理あり、召喚者の願いだと言う理由で、時には数千人を一夜にして死に至らしめたり、時にはたった一人を救ったり、これは明らかに公平では無く、傍から見ればまさに神の気まぐれの様にしか映らないであろうとは、思わないでも無いところであったのは事実だ。
しかし、それでは一体何を拠り所にして行動すると言うのか、それを掴めない限りは、ロバの紳士の様に否定すら出来ない。
何故なら否定するだけの自己すら、今の私には無いのだから。
私は先程まで“嘶くロバ”の佇んでいた何も見えない暗闇の先を、まるで自分の心中を覗き見ているかの様に、虚ろに凝視し続けていた。
そうしていれば、若しかしたら何かが掴めるのではないかと言う、虚しい期待を込めて。
第十一章はこれにて終了、
次回から第十二章となります。