第十一章 逃亡 其の二
変更履歴
2011/11/11 記述統一 一センチ、十メートル → 1cm、10m
2011/12/10 誤植修正 して見せた → してみせた
2011/12/24 誤植修正 召喚の声の主だとは → 召喚の声の主でないとは
2011/12/24 誤植修正 黒い後が蛇行している → 黒い跡が蛇行している
2011/12/24 誤植修正 扱かわれ続けた事も → 扱かわれた事も
2011/12/24 誤植修正 呼び掛けの対象を差す言葉が → 呼び掛けの対象を指す言葉が
2011/12/24 誤植修正 つまりあの先には → つまりあの先は
2011/12/24 句読点調整
2011/12/24 記述修正 逃亡者の若い女は、長い髪を → 女は長い髪を
2011/12/24 記述修正 町 → 集落
2011/12/24 記述修正 あの狼狽振りでは、追跡者たる → 恐らく追跡者たる
2011/12/24 記述修正 これは、私が今やりたい事 → これなら私が今やりたい事である
2011/12/24 記述修正 レイピア → サーベル
2011/12/24 記述修正 5m先に立つ姿は → 5m先に立つ逃亡者の姿は
2011/12/24 記述修正 理解出来る事だ → 理解出来る事だった
2011/12/24 記述修正 お前らの偉大な神の僕たる、薄汚い領主様と同じ様に → お前達の偉大な薄汚い領主と同じ様に
2011/12/24 記述修正 何が『首無き神』だ → 何が首無き神だ
2011/12/24 記述修正 皆呪われるがいい、いい気味だ! → 皆呪われてしまえ!
2011/12/24 記述修正 自らを捧げて私を召喚したのだ → 自らを捧げて私を召喚した
2011/12/24 記述修正 暗闇の中では微かに輪郭が → 月明かりの下では微かに輪郭が
2011/12/24 記述修正 暗殺者の使いそうな暗器を → 暗殺者が用いる様な暗器を
2011/12/24 記述修正 深く口で呼吸を繰り返していて → 深く早い呼吸を繰り返していて
2011/12/24 記述修正 どうすべきかを考えていると → 今はどうすべきかを考えていると
2011/12/24 記述修正 体力的に動けずにどうしたら良いか判らず → 体力的に動くのもままならず
2011/12/24 記述修正 考えあぐねていると言う様にも見えて来た → どうする事も出来ない状態なのではないかと思えた
2011/12/24 記述修正 今は体力を回復させつつ → 今は息を整えつつ
2011/12/24 記述修正 模索している最中だろう → 模索している筈
2011/12/24 記述修正 今の女にとって一番の問題は、私だ → 女にとって一番の問題は私の次の出方だ
2011/12/24 記述修正 私は一定の速度で、こちらを凝視し続ける若い女へと近づいて行く → まずは思念で返答を求める呼びかけを試してみたものの、距離の所為か全く反応は無かったので、次の手に打って出た
2011/12/24 記述修正 私から逃亡者の若い女との → そこが私から逃亡者の若い女との
2011/12/24 記述修正 必死に計算している、その様に見える → 必死に探っている、その様に見えた
2011/12/24 記述修正 かなり泥や埃で薄汚れていたり → 泥や埃で薄汚れていたり
2011/12/24 記述修正 更にそれ以外にも → それ以外にも
2011/12/24 記述修正 それは血痕であろうかと思えた → それらは血痕の様に見える
2011/12/24 記述修正 足には幾筋か血が流れた → 足には幾筋か血が流れたらしき
2011/12/24 記述修正 重い形状で → 重い形状をしており
2011/12/24 記述修正 咄嗟に奪ってきた → たとえ咄嗟に奪ってきた
2011/12/24 記述修正 その恐喝は無意味であったし → その恫喝は無意味であったし
2011/12/24 記述修正 この詳細は全く判らないが → 理屈は全く判らないが
2011/12/24 記述修正 出血している傷は見当たらない → 出血している大きな傷は見当たらない
2011/12/24 記述修正 だけど、そうやすやすとはやられない → そうやすやすとはやられはしない!
2011/12/24 記述修正 二度とそんな真似が出来ない様に切り落としてから、その首を → その首を
2011/12/24 記述修正 その男の一物を切断した後に殺して逃亡中、と言う事か → その男を寝室にて殺害して逃亡中と言う事か
2011/12/24 記述修正 このまま放置していれば良いが → すぐにでも捕らえるなり殺すなりすべきであろうし
2011/12/24 記述修正 もし味方ならば召喚目的を逆に失敗に → もし味方ならば、現状は召喚目的を失敗に
2011/12/24 記述追加 この距離でも通じないのだとすると~
2011/12/24 記述修正 私の焦燥など知る由も無く → そんな私の焦燥など知る由も無く
2011/12/24 記述修正 私が挑発に乗って来ないのに → 私が挑発に乗って来ない事に
2011/12/24 記述修正 私が挑発に乗って来ない事に → 私がなかなか挑発に乗って来ない事に
2011/12/24 記述修正 目に見えて苛立ちを表し始めていて → 段々と苛立ちを見せ始めながらも
2011/12/24 記述修正 皆呪われてしまえ! → 呪われてしまえ!
2011/12/24 記述修正 装飾がされている理由が → 装飾を施されているのも
2011/12/24 記述修正 奪って来たからとなって → 奪って来たからとなれば
2011/12/24 記述修正 そう考えるとこの娘 → そう考えるとこの娘の命は
2011/12/24 記述修正 そう長くは持ちそうも無い → 長くは持ちそうも無い
2011/12/24 記述修正 得る事が出来る → 得る事が出来そうだ
2011/12/24 記述修正 似ているは似ているのだが → 似てはいるのだが
2011/12/24 記述修正 年齢的に合わないのがこれで確認出来た → 違っているのがこれではっきりした
2011/12/24 記述修正 鋸状の刃になっていて → 鋸状の刃になっており
2011/12/24 記述修正 かなりレースや薄手の生地を多用した → レースや薄手の生地を多用した
2011/12/24 記述修正 露出の高い艶めかしい → かなり露出の高い艶めかしい
2011/12/24 記述修正 泥や埃で薄汚れていたり → 泥や埃で汚れていたり
2011/12/24 記述修正 腹部や大腿部等の → 腹部や手足等の
2011/12/24 記述修正 負ったらしい切り傷や → 負ったらしい無数の切り傷や
2011/12/24 記述修正 這いずってきたらしい泥汚れや → 這いずってきたらしい泥で塗れた擦り傷だらけで
2011/12/24 記述修正 肘や膝には大きな擦り傷で血が滲み変色していて → 肘や膝は皮膚が剥がれて傷口に付着した汚れで真っ黒にしか見えず
2011/12/24 記述修正 もう少し現状を良く考察してみよう → もう少し現状を考察すべきか
2011/12/24 記述修正 相手を良く見てみれば、腕も足も細く → よくよく相手を見ると腕も足も細く
2011/12/24 記述修正 嬲り者にしたいのか、なら掛かって来い! → 嬲り者にしたいのか!
2011/12/24 記述修正 そうやすやすとは → だったら掛かって来い! だがそうやすやすとは
2011/12/24 記述修正 軽傷では無いのは間違い無い → 軽傷では無いのは間違い無いだろう
2011/12/24 記述修正 訓練を積んでいる者では無くて → 訓練を積んでいる者では無く
2011/12/24 記述修正 単なる娼婦か → 本当に単なる娼婦か
2011/12/24 記述修正 こんな只の子娘一人を捕まえるのに → だとするとこんな只の子娘一人を捕まえるのに
2011/12/24 記述修正 この娘は起こして来たのだろうか → この娘は仕出かして来たのだろうか
2011/12/24 記述修正 その短剣は刀身も柄も艶の無い黒色で → それは刀身も柄も艶の無い黒い短剣で
2011/12/24 記述修正 刃は両刃だが片刃は波打つ形状で、もう片刃は鋸状の刃になっており → 刃は波状と鋸状をした非対称の両刃であり
2011/12/24 記述修正 やはり正解であったのではないかと再度考えを改めると → 正解であったと私はひとまず安堵すると
2011/12/24 記述修正 逃亡者である女を → 逃亡者であろう女を
2011/12/24 記述修正 若い女の顔は → しかしこの時の若い女は
2011/12/24 記述修正 気迫を呈していた。この女の態度で → 気迫を呈しており、この態度を見て
2011/12/24 記述修正 トンネルの最後に見えた → 召喚時のトンネルで最後に見えた
2011/12/24 記述修正 全体的に黒い短剣を握っている → 黒い短剣を握っていて、その外見はとても術者には見えない
2011/12/24 記述修正 血生臭い邪神では無く → 血生臭い邪神ではなく
2011/12/24 記述修正 顔を見れば身長から想定した年齢よりも幼く → 顔を見ると身長から想定した年齢よりも幼く
2011/12/24 記述修正 普通の若い女と言うより → 若い女と言うよりも
2011/12/24 記述修正 すると逃亡者は → こちらを凝視し続ける若い女へと、私が慎重に近づいて行くと、逃亡者は
2011/12/24 記述修正 もう既に戦いで疲弊しているのか → もう既に疲弊しているのか
2011/12/24 記述修正 実のところ本当にすべき事については、何も出来ない最悪の状態だ → 若しかすると今すぐにも目的を達成出来るかも知れないと思うと、実に歯痒い状態だ
2011/12/24 記述修正 女の取る行動が → 次に女の取る行動が
2011/12/24 記述修正 この検証は女の発する声を → その検証は女の発する声を
2011/12/24 記述修正 明らかに出来るのだが → 明らかになるのだが
2011/12/24 記述修正 若い娼婦なのかと思えるが → 幼い娼婦なのかと思えるが
2011/12/24 記述修正 特に左手にした短剣は → 特に左手の短剣は
2011/12/24 記述修正 妖しい魔術で用いる → 怪しげな儀式で用いる
2011/12/24 記述修正 素振りをするのも忘れて → 振りをするのも忘れて
2011/12/24 記述修正 その首飾りに魅入っていた → その首飾りに目を奪われていた
2011/12/24 記述修正 もう儀式を執り行う神官も → 儀式を執り行う神官も
2011/12/24 記述修正 どちらもこの世にはいない → もうどちらもこの世にはいない
2011/12/24 記述修正 丈の短いスカートから → 丈の短いスカートの、後ろの裾から
2011/12/24 記述修正 レースや薄手の生地を多用した → レース等の薄手の生地で出来た
2011/12/24 記述修正 艶めかしい純白の衣装の様だが → 純白の衣装の様だが
2011/12/24 記述修正 女と私の距離は → 女との距離は
2011/12/24 記述修正 逃亡者は、若い女だった。女は長い髪を → 逃亡者は若い女であり、長い髪を
2011/12/24 記述修正 私の姿を見て自身の手下として召喚した者が判らないのは → 女の放つ殺気は
2011/12/24 記述修正 流石に有り得ないのではないか → どう考えても味方に向けられるものではない
2011/12/24 記述修正 ここまで点々と続いていた血痕から → ここまでずっと続いていた血痕から
2011/12/24 記述修正 逃走する可能性も高いだろう → 逃走する危険も高いだろう
2011/12/24 記述修正 あの集落に忍び込んだ刺客か間諜の類なのか → この女はあの集落に忍び込んだ刺客か間諜の類で
2011/12/24 記述修正 そして任務に失敗して → 任務に失敗して
2011/12/24 記述修正 追手からの時間稼ぎにでも → 追手から逃れる為の時間稼ぎに
2011/12/24 記述修正 優位だと言えるが、本来の目的と → 優位だと言える。本来の目的と
2011/12/24 記述移動 本来の目的と器の能力が判らないので~
2011/12/24 記述修正 達成出来るかも知れないと思うと → 達成出来る状況なのかも知れないと思うと
2011/12/24 記述削除 これなら私が今やりたい事である~
2011/12/24 記述修正 背後を振り向いたのか、追手から逃走している → 背後を振り向いたのか。追手から逃走している
2011/12/24 記述修正 とにかく声は確認しよう → とにかく今は声を確認する絶好の機会なのだから、それを達成する手段を最優先に考えよう
2011/12/24 記述修正 可能性も無い訳でも無いし → 可能性も無い訳でも無く
2011/12/24 記述修正 何も判らない状況が変えられまい → 何も判らない状況は変えられない
2011/12/24 記述修正 外れているらしいのが判った → 外れているらしいのを悟った
2011/12/24 記述修正 私の実態が無いのも見破られそうだし → 私の実態が無いのを見破られる恐れがあるのと
2011/12/24 記述修正 こんなところか → 大体こんなところだろう
2011/12/24 記述修正 逃走を諦めた時、それと逃げ道を失った時 → 逃走を諦めた時等があるが、最も確率が多いのは逃げ道を失った時だ
2011/12/24 記述修正 この状況では、女の態度からしても → 現状では女の態度からして、
2011/12/24 記述修正 その為の術は失敗に終わった → その術は失敗に終わった
2011/12/24 記述修正 声からすれば十歳程度の → 召喚時に聞いた声からすれば十歳程度の
2011/12/24 記述修正 召喚時に聞いた声の持ち主にしては → あの声の持ち主にしては
2011/12/24 記述修正 少々大きいのではないかと私は感じた → かなり大きいのではないかと私は感じた
2011/12/24 記述修正 溢れていた傷だ。少なくとも → 溢れていた傷で、少なくとも
2011/12/24 記述修正 この長身の娘からは → その理由は明白で、この長身の娘からは
2011/12/24 記述修正 追いついていない、或いは → 追いついておらず、
2011/12/24 記述修正 体力が既に尽き掛けて → 既に体力が尽き掛けて
2011/12/24 記述修正 明らかである所為か → 明らかなのもあった
2011/12/24 記述修正 私の後続が → 更にこの場を上手く凌いだとしても、私の後から追って来ているであろう後続が
2011/12/24 記述修正 距離で追いかけて来ているのかを → 距離まで迫っているのかも
2011/12/24 記述修正 計りかねているに → 危惧しているに
2012/02/02 記述修正 長い髪を → 暗い色合いの長い髪を
2012/02/02 記述修正 顔を見ると → 白色よりはくすんだ色をした顔を見ると、
2012/02/02 記述追加 黒に近い焦げ茶色の瞳を見開き、
この頃には、召喚当初は空を覆っていた雲はすっかり晴れていて、澄み切った綺麗な星空へと変わっていた。
半月とは言え、上り坂の頂上に立つ者の姿を照らすには、夜目も利く私にとっては十分な明度だ。
召喚時に聞いた声からすれば十歳程度の子供かと想像していたのだが、月明かりに照らされたその姿は、あの声の持ち主にしては、かなり大きいのではないかと私は感じた。
こちらを向いて立つ逃亡者は若い女であり、暗い色合いの長い髪をまとめずに下ろしていて、それが風に吹かれて靡いているのが見える。
右手には抜き身のサーベルの様な、細身の湾曲した刃の剣を持ち、左手には歪な形状の黒い短剣を握っていて、その外見はとても術者には見えない。
サーベルは月明かりが反射して輝いて見えており、それとは対照的に短剣は艶の無い、暗い色をした金属で出来ているのか、月明かりの下では微かに輪郭が見える程度で、それはまるで暗殺者が用いる様な暗器を連想させる。
この女はあの集落に忍び込んだ刺客か間諜の類で、任務に失敗して逃走中に私を召喚し、追手から逃れる為の時間稼ぎに使おうとしたのだろうか。
だとしたら、その術は失敗に終わった事を知って、焦っているのかも知れない。
しかしこの時の若い女は、荒い息をつきながらも、私へと向けられた憎悪がしっかりと伝わる程の気迫を呈しており、この態度を見て、第一印象から想定した推測が外れているらしいのを悟った。
いくら召喚に失敗したとしても、女の放つ殺気は、どう考えても味方に向けられるものではない。
だとすると私は、この逃亡者を追跡している側である追手の放った存在で、それに追いつかれたのを見て、どう対応すべきかを必死に考えている、これが現状だろうか。
女はここまで走り続けていたのか、声も出せない程に深く早い呼吸を繰り返していて、今はどうすべきかを考えていると言うよりは、体力的に動くのもままならず、どうする事も出来ない状態なのではないかと思えた。
よくよく相手を見ると腕も足も細く、身長の割には華奢で痩せ過ぎていて、密偵としては大したものでも無さそうに思える。
血痕を追ってここまで移動して来たのは、正解であったと私はひとまず安堵すると、次なる問題である、逃亡者であろう女をどうしたら良いのかについて、検討し始めた。
現状では女の態度からして、私は追手側の手先である様に思えるが、未だこの逃亡者が召喚の声の主でないとは、完全に確定は出来ない。
その検証は女の発する声を聞けば明らかになるのだが、問題はそれをどの様にして叶えるかだった。
女へと近づいて行けば、何か声を発する可能性はあるが、無言で踵を返して、そのまま向かっていた方向へと逃走する危険も高いだろう。
私の位置からは、恐らく下っている筈の、女が立っている斜面の向こう側が全く判らないので、次に女の取る行動が予測出来ない。
ここは安易に行動せずに、もう少し現状を考察すべきか。
まず、あの逃亡者の女はどうして私を睨んだままで、立ち止まっているのか、それは私が尖兵でここまで追いつかれた事に焦りを感じているから、いや、そもそもその前に、どうして私に気づいたのか。
私は足で歩いている訳では無く、物理的には何も接触しない幽霊の様な霧の塊の体だから、物音は一切立たない筈だし、私自身自分が物音を立てていないのは、自分の聴覚で確認済みだ。
では何故女は立ち止まって、背後を振り向いたのか。
追手から逃走している人間が立ち止まる可能性は、無事に逃げ切れたと判断した時、もう逃げる力も失った時、逃走を諦めた時等があるが、最も確率が高いのは逃げ道を失った時だ。
今のあの逃亡者は逃げ場を失っている、つまりあの先は人間が降りられる様な場所では無く、切り立った崖か急斜面で、道を探し直さなければならないと判断して、戻ろうとしたところで振り向くと、そこに追手と思われる私がいた、これが真相か。
この推測が正しければ、逃亡者は進退窮まってしまい、今は息を整えつつ起死回生の手を模索している筈で、女にとって一番の問題は私の次の出方だ。
更にこの場を上手く凌いだとしても、私の後から追って来ているであろう後続が、どの程度の距離まで迫っているのかも、危惧しているに違いない。
恐らく追跡者たる私の登場は、逃亡者たる女の読みよりも、ずっと早かったのだろうと思える。
本来の目的と器の能力が判らないので、若しかすると今すぐにも目的を達成出来る状況なのかも知れないと思うと、実に歯痒い状態だ。
とにかく今は声を確認する絶好の機会なのだから、それを達成する手段を最優先に考えよう、若しかすると万が一、実は召喚者かも知れない可能性も無い訳でも無く、何か少しでも情報を集めなければ、何も判らない状況は変えられない。
まずは思念で返答を求める呼びかけを試してみたものの、距離の所為か全く反応は無かったので、私は次の手に打って出た。
こちらを凝視し続ける若い女へと、私が慎重に近づいて行くと、逃亡者は剣を構えるものの、もう既に疲弊しているのか、サーベルを構える腕はかなり震えていて、私の目からは中段の構えを維持するのさえも、辛そうに映っている。
私の移動に因って女との距離は、10mから半分の5mまで縮まった。
この位置で留まった理由は、そこが私から逃亡者の若い女との間で最も周囲が狭まった地点であり、私を普通の人間の追手と勘違いしているのなら、突撃してすり抜けるのは躊躇う幅だからだ。
5m先に立つ逃亡者の姿は、女らしいとは言いがたい体つきで、白色よりはくすんだ色をした顔を見ると、身長から想定した年齢よりも幼く、普通の若い女と言うよりも、長身の娘と言ったところなのが判った。
額には流れ落ちる程の汗をかき、髪は顔に貼り付き纏わりついているが、娘はそれを払う余裕も無く、黒に近い焦げ茶色の瞳を見開き、追い詰められた小動物の様に、次の行動をどうすべきかを必死に探っている、その様に見えた。
月明かりに照らされているのもあるのだろうが、その汚れた顔は青ざめており、ここまでずっと続いていた血痕から考えると、それは失血に因るものと思える。
元々はレース等の薄手の生地で出来た、かなり露出の高い純白の衣装の様だが、泥や埃で汚れていたり装飾が破れていて、それ以外にも黒い染みが至る所にあり、それらは血痕の様に見える。
腹部や手足等の素肌が露な部分は、丘陵地帯の草や木の枝で負ったらしい無数の切り傷や、何処かで這いずってきたらしい泥で塗れた擦り傷だらけで、肘や膝は皮膚が剥がれて傷口に付着した汚れで真っ黒にしか見えず、足には幾筋か血が流れたらしき黒い跡が蛇行している。
この霰も無い衣装姿から考えると、幼い娼婦なのかと思えるが、その手にしているのは娼婦らしからぬ物であり、特に左手の短剣は普通の武器には見えず、怪しげな儀式で用いる祭具の一種にすら見える。
それは刀身も柄も艶の無い黒い短剣で、刃は波状と鋸状をした非対称の両刃であり、見るからに禍々しい雰囲気を醸し出している。
一方サーベルの方は実用の物では無い様で、装飾が多くて無駄に重い形状をしており、恐らく儀礼用の物らしい。
どちらの刀身も泥まみれではあるが、血は付着していないところを見ると、誰も斬ってはいない様だ。
娘はこのサーベルを収めるべき鞘を腰に佩いておらず、短剣の鞘も身体に隠し持てる様な服では無い事から、どちらも抜き身でここまで持って来たのが判った。
それと剣の持ち方や構え方が、たとえ咄嗟に奪ってきた武器だったとしても、どうも不慣れに見えていて、私には見様見真似で構えている様にしか見えない。
ここで確認した情報を踏まえて考えると、この娼婦風の娘は密偵の様な訓練を積んでいる者では無く、何かをして逃げ出してきた本当に単なる娼婦か、枷が無い点から拘束されていない奴隷の類かと思えてくる。
だとするとこんな只の子娘一人を捕まえるのに、集落の者達はわざわざ私の様な者を召喚するのだろうか、それともどうあっても捕らえるなり、殺すなりしなければならない程の事を、この娘は仕出かして来たのだろうか。
そんな事を考えていた私へと、ある意味待ちかねていた事が起こった。
「それ以上、近づくな!」
ここで初めて、待望の娘の声が発せられたのだ。
顔立ちから察した年齢通りの若い娘に有りがちな、やや甲高い声ではあったが、決してか細い感じでは無く、ある程度は大声を出すのにも慣れている様ではある。
気迫は込められていた、とは言っても、所詮は子娘で恐怖からだろう、若干の声の震えは抑え切れていない。
霞でしかない私には、その恫喝は無意味であったし、これが通常の人間であったとしても、残念ながらそれ程の脅威とは感じないのでは無いだろうか。
その理由は明白で、この長身の娘からは、逃げ延びようとする必死さは伝わってくるものの、その感情に体力が追いついておらず、既に体力が尽き掛けているのが明らかなのもあった。
そして肝心の声であるが、ここまで注目していなければ勘違いしたかも知れない、似てはいるのだが、やはり違っているのがこれではっきりした。
私を呼び出した召喚者は、この娼婦姿の娘では無かった。
それよりも驚いたのは、この時代の人間である娘の言葉が、普通に理解出来る事だった。
この器は、古代の神や悪魔では無いと言う事か、理屈は全く判らないがこれは実に都合が良い。
娘をもっと喋らす事が出来れば、多くの情報を得る事が出来そうだ。
さて、これからどうしたものか、ひとつの謎が解けたのは良いが、残念ながら現状ではその答えから次の何かを見出せそうも無い。
私は召喚者では無いと判った長身の娘の姿に、妙な点を見出してじっくりと確認する。
それは、ここへと辿り着く有力な材料となっていた、滴っていた血痕が溢れていた傷で、少なくとも、正面を向いて対峙している脱走者たる娘の体からは、滴る程出血している大きな傷は見当たらない。
しかし、先程から同じ場所に留まっている所為で、足元には小さな血溜まりが出来つつあり、そこから上へと辿ると丈の短いスカートの、後ろの裾から滴り落ちているのが判った。
どうやら見えていない背面に大きな傷があり、そこからの流血が伝わっているらしい。
更に視線を上へと送ると、腰の辺りと肩の上から僅かに細い棒が見え隠れしているのに気づき、それは矢羽が無くなった弓矢の後方部分であり、背後から射掛けられたらしく、少なくとも背中に三本の矢が刺さっているのが判った。
止血する術が無いから抜かないのか、それとも自力で抜けない程に深く刺さっているのか、どちらにせよ軽傷では無いのは間違い無いだろう。
刺さったままの矢傷であれだけの出血となると、急所に当たっているのもありそうだ、そう考えるとこの娘の命は、長くは持ちそうも無い。
ここまで観察していると、この追い詰められた状況に痺れを切らしたらしく、手負いの娘は焦りからか再び叫び始めた。
「大の男が、こんな小娘の私を怖がっているのか!
私を生かして捕らえる様に、命じられているのか?
それともあの男みたいに、お前も私の様な子供を嬲り者にしたいのか!
だったら掛かって来い! だがそうやすやすとはやられはしない!
お前達の偉大な薄汚い領主と同じ様に、その首をこの忌々しいナイフで切り落として、あの子の代わりに捧げてやる!」
そう言うと脱走者の娘は、手にしていた黒い短剣を突き出して、私へと威嚇をしてみせた。
今の自身の言葉で気合が入ったのか、その目に宿った決死の気迫は凄まじく、強い眼差しで私を睨みながら、こちらへと一歩滲みよった。
脱走者の娘はこの場面での対処を決めたらしく、それは挑発に因り逃げ道を塞ぐ様に立つ私を誘き寄せて、応戦と見せかけて脇を擦り抜けて逃走する、大体こんなところだろう、まあ懸命な判断と言える。
しかしながら、私はその手に引っかかる訳には行かないので、微動だにせずに、貴重な娘の発言について考察を始めた。
この手負いの娘の話を繋げてみると、領主と言う、恐らくあの集落の支配者だろう、その男を寝室にて殺害して逃亡中と言う事か。
情事の最中ならば周りには衛兵も居らず、大の男でも丸腰になるから、最も狙いやすいと考えるとそれは好機とも言えるのかと、私は納得していた。
成程、それだけの地位の者なら、あのサーベルが妙に儀礼的な装飾を施されているのも、その殺した領主の所持品を奪って来たからとなれば、話は繋がる。
あの妖しげで無骨な短剣も、今の言動からすればその領主の所持品と考えて良さそうだ。
この娘は誰か別の人間に対する報復として、領主を殺して逃げて来たのか、それとも逃げる目的で領主を殺したのか、これはどちらが目的だったのかは未だ読み取れない。
もう少し追い詰めればもっと語るかも知れない、だがこれ以上前進すると、私の実態が無いの見破られる恐れがあるのと、道幅が広がるので突撃して突破を試みる可能性が上がる。
しかし、出来る事なら後方から迫る本物の追手が追いつく前に、私はこの脱走者にとって敵なのか味方なのかを、はっきりさせておきたいと思っていた。
敵の場合ならば、すぐにでも捕らえるなり殺すなりすべきであろうし、もし味方ならば、現状は召喚目的を失敗に導いている事になる。
召喚者の願望にそぐわぬ行動は出来ない筈だが、只立ち尽くしているだけでは曖昧すぎて、召喚の呪縛にも引っかかりはしまい。
だからこそ何としてもこの娘から、私のすべき事を暴き出す必要があるのだ。
ここまで近づいたのだから、若しかすると思念が通じるかも知れないと、再度試してみるものの、やはり娘の態度に変化は無かった。
この距離でも通じないのだとすると、もう思念での対話は不可能だと思った方が良さそうだ、ではどうすれば良いのだろう。
そんな私の焦燥など知る由も無く、娘は娘で私がなかなか挑発に乗って来ない事に、段々と苛立ちを見せ始めながらも、互いに相手の出方を待つ睨み合いが続いた。
この静かな均衡状態を崩したのは、やはり肉体的に追い詰められている、脱走者たる娘の方であった。
「どうした、これだけ言われても何も出来ないのか、お前はそれでも男か、この意気地無しが!
私達は決して、お前達に屈したりはしない!
お前達はもう全てを支配した気になっているのだろうが、どれだけ虐げられようと踏みにじられようと、私達は消して屈しない!
たかが二年過ぎた程度で、私達がお前達に因って洗脳されたなどとは思わない事だ、私達はお前らに受けた痛みと悲しみを決して忘れない。
全ての男達が殺された事も、女達が奴隷や家畜の様に扱われた事も、お前達に辱められた事も、野蛮な怪物じみた神の慰み者にされた事も!
何が首無き神だ、そんなに首と妃を捧げたいのなら、お前達の見苦しい首を捧げて、女装でもして妃になるがいい!
儀式を執り行う神官も、邪神に捧げる妃の生贄も、もうどちらもこの世にはいない。
私の妹は、お前達の崇める不具の神になんて渡さない、もう決してお前達の手の届かない所へこの手で送ってやった、今頃はもう我等の神の元に導かれている頃だ。
これでもう奪還祭はお終いだ、お前達全員、身勝手な邪神の怒りでも買って呪われてしまえ!
我等が崇めるのは、あんな生贄ばかり要求する血生臭い邪神ではなく、私達に多くの恵みを与えて下さる、崇高で慈愛に満ちた大地母神なんだ!」
娘は必死に挑発し続けて、最後に短剣をこちらへと向かって投げつけると、空いた左手で首に掛けていた細い紐を手繰り、胸元から首飾りを引っ張り出して、それをこちらへと翳してみせた。
私は投げつけられた黒い短剣を避ける振りをするのも忘れて、その首飾りに目を奪われていた。
それは召喚時のトンネルで最後に見えた、橙色のあれを小さくしたものに間違い無かった。
更にその雫の形をした護符を見ると同時に、トンネルで聞こえていた呼び掛けの対象を指す言葉が、何だったのかを悟った。
てっきり何者か高位の者の尊称だと思っていたのだが、あれは『姉様』と言っていたのだ。
妹は邪神の生贄に捧げられるくらいならと、この姉の刃に掛かった後、姉の身を案じて、絶命する最中に自らを捧げて私を召喚した。
自分が信仰していた大地母神として、残された姉を救済する為に。