第十一章 逃亡 其の一
変更履歴
2011/11/09 記述統一 一センチ、十メートル → 1cm、10m
2011/11/09 記述統一 変らない・変らずに・変って → 変わらない・変わらずに・変わって
2011/11/10 誤植修正 大して早くも無い私は → 大して速くも無い私は
2011/12/10 誤植修正 して見ると、して見た → してみると、してみた
2011/12/21 誤植修正 終われる側の様に → 追われる側の様に
2011/12/21 誤植修正 緩やかなながら → 緩やかな
2011/12/21 誤植修正 生い茂る木々超えて → 生い茂る木々を超えて
2011/12/21 誤植修正 それど共に動き → それと共に動き
2011/12/21 誤植修正 照り始めたのに気づいた → 照らし始めたのに気づいた
2011/12/21 句読点調整
2011/12/21 記述修正 こちらへと降り立つ直前 → 向こう側へと降り立つ直前
2011/12/21 記述修正 語尾に、様、を付けて呼んでいる → 語尾に敬称を付けて呼んでいた
2011/12/21 記述修正 微かに響くその声色には → 微かに響くその声には
2011/12/21 記述修正 切望、悲嘆、悔恨が含まれていた、その様に → 切望・悲嘆・悔恨が含まれていた様に
2011/12/21 記述修正 完全に只の煙、或いは → 完全に只の煙なのか、或いは
2011/12/21 記述修正 胴体も恐らく頭も顔も → 恐らく頭も胴体も
2011/12/21 記述修正 それは自分の器から発散される白い煙が → それは自分の器そのものである白い煙が
2011/12/21 記述修正 自分自身の視界を覆い隠しているからなのも、これで判った → 自身の視界を覆っているからだと判った
2011/12/21 記述修正 と言うよりは、この体は → と言うよりこの体は
2011/12/21 記述修正 遜色ない程度の素早さでは動くだろう → 自身が適度と認識する速度で動こうとするだろう
2011/12/21 記述修正 つまり山狩り、そんなところであろうか → つまり山狩りであろうか
2011/12/21 記述修正 しかしそれは直線で迫られた場合の、純粋な距離と → だがそれは直線で迫られた時の、純粋な距離と
2011/12/21 記述修正 近づくにつれて足場は悪くなり → 近づくにつれて道は無くなり
2011/12/21 記述修正 迂回を繰り返して進む事を → 蛇行や迂回を繰り返して進む事を
2011/12/21 記述修正 それとも私は、足止め、或いは → それとも私は足止めとして
2011/12/21 記述修正 先回りさせての待ち伏せの駒と → 先回りさせて待ち伏せする為の駒と
2011/12/21 記述修正 気の所為だとは思うが随分と体が → 随分と体が
2011/12/21 記述修正 その感覚は強ち間違っても → それは強ち間違っても
2011/12/21 記述修正 ここへ辿り着いてみるとすぐに判った → すぐに判った
2011/12/21 記述修正 頭部が動いた感覚も無く眼球を動かした感覚も → 頭部や眼球を動かした感覚は
2011/12/21 記述修正 私の望んだ方向へと、私を中心として → 私の見たい方向へと
2011/12/21 記述修正 この山脈の中で唯一の切れ目がある方へと伸びていた → この連なる山脈の中で唯一の山峡へと向かっていた
2011/12/21 記述修正 呼び出すとか言った様に → 呼び出すとか
2011/12/21 記述修正 好転する気配は無さそうだ → 好転しそうもない
2011/12/21 記述修正 私は考察で判断し兼ねる → 考察で判断し兼ねる
2011/12/21 記述修正 最初に向いていた方向こそが → 私は最初に向いていた方角こそが
2011/12/21 記述修正 目指すべき方向であろうと決断した → 目指すべき方向であろうと判断した
2011/12/21 記述修正 町からやって来る者達とはどの様に行動しても、彼等はこちらを → 集落からやって来る者達が、こちらを
2011/12/21 記述修正 どの道遭遇するであろう → どの様に行動してもいずれ遭遇するであろう
2011/12/21 記述修正 もう既に手遅れかも知れないが、今ここでそちらへと → 今ここでそちらへと
2011/12/21 記述修正 確実に追いつく機会を逸するのは確実だろう → 追いつく機会を逸するのは確実だ
2011/12/21 記述修正 地面は土から石へと変わっていて → 地面は草の茂る柔らかい土から、小石混じりの土砂へと変わっていて
2011/12/21 記述修正 うっすらと残っているかに見えた → うっすらと残っているのを見つけた
2011/12/21 記述修正 状況を思い出して → 状況の記憶を呼び起して
2011/12/21 記述修正 向いていた方角を思い出した → 向いていた方角を確認した
2011/12/21 記述修正 どれだけ嗅ごうと努力しても駄目であった → どれだけ嗅ぎ取ろうと努力しても、鼻が無いからか無理であった
2011/12/21 記述修正 軽快な動作が可能に → この様な動作が可能に
2011/12/21 記述修正 感覚的に私には四肢は → こうなると私には四肢は
2011/12/21 記述修正 付いていないとしか思えなかった → 付いていないとしか思えない
2011/12/21 記述修正 それらは結局判らぬまま → それらは結局判らぬままに
2011/12/21 記述修正 どうやら私の体は → ここまでの道中でどうやら私の体は
2011/12/21 記述修正 物理的な存在は移動するのには → 物理的な存在は移動の際に
2011/12/21 記述修正 最短距離を突き進んで行く → 突っ切ってひたすら真っ直ぐに突き進んで行く
2011/12/21 記述修正 その数は確認する度に光点は増えていて → 確認する度にその数は増えていて
2011/12/21 記述修正 血痕は迷い無く、真っ直ぐに → 血痕は進める道を的確に選ぶべく蛇行しつつ、
2011/12/21 記述修正 この血痕の先を進む者は → どうやらこの先を進む者は
2011/12/21 記述修正 これは召喚者の声が → この仮説は召喚者と思しき声が
2011/12/21 記述修正 この先に居るのが召喚者なのか → この先に居るのが声の主たる召喚者なのか
2011/12/21 記述修正 子供と思えたところとも一致する → 子供と思えたところとも符合するものの、そうなるとこの先に居るのが召喚者なのか
2011/12/21 記述修正 只の水よりは粘度が高いのと、無色透明では無いのが判り → 薄明かりの下で正しい色も匂いも判らないのだが
2011/12/21 記述修正 匂いが判らないのと薄明かりの下で正しい色も判らないのだが → 只の水よりは粘度が高く、少なくとも無色透明では無いのが判り
2011/12/21 記述分割 低い草が増えて、やがて周囲は → 低い草が増えて行く。やがて周囲は
2011/12/21 記述修正 今までよりももっと背の低い草が増えて行く → もっと背の低い草が目につき始める
2011/12/21 記述修正 残っていないかの確認をしながら → 残っていないか、確認をしながら
2011/12/21 記述修正 巫女としての資格が無い等と言った様な感じで → 術者としての資格が無い等の
2011/12/21 記述修正 その土地毎の信仰に → その信仰固有の制約に
2011/12/21 記述修正 子供の術師が → 子供の術者が
2011/12/21 記述修正 ものの数秒で私は → 約十秒程度で
2011/12/21 記述修正 周囲の全方位を確認する事に → 自分を中心とする周囲を、水平に一周して確認する事に
2011/12/21 記述修正 更に新たに思いついた仮説を確認すべく → 言わばこれは眼球のみの体ではと言う仮説を確認すべく
2011/12/21 記述修正 一定方向への視点の連続的な変更を → 視野の確認を
2011/12/21 記述修正 ゆっくりと目を開けて向いている方を見ると、今は夜なのか → 今は夜なのか
2011/12/21 記述修正 周囲は真っ暗で空には雲で月も星も見えず → 周囲は暗くて月や星も見えず
2011/12/21 記述修正 ものの二十分程度移動したところで → 一時間程移動したところで
2011/12/21 記述修正 まだ何も判らぬままに → まだ殆んど状況が掴めぬまま
2011/12/21 記述修正 とりあえず召喚者と行うべき目的は → 召喚者と行うべき目的は
2011/12/21 記述修正 糧の状況についての確認は → とりあえず糧の状況については
2011/12/21 記述修正 出発する前に確認しておくべきだと → 出発する前に把握しておくべきだと
2011/12/21 記述修正 糧の残量と消費状況を確認しておく事にした → 残量と消費状況を確認する事にした
2011/12/21 記述修正 若しかすると横方向だけでなく → 若しかすると水平方向だけでなく
2011/12/21 記述修正 縦方向の回転も出来てしまうのかも知れなかったが → 垂直方向の回転も出来るかも知れないが
2011/12/21 記述修正 これは試すのも止めておいた → これは試さなかった
2011/12/21 記述修正 在るのかすら怪しいと感じた → 在るのかすら怪しい
2011/12/21 記述修正 この山脈の麓の一番高い地点へと → この位置から山脈を越えるのに通ると思える谷間へと
2011/12/21 記述修正 真っ直ぐに向かう事にした → 最短距離で向かう事にした
2011/12/21 記述修正 少人数の追手の集団の中には → 先行して来る少人数の追手の集団の中には
2011/12/21 記述修正 ここへ辿り着いたと同時に → ここまで辿り着いた頃には
2011/12/21 記述入替 私は高度を維持したまま~ その他の方向については~ → その他の方向については~ 私は高度を維持したまま~
2011/12/21 記述修正 移動する様に念じてみるが → 移動する様に強く念じてみるが
2011/12/21 記述削除 今のところ、ここでは風の音と~
2011/12/21 記述修正 試すまでも無い、論外だ。霞の体には → 試すまでも無く、霞の体には
2011/12/21 記述追加 この確認結果を纏めると~
2011/12/21 記述修正 私は覚悟を決めてから足元へと → 私は覚悟を決めて足元へと
2011/12/21 記述修正 地中の穴を掘ったような → 地中の穴を掘った様な
2011/12/21 記述修正 蚯蚓や土竜のように → 蚯蚓や土竜の様に
2011/12/21 記述修正 自分の進行方向の確認と → 自分の進行方向と
2011/12/21 記述修正 時々上空へと舞い上がりつつ → 時々上空を浮遊しつつ
2011/12/21 記述修正 追う側かそれとも終われる側か → 果たして召喚者は追う側かそれとも終われる側か
2011/12/21 記述修正 ざっと5mと見積もって → ざっと5mと見積もると
2011/12/21 記述修正 私がいるのは地上から → 私が浮いているのは地上から
2011/12/21 記述削除 五感に関しては~
2011/12/21 記述修正 次に私は、この体の → その答えは考えても判る物では無いので、五感に関してはこんなものであろうと判断すると、次に私はこの体の
2011/12/21 記述修正 もうすぐ谷間で最高度の地点が見えると言うところで → その地点が見えてきたと言うところで
2011/12/21 記述修正 その頂点に何者か → その場所に何者か
2011/12/21 記述修正 居場所を考え始めた → 居場所について考え始めた
2011/12/21 記述修正 明かりに思えるのに対して → 明かりに思えるのに対し
2011/12/21 記述修正 町からこちら側の明かりは → 集落からこちら側の明かりは
2011/12/21 記述修正 この位置から地上を見渡すと → この位置から遠方を見渡すと
2011/12/21 記述修正 森の中であるのが判った → 深い森の中であるのが判った
2011/12/21 記述修正 樹の高さを考えると → 樹木を見て考えると
2011/12/21 記述修正 そよ風に流される小さな木の葉の様に → そよ風に流される綿毛の様に
2011/12/21 記述修正 次に私は前方へと進むべくその様に → 次に前方へと進むべく
2011/12/21 記述修正 歩く程度の速さしか出なかった → 歩く程度の速さでしか進まなかった
2011/12/21 記述修正 聞き取れているのだから、まあ十分であろう → 聞き取れているので、問題なさそうだ
2011/12/21 記述修正 二文字か三文字程度で → 二、三文字程度で
2011/12/21 記述修正 目的地へと目指す事にして → 進む事にして
2011/12/21 記述修正 若しかすると儀式を部分的に → 若しかすると儀式が部分的に
2011/12/21 記述修正 これは意外にあっさりと成功した → これは意外にあっさり成功した
2011/12/21 記述修正 どの方向へと進んでみても → どの方向へ進んでみても
2011/12/21 記述修正 私はまず動く前にこの周辺の風景を → 私はまず動く前に周辺の風景を
2011/12/21 記述追加 そこは左右の山裾がぶつかる~
2011/12/21 記述修正 まだそこまでははっきりとは → まだそこまではっきりとは
2011/12/21 記述修正 味わったりするのも出来やしまい → 味わったりするのも出来はしまい
2011/12/21 記述修正 やはり同じくゆっくりとした速度で → やはり先程と同じく、ゆっくりとした速度で
2011/12/21 記述修正 真上へと視界が上昇して行くので → 視界が上昇して行くので
2011/12/21 記述修正 真上へと移動を試みる → 真上への 移動を試みる
2011/12/21 記述修正 視線の切り替わりの遅さが → 視界の移動速度が
2011/12/21 記述修正 あの街にとっても → あの集落にとっても
2011/12/21 記述修正 それは町の方では無く → それは集落の方では無く
2011/12/21 記述修正 存在には不可能であろう、視野の確認を → 存在には不可能な、視野の確認方法を
私は暗闇の中にいる。
目の前には、薄暗い地中の穴を掘った様な、脆い土壁の狭いトンネル。
私は、蚯蚓や土竜の様に半ば這いずりながら、奥へと進んでいく……
向こう側へと降り立つ直前、遠くから何か声が聞こえた様な気がした。
その声は、あまりにか細くて良く聞き取れなかったのだが、恐らく最初に神の名を呼んでから、次に誰かの名を呼んでいて、その後にその者の救済を求めるかの様な声に聞こえた。
その誰かの名は二、三文字程度で、語尾に敬称を付けて呼んでいた事から、地位の高さを表す様ではあるが、肝心な名称が良く聞き取れない。
この声の持ち主が召喚者なのだろうと思えるが、声色からしてかなり若い女の様だった。
微かに響くその声には幾つかの感情、切望・悲嘆・悔恨が含まれていた様に私には感じた。
それと同時に、目の前に残像の様に広がったものがあり、その第一印象は、夕陽であった。
視界いっぱいの大きさのそれは、まるで夕陽の様な鮮やかな橙色の中に、幾重もの白い線が走っている、そんな物だった。
今見えた物は一体何だったのだろうか、そして声は私へ何と告げていたのだろうか、それらは結局判らぬままに、向こう側の地へと私は降り立った。
今回はここに着く前の道中が酷く狭苦しい感覚を受けていたので、こちら側へと辿り着くと、随分と体が軽くなった気がしていたのだが、それは強ち間違ってもいなかったのがすぐに判った。
何故なら今回の私の体は、宙に浮いていたからだ。
それは勿論、翼で以って必死に羽ばたいているのでは無く、そよ風に流される綿毛の様に、右へ左へと自分が揺さぶられているのが判る程に軽く、何の苦も無く舞い上がっている。
体がそよ風で揺れていると言う事は、つまりその程度の質量しか無い肉体であると言う証明であろう。
今は夜なのか周囲は暗くて月や星も見えず、更に目の前には濃霧が立ち込めており、やたらと周囲が白く霞んでいるのが見えた。
光の無いこの状況で、周囲がある程度見えていると言う事は、この器はどうやら夜目が利くらしい。
周辺は一見したところ、どうやら深い森の中だろうか。
人工的な建物は何ひとつ見当たらず、密度の高い草むらと背の高い木々が取り囲む、鬱蒼とした森の中にしか見えない。
周囲の草や樹木を見て考えると、自分の視点は大体2m程の高さであり、通常の人間よりは高い位置に目があるのは判った。
私は次に自分の腕を持ち上げるべく動かそうと試みるが、感覚的には何も感じず、そもそも腕が在るのかすら怪しい。
これは足も同様で、こうなると私には四肢は付いていないとしか思えない。
私は覚悟を決めて足元へと視線を移してみると、微風にたゆたう体の原因が判明した。
私の体は今回、完全に只の煙なのか、或いは霧や霞の様であった。
足も無ければ腕も無いし、恐らく頭も胴体も何も無いのだろう、周囲がかなり煙る様に霞んでいるのも、それは自分の器そのものである白い煙が、自身の視界を覆っているからだと判った。
私は念の為に頭上、即ち上を見る様に体を動かしてみると、頭部や眼球を動かした感覚は無いのだが、まるで世界が私の見たい方向へと角度を変えたかの様に、望んだ方向の状態を見る事が出来ていた。
この結果から、これは眼球のみの器なのではと言う仮説を確認すべく、私は通常の動物やそれを模して作られた存在には不可能な、視野の確認方法を試みた。
すると意外と容易く世界は一定の速度で回転して行き、約十秒程度で自分を中心とする周囲を、水平に一周して確認する事に成功した。
この器、と言うよりこの体は、精巧な実体を持っていないからこそ、速度はかなり遅いものの、この様な動作が可能になっているらしい。
若しかすると水平方向だけでなく、通常ならば体を相当に動かさなければ出来ない、垂直方向の回転も出来るかも知れないが、私自身がその様な角度の視界に慣れていないのと、その必要性をあまり感じなかったので、これは試さなかった。
視覚は通常の肉体の器よりも融通が利くのが判ったが、その他の感覚については、あまり期待出来そうに無いと感じていた。
まず聴覚だが、これは風の音が聞き取れているので、問題なさそうだ。
触覚については試すまでも無く、霞の体にはそよぐ風の感覚すら無いのだから、物体に直接触れるのはほぼ不可能であろう。
嗅覚もどうやら存在しないらしく、何らかの匂いがあっても良い筈の森の中で、どれだけ嗅ぎ取ろうと努力しても、鼻が無いからか無理であった。
味覚もそもそも口も無いのだろうから、何かを食したり味わったりするのも出来はしまい。
この確認結果を纏めると視覚と聴覚以外は無く、私の体は眼球と耳しかついていない、煙に覆われた怪物と言う事になってしまうのだが、これで正しいのだろうか。
その答えは考えても判る物では無いので、五感に関してはこんなものであろうと判断すると、次に私はこの体の移動能力について確認に入った。
先程回転して周囲を確認した時の、視界の移動速度がかなり気になっていたのだ。
通常無意識に動作をした場合、最大限の力を出した時と比べればそれよりは当然遅いだろうが、かと言っても実際には、自身が適度と認識する速度で動こうとするだろう。
それがあれだけのゆっくりとした速度、形容するならば子供が歩く程度の速さでしか進まなかった。
もしや、あれが私の動ける最大に近い速度ではないか、と言う予感がしていたのだ。
それを確認すべく、私はまず動く前に周辺の風景を注意深く確認して、召喚時にどの位置にどちらを向いていたかを記憶した。
次に前方へと進むべく念じてみると、やはり予感は的中して、回転した時と変わらない速度で、若干横風に流されつつ前方へと移動した。
念の為、もっと素早く移動する様に強く念じてみるが、速度には何の変化も無くほぼ水平に移動を続けている。
この後、左右や後ろへの移動も同様に確認するが、前方へと進んだ時と変わらずに、どの方向へ進んでみても一定の速度しか出ないのが判明した。
後は実体を持たない体であるなら、可能かも知れないと判断して、真上への移動を試みる。
移動の際は、只向かいたい方角へと念じるだけで、体が動くのは理解出来ていたので、後は動けるかどうかだったのだが、これは意外にあっさり成功した。
やはり先程と同じく、ゆっくりとした速度で視界が上昇して行くので、とりあえずいけるところまで試すと、やがて生い茂る木々を超えて、その倍程度の高さまで上がったところで、上昇は停止した。
木の高さをざっと5mと見積もると、私が浮いているのは地上から10m程度の位置であろうか。
この位置から遠方を見渡すと、自分の召喚された場所が山岳地帯の麓付近で、大小の丘陵が連なる深い森の中であるのが判った。
召喚当初に向いていた方角を見てみると、その先は暫く丘陵地帯が続いた後に、高い山脈の中でも一番低い山麓へと向かっている。
その他の方向については、どちらも同じく丘陵地帯の外側に山脈があり、どうやらこの場所は、山脈に周囲を囲まれた地域であるのが判って来た。
私は高度を維持したまま、水平方向へと回転して周囲を見渡してみると、向いていた方の逆側の遠方には無数の光が密集して見えており、規模までは判らないがそこには人間がいて、集団で生活している場所なのだろうと推測出来た。
点々と見える光点は、光が固まっている場所から更に向こう側へと伸びていて、その先にはこの連なる山脈の中で唯一の山峡へと向かっていた。
恐らくあれが主要な街道へと続く道なのであろう。
しかし向こう側に見える光点はどれも停止していて、家から漏れる明かりに思えるのに対し、最も光の集まっている集落からこちら側の明かりは、数もずっと多くちらちらと瞬いていて、目を凝らして見ると動いているのも確認出来た。
更にこちら側の光点は向こう側とは異なっていて、数個の光が固まってその小さい集団が広く分散しており、単独若しくは少人数の人間達が夜間に繰り出しているかに見える。
この光景から想像出来るのは、夜行性の獣の狩りか、それとも侵入者か逃亡者の捜索、つまり山狩りであろうか。
光点はまだ私のところまでは来ていないものの、光の移動速度は明らかに私よりも速く、追いつかれるのは時間の問題と思える。
だがそれは直線で迫られた時の、純粋な距離と速度から求めた比較であるから、実際にはこちらへと近づくにつれて道は無くなり、蛇行や迂回を繰り返して進む事を計算に入れれば、速度としてはいい勝負と言ったところだろう。
ここで私は、自分の召喚者の居場所について考え始めた。
この状況で追手側に召喚者がいるのであれば、まずは自分の傍へと呼び出して、共に捜索へと向かうのではないだろうか。
それとも私は足止めとして、先回りさせて待ち伏せする為の駒と言う可能性も、有り得るかも知れないが、それならせめて何をするのかは、判る様にして有りそうなものだと思える。
例えば、待ち伏せであるならその場から動かない様に指示があるとか、或いは初めから移動出来ない形状で呼び出すとか。
若しかすると儀式が部分的に失敗していて、それが正しく伝わっていないと言う想定も出来るが、それよりも気になっているのが、召喚時に耳にしたのは若い女、と言うよりも子供の声に聞こえた事だ。
このような大勢の人間を投入しての狩りや捜索に、子供の術者が使われるであろうか。
いや、それは子供でなければ術者としての資格が無い等と言った、その信仰固有の制約に因っては十分に有り得る話か。
耳にした声からすると追われる側の様に思えるのだが、いまいち現状からはその確証が得られない。
ここで私は召喚当初の状況の記憶を呼び起して、始めに向いていた方角を確認した。
それは集落の方では無く、真逆の方向であった。
もうこれ以上この場所で待っていても、何も事態は好転しそうもない。
考察で判断し兼ねるのであれば、自身の状態で判断する事にして、私は最初に向いていた方角こそが、目指すべき方向であろうと判断した。
集落からやって来る者達が、こちらを目指して進んでいるからには、移動速度も大して速くも無い私は、どの様に行動してもいずれ遭遇するであろう。
しかしもしこの先に追うべき者がいるとすると、今ここでそちらへと向かわなければ、追いつく機会を逸するのは確実だ。
果たして召喚者は追う側かそれとも終われる側か、それすらも判らないが、こちらの方向にその対象のものがあると信じて、とりあえず山岳方面のあの山裾を目指して進んで見る事に決めた。
移動すると決めると今度は、この高度で移動するべきか、それとも地上に近づいて移動すべきかを一瞬迷ったが、目標の存在は恐らく人間で空は飛ばないのではないかと推測し、手がかりも見つけられる地表付近の高さで進む事にして、再び地面近くへと自身の高度を下げた。
召喚者と行うべき目的は謎であるが、とりあえず糧の状況については、出発する前に把握しておくべきだと判断して、残量と消費状況を確認する事にした。
すると、この煙の様な器の維持に必要な糧はかなり少なく、浮遊霊の様に何もせずに存在しているだけであるなら、別段問題は無いのが判ったが、捧げられている糧の量はそれ程多くは無く、もし器の持つ力がそれなりに大規模であるならば、一回の発動で私は消滅するかも知れない。
何が出来るのかはまだ良く判らないが、何をするにしても、これは慎重に事に及ぶ必要がありそうだと自覚した。
こうして私はまだ殆んど状況が掴めぬまま、とりあえず移動を兼ねた探索を開始すべく、この場所から動き出した。
丘陵地帯は大小無数の瘤の様な丘が隆起する、獣道も無い様な場所で、そこを私は濃霧の姿で粛々と進んで行く。
状況からすると急ぎたいのだが、それはどうやっても叶わないのは確認済みなので、もう急ぐのは諦めて、せいぜい何かの痕跡でも残っていないか、確認をしながら奥地へと進んだ。
暫く進むと地面は僅かに登りの傾斜がつき始めていて、それと同時に周囲に茂っていた植物の種類が変わって行き、1m近くあった背の高い草は減り始めて、もっと背の低い草が目につき始める。
やがて周囲は緩やかな登り坂となり、木々も今までよりも低い潅木へと変わって植物の密度も下がり、視界も大分開けてきた。
どうやら丘陵地帯を抜けて、山脈の麓へと入ったらしい。
ここまで辿り着いた頃には、曇っていた空も晴れてきて、半月の月明かりが辺りを照らし始めたのに気づいた。
すると、地面に何か水の様な物が滴って濡れた後があるのを見つけて、私は地面に視界を近づけてそれを確認してみた。
それは薄明かりの下で正しい色も匂いも判らないのだが、只の水よりは粘度が高く、少なくとも無色透明では無いのが判り、恐らくこれは血ではないかと推測した。
私は周囲を隈なく探して同様の血痕を捜索し、約3m先の山岳方向に新たな血痕を見つける事が出来た。
次にその二点間を足跡が無いかをじっくりと観察して、この辺りの地面は草の茂る柔らかい土から、小石混じりの土砂へと変わっていて非常に判りづらいものの、人間の足が山岳方向へと向かった様な、地面の小さな窪みらしき形跡が、一定の間隔でうっすらと残っているのを見つけた。
これは非常に微かな跡である事から、それはつまり、体重の軽い人間の足跡である事の証明では無いかと推測した。
この仮説は召喚者と思しき声が、子供と思えたところとも符合するものの、そうなるとこの先に居るのが声の主たる召喚者なのか。
私は血痕と微かな地面の窪みを見出しながら、その跡を辿って再び山岳方向へと進み始めた。
進み始めてから、また暫く時間が流れた。
夜空の半月の位置はそれと共に動き、現在は最初に見えた時よりも、明らかに低い位置へと移動しているのが判った。
自分の進行方向と、後方の山狩りの状況を確認する為に、時々上空を浮遊しつつ、私は血痕の後を追って黙々と進んでいた。
血痕は進める道を的確に選ぶべく蛇行しつつ、山脈の一番低い麓を目指していて、どうやらこの先を進む者は、この辺りの地理に詳しいのではと思われた。
後方の明かりの方は、確認する度にその数は増えていて、今では百を超えているだろうか。
追手は虱潰しに捜索しているらしい、横一列に並んでゆっくりと進む本体と、先行してこちらへと突き進む、灯りの数からして四人単位の幾つもの集団との二手に分かれて来た様で、先行して来る少人数の追手の集団の中には、私が現れた丘陵地帯へと入り始めているのも見えている。
これだけ大掛かりな捜索をしていると言う事は、あの集落にとってもこの先にいる者は、重要な存在だと言う事なのか。
まだそこまではっきりとは言い切れないが、少なくとも単なる狩りの可能性だけはもう無くなっているだろう。
私はここで歩みを少しでも早める為に、この逃亡者が最も効率の良い道を選択していると踏んで、この位置から山脈を越えるのに通ると思える谷間へと、最短距離で向かう事にした。
ここまでの道中でどうやら私の体は、物理的な存在は移動の際に全く障害にならないのが判り、草も木も岩も突っ切ってひたすら真っ直ぐに最短距離を突き進んで行く。
もうかなり山を登っていたらしく、感覚的な時間にして一時間程移動したところで、目的地と定めた場所が視野に入ったのが判った。
そこは左右の山裾がぶつかる山脈の谷間で、こちらから見るとなだらかな上り坂の頂点に当たる箇所であり、この一帯は草木や岩も少なく見通しが良いが、その先は下りになっているらしくこちらからは見えていない。
その地点が見えてきたと言うところで、その場所に何者か人影が立っているのが見えた。
ついにと言うべきかやっとと言うべきか、ここまで追いかけていた逃亡者を、とうとう発見した。