第九章 初恋 其の三
変更履歴
2011/10/24 誤植修正 例え → たとえ
2011/11/30 誤植修正 膝まづき → 跪き
2011/12/05 誤植修正 屋敷のとその周辺だけの → 屋敷とその周辺だけの
2011/12/05 誤植修正 今まで以上ににそれに苛まれ → 今まで以上にそれに苛まれ
2011/12/05 誤植修正 愛なら恋やらと言った → 愛やら恋やらと言った
2011/12/05 誤植修正 頭を下げる娘へと見つめつつ → 頭を下げる娘を見つめつつ
2011/12/05 誤植修正 娘が要請の発する言葉を → 娘が妖精の発する言葉を
2011/12/05 誤植修正 サラ、ニ、ハク、シヤ、ク、 → サラ、ニ、コウ、シヤ、ク、
2011/12/05 誤植修正 ハク、シヤ、ク、ノ、コト、バ、 → コウ、シヤ、ク、ノ、コト、バ、
2011/12/05 誤植修正 右手で自分の頭へと手を置いた → 右手を自分の頭へと置いた
2011/12/05 句読点調整
2011/12/05 詠唱表記 ひらがな → カタカナ
2011/12/05 記述修正 、ハ、 → 、ワ、
2011/12/05 記述修正 、ニハ、 → 、ニワ、
2011/12/05 記述修正 シカ、シ、カレ、ラ、 → ソレ、ニ、タイ、シ、
2011/12/05 記述修正 自分の周りには、おやしき、と言うのは → 娘の説明にあるおやしきと言うのは
2011/12/05 記述修正 領地内にある屋敷なのだろうが → 領地内にある住居の建物なのだろうが
2011/12/05 記述修正 この娘は、そういった閉ざされた環境で → そういった閉ざされた環境で
2011/12/05 記述修正 他に会うのは王侯貴族達 → 他に会うのは身内が大半のごく僅かな貴族達
2011/12/05 記述修正 そんな暮らしをずっとして来た → そんな暮らしをずっとして来たのだろう
2011/12/05 記述修正 しかし屋敷内では、他の貴族とも会っていたと言うのだから、これは違うのだろう → それは特に確信も無くて想像の域を出ず、その理由は判らなかった
2011/12/05 記述修正 おとこのこに、こいごころを、いだいている、のでしょうか → おとこのこの、ことが、すき、なのでしょうか
2011/12/05 記述修正 娘の感情は恋愛の感情を抱いてはいるが → 娘は恋愛の感情も多少は抱いてはいるが
2011/12/05 記述追加 この紙も読み終わった合図を送っても~
2011/12/05 記述追加 私はそれを見て~
2011/12/05 記述修正 不安の色を強めていくのが → 期待よりも不安の色を強めていくのが
2011/12/05 記述修正 げんいんならば → げんいんでしたら
2011/12/05 記述修正 こたえを、ください → こたえを、しめして、ください
2011/12/05 記述修正 こうして妖精とは言え → こうして人ならざる相手とは言え
2011/12/05 記述修正 娘は歯を食いしばり辱めに耐えるかの様に → 動揺の所為か
2011/12/05 記述修正 体は僅かに震えていた → 体は震えていた
2011/12/05 記述追加 赤毛の姿を晒すのは~
2011/12/05 記述修正 恥辱に満ちた顔には → 恥辱に満ちた痛ましい表情には
2011/12/05 記述修正 今私が思いついている → 今この時点で私が思いついている
2011/12/05 記述追加 糧の渇望に因って~
2011/12/05 記述追加 若しかすると~
2011/12/05 記述修正 手向けの言葉をかけた → 手向けの言葉をかけてみた
2011/12/05 記述修正 あの、ような、まちを、まもる、 → まちを、まもる、
2011/12/05 記述修正 げんいんでしたら → りゆうなのでしたら
2011/12/05 記述修正 理解出来る人間はそうはいないだろう → 理解出来る人間はそういないだろう
2011/12/05 記述修正 婚姻すべき相手を確認しようと → 婚姻すべき相手を確認しようとした、それを知って娘は計画を考えた
2011/12/05 記述修正 しかしそれをこの娘は、自分の心のうちに → 自分の心のうちに
2011/12/05 記述修正 色々と仕掛けを施して → 庇護者である父親を含む大人達を欺く色々な仕掛けを施して
2011/12/05 記述修正 そして暫く経った時に → そして暫く無言の時が経過し
2011/12/05 記述修正 俯いて何かを悩んでいる → その間ずっと俯いて悩んでいる
2011/12/05 記述修正 見せていたかと思うと → 見せていたのだが
2011/12/05 記述修正 何かを書き始めたのが判り → 何か文章を書き始めたのが判り
2011/12/05 記述修正 私は娘へ、もう判った、と言う意で → 娘の痛々しい姿を見るに堪えず、私は娘へと
2011/12/05 記述修正 確認出来た様だ → 確認出来た
2011/12/05 記述修正 そして私は → その後私の体は
2011/12/05 記述修正 消え始めたのだが → 輝きながら消え始めたのだが
2011/12/05 記述入替 娘の聞きたかった答えである~ 後者のは~
2011/12/05 記述入替 この態度から察するに~ これで、たとえあの男が~
2011/12/05 記述修正 回答を聞いた娘の表情は → 回答を聞いた時の表情は
2011/12/05 記述修正 これはつまり → これが単なる比喩でなければ
2011/12/05 記述修正 可能なのではないだろうか → 可能であるのを表していると解釈出来よう
2011/12/05 記述修正 示す様に命じていた → 示す事だ
2011/12/05 記述修正 娘の実際の髪は → 娘の本来の髪は
2011/12/05 記述修正 ほんとうは、なんなのかが、 → なんなのかが、
2011/12/05 記述修正 娘が妖精の発する言葉を理解出来たかも → 音として娘へと伝わったかも
2011/12/05 記述修正 音として娘へと伝わったかも → 娘が妖精の発する言葉を理解出来たかも
2011/12/05 記述追加 ここで私は~
2011/12/05 記述修正 アイ、テ、ワ、ワレ、ノ、 → ワレ、ノ、
2011/12/05 記述修正 別に痩せ気味かも知れないが、病を → 痩せ気味かも知れないが、別に病を
2011/12/05 記述修正 患っている様でも無いし → 患っている様でも無さそうだし
2011/12/05 記述削除 父親からも疎まれている様な印象は受けないので
2011/12/05 記述修正 もっと別の理由でもあるのか → 何か別の理由でもあるのか
2011/12/05 記述追加 これまでずっと母親に関する~
2011/12/05 記述追加 この赤毛が母親の血筋から~
2011/12/05 記述修正 最後の質問の内容が → 最終的な質問の内容が
2011/12/05 記述修正 この娘は相当の箱入り娘で → この娘は
2011/12/05 記述追加 だがここでの私の役目とは~
2011/12/05 記述修正 最後の九枚目の手紙へと → 九枚目の手紙へと
2011/12/05 記述修正 果たして私に語る事が → 果たして上手く語る事が
2011/12/05 記述修正 全く無かったのだから → 全く無かったのだろうから
2011/12/05 記述修正 ウト、マレ、テイ、ル、 → ウト、マレ、テイ、ル」
2011/12/05 記述削除 ソン、ザイ、デ、アル」
「サラ、ニ、コウ、シヤ、ク、ワ、オオ、ク、ノ、ギル、ド、ヲ、
シヨ、ウア、ク、シテ、イテ、コウ、シヤ、ク、ノ、コト、バ、ニワ、
ギル、ド、ワ、サカ、ラウ、コト、ワ、デキ、ナイ、ト、イワ、レテ、イル
ソレ、ニ、タイ、シ、エン、ガン、ブ、ノ、ワカ、イ、キゾ、ク、タチ、ワ、
モト、モト、ワ、ヘイ、ミン、アガ、リ、ノ、ボウ、エキ、シヨ、ウ、ナド、ノ、
ナリ、アガ、リモ、ノ、バカ、リ、デ、アリ、シヤ、クイ、モ、ソレ、ホド、
タカ、ク、ナク、マタ、オオ、ゾク、ニ、チカ、イ、ケツ、エン、ヲ、モツ、
メイ、モン、キゾ、ク、タチ、ニ、ワ、ウト、マレ、テイ、ル」
次の詠唱へと入ったのと同時にめくられた、七枚目の手紙へと目を通す。
『どうして、おなじ、ひとで、あるのに、そのような、ひどい、ことを、おっしゃるのか、わたしには、おとうさまの、おっしゃった、ことばの、いみが、わかりません
わたくしたちが、しゅっせきした、ばんさんかいでは、そのような、みなりの、かたは、ひとりも、いませんでした
みな、うつくしく、きかざっていて、たべものも、のみものも、いくらでも、でてくるし、すきなだけ、たべる、ことも、できます
もちろん、わたくしの、おやしきでも、そこまで、ごうかでは、ないけれど、たべものにも、のみものにも、こまる、ことなんて、これまで、いちどだって、ありません
わたくしの、すむ、おやしきの、まわりにも、あのような、かおを、している、ひとは、だれひとり、いません
しようにんたちにも、へいしたちにも、じじょたちにも、そんな、ひとは、いません』
この娘は、完全に世間から隔絶した世界で生きていたらしい、そう私には思えて仕方が無かった。
娘の説明にあるおやしきと言うのは、領地内にある住居の建物なのだろうが、どうやらそれは別荘の様な、普通の平民が通る街道や街の近くには無い場所だったのだろうか。
そういった閉ざされた環境で、身の回りの世話をする侍女や使用人、警護している衛兵等に囲まれて、他に会うのは身内が大半のごく僅かな貴族達、そんな暮らしをずっとして来たのだろう。
だから今回の道中で、自分に従う者ではない、同等の身分の人間でもない、見知らぬ人間を始めて見たのかも知れない。
それにしてもここで私の心中に生じた疑問は、この娘は何故そんな人目を避ける様に育てられていたかだ。
話から想像するに、婚姻の件で晩餐会へと出向くまでに、今までずっと遠出をせず、屋敷とその周辺だけの、狭い範囲で生きていたかに聞こえるのだが。
痩せ気味かも知れないが、別に病を患っている様でも無さそうだし、何か別の理由でもあるのか。
これまでずっと母親に関する記載が無いのが、何かしらの関連がある気もするが、今までの文面では詳細は読み取れない。
単に幼い公女と言う立場では、表には出ないものなのかとも考えたのだが、それは特に確信も無くて想像の域を出ず、その理由は判らなかった。
まあいずれにしても、大貴族の御令嬢とは言え、行動の自由は全く無かったのだろうから、それは同情に値する生き様かも知れない。
そんな風に私は思いつつ、娘へと合図して次を促し、詠唱の途中でめくられた、八枚目の手紙へと目を通す。
『なぜ、あの、ひとたちは、まちを、まもる、へいの、なかでは、なくて、その、そとに、すんでいる、のでしょうか
なぜ、わたくしたちは、とても、しあわせなのに、あの、ひとたちは、あんなに、つらく、くるしそうに、している、のでしょうか
なぜ、わたくしたちは、なにも、していないのに、あの、ひとたちは、あんなに、うらめしそうに、わたくしたちを、みている、のでしょうか
なぜ、わたくしたちは、いつも、みたされて、いるのに、あの、ひとたちは、あんなに、うえていて、わたくしたちに、それを、つたえる、のでしょうか
なぜ、わたくしたちは、たくさんの、ものを、もって、いるのに、あの、ひとたちは、あんなに、なにも、もっていない、のでしょうか
なぜ、わたくしたちと、あの、ひとたちは、こんなに、ちがう、のでしょうか』
私はこの娘の手紙を読み終えると、最後に出されるであろう質問に対する答えを、果たして上手く語る事が出来るだろうかと、不安に感じ始めていた。
何故なら、この娘に身分の違いと言うものを、理解させるだけの自信が、この時既に私には無くなっていたからだ。
娘の持つ世界には、同じ人間としての貴族と、自分に従う使用人達、この二種類しかなく、この二つの人間はどちらも、必要なものを持っている者達であると、認識しているのは間違い無い。
つまり結果として、娘にとっては全ての人が自分と同じ様に、満たされていて当然なのであろう。
それが、そうではない存在を目にして、それらが虐げられるのを見て、始めて疑問に感じたのだ。
ここまで来ると、娘が感じていた感情は色恋沙汰などでは無く、地位や身分の違いから来る、貧富の差に対する疑問であるのが明確になっていた。
今まで自分と違う者など存在していなかったのに、それが突然現れたとして、それをすぐにこう言うものなのだと説明されて、理解出来る人間はそういないだろう。
私はこの娘の問い掛けが何処へ向かうのかについて、強く不安を覚えていた。
冗長な説明をしたところで、この娘には理解出来ないであろうし、かと言って端的に伝えても、それでは意味すら通じまい。
後は、最終的な質問の内容が、単純なものへと帰結している事を祈るだけである。
私は読み終えた合図に、娘へと頷いて見せると、娘も僅かに頷き返して、この紙の詠唱を終えて次の紙の詠唱へと切り替えて行く。
「メイ、モン、ノ、コウ、シヤ、クケ、ノ、ダイ、ニ、コウ、シカ、
シン、コウ、セイ、リヨ、ク、ノ、シ、シヤ、ク、ノ、ダイ、イチ、コウ、シカ、
コノ、フタ、リ、ノ、ウチ、ドチ、ラ、ノ、イエ、ガ、ワガ、ハク、シヤ、クケ、ニ、
トツ、テ、リエ、キ、ト、ナル、ノカ、ソレ、ヲ、ナン、ジ、ニ、トウ
ミラ、イ、ノ、ワガ、ハク、シヤ、ク、ケ、ニ、ハン、エイ、ヲ、モタ、ラス、
ワレ、ノ、コン、ヤク、スベ、キ、アイ、テ、ワ、ドチ、ラ、ナノ、カ
サア、ニン、ゲン、ノ、ココ、ロ、ヲ、アヤ、ツリ、モテ、アソ、ブ、トラ、ワレ、ノ、
ジヨ、ウオ、ウ、ヨ、ソノ、チカ、ラ、ヲ、モツ、テ、ミラ、イ、ヲ、ミト、オシ、テ、
ワガ、トイ、ニ、ウソ、イツ、ワリ、アヤ、マリ、ナク、コタ、エヨ」
次の詠唱へと入ったのと同時にめくられた、九枚目の手紙へと目を通す。
『わたくしには、あの、こちらへ、むかって、こわい、めを、して、にらんでいた、おとこのこの、かおが、わすれられない、のです
あんな、おそろしい、めで、こわい、かおで、ほかの、ひとから、にらまれたり、した、ことは、いちどだって、ありません
それが、とても、こわかったから、だから、なのかも、しれない、けれど、わたくしには、ほんとうに、それだけなのか、わからない
この、きもちが、なんなのかが、わたくしには、わからない、のです
もしかしたら、もう、ておくれかも、しれない、けれど、もし、まだ、いきて、いるのなら、わたくしは、あの、おとこのこにも、しあわせに、すごして、もらいたい
もっと、わたくしが、おおきければ、あの、おとこのこにも、あの、ひとたちにも、なにか、して、あげられるのかも、しれないと、おもう、のです
あの、まちの、そとの、ひとたちも、わたくしと、おなじように、しあわせに、なっては、いけない、のでしょうか
どうか、おしえて、ください、じょうおうへいか
わたくしは、あの、まずしい、おとこのこの、ことが、すき、なのでしょうか』
この紙も読み終わった合図を送っても、娘はもう次の紙を見せようとはせずに、誤魔化しの詠唱も唱え終えて口を閉じ、こちらの様子をじっと見つめていた。
私はそれを見て、娘の問い掛けが完了したのを把握し、今度はこちらが娘へと回答する番になったのを理解して、考察し始めた。
伯爵令嬢であるこの娘は、今まで見た事の無かった身分の人間を目撃して、その時に生じた自分の感情を理解したくて私へと問うて来た。
恐らく父親が仕組んだ伯爵家の未来を見定める為の、言わば恋占いとも言えるこの召喚で、婚姻すべき相手を確認しようとした、それを知って娘は計画を考えた。
自分の心のうちに生じた迷いを晴らす為に、庇護者である父親を含む大人達を欺く色々な仕掛けを施して、それを実行した。
そして今、私からのその答えを待っている、これが現状である。
人間の色恋沙汰を操る事が出来るらしい、妖精の女王たる私の判断が正しければ、娘は恋愛の感情も多少は抱いてはいるが、それだけではないだろう。
しかしながらそれを告げたところで、半年もの間続いているこの娘の悩みは終わる事も無く、寧ろ更にその悩みは大きくなり、より強く心は苛まれて行くのではないだろうか。
恋なのだと伝えれば、それを成就させたいと望み、今回の様な無謀とも言える試みを企てて、己の心に忠実であろうとし、恋ではないと伝えれば、では一体何なのだろうと、今まで以上にそれに苛まれ、答えを見出そうと何かを仕出かす。
どちらの回答であっても、この娘の迷える魂は救済出来ないのではないか、これが私の結論だった。
どうすれば良いのか、どの様に答えればこの娘は救われるのか、私は名案を求めて熟考してしまい、その間私からの回答を待つ娘の顔は、期待よりも不安の色を強めていくのが判った。
そして暫く無言の時が経過し、娘はその間ずっと俯いて悩んでいる様子を見せていたのだが、何かを決心したらしく、顔を上げて床に座り込み目の前にあった棘のある花を一本抜き取って、その棘で自分の右手の指先を刺した。
その刺し傷から溢れ出てくる自分の血で以って、今まで私へと読ませていた手紙の裏へと、何か文章を書き始めたのが判り、私は思考を中断してその行動を見守った。
娘は何度も自分の指を傷つけながら血文字を綴り続け、私へと伝えたい新たな手紙を書き上げると、それを左手で掲げつつ、まだ血が滴る右手を自分の頭へと置いた。
『しんあいなる、じょうおうへいか、わたくしの、しつもんに、こたえて、いただけないのは、へいかに、たいして、かくしごとを、しているから、でしょうか
おとうさまには、ぜったいに、あかしては、ならぬと、きつく、いわれて、いたけれど、それが、こたえを、いただけない、りゆうなのでしたら、いま、ここで、わたくしの、ひみつを、あきらかに、いたします
ですから、どうか、おねがいします、わたくしの、まよいを、はらす、こたえを、しめして、ください』
今見せている血文字の手紙の筆跡と、今まで読まされていた手紙の筆跡は、同じなのが判り、特に疑っていた訳でもなかったのだが、これでこの娘が自ら今までの手紙を書いていたのが証明された。
それよりも今は、この娘が秘密を明らかにする為にとった行動に、驚かされた。
娘は、自分の黒い髪を、剥ぎ取ったのである。
あの艶やかな黒髪は、鬘だったのだ。
娘の本来の髪は、はみ出る事の無い様にとの配慮か、整えられていたとは言え、伯爵令嬢のうら若き淑女とは思えない、少年の様な肩にも届かない程の短髪で、その髪は鮮血や炎を連想させる、鮮やかな赤毛だった。
こうして人ならざる相手とは言え、この秘密を知る者以外に見せるのは始めてなのだろう、娘は動揺の所為か体は震えていた。
赤毛の姿を晒すのは相当な辱めに当たるらしく、娘の頬ははっきりと判るほどに紅潮し、瞳は潤み今にも涙が零れそうになっていたが、それでも娘は私から目を背けずにその屈辱に耐え続けている。
あの晩餐会へ連れて行き、婚姻相手を紹介したのは、この忌むべき真実をも踏まえた上で、伯爵家にとって致命的な結果を齎さないかを見定めさせようとしていたのが、今回の召喚の真の目的であった訳だ。
娘の決断のおかげで、ようやく私は真相を知る事が出来た様だ。
推測でしかないが、この娘はこの赤毛に生まれた所為で、遺伝的に劣った子供と言う烙印を押されて、ずっとこの事実を隠蔽する為に、出来るだけ人前にも出さない様にされていたのかも知れない。
それも、只単に人目につかない様にされていただけであれば、私へとその本当の姿を晒すのは、父親からの言いつけを破った罪悪感だけの筈で、これ程恥辱に満ちた痛ましい表情にはなるまい。
これは父親だけでなく、周囲からも自分の劣った外見を何かしらの形で咎められ、自分の髪が恥ずべきものだと扱われて来た結果、この娘の心に劣等感として植え付けられたのか。
この赤毛が母親の血筋から来たものだとすると、正妃ではない側女の産んだ庶子である決して揺るがぬ証とされたのかも知れない。
父親はそれなりに娘を愛してはいたのかも知れないが、それ以上にこの蔑視の対象でしかない容姿を忌み嫌っていたのだろうが、この娘はそんな不幸な扱いを受けても幸せだと認識していたのだとしたなら、不憫としか言い様が無いと感じた。
娘の痛々しい姿を見るに堪えず、私は娘へと頷いて示し、それを見た娘はもう一度しゃがむと、私へと翳していた最後の手紙を床に置いてから、まだ震えが治まらない両腕で、右手に持っていた鬘を被り直し、乱れた長い髪を手でぎこちなく整えている。
ここまで娘を追い込んだのだから、私としてはその決死の覚悟に答えてやろうと考えた。
その為には、逸早く名案を見出さなければならない。
今この時点で私が思いついている回答では、どちらでも娘は救われないであろう。
これを避ける為に、回答する以上の、私に出来る事は無いのだろうかと、詠唱と手紙の内容を改めて思い返して、この器の持つ力を探る。
すると、力の情報と思われる内容を思い出した。
詠唱では、心を操り弄ぶ、と言っている箇所が、終盤にある。
これが単なる比喩でなければ、ただ単に愛やら恋やらと言った人間の感情を知るだけではなく、操作する事が可能であるのを表していると解釈出来よう。
詠唱で要求されていたのは、その力を使い、より繁栄が望める未来に繋がる方の相手を示す事だ。
だがここでの私の役目とは、単により良い未来を示すだけでは無く、最大限に繁栄を齎す未来を構築すべく、私の力で以って娘の心を惑わすのも含まれていると仮定する。
ならば、その力を用いてこの娘の感情も、操作出来るのではないだろうか。
私はもう暫く考えた後、娘に対して力を行使して娘の感情に手を加えた。
そしてその後に、術の成果を確認すべく、娘へと問い掛けに対する回答と、それから詠唱に対する回答も返した。
娘の聞きたかった答えである、前者の回答を聞いた時の表情は意外そうであったが、その回答を理解したらしく、晴れやかな表情へと変わっているのが見て取れた。
この態度から察するに、私の施した術は半分は成功した様だ。
後者のは、父親とあの男を欺く為に必要な回答を、こちらで娘へと授けたまでに過ぎない。
これで、たとえあの男が読心術でも使えたとしても、この娘は真実を告げた事になるだろう。
ここで私は、今まで満たされ続けていた糧の流れが途絶え始めた事に気づいた。
どうやらこの召喚は、当初の目的を果たすと、糧が遮断される様に仕組まれていたらしい、これもあの男の技なのか。
しかしやるべき事は全てしておいた、私の術の残る半分の結果を知る為には、ロバの紳士の情報以外では、もう一度召喚で遭遇する事だが、この可能性は低いだろう。
糧の渇望に因って自分の器が輝きながら消え始めたのだが、返答後に生じた喉の違和感は解消された状態なのに気づいた。
若しかすると、契約の条件を満たした時点で、糧の流入が途絶えたのと共に発言に対する呪縛も解けているのではと思いつつ、最後に改めて娘を見た。
私へと向かって跪き、臣下の礼をとり頭を下げる娘を見つめつつ、私は最後に娘へと手向けの言葉をかけてみた。
それはもう消える最中であり、音として娘へと伝わったかも怪しいし、また娘が妖精の発する言葉を理解出来たかも判らない。
しかし、声をかけた時に顔を見上げた娘の表情を見て、少なくとも私の言葉は娘の耳へ届いたのは確認出来た。
その後私の体は光に満たされていき、消滅していった。