第九章 初恋 其の一
変更履歴
2011/06/30 誤植修正 今だ → 未だ
2011/10/21 誤植修正 位 → くらい
2011/10/21 誤植修正 乗って → 載って
2011/10/21 誤植修正 我が意志を聞き → 我が意思を聞き
2011/12/02 句読点調整
2011/12/02 誤植修正 繰り返しいてるうちに → 繰り返しているうちに
2011/12/02 誤植修正 膝間づいて → 跪いて
2011/12/02 誤植修正 膝まづき → 跪き
2011/12/02 誤植修正 膝まづいてから → 跪いてから
2011/12/02 誤植修正 言葉を発する事も許さぬ → 言葉を発する事も許さぬ。
2011/12/02 誤植修正 男の言う通りに片方の膝を付いてから → 男の言う通りに跪いてから
2011/12/02 記述修正 建物の一室で → 地上にある建物の一室で
2011/12/02 記述修正 床は絨毯が敷かれている部屋であるのが判った → 天井には火の灯っていないシャンデリアが吊り下がっている
2011/12/02 記述修正 ロバの紳士による講義もあり → ロバの紳士による講義もあって
2011/12/02 記述修正 それの確認を行ってみるが → その確認を行ってみると
2011/12/02 記述修正 まずは容姿を確認してからで → 容姿を確認してからで
2011/12/02 記述修正 器の確認へと → まずは器の確認へと
2011/12/02 記述修正 甘い匂いも非常に気になってくる → 甘い芳香も非常に気になってくる
2011/12/02 記述修正 この花の魔法円は、私の目の前まで近づける様に、 → この花の魔法円は
2011/12/02 記述修正 近づけるようになっており → 私の目の前まで近づける様になっており
2011/12/02 記述修正 外套を着た男 → 外套を着た大男
2011/12/02 記述修正 もう一人の子供、貴族の男の娘か何かであろう、は → 貴族の男の娘か何かであろう子供は
2011/12/02 記述修正 大仰な態度で受け取ってすぐに、 → 大仰な態度で受け取ると、すぐに
2011/12/02 記述修正 数枚の畳まれた紙を取り出すと → 畳まれた紙の束を取り出すと
2011/12/02 記述修正 娘はそれを → 大男に近づかれるのも怖がるかの様に僅かに後ずさりつつ、小さな娘はそれを
2011/12/02 記述修正 両手で受け取った → 恐る恐る両手で受け取った
2011/12/02 記述修正 非合理的にしか見えないからだ → 非合理的にしか見えないのだが
2011/12/02 記述修正 試みているのかとも考えて見たが → 試みているのかとも考えられるが
2011/12/02 記述修正 この時に、 → これらの措置に気づいて
2011/12/02 記述修正 あの不気味な面の → あの不細工な顔の
2011/12/02 記述修正 人間であったのだなと → 人間であったのかと
2011/12/02 記述修正 背中に手を添えて娘を導き → 娘を先に進ませる様に導き
2011/12/02 記述修正 紙を掴み損ねたのか → 掴み損ねたのか
2011/12/02 記述修正 淡い黄色のドレスを纏っており → 淡い黄色のワンピースのドレスを纏っており
2011/12/02 記述修正 その部屋は → 構造的にはそうでもない筈のその部屋は
2011/12/02 記述修正 包んでいるが、背中は大きく開いている → 包んでいる
2011/12/02 記述修正 精巧に出来た人形の指の様で → 精巧に出来た人形の様で
2011/12/02 記述修正 物を持つ作業に関わる存在では → 物理的に手を使って何かをする存在では
2011/12/02 記述修正 肩甲骨の辺りから → ドレスは後ろが大きく開いていて、肩甲骨の辺りから
2011/12/02 記述修正 咽返る → 噎せ返る
2011/12/02 記述修正 或いは小さな存在、 → 或いは
2011/12/02 記述入替 父親の様な男も~ 同じ様に着飾っている~
2011/12/02 記述修正 外套の男は、貴族の男との → この間に外套の男と貴族の男の
2011/12/02 記述修正 貴族の男は娘の頭上から見つめつつ → 貴族の男は娘を見つめつつ
2011/12/02 記述修正 諂う態度とは大違いの → 諂う態度とは大違いの横柄な態度で
2011/12/02 記述修正 容姿とは思えないこの男は → 容姿とは思えないこの醜男は
2011/12/02 記述修正 小さな娘の元へと再び移動して娘の前に → 小さな娘の元へ行きその前で
2011/12/02 記述修正 それならば娘に手渡した紙と → それならば
2011/12/02 記述修正 足はまるで根でも生えたかの様に → まるで足から根でも生えたかの様に
2011/12/02 記述修正 立っていた花に張り付いて動けないのに気づいた → どうやっても両足を同時に花から浮かす事が出来ないのに気づいた
2011/12/02 記述修正 自分の耳に自分の声は → 自分の声は
2011/12/02 記述修正 実は想定した年齢よりも幼くて、 → 実はもっと幼くて
2011/12/02 記述修正 私の姿を凝視し続けていて → 私の姿を凝視し続けており
2011/12/02 記述修正 そんな事を繰り返しているうちに → そんな事をしているうちに
2011/12/02 記述修正 不思議な事に娘は → しかし娘は
2011/12/02 記述修正 娘の表情は → その時の娘の表情は
2011/12/02 記述修正 左手でスカートの裾を直してから → スカートの裾を直してから
2011/12/02 記述修正 再び紙を集めていた → 落とした紙の回収を再開した
2011/12/02 記述修正 左手でたくし上げると → 左手でたくし上げて、下着であろう膝丈の白のドロワーズを露にすると
2011/12/02 記述修正 その理由までは判らないし、そうだと言う確信も無い → その理由は判らなかった
2011/12/02 記述修正 何も手にはしておらず → 何も手にしておらず
2011/12/02 記述修正 違和感を覚えたのだが、それが何なのかが良く判らなかった → 違和感を覚えた
2011/12/02 記述修正 ここまで近づかれて → ここまで間近に近づかれると
2011/12/02 記述修正 この外套の男の顔が頼りない蝋燭の → 頼りない蝋燭の
2011/12/02 記述修正 細部まで見ることが出来た → この外套の男を細部まで見ることが出来た
2011/12/02 記述修正 私が立っている場所は → 足元の巨大な花の周囲は
2011/12/02 記述修正 様々な花で覆われているが → 様々な花で覆われており
2011/12/02 記述修正 しかし娘の心中は、 → しかしこれで娘の心中としては
2011/12/02 記述修正 今ので何らかの決心がついたらしく → 何らかの決心がついたらしく
2011/12/02 記述修正 この小さい子供が → この幼い少女が
2011/12/02 記述修正 私は維持出来ない筈だ → この器を維持出来ない筈だ
2011/12/02 記述修正 年端も行かぬ小娘が質問するのには → 年端も行かぬ小娘に質問させるのには
2011/12/02 記述修正 外套のくたびれて色褪せた具合や → くたびれて色褪せた外套の具合や
2011/12/02 記述修正 女の姿の存在らしいのが判った → 女の姿をした存在らしいのが判った
2011/12/02 記述修正 私の体と同じ程度 → 私の頭と同じ程度
2011/12/02 記述修正 私の体以上の巨大さであり → 花冠を含まない花序の直径だけで私の両腕を広げた大きさ以上の巨大さであり
2011/12/02 記述修正 最も大きな花の上であるのが判った → 最も大きな頭状花序の花の中心部であるのが判った
2011/12/02 記述修正 切り揃えられている → 切り揃えてあり、前髪は目のすぐ上で真っ直ぐに揃えられている
2011/12/02 記述修正 促されるままに立っている → 促されたままに立っている
2011/12/02 記述修正 若干震える手で渡された紙を掴み直しては → 渡された紙を若干震える手で掴み直しては
2011/12/02 記述修正 細かな宝石が鏤められていて → 全体に満遍なく細かな宝石が鏤められていて
2011/12/02 記述修正 この位置に来て → その位置まで近づくと
2011/12/02 記述修正 確認する事が出来る様になり → 確認する事が出来る様になったので
2011/12/02 記述修正 致し方無くこの残った娘の → もうこの残った娘の
2011/12/02 記述修正 のなら → ならば
2011/12/02 記述修正 この後外套の男の口から → この後男の口から
2011/12/02 記述修正 文面を確認していて → 文面を確認するかの様に視線を落としていて
2011/12/02 記述修正 男へと頭を下げて見せた → 深々と頭を下げて見せた
2011/12/02 記述修正 判るかも知れないと思い直して → 判るかも知れないと思い直し
2011/12/02 記述修正 小山の麓まで花の図形を跨がずに → 小山の麓まで図形を跨がずに
2018/01/02 誤植修正 そう言う → そういう
私は暗闇の中にいる。
目の前には、色とりどりに咲き乱れる、美しい花で出来たトンネル。
私は、咽る様な甘い芳香を掻き分けつつ、奥へと進んでいく……
トンネルにいた時から、漂っていた香りの元に周囲を取り囲まれて、私は目覚めた。
ある意味いつも通りの召喚場所と言っても良いであろう、仄暗くて広い場所には燭台が並び、隙間風が吹いている様で、僅かに蝋燭の灯火は揃って揺らめいていた。
ぼんやりと見えるその場所は、黴臭い湿った地下室ではなく地上にある建物の一室であるらしく、薄っすらと見える天井には火の灯っていないシャンデリアが吊り下がっている。
構造的にはそうでもない筈のその部屋は、今までに無い程に広く感じられるのだが、その理由はまだ判らない。
前回の召喚やロバの紳士による講義もあって、まず第一にこの器へと流れる糧が気にかかり、すぐにその確認を行ってみると、存在に必要な量の糧は満たされていて、即座に枯渇する事は無いのだけは判った。
この肉体の全体から揮発するように感じる糧の消耗具合から、どうやらこれは死体を器としたものでは無く、完全に生贄の糧から作り出された器であるらしい。
器の持つ能力については、容姿を確認してからで無ければ判らないであろうと判断して、まずは器の確認へと取り掛かった。
自分の体を確認してみると、随分と華奢で白い肌の手足をしていて、非常に薄い材質で出来た淡い色合いをした、凝った作りのドレスを纏っている。
それは肩も露で大きく開いている胸元と、腰の部分までは細身の体のラインに沿うすっきりとしたデザインで、それほど大きくは無い胸を包んでいる。
腰から下のスカートは、開花途中の花の蕾に似たデザインで、下へ向かう毎に重なった花びらが弧を描いて広がり、それに伴って薄い生地は透けていく様で、末端では殆ど透明になって、その裾の先は尖った形状で踝まで達している。
この服装と体型から、どうやら私の器は女の姿をした存在らしいのが判った。
更に、どこからか光でも私へと照射されているかの様に、私の衣服や四肢はうっすらと輝いていて、ところどころに鏤められた蝶の鱗粉の様な光点が煌めいているのが見える。
指もとてもか細くて、それはまるで精巧に出来た人形の様で、その指の先端に生える爪は長く整った形をしており、その明らかに作業には不向きな指先から、物理的に手を使って何かをする存在では無さそうだと推測した。
背中にも何か違和感を感じて手を回して確認してみると、ドレスは後ろが大きく開いていて、肩甲骨の辺りから何か平たいものが生えているのが判り、それは畳まれて丁度自分の体の後ろにある、二対の羽なのが判った。
これらの自身の身体に関する幻想的な特長も気になったが、この強烈に嗅覚を刺激する匂い、血や死臭では無い甘い芳香も非常に気になってくる。
私はこの暗さに馴染んできた目をこらして、もう少し広い範囲を確認し始める。
この噎せ返る程の濃厚な匂いの原因は、いつもとは違い動物の生け贄等では無く、大量に飾られている様々な種類の花の香りであった。
その花々は相当に巨大で、小さめの物でも私の頭と同じ程度、大きな物では花冠を含まない花序の直径だけで私の両腕を広げた大きさ以上の巨大さであり、足元を見てみると私が立っている所は、周囲で最も大きな頭状花序の花の中心部であるのが判った。
足元の巨大な花の周囲は、そこを頂点とした円錐状に整えられた小さな山の様になっていて、この小山の部分は全面様々な花で覆われており、花の小山の麓からはこの小山を中心とした、この部屋いっぱいの大きさの円形状の図形が花で描かれているのが見えた。
これはまるで、花で作られた巨大な魔法円の様だと私は感じた。
この花の魔法円は正面の箇所だけ花の図形が途切れていて、小山の麓まで図形を跨がずに私の目の前まで近づける様になっており、恐らくここで召喚者が儀式に及んだのであろうと推測した。
周囲の花々との縮尺を考えると、私は巨人の世界に召喚されているか、或いは通常の人間の掌に載ってしまいそうな程に、小さな存在であろうと理解した。
まあ巨人の世界と言うのはさすがに無いであろうから、実際のところは後者の推測が妥当であろうか。
私が顔を正面へと向け直して見上げてみると、今の私からするととても巨大な人間達が何人か視界に入り、私はその巨人達へと視点を移した。
まずは、私の位置から見て最も手前にいる土色のくすんだ外套を着た大男、この巨大な花の祭壇の中央部へと至る小道の入り口に立っている事から、これが召喚者であろうか。
その男がこちらへと指を差しながら、少し離れた部屋の隅にいる貴族風の着飾った身なりの男と子供へと、何かを説明している様に見える。
同じ様に着飾っているところを見ると、この男と子供は親子であろうかと推測する。
父親の様な男も小さな娘も裕福な大貴族らしく、父親の指に煌めく宝石の付いた指輪や、小さな娘の髪飾りや胸元へと掛かる首飾り、白く細い手首を飾る腕輪等の輝きを見ても、その財力は相当なものであるのが見て取れる。
父親であろう貴族の男は、私の存在に疑問を抱いているかの様で、怪訝そうにこちらへと顔を向けつつ、召喚者らしき男へと何かを話しかけている。
この外套の男は貴族の親子とは違い、くたびれて色褪せた外套の具合や、やたらと貴族の男に対して頭を下げている様子からすると、身分の卑しい人間であろうと推測出来た。
貴族の男の娘か何かであろう子供は父親とはまた違った反応で、私を凝視していたものの、それで燥ぐでも無く怖がるのとも違い、言うなれば畏れると言うか不安を感じている、そんな風に私には見えた。
この間に召喚者であろう外套の男と貴族の男の話し合いがまとまった様で、貴族の男は部屋の奥から誰かを呼ぶ様に声を発すると、使用人であろうか、執事風の男が速やかに現れて貴族の男からの指示を聞き、一礼して立ち去って行く。
暫く後に再び戻って来た使用人の手には皮袋が握られていて、それを貴族の男に促されると外套の男へと差し出し、男はそれを大仰な態度で受け取ると、すぐに中身を確認しているのが見えた。
そうか、どうやらこの術者の男は、貴族の男に対してここまでの儀式の成功に対する報酬を要求していたらしい、この後私に何を求めてくるのかはまだ判っていないが、もしここで失敗したとしてもそこまでの成果を認めさせた訳だ。
それ程この先の儀式は難しいのか、それとも単にこの術者が慎重で狡猾なだけであろうか。
皮袋の中身の確認を済ませて懐へと収めた後、外套の男は新たな儀式の段階へと入った。
術者の男は、事前に用意していたらしい畳まれた紙の束を取り出すと、それを丁重に跪いて貴族の娘へと差し出し、大男に近づかれるのも怖がるかの様に僅かに後ずさりつつ、小さな娘はそれを恐る恐る両手で受け取った。
娘はその紙を広げて、中に記載されていた文面を確認するかの様に視線を落としていて、その様子を心配するかの様に、貴族の男は娘を見つめつつ、娘の頭へと手を載せているのが見える。
一体何が記されているのか気にかかるが、これは程なく判明しそうであるので、そちらからは目を外して、新たな動きを見せる術者へと視線を移した。
外套の男はその巨体を少々私の方へと近づけて、先程の貴族の男への諂う態度とは大違いの横柄な態度で、出来を確認して値踏みでもするかの様に、こちらをじろじろと睨みつけてきた。
ここまで間近に近づかれると、頼りない蝋燭の灯りに照らされて、この外套の男を細部まで見ることが出来た。
この男は、やはりはっきりとは見えていない奥の貴族の親子とは違う人種で、脂肪を連想させる黄ばんだ肌の色をしており、フードでそれほどは見えないが僅かに見える眉や脇の髪の色は黒で、鼻は低く若干突出気味の牛の様な目と、薄く大きな口が特徴的な男であった。
決して美しいとか整っている容姿とは思えないこの醜男は、ギョロギョロと小刻みにその大きな目玉を動かしながら、高圧的な表情を作って暫くこちらを睥睨していたが、やがて問題無いと見做した様で、この後男の口から私に理解の出来る言語が聞こえて来た。
「踏み躙られ落命する宿命の、脆弱なる者共の女王よ、我こそが汝の支配者である。
汝の同胞の命が惜しくば、その身に宿る力を我に捧げよ、そして我が意思を聞き従順に従うが良い。
我への服従の証として、我に対して跪き頭を垂れよ」
先程の貴族への下僕じみた態度とは全く違う、やけにこちらを卑下して見下した物言いに聞こえる詠唱を、外套の男は唱え終える。
言葉の意味からすると、今回の器は人間からは畏怖されたりする存在ではなく目下の立場の様で、術者の言葉は単なる脅迫と命令でしかないのが理解出来た。
この様な高慢な態度で以って召喚を行う人間は、今までに見た事が無くとても不愉快ではあったが、この男の言動に反発してこれから行われる筈のものを体験出来ない事の方が惜しくもあり、渋々ではあるが私は男の言う通りに跪いてから、臣下の礼かの様に深々と頭を下げて見せた。
外套の男は私が自分に臣従したのを確認して、満足げに口元を歪めると、いよいよ本題へと入って行く。
「宜しい、では汝に我から支配者として命ずる。
これより我が同胞の者から、汝へと幾つか問い掛けを行う。
その問いに対し、全身全霊を以って偽り無く答えよ。
決して謀る事は許さぬ。
決して問う者へ害を為すのも許さぬ。
決して回答以外の言葉を発する事も許さぬ。
決して問答に関与しない如何なる行動も許さぬ。
もしその様な真似をするならば、相応の罰を与えるであろう。
我の言葉に従うならば、再び深く頭を下げよ」
まだこれからの詳細が明らかにはなっていないが、とりあえずは言う通りにしておく事にして、私は再度先程と同様の礼を行い、召喚者の自尊心を満たしてやった。
それにしても、この男が私を脅迫に使っている同胞や罰と言ったものは、一体何を指しているのかが気にはなっていたが、それは後でも判るかも知れないと思い直し、まずは儀式を実行させて本来の目的を行わせるのを最優先にする事にして、相手の次の指示を待つ。
私に対する恭順の意の確認は今ので完了した様で、外套の男は立っていた私の正面に位置する場所から退くと、今までじっと私を見つめ続けていた小さな娘の元へ行き、その前で跪いてからこれからの儀式の手順を説明し始めた様だ。
この間に、私は現状を整理する事にした。
要はあの娘が私に対して質問する、そういうことらしいが、この術者が自ら尋ねるのではなく、わざわざこんな年端も行かぬ小娘に質問させるのには、何らかの意味でもあるのだろうか。
私の目から見ても、どう考えてもそれは手間が増えているだけで、非合理的にしか見えないのだが。
最初はてっきりあの子供は生贄で、貴族の男が外套の男を雇って利己的な欲望を叶えようと企んでいるのだと思ったが、どうもそうではないらしいと思えて来た。
貴族の男の態度は、あの娘を可愛がっている者の姿に見えていて、危害を加える対象にする様には見えない。
だとすると、術者が貴族を誑かして、利益を得る様な召喚を試みているのかとも考えられるが、それならば今行われている説明を終えた次の段階に入った時に、その要求が表面化してくるだろうか。
また別の想定では、貴族の娘が不治の病等で余命幾許も無い命で、それの延命の儀式を行うのに、当事者たる娘が何かを詠唱しなければならないと言う推測も出来る。
これならば一通りの説明はつくが、こんな小さな器の存在が、人間の生死を司る神なのかと言う点に疑問が残る。
自分自身の正体は、予想では恐らく妖精、草や花等の妖精の女王なのではないかと考えていたからだ。
しかし未だ具体的にどの様な力があるのかについて情報は一切無く、外套の男から告げられているのは質問に答える事だけしかない。
それで以って、病の回復に繋がる儀式を行う力を持っているとは、いまいち想像しづらい。
もう一つ気にかかるのは、この姿を維持するだけの糧の供給元が、判っていない事である。
私を中央に配置して作られた、この巨大な花の魔法円に飾られた無数の花々がそれかとも考えたが、無論これらからも糧の流れは感じはするものの、その量は非常に少なくてこれだけではこの器を維持出来ない筈だ。
どうもここからではない場所、もっと下の方から太い糧の奔流が流れ込んで来ているのが感じられて、この場所に生贄を配していないのも、何らかの理由がありそうだと見ている。
この間にもう一つ、自分が動けるのかについて確認してみたのだが、あの時の外套の男の詠唱は、只の警告ではなく呪縛であったらしい。
羽があるのに飛び立つ事は出来ず、まるで足から根でも生えたかの様に、どうやっても両足を同時に花から浮かす事が出来ないのに気づいた。
折角の羽を持った妖精の姿でありながら、只の一度も空を舞う事も許されないのか。
ついでに声に関しても確認すべく小さく発してみると、こちらも封じられているのか自分の声は聞こえない。
これらの措置に気づいて、あの不細工な顔の術者はそれなりの腕を持っている人間であったのかと、口惜しいが認めざるを得なかった。
そんな感情を抱きつつ外套の男へと目を向けると、丁度娘との話も終えたところであり、再び私はそちらへと意識を切り替える。
外套の男は小さな娘に対して一礼して立ち上がると、娘を先に進ませる様に導き、先程まで自分が立って私へと命じていた魔法円の内側へ誘導してから、後ずさりつつ自分だけ離れると、貴族の男を伴って部屋の隅にある扉から退室した。
あれほど熱心にこの娘に説明していた訳は、この儀式では娘以外は誰一人、立ち会う事が出来ないからだったらしい。
だからこそ、私に対して念を押すかの様な呪縛をかけていたのか。
私としてはこの召喚者の行動は予想外であり、この展開はかなりの不安と焦りを覚えていた。
何故ならば、自分の詳細な力を確認する機会が、ほぼ完全に失われたと思えたからである。
この幼い少女が、ご丁寧に私の正体とその力について説明をしてくれるとはあまり思えず、要望だけを私に告げて終わるのではないかと推測していたので、少なくともその直前まではあの外套の男が力添えをするだろうと踏んでいたのだ。
しかしこうなってしまったものを、私の力ではどうにも変えられそうにも無く、もうこの残った娘のやろうとする事を、見届けるより手が無くなってしまった。
この位置まで近づくと、この貴族の娘の詳細も確認する事が出来る様になったので、まずはそれを確認しておく事にする。
年齢としては十歳前後だろうか、貴族の男の胸の位置くらいの背の高さで、フリルやレースの装飾の施された淡い黄色のワンピースのドレスを纏っており、遠めにも輝いて見えていた髪飾りと首飾りと腕輪は、細身のデザインであったが全体に満遍なく細かな宝石が鏤められていて、それが蝋燭の炎に照らされて輝きを放っていた。
娘の体型は背の高さからすると少々痩せ気味で、それをカバーする様にこのドレスはデザインされているのに気がついて、只の生贄に体型を考慮した高価なドレスを与えるのは有り得ず、やはりこの娘は間違いなく貴族の令嬢であろうと確信した。
娘の髪はよく手入れされた艶やかな黒色をしており、まっすぐに伸びたその黒髪は胸の高さで切り揃えてあり、前髪は目のすぐ上で真っ直ぐに揃えられている。
その顔は視線を惹く大きな灰色の瞳の所為か、想定した年齢よりも幼い印象を受け、実はもっと幼くて背が高いだけなのかも知れないとも思えたが、それはまあどちらでも構わないかと、私はここで考えるのを止めた。
小さな娘は緊張した様子で、促されたままに立っているその場所で私の姿を凝視し続けており、落ち着かない様子で渡された紙を若干震える手で掴み直しては、口を開いてそれを読み上げようとして、躊躇すると言う一連の動作を繰り返していた。
そんな事をしているうちに紙を掴み損ねたのか、娘は手にしていた紙を足元へと落とした。
しかし娘は落ちて散らばってしまった紙をすぐには拾おうとはせずに、後ろを何度か振り返った後やっと片膝をついてしゃがみ、床に散らばった紙を拾い始めた。
娘の紙を集める動作はやけに緩慢で、敢えて時間をかけているかに見えて、それが単に緊張しているからなのか、それともこの儀式の実行を躊躇い、少しでも遅らせようとでもしているのか、私は疑問を感じたがこちらからは何もしようが無いので、その様子を静かに眺めていた。
この娘は右利きなのだろう、右手で紙を拾いつつ、それを左手に集めていくのを繰り返している。
娘は何枚目かの紙を拾う際に、それまでとは違う動作をし始めたのに気がついた。
しゃがんだ時に、ドレスのスカートの裾を立てている膝よりも上に左手でたくし上げて、下着であろう膝丈の白のドロワーズを露にすると、右手でスカートの奥へと手を入れている。
燭台の灯りは床の近くをはっきり見える程に照らしていない為、何をしているのか良くは見えなかったものの、その時の娘の表情は今までで最も緊張しているかに見えた。
だがそうしていた時間はものの数秒で、娘は右手を再び出すとスカートの裾を直してから、落とした紙の回収を再開した。
何かを取り出したのかと思ったが、その自分の服へと突っ込んでいた右手には、落とした紙を掴んでいるだけでその他には何も手にしておらず、この時に私は何らかの違和感を覚えた。
これより以降は、娘はもう変わった動きをする事無く、全ての紙を拾い集め終えた。
再び立ち上がった娘は、紙を落とす前とは僅かに雰囲気が違う様に感じて、それが先の不可解な行動と関連するとは思えたが、この時点ではその理由は判らなかった。
しかしこれで娘の心中としては何らかの決心がついたらしく、かなり落ち着いた様子へと変わり、この娘とほぼ同じ目線の高さにいる小さな私へと、迷いの無い静かな眼差しを向けてから深呼吸した後、小さな口を開いた。