第六章 死別と孤独 其の一
変更履歴
2011/10/05 誤植修正 位 → くらい
2011/10/06 記述統一 一センチ、十メートル → 1cm、10m
2011/10/06 記述統一 1、10、100 → 一、十、百
2011/10/07 記述追加 細長い木片が連なる~ → 追加
2011/10/20 誤植修正 決して描かれる事が無い云う → 決して描かれる事が無いと云う
2011/10/20 誤植修正 こちらか見えるその女神の姿は → こちらから見えるその女神の姿は
2011/10/20 誤植修正 そこだけが乾燥していていのが分かった → そこだけが乾燥しているのが分かった
2011/10/20 誤植修正 あの子供を誘導させる事が → あの子供を誘導する事が
2011/10/20 誤植修正 同じ様な物が幾つもあるのがあり → 同じ様な物が幾つもあって
2011/10/20 誤植修正 恐らく鉱山の試し彫りでも → 恐らく鉱山の試し掘りでも
2011/10/20 句読点調整
2011/10/20 記述修正 もう一人の人間、こちらは相当小さい子供の様だ、が → もう一人の人間である小さい子供が
2011/10/20 記述修正 今、息絶えた召喚者と → 息絶えている召喚者と
2011/10/20 記述修正 父親と二人で徒歩での行商の旅の道中で → 父親と子供の親子二人での徒歩での行商の旅の道中
2011/10/20 記述修正 父親が何らかの理由、判断つかないが持病か外傷に因って → 父親が何らかの理由に因って
2011/10/20 記述修正 感知出来たその集落は、直線状の距離では山の麓辺りらしく → 感知出来たその集落は山の麓辺りらしく、直線状の距離では
2011/10/20 記述修正 半日程度の距離と思われたのだが → 二・三時間程度の距離と思われたのだが
2011/10/20 記述修正 大きな水溜りが出来ていて → 水溜りが出来ていて
2011/10/20 記述修正 指示に従ってくれる、のだが → 指示に従ってくれる、となるのだが
2011/10/20 記述修正 小さな子供一人を → 小さな子供一人を相手に
2011/10/20 記述修正 この力は、対象が小さかった事もあり → 対象が小さかった事もあり
2011/10/20 記述修正 拭き取られても直ぐにまた → 拭っても直ぐにまた
2011/10/20 記述修正 頬を伝っていく感覚は復活する → 頬を伝っていく感覚は蘇った
2011/10/20 記述修正 あのもう一人の蒼玉の女王はどうやら → どうやらもう一人の蒼玉の女王は
2011/10/20 記述修正 早速一つ他の草とは離れた場所に → 早速他の草とは離れた場所に
2011/10/20 記述修正 ふと思い出したのは、陽炎の女神の姿 → ふと思い出したのは陽炎の女神の姿で
2011/10/20 記述修正 これから待つ強行軍に備えて → 子供はそのまま翌朝より始まる強行軍に備えて
2011/10/20 記述修正 痩せ細っているので → 痩せ細っているので幼く見えるだけで
2011/10/20 記述削除 神であるのに物理的な重さを実感しているのがとても不思議ではあったが
2011/10/20 記述削除 若干歪んでいるだけでそれほど問題になるものでも無いと考えて、
2011/10/20 記述修正 ならばと私は空へ向けて → ならばと私も空へ向けて
2011/10/20 記述修正 私の方を見るつぶらな二つの瞳は → 私の方を見るつ丸い大きな二つの瞳は
2011/10/20 記述修正 子供の座っている足元には水溜りが出来ていて → 座っている子供の小さな膝には幾つもの染みが出来ていて
2011/10/20 記述修正 微かな微笑を口元に漂わせつつ → 口元に微かな笑みを浮かべつつ
2011/10/20 記述修正 それは人間の住む村落かと推測すると → それは人間の住む集落かと推測すると
2011/10/20 記述修正 まさに『蒼玉の女王』その人が → まさに蒼玉の女王その人が
2011/10/20 記述修正 首飾りの秘められた力がどの程度のものかが → 首飾りの秘めた力がどの程度蓄えられているのか
2011/10/20 記述修正 雲は予想以上の速さで薄れ → 雲は予想以上の速さで流れて薄れ
2011/10/20 記述修正 あの女神も右腕だったのだろう → あの女神も右腕を動かしていたのだろう
2011/10/20 記述修正 斜め下を指す様な角度で止めると再び私を見た → 斜め下を指す様な角度で止めると、私の方へ振り向いた
2011/10/20 記述修正 次に陽炎の女神は → 次に陽炎の女神は、上空から岩山へと視線を移したらしく頭を動かすと
2011/10/20 記述修正 右腕を水平の位置までゆっくりと下ろすと → 右腕を向いている方向と同じ水平の位置までゆっくりと下ろしてから
2011/10/20 記述修正 そして右の腕を天を指す様に上げると → そして軽く空を眺める様に上を向きつつ、右の腕を天を指す様に上げると
2011/10/20 記述修正 再びこちらを振り返り私の方へと向き直った → 断崖の手前で立ち止まった
2011/10/20 記述修正 岩山の険しい岸壁と崖と深い谷 → 岩山の険しい断崖と深い谷
2011/10/20 記述修正 長く揺れる髪は → 女神の項辺りには銀の鎖で蒼玉が下げられていて、その中には青く輝く水が揺れており、長く揺れる髪は
2011/10/20 記述修正 次第に不規則な巻き髪へと変わっていっており → 次第に不規則な巻き髪へと変わっていき
2011/10/20 記述修正 陽炎の女神の姿で、あれは水蒸気ではなかったろうか → 陽炎の女神の姿だった
2011/10/20 記述修正 この親に死なれてたった一人 → 親に死なれて独りぼっち
2011/10/20 記述修正 たった一人の幼い子供である事を考えると → 独りの幼い子供である事を考えると
2011/10/20 記述修正 その方向を見ても → 女神の指した方向を見ても
2011/10/20 記述修正 その周辺では最も高く見える山を → その周辺では最も高い山を
2011/10/20 記述修正 山頂部に白く見える → 山頂部が白く見える
2011/10/20 記述修正 洞穴の外の様子が見えてきた → 外の様子が見えてきた
2011/10/20 記述修正 私について来る様な仕草を → 私へと手招きする様な仕草を
2011/10/20 記述修正 女神の項辺りには → 女神の後姿に目をやると、項辺りには
2011/10/20 記述修正 この陽炎の女神の存在は → 陽炎の女神の存在は
2011/10/20 記述修正 この姿として現れた時から感じていた → それとこの姿として現れた時から感じていた
2011/10/20 記述修正 行商の旅の道中、何処かへと向かっていたのだが → 行商の旅の途中
2011/10/20 記述修正 馬車でもあれば → 荷馬車でもあれば
2011/10/20 記述修正 召喚者であろう、この眠っている男 → 召喚者であろう、この眠っている男は
2011/10/20 記述修正 息絶えているのが感じられたからだ → 息絶えている様に感じられたのだ
2011/10/20 記述修正 決して描かれる事が無いと云う、私と対峙する様に正面を向いて → 決して描かれる事が無いと云う正面を向いて、私と対峙する様に
2011/10/20 記述修正 聞けそうも無いのが → もうそれを聞けそうも無いのが
2011/10/20 記述修正 かなりはっきりとした白い影にはなり → かなりはっきりとした白い影になり
2011/10/20 記述修正 地中の隙間を辿らせれば → 地中の岩盤の隙間を辿らせれば
2011/10/20 記述修正 自分の器でも天候も操れるのではないかと気づき → 自分の器でも天候を操れるのではないかと気づき
2011/10/20 記述修正 薄汚れた衣服を着て薄汚い風貌ではあるものの → 薄汚れた衣服を着た薄汚い風貌ではあるものの
2011/10/20 記述修正 直線状の距離では、大人の人間であれば → 直線状では大人の人間であれば
2011/10/20 記述追加 蒼玉の女王には遠方にいる生物の存在を感知する~
2011/10/20 記述修正 水中から風景を眺めているかの様に → 水中から景色を眺めているかの様に
2011/10/20 記述修正 視界に広がっているのは → そこより先を見ると視界に広がっているのは
2011/10/20 記述修正 洞穴中央部では2mはあって → 洞穴の最深部では2m以上あって
2011/10/20 記述修正 重さを頭、特に首に感じる → 重さを頭や首に感じる
2011/10/20 記述修正 それが10m程度若干登りの傾斜で続き → そこから出入り口までの10m程度の部分は、幅は若干狭い登り斜面になっていて
2011/11/18 誤植修正 関わらず → 拘わらず
2011/12/09 誤植修正 して見ると → してみると
2017/10/16 誤植修正 増してや → 況してや
私は暗闇の中にいる。
目の前には、薄暗く、奥へいく毎に更に暗さが増す、岩肌のトンネル。
私は、我が子に対する救済を望む男の声が響く中、奥へと進んでいく……
私の視界へと最初に入って来たのは、視野の全体がまるで水中から景色を眺めているかの様に、僅かな揺らぎと屈折ではっきりとは見る事が出来ない風景だった。
この視界に見慣れてくると、消えかけている焚き火の小さな赤い炎と、それと対照的なうっすらと光る円形状の発光物を、高い位置から見下ろしているのが分かった。
この二色の光は、周囲を各々の色で僅かに照らしていて、ここが硬い岩山を刳り貫いた様な、横穴の奥であるのが見て取れた。
青い光は、平らとは言えない地面よりも若干高い位置で光を発していて、何かの上に乗っているのが分かり、その青い光の場所を確認してみるとそれは人間で、どうやら仰向けに寝ている男の体の上である様だ。
その男は身じろぎ一つせず、まるで泥の様に眠っているか、それとも意識が無く気絶しているか、或いは死んでいるか、そのいずれかだと思われた。
男のすぐ近くには、揺らめく焚き火の明かりに照らされて、もう一人の人間である小さい子供が、こちらを見て固まっているのが見える。
その子供は私の方を見ているのは間違いなく、怖がっている様子では無いので、この子供の見知った姿をしたものが器なのだろうかと思えた。
だが、この答えを知っていそうな召喚者には、もうそれを聞けそうも無いのがだんだんと分かってくる。
召喚者であろう、この眠っている男は、どうやら既に息絶えている様に感じられたのだ。
先程から糧を供給し続けている物は、目覚める事の無い眠りにつく男の魂では無く、その上にある青く光る首飾りから与えられている。
細長い木片が連なる形状のその首飾りには、木片の一つ一つに青く輝く小さい珠が等間隔で埋め込まれていて、その珠がより一層強く輝いている。
以前にも、こういった生贄以外の媒体での召喚があったが、あの時はその媒体から感じた意思はもっと敵対的で、私を脅迫するかの様な高圧的な印象であったのが思い出されるが、今回は今のところそういう動きは見せていない。
死んでいる男の願いは、恐らくトンネル内で聞いた声から、この子供を救う事だろうと察した私は、周囲を改めて確認してみる事にした。
この岩山に穿たれている洞穴は、人間が三人程度並んで歩ける程の幅で、側面は平らではなく円形状をしており、天井も側面と同じく弧を描いていて、恐らく鉱山の試し掘りでもした後ではないかと推測していた。
天井は意外に高く3m程度あり、横幅も最も広い洞穴の最深部では2m以上あって、そこから出入り口までの10m程度の部分は、幅は若干狭い登り斜面になっていて、洞穴の出口がその先に見えているが、今の時間は夜なのだろう、真っ暗で何も見えない為に外がどうなっているかは分からない。
外は相当な豪雨にも拘わらず、雨水がこの洞穴の中へ流れ込んでこないのは、浸水を避ける為に洞穴の入り口から暫くは、奥に向かって登りの傾斜がついている様で、こういった作りからしても、この穴は人工的に作られたものであるのを裏付けていた。
息絶えている召喚者とこの子供と私がいる位置は、この洞穴の最深部で、他の横穴も無く、これ以上の誰かが潜んでいる可能性も無い様だ。
外から聞こえてくるのは激しく降り注ぐ雨の音だけで、それ以外の物音は聞こえて来ず、生き物の気配も無い。
他の仲間が外へ出ている可能性もまだ残ってはいたが、この洞穴に転がる所持品の量を考えると、その可能性も低いと考えられた。
男の物と思われる荷物には、大きな物や同じ様な物が幾つもあって、それは明らかに旅支度としては持ち得ない品であるのが分かり、この男は行商の仕事か何かに従事していたらしい。
荷馬車でもあれば、もっと多くの荷物がありそうなものだが、この豪雨の中に大事な足である馬を放置する筈も無いので、この洞窟内に馬が居ないと言う事は、徒歩で旅をして来たのだろうと推測した。
つまり、父親と子供の親子二人での徒歩での行商の旅の途中、父親が何らかの理由に因って力尽きてしまい、残された子供を救う為にこの首飾りの力を使って私を召喚した、こんなところだろうか。
さて、状況を理解した次は、自分の姿を確認すべく、視線を自分へと向ける。
下を見ると、まずこれは想像通りだったが、私は地面に足を着く事無く宙を漂っているのが分かった。
一枚の布で出来ている様な、何の飾りも無い白いワンピースのドレスの姿で、手の袖やスカートの裾が手や足を覆っていて自身の体は見えない。
下を向いた際に視界を狭める様に、長い髪が落ちる感覚があり、それと同時に揺らぐ視界を更に見づらいものへと変えた。
どうやらこの揺らぎは自分の髪が視野を塞いで起きているのが分かり、落ちた髪を払おうとしてみるが、まるで流れ落ちる水の流れを払っているかの様で、どれだけ試しても上手く行かず、払い退けるのは諦める事にした。
この女神は相当な長さの髪をしているのか、髪としての質量ではないと思える程の重さを頭や首に感じる。
前に落ちた髪の先を見ると、白く輝くその色は、先端に行くに従って青みが強まり、先端では透明感の高い淡い青色に変わっていた。
流れ落ちる長い髪の途中、ちょうど胸の辺りの高さから下は銀色の短い筒状のもので、髪が不規則に分けて束ねられていて、それはまるで、木の枝が分岐するかの様に、下へ行く程に細かい束へと小分けされている。
それとこの姿として現れた時から感じていた、何かが頬を伝って滴る感覚、これを確認すべく右手の袖を右の頬へと当ててみると、それは透明な液体で、拭っても直ぐにまた頬を伝っていく感覚は蘇った。
それは私自身の瞳から溢れ出る、涙であるのを理解した。
今回の器は、以前に別の召喚の後に“嘶くロバ”の解説で聞いていた、水と成長を司る女神の『蒼玉の女王』である事を、私は確信した。
それに気づいたのと同時に、自分の前方に、まさに蒼玉の女王その人が、蜃気楼の様な朧げな姿で現れた。
しかもそのもう一柱の女神は、決して描かれる事が無いと云う正面を向いて、私と対峙する様に現われたのだ。
多分、今の私の姿はこれと全く同じなのであろう、こちらから見えるその女神の姿は霞んではいたものの、白いドレスに銀から青に変わる長い髪、そして顔は、長い前髪により目元が覆われていて見る事は出来ないが、口元から捉える事が出来る表情からは、特別な感情を表していないと思えた。
陽炎の女神の存在は子供には分からない様で、子供の視線の先はひたすら私へと向けられたまま固まっている。
この新たな女神は、私へと手招きする様な仕草を右の腕でした後、踵を返して振り返り豊かな長い髪を僅かに揺らしながら、洞穴の出口へと漂い進んでいき、私もその後を追って出口へと向かう。
女神の後姿に目をやると、項辺りには銀の鎖で蒼玉が下げられていて、その中には青く輝く水が揺れており、長く揺れる髪は下へ行くに従って緩やかにうねり、次第に不規則な巻き髪へと変わっていき、足元近くの末端では無数の小さな巻き髪の束が、周囲に広がっているのが見えて、この量であればやけに自分の頭が重く感じる訳だと納得した。
洞穴の出口へ近づいていくと、外の様子が見えてきた。
雨音の具合から想像した通り、相当な豪雨が降り注ぎ、地面を大きな雨粒が激しく叩きつけている。
洞穴の目の前は、岩山の中腹に続く峠の道、その途中にある多少広くなっている部分と言った様な場所で、そこより先を見ると視界に広がっているのは、暗くて部分的にしか見えない岩山の険しい断崖と深い谷、それだけだった。
荒天の為に月明かりも無い闇夜で、周囲に植物等が生えているのかさえ確認するのは難しい。
地面の荒れ具合を見ても、馬車の轍の跡も無く、大きな岩もあちこちに転がっていて、とてもこれが主要な街道とは思えない。
ここを新たな旅人や行商人や隊商の馬車等が通るのを待っていても、あの子供は助かりそうも無いのが分かった。
陽炎の女神は、そのまま洞穴の外へと出て行くと、断崖の手前で立ち止まった。
そして軽く空を眺める様に上を向きつつ、右の腕を天を指す様に上げると、次第に雨脚が弱まり、闇夜は明るくなっていく。
次に陽炎の女神は、上空から岩山へと視線を移したらしく頭を動かすと、右腕を向いている方向と同じ水平の位置までゆっくりと下ろしてから、ある方向を指す様に腕を止めた。
その方向に目を凝らすと、遠くて良くは見えないのだが、他の山とは違い山頂部が白く見える、その周辺では最も高い山を指し示しているのが分かった。
その後女神は、その腕を更に下へと下げていき、斜め下を指す様な角度で止めると、私の方へ振り向いた。
女神の指した方向を見ても、ここからでは手前の岩山が邪魔をして何かが見える訳でも無い。
と思った矢先、その方向の遥かな遠方から、多数の生物が蠢く気配を感じた。
蒼玉の女王には遠方にいる生物の存在を感知する、この遠見の力とも言うべき能力もあるとは知らず、私はかなり驚きつつも、その与えられた情報に意識を集中して確認を行う。
それは人間の住む集落かと推測すると、陽炎の女神は私の思念を読み取ったかの様に頷いた後、口元に微かな笑みを浮かべつつ消えていった。
女神が消滅した後、再び天候は荒れ模様へと戻っていく。
どうやらもう一人の蒼玉の女王は、首飾りの意思が目指すべき場所を知らせる為に現れた様で、後は私が何とかしなければならないらしい。
感知出来たその集落は山の麓辺りらしく、直線状では大人の人間であれば二、三時間程度の距離と思われたのだが、道はどう曲がっているかが判っていないのと、そこへと向かうのは独りの幼い子供である事を考えると、なかなかに難しいのではないかと思えた。
私はもう一度目指す場所を確認した後に、一人洞穴の中へと戻った。
洞穴の中では、幼い子供は父親の傍らで、何も言わずに俯いて啜り泣く声が微かに聞こえてくる。
座っている子供の小さな膝には幾つもの染みが出来ていて、子供は自分の親の死を知ってしまったらしい。
私からすれば、もっと泣き叫んだり暴れたりするのではないのかと思ったのだが、ここに来た時に既にそんな体力が無かったのか、それとも父親からこうなる事を告げられていてそれを理解していたのか、そこまではどうなのか分からなかったが、私としては出来るだけ聞き分けの良い賢い子供であって欲しいと望んでいた。
私の働きかけが理解出来て、それに従うのが望ましい事だと理解出来るくらいには。
私は改めて、親に死なれて独りぼっちで岩山の洞窟に取り残された、哀れな幼い子供に目を向ける。
外見からすると年齢は四、五歳だろうか、痩せ細っているので幼く見えるだけで、実はもっと歳は上なのかも知れない。
薄汚れた衣服を着た薄汚い風貌ではあるものの、特徴的な青く澄んだ碧眼と、ボロ布を巻いた様な帽子からはみ出た肩にかかる長さの金髪は、何時ぞやの誰かを思い出さずにはいられず、もしやとも思ったが、私の抱いた想像はそれを確認する術がなかった。
先程私がここに現れた直後、この子供は私の方を見つめていたのは間違いなかった。
果たして、この子供に私の言葉が聞こえるのか、いやそれ以前に私をどの様に認識出来ているのか、それをまず確認してみなければならない。
私は、亡き父親の脇で俯いたまま啜り泣きを続ける幼子に、顔を上げるようにと呼びかけてみた。
子供は私の呼びかけにかなり驚いたらしく、跳び上がらんばかりに身体を震わせてこちらへと勢い良く振り向いた。
私の方を見る丸い大きな二つの瞳は、先程こちらを見ていた表情とは違い、この器に負けないくらいに涙を溢れさせていたものの、今この子の小さな心を占めている感情は、悲しみではなく、驚きと不安であろう。
最初はこちらを見る様に念じた結果、それを理解してこちらを見たのかと思ったが、次に立ち上がる様に念じても子供は立ち上がろうとはせずに、ひたすらじっとこちらを見つめているだけだった。
これは、厄介な事になってきている気がする。
楽観的な解釈では、この子はまだちょっと呆けているだけで、直に理解して指示に従ってくれる、となるのだが、私の予想はこうではなく、この子には私の言葉が理解出来ていなくて、単に私の思念の気配を感じて、こちらを見ているだけなのではないかと思えるのだ。
元々蒼玉の女王はその素顔も見えない神であるから、人間相手に顔が見える可能性は通常の神に比べて低そうでもあり、余計に子供には姿も見えないのではないか、とも思い始めた。
この後何度か呼びかけを繰り返してみたが、やはり悪い予感は的中してしまい、子供には私の思念も通じておらず、何かを感じてはいるものの、私の姿は見えていないのが分かった。
姿も明確に認識出来ず、声も聞こえていない、況してやこの歳では文字も読めやしないであろう、そもそもこの蒼玉の女王は古代の言葉しか理解出来ない筈で、一体どうやってこの子供を麓まで連れ出せばいいのか、私には全く策が浮かばずに困り果ててしまい、気分転換でもしようと洞穴の外へと出る事にした。
外へと向かう道中で、神たる身でありながら気分転換が必要とは、と自嘲気味な気分になっていく。
それも、小さな子供一人を相手にろくに話も出来ずに苦悩しているなんて、これで万物の頂点に在る存在とは、全くどんな冗談なのだろうか。
そんな事を思わず考えていて、我ながら少々呆れつつ、外へと出た。
外は相変わらず雨が降り続いていて、一向に止む気配は無い。
この雨の中、険しい山道が続く道のりを子供一人で歩いて行かせるのは、どう考えても危険であろう、せめて雨は止まなければ体力が持つまい。
ここで私は、先程陽炎の女神が天候を変えていたのを思い出し、自分の器でも天候を操れるのではないかと気づき、早速能力の確認がてら、試してみる事にした。
たしか紳士の解説では、右の腕が雨を呼ぶだったから、あの女神も右腕を動かしていたのだろう、ならばと私も空へ向けて右腕を掲げて、雲を散らし雨が止むように念じてみる。
すると雲は予想以上の速さで流れて薄れ、それと共に雨も弱まって行き、大体十分程度の時間で夜空は月夜へと変わった。
想像以上の力の強さに私は驚いたが、これが出来たのなら更に確認しておきたい事がある。
次は左の腕の力だ、こちらは地中の水源である地下水脈を指すのだから、腕をかざせば地中から水を湧き出させたりする事が出来るかも知れないと思い、試してみる。
力を放出してみると、地下の水脈の場所は探る事が出来たのだが、その水源は地下深くて、地下の水を地上まで動かすのに、この地域一帯に広がる固い岩盤が邪魔をして、湧き出させるまでには至らなかった。
これはつまり、大地を司る緋玉の王の支配する領域には踏み込めない、と言う事なのか。
しかし、もっと地表に近い水源や地中の岩盤の隙間を辿らせれば、出来ない事も無さそうだと私は理解した。
右腕の力も左腕の力も、強大な力を振るえるのが分かったが、それと同時にかなりの糧を消費する事も判明して、首飾りの秘めた力がどの程度蓄えられているのか判らないのもあり、これらは頻繁には使えない力であると把握した。
残るは生物の成長の力、これはまず近くに生物が無いと確認が出来ないと思っていたら、分厚い雲を晴らして月を出したおかげで、地面がはっきりと見える様になり、あの大雨で発芽したらしい、非常に小さい草が群生しているのが分かった。
私はこれを使って、力を確認してみる事にした。
成長の力と言うくらいだ、育成速度を操る事が出来るのだろうと予測して、今まで雨も振り続いていて十分な水もあるのだから、太陽こそ無いが実験に必要な要素は何とか足りているだろうと思い、早速他の草とは離れた場所に生えている草へと向けて力を注ぐ。
すると、これも想像した通りにその草は目に見える速度で成長を始め、ものの数秒で十倍以上の高さへと育ち、どうも色が薄く徒長している様ではあったが、地味な白い花を咲かせる事が出来た。
その花の周囲の地面を見ると、そこだけが乾燥しているのが分かった。
対象が小さかった事もあり、大した糧の消耗も無く実行する事が出来た様だが、どうもこの成長の力は、何の代償も無く成長させられる訳ではなく、実際にその成長分の養分が必要となるらしい。
ここで私は、あの子供をこの力を使って成長させてしまえば、今のまま下山を試みるよりも容易いのではないだろうかと想像したが、それを考えてみただけで、首飾りからの糧の供給量が低下したのが判った。
やはりこの首飾りも以前の腕輪と同様に、この子供を守護すべく私に対して警告を発してくる様で、これは実行させないつもりなのだろうと私は察した。
仮に実行出来たとしても、子供をたったの一ヶ月分成長させるだけでもその間に餓死してしまう、これが首飾りからすると危害を加える以外の何物でも無いと判断されたのだろう。
他に何か水に関連するもので、物理的に作り出せるもの、出来る事は無いかと考えてみた時、ふと思い出したのは陽炎の女神の姿だった。
霧だ、霧なら作り出すのも消すのも可能だろう、これなら子供の目にも見えるであろうし。
水が近くにある方が力を節約出来る気がして、水溜りの上に霧を発生させてみると、その辺一体が白く霞んでいき、霧の生成にはあっさりと成功した。
次にこの霧を変形させて、人の形へと変化させてみる。
これで人間だと認識させる事が出来れば、あの子供を誘導する事が出来るのではないかと考えたのだ。
霧を濃縮させていくと、かなりはっきりとした白い影になり、人の形と言えば、そう見えなくも無い様な形状には出来たが、これをさも人間の様に動かす事は出来なかった。
動かそうとすると、元の通常の霧へと戻ってしまい、人影は薄れて消えてしまうのだ。
こればかりは、自然現象そのものを操れる神ではないので、無理であろうと判断し、人影を作り出して何とかするしかない、と言う結論に至った。
成長の力よりは糧を消費するものの、最初に確認した両腕の力と比べれば、消耗する糧はさほどでもないのが判り、これは繰り返して用いる事が出来そうだと判断した。
後の力は、この場所では確認出来ないので諦めて、再び洞穴の中へと戻ると、子供は父親の亡骸に抱きつく様にして眠っていた。
この親子の格好からして、ここはそれほど冷える地域や時期ではなさそうだと判断し、子供はそのまま翌朝より始まる強行軍に備えてゆっくりと眠らせておく事にして、その間に私は下山させる為の策の考察に入った。