第二章 キマイラ2 其の三
変更履歴
2010/09/23 誤植修正 召還 → 召喚
2011/01/03 誤植修正 以外 → 意外
2011/09/17 記述統一 1、10、100 → 一、十、百
2011/09/23 記述統一 容れ → 入れ
2011/10/01 句読点削除
2011/10/01 記述修正 詠唱部分レイアウト調整
2011/10/01 記述修正 すり鉢の中は → すり鉢の中身は
2011/10/01 記述修正 シャーマンの詠唱が始まった → この後シャーマンの新たな詠唱が始まった
2011/10/01 記述修正 貴族は老人の体にしがみつき → それを見た貴族は老人の体にしがみつき
2011/10/01 記述修正 シャーマンの体から → その間にシャーマンの体から
2011/10/01 記述修正 暴れる医者だったが → 抵抗して暴れる医者だったが
2011/10/01 記述修正 観念したらしく大人しくなったが → 観念したらしく大人しくした後
2011/10/01 誤植修正 彼のの首から溢れる鮮血は → 彼の首から溢れる鮮血は
2011/10/01 誤植修正 許容量が大幅に超えてしまい → 許容量を大幅に超えてしまい
2011/10/02 記述修正 麻袋と共に持ち上げ、壺の前まで運ぶと → 麻袋と共に持ち上げて壺の前まで運び
2011/10/02 記述修正 淡々と続けている。細かな → 淡々と続けており、細かな
2011/10/02 記述修正 胎児の面影は完全に無くなり → 胎児の面影も完全に無くなり
2011/10/02 記述修正 小さな容器を取り出して → 小さな容器を取り出し
2011/10/02 記述修正 どうやらまだ私には、やる事がある様だ。この後 → どうやら私にもまだやる事がある様で、この後
2011/10/02 記述修正 無駄にするだけではないか。 → 無駄にするだけではないかとも思えた。
2011/10/02 記述修正 変化するものだ。今私が → 変化するものであり、今私が
2011/10/02 記述修正 だが私のこの肉体は → 私のこの肉体は
2011/10/02 記述修正 念じていた → 念じてみる
2011/10/02 記述修正 かなり長い事 → かなり長い時間
2011/10/02 記述修正 小皿を白く → 差し出された小皿を白い煙で覆い
2011/10/02 記述修正 線を描き足しながら → 線を描き足しつつ
2011/10/02 記述修正 複雑な円環状の文様を → 直線と円で構成された複雑な幾何学的文様を
2011/10/02 記述修正 私の壺の前へと再度戻り → 再度私の壺の前へと戻ると
2011/10/02 記述修正 暴れさせ始め瞬きも止め処なく → 暴れさせ始めて、それと同時に瞬きも止め処なく
2011/10/02 記述修正 医者の遺体と → シャーマンと医者の二つの遺体と
2011/10/02 記述修正 最初はそれは何か小動物の様ではあったが → それは小動物か何かの様に思えるのだが
2011/10/02 記述修正 いまいち判断がつかなった → いまいち判断がつかない
2011/10/02 記述修正 シャーマンは無言でそれを → シャーマンは無言でそれを手で掴み上げると
2011/10/02 記述修正 胎児をすり潰した → 目の前で胎児をすり潰した
2011/10/02 記述修正 僅かに残った聖なる水を → 残った聖なる水を
2011/10/02 記述修正 これだけの全ての犠牲を → この犠牲全てを
2011/10/02 記述修正 それを今までは → 今まではそれを
2011/10/02 記述修正 私は息を吸う様に → 早速息を吸う様に
2011/10/02 記述修正 最後のシャーマンが行った行為の → シャーマンが行った最後の行為の
2011/10/02 記述修正 予測出来ない動きで → 予測出来ない不自然極まりない動きで
2011/10/02 記述修正 私は化物へ右腕を → 私は右腕を
2011/10/02 記述修正 最後まで見る事が出来なかったが → はっきりとは見る事が出来なかったが
2011/10/02 記述修正 貴族へ失敗の言い訳を激しいジェスチャーを交えて → 激しいジェスチャーを交えて貴族へと
2011/10/02 誤植修正 部屋の奥と向かい → 部屋の奥へと向かい
2011/10/02 誤植修正 様子をを見ると → 様子を見ると
2011/10/02 誤植修正 貴族はもう → 医者はもう
2011/10/02 誤植修正 様態 → 容態
2011/10/02 誤植修正 目の当たりして → 目の当たりにして
2011/10/02 誤植修正 彼のの首から → 彼の首から
2011/10/02 誤植修正 精なる水 → 聖なる水
2011/10/02 誤植修正 手に当たった倒れた → 手に当たって倒れた
多量の失血が原因だろう、老人の顔はとても命のある者の顔色ではなく、まさに死人が動き出したか、吸血鬼の類にしか見えない。
目を開いた老人は、その後すぐに呼吸を始めたが、随分と荒くて不規則な、まるで死に瀕している人間の喘ぐ様な呼吸だった。
私はシャーマンの指示の元ではあるものの、自らが引き起こした奇跡に心を奪われ、感動すら覚えていた。
首を切断して別の肉体に繋いだ人間、間違いなく一度死んだ人間の蘇生を成し遂げたのだ。
しかし神の力で以って蘇った生物は、私の想像では完全な健康状態となっていて、すぐに健常者として動き出すものだと思い込んでいたのだが、実際は全く違う様で、死んでいた者が瀕死の状態になった程度の回復しかしていない。
この後は、体力の回復や肉体の治癒を促すとか、私があのキマイラに対して行う事はあるのだろうか。
それとも魂を戻すところまでがこの壺の精の力の範疇で、もう用済みなのだろうか。
出来る事なら、この秘儀の結果を見届けたいと私は望んでいる。
それを決めるのはあのシャーマンなのだと思い、私は彼へと目を向けた。
シャーマンは老人が動き出したのを確認してもそれでも表情を変えず、新たな工程があるらしく部屋の奥へと向かい、扉から外へと出て行った。
仕方なく私は残る二人に目を向けた。
医者は老人が動いたのを見て、有り得ないものを見る様に数秒目を奪われた後、顔を背けてカバンに入っていた小さな酒瓶を取り出し、一気に呷って現実逃避に入ったようだ。
貴族は老人に近づき、その若返った体の手を取りどうやら何か声をかけているのだが、その内容は理解出来ない。
そうしている内に、シャーマンが握り拳より一回り程大きい麻袋を右手に持って戻って来た。
その袋の底の部分は血が滲み、赤い雫が一定の間隔で滴っている。
シャーマンは無言で部屋の奥から大きなすり鉢とすりこ木を抱え上げると、麻袋と共に持ち上げて壺の前まで運び、まずすり鉢とすりこ木を床に置いてから、血の滴る麻袋をその脇に置いた。
すぐに麻袋の口を解き中身を取り出して、それをすり鉢へと入れた。
それは小動物か何かの様に思えるのだが、いまいち判断がつかない。
しかし良く見るとそれは小動物ではなく、シャーマンの手よりも若干大きい程度の小さな人間の胎児で、ぐったりとして全く動かない様子を見るともちろん生きてはいないのだろう。
シャーマンは無言でそれを手で掴み上げると、腰に差していた短剣で煮込み料理の肉を下拵えするかの様に、細かく切り刻んですり鉢へと肉片を落としていく。
それを見た貴族は禁忌を見るかのような引きつった表情をして、無言で老人の手を離して部屋の奥へと下がった。
医者はもうシャーマンを全く見ておらず、ちょうど先程口をつけた酒瓶を飲み干したところだった。
シャーマンは他の二人の動向など一切気にかけずに自分の作業を淡々と続けており、細かな肉片と化した刻んだ胎児を、今度はすりこ木で磨り潰していく。
今やこの部屋の中は、胎児を磨り潰す嫌な音と老人の不規則に乱れる呼吸音だけが、かすかに響いている。
嫌な音が止んだのは、三十分ほど経った頃だった。
すり鉢の中身は胎児の面影も完全に無くなり、もはや粘度の高い赤黒い泥水と化していた。
シャーマンはすりこ木を置いて、袖の隠しから文様が描かれた底の浅い小さな容器を取り出し、すり鉢の中身をその小皿へと流し入れそれを持って再び立ち上がると、私の前へとやって来た。
どうやら私にもまだやる事がある様で、この後シャーマンの新たな詠唱が始まった。
「精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け。
聖なる水を見よ、最も尊い命の根源より作りだした聖なる水を見よ。
この水に与えよ、全能なる癒しの力をこの水に与えよ。
この水に与えよ、その吹き出す癒しの息で以ってこの水に与えよ。
精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け」
この命の根源として液化した胎児は、間違いなく妊婦を堕胎させるか、或いは腹を裂いて取り出したのかどちらか判らないが、いずれにしても凄惨な光景が脳裏に浮かんだ。
既に大量の生贄から取り出された心臓を見ていたとはいえ、目の前で胎児をすり潰した行為は格別の残虐な印象を私に与えた。
その行為を無表情で淡々と実行するシャーマンに、人間としての何かが既に欠落しているのではと、しばらくその精神状態を疑いながら私は彼を見続けていた。
詠唱を終えたシャーマンは数歩ほど後ずさり、私がすべき事を完了するのを待つ体勢を取っている。
私はシャーマンの細かい指導付きの詠唱によりやるべき事は理解出来たが、ここで私の心中にはある迷いが生じていた。
儀式とはいえ、共に成し遂げようとしている仲間すら、その非人道的な行為に恐れを抱く行動を取る男の指示を、聞き続けていて良いのだろうかと。
しかしもう一方の意思は、ここまで来ておいて今更それを考えたところで何も利益はなく、むしろ儀式の失敗によってこの犠牲全てを無駄にするだけではないかとも思えた。
それに倫理やモラルの考え方は、人・国・時代・情勢が変われば変化するものであり、今私が抱いているあの聖なる水に対する不快な感情も、あのシャーマンの世界にとっては詠唱にあった通り、多分人間が用意出来る最も尊い物として定義され、それに力を与える為の儀式もまた嫌悪すべきものではなくて、神聖で厳粛な行為なのだろう。
シャーマンはいたずらに、あの聖なる水を作り出しているのではないのだ。
私は迷いに結論を出し、シャーマンの儀式を成就させるべく詠唱の指示について検討を始めた。
私のこの肉体は声を出すのは出来なかったのに、息を吐くのは出来ると言うのだろうか。
大いに疑問を感じるところではあったが、要求されたからには立場上やらざるを得ない。
早速息を吸う様に努力してみるが、やはり空気を吸い込む先がない、と言うより、私自身が気体なので取り込む事自体も難しい。
私は考え方を変えて、シャーマンら人間が見て息らしく見えるのが何かを考えてみた。
それは糧の力の事なのではないだろうか。
今まではそれを手から出していたが、息の様に口から吐き出した風にすると、そう見えるのではないか。
約一分程考察してそれ以外の名案は浮かばなかったので、これで行く事にした。
私は口へと糧の力を集めながら、それが治癒の力となる様に念じてみる。
この辺りから、たんだんと肉体に疲労感が現れ始めた。
かなり長い時間この地に居続けられたが、さすがにそろそろ糧が枯渇し始めているらしい。
何とか儀式の結果が判るまで残っていられると良いのだが。
私は十分に念じただろうと言うところで、身を屈めて口から糧の力を聖なる水へと放出する。
力は白い息の様に吐き出されて、差し出された小皿を白い煙で覆い見えなくさせた。
こうして力を放出すると、糧の消耗から来る肉体への疲労感は確実に強まっていくのを感じた。
私は適当なところで放出を止めて体を起こすと、それを見届けたシャーマンは再び前へと出て、小皿の前で膝を着き恭しく両手で小皿を持ち上げ、そのまま老人のところへと進んでいく。
老人の頭の脇に立ったシャーマンは、声が小さすぎて聞き取れない呪文らしき言葉を唱えつつ、左手の人差し指を小皿の中に浸して、その指で老人の首の傷口を塗りつぶすように線を描いた後、その線から湧き出すかのように更に線を描き足しつつ、直線と円で構成された複雑な幾何学的文様を描いていく。
そしてそれが描き終わると、残った聖なる水を老人の口へと流し込んだ。
貴族はその行動を見て思わず椅子から立ち上がったが、結局は何もせず、いや、何も出来ずに、の方が正しそうだ、再び椅子に座り直した。
シャーマンは、最後の一滴まで老人の口に注ぎ終えると同時に呪文を呟くのを終えた。
すると間もなく、老人の体に大きな変化が現れた。
みるみるうちに蒼白だった顔色は赤みを増して行き、聞き苦しかった呼吸音も穏やかに変化した。
そしてずっと開いたままであった目は瞬きを繰り返し、指先や足は僅かに動き始めた。
容態の変化に気づいた貴族と医者が早足に老人の元へと向かい、その奇跡の治癒の成果を目の当たりにして、両者とも驚愕の表情で固まっている。
ここまで見届けたシャーマンは、しばらく老人の様子を見続けた後にその場から無言で離れて、再度私の壺の前へと戻ると座り込んで目を閉じた。
そんなシャーマンには全く気にかけず、二人は口を開けて老人を魅入っている。
手足を揺らす様に動かしていた老人だったが、その動作は次第に大きくなり、やがて手足を痙攣の様に激しく暴れさせ始めて、それと同時に瞬きも止め処なく続けていて、更には意味を成さない言葉と音の羅列である奇声と言うべき声を発し始めた。
それを見た貴族は老人の体にしがみつき、正気に戻れとでも呼びかけているのか、必死に声をかけ始めた。
まさに天国から地獄へと落とされた気分だったろう、ほんの五分前まで抱いていた成功が今まさに瓦解し始めたのだから。
医者は老人の急変を見て、シャーマンが行った最後の行為の跡である、老人の首の文様と唇に付着しているものを訝しげに睨みながら、老人の様態を見定めようとしているようだ。
老人は時が経つにつれてそのひきつけの様な暴れ方は酷くなり、奇声も途切れる事無く続き、しまいには全身でのたうち始めてしまい、貴族は若い奴隷の肉体の力に負けて後方へ弾き飛ばされた。
医者はその被害に遭う前に素早く後ずさり、どうにもならない勢いで暴れ狂う、かつて死んでいた患者を見つめていた。
老人は今や祭壇から転げ落ちんばかりにもがき、近くにあった燭台を長い手足でなぎ倒していく。
身の危険を感じた医者は急いで部屋の奥まで避難し、起き上がった貴族も信じられないものを見るかのような顔で後ずさっていく。
ついに祭壇の奥へと転げ落ちた老人は、這うでもなく、転がるでもなく、全く予測出来ない不自然極まりない動きで辺りを動き回り、たまたま手に当たって倒れた燭台を掴んで振り回している。
まるで体の全ての部位が別々の意思を持って、括りつけられた頚木から逃れようと足掻いているかの様だ。
それはもう人間とは言えない姿、ただの怪物だった。
私はここで悟った、儀式は失敗したのだと。
私はだいぶ蓄積してきた疲労とだんだんとぼやけていく煙の体を見ながら、この目の前にある惨状を眺めていた。
何が問題だったのかは私には判断がつかないが、とにかく失敗したのだけはもう明白だった。
儀式の失敗が分かっていたのかどうか、その心情を知る事は出来ないが、シャーマンは荒れ狂う怪物に目をむける事もなく瞑想に入ってしまったかに見える。
怪物は唸り声とも叫び声とも悲鳴とも聞こえる咆哮を上げて、不規則に蛇行しながら部屋の奥へと進んでいる。
医者は悲鳴を上げて部屋から逃げ出そうとしているが、腰が抜けてしまい、全くその場所から動けずにいる。
貴族の方は、こちらもまた医者とは多少異なるショックを受けており、もう後ずさる事すら出来ない様子だ。
ここでシャーマンの目が開かれ、私を見上げて詠唱を始めた。
「精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け。
殺せ、あの哀れな化物を殺せ。
殺せ、苦痛にもがき苦しむあの化物を殺せ。
殺せ、壊れた魂を宿したあの化物を殺せ。
捧げよう、その代償として我が魂を捧げよう。
精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け」
シャーマンはそう言い終えると、袖の隠しから取り出した小さな包みを開いて口に流し込み、更に腰の短剣を右手で引き抜くと、自らの首の右脇に押し当てて一気に首を斬り裂いた。
彼の首から溢れる鮮血は、もう誰も居なくなった左の祭壇を血に染めていく。
このシャーマンの行動には私も呆気に取られてしまい、しばらく放心状態になった。
何故自らの命を捧げてあの化物を殺す契約を結んだのか。
儀式の失敗の責任を自らの命と引き換えの契約で、失敗作を片付ける事によって取ろうというのだろうか。
その行為はこのシャーマンの個人的な意思なのか、それとも部族として儀式を司る者としての掟なのか。
それを聞ける相手はたった今、まさに絶命しようとしているところだ。
この精霊は老人の魂の時と同様、魂の声までは聞きとれないのだから、もうシャーマンから何かを聞くのは不可能だ。
この新たに起こった惨劇に対して、貴族と医者は意外にも態度は変わらなかった。
いや、もう既に彼らの中の恐怖の許容量を大幅に超えてしまい、これ以上の異変を現実として受け入れるのを拒絶しているのかも知れない。
その間にシャーマンの体から、白いものが滲み出るように肉体から立ち上っていく。
絶命したのだろう、これがシャーマンの魂と言う事か。
その魂を見て、私はこの儀式の失敗の理由の可能性として、私自身が原因ではないかと疑うべき証拠となるものを見た。
それはシャーマンの魂の形状だった。
その魂は白い歪な塊ではなく、シャーマンを模した半透明の姿をしていた。
つまり老人の魂は、どういう理由かは分からないが壊れていたのだ。
ここでシャーマンの最後の詠唱の言葉にも、壊れた魂、と言う件があったのを思い出し、魂の破損こそが儀式失敗の理由であるのが濃厚になった気がした。
私の行動に問題があったとすれば、一体何だったのか。
思わず、だんだんと上方へと漂い向かうシャーマンの魂に念じて呼びかけてみるが、やはり返答は無い。
奴隷の魂が見つからなかったのがその答えに繋がりそうだと思えたが、ここではこれ以上の事は分からない。
蘇生の奇跡の失敗は私としても残念ではあったのだが、その後のシャーマンの最後の詠唱が、実は今までに無い行為であった事に気づき、それについて良く考えるべきだと思い始めた。
シャーマンが最初に行った召喚は、老人を蘇生させる為としてここへと私を呼び出した。
その状態でシャーマンは新たな別の依頼内容の召喚の儀式を、言ってみれば再召喚と言うべきか、を行ったのだ。
これは果たして、召喚中での別の召喚に当たるのだろうか、それとも最初の召喚はある意味完了していて、私は気づかぬうちに依頼の束縛を免れていたのか。
それとも重複する召喚だったのか、いずれにしてもこれは願っても無い特殊な状況で、絶好の機会を彼は与えてくれた事になる。
呼び出された状態での追加の召喚なのか、重複の召喚なのかについては、後で紳士と検討する事にして、この貴重な依頼は是非とも成功させて、シャーマンの再召喚が正当な召喚となったのかを確かめておきたい。
私はシャーマンの最後の契約を成就させるべく、その詠唱に従って、まずは新たな召喚の生贄となったシャーマンの魂をこちらへと呼び寄せる。
自ら宣言して逝ったので、その自覚を持って死んでいったのだろう、シャーマンの魂はまっすぐに私の元へと近づき、この器へと吸収された。
すると、消耗しつつあった証の苦痛が和らぎ、やがて充足感に満たされた。
これで再召喚の儀式も、正当な召喚として受理された事が証明された。
後は再召喚の依頼内容を遂行するだけだ。
私は最後の契約を果たす為に、化物を殺す手段を検討して、実行に移さねばならない。
この私の死を司る力は、どの様にすれば発揮出来るのか。
生を司る力は、魂を捕らえ、肉体へと戻す事が出来た。
ならばこの手で逆の行為である、肉体から魂を抜き取る事は実行可能なのではないか。
だんだんと部屋の奥へと進んで離れつつある化物に対して、私は攻撃が届かなくなる前に即座に行動を起こした。
私は右腕を高く掲げた後、叩きつける様に勢い良く化物へと振り下ろした。
化物は今までに無い金切り声の絶叫を発しながら、更に激しく四肢を暴れさせるが、私には影響を及ぼす事は無かった。
想像していた通り、化物の肉体には何の抵抗も感じずに拳はすり抜けていくが、頭部にだけは柔らかな弾力のある抵抗を感じた。
これが魂の塊に違いない、私はそれを鷲掴みにして、頭から引きずり出すべく懇親の力で引っ張った。
しかし、引っ張り出す前に二つの想定していなかった事が起きた。
一つは結果的には問題無かったのだが、魂を引っ張り出す前に頭の中で潰れてしまった事だ。
ガラスが割れるような音も無く、言うなれば空気の入った袋が圧力に負けて破れて潰れるかの様な感覚で、溢れ出た化物の魂は淡い霧の様に周辺に霧散し、掠れ、消えていく。
それと同時に化物は脱力してその場に崩れ落ち、何も言わず動かなくなった。
もう一つはこれは不運と言うべきだろう、化物が脱力して倒れる際に持っていた燭台の一つが放り出されて、私の発生源たる細身の壺を直撃して粉砕した事だ。
これにより私の肉体は持続出来なくなり、糧が尽きるよりも早くに消滅していくだろう。
器の発生源が破壊された後遺症か、視界も急速に悪化していく。
その所為で、残った二人の行動をはっきりとは見る事が出来なかったが、顛末は朧げにだが理解出来た。
化物が動かなくなったのを見た二人は、まず本当に死んだのかを確認して、間違いなく絶命しているのを知る。
その後医者はシャーマンも死んでいるのを確認した後に、失敗の原因をシャーマンの失態に因るとでも言ったのだろう、激しいジェスチャーを交えて貴族へと訴えている。
だが貴族はそんな医者の言葉を全く聴こうとせず、部屋の扉へと向かい、扉の脇の何らかの細工を動かしている。
それはどうやら衛兵の詰所への合図にでもなっていたらしく、甲冑姿の衛兵の一団が部屋へと入って来て、今まさに逃げようとしていた医者を捕らえた。
抵抗して暴れる医者だったが、複数の男達に押さえつけられてしまい観念したらしく大人しくした後、部屋を出て行こうとした貴族に対して何か暴言らしき言葉を吐いた様だ。
それを聞いた貴族は、衛兵の一人が佩いていた剣を差し出させると、抜き放って医者の胸を一突きにする。
医者は絶叫の後に動かなくなり、貴族は衛兵に何か命じて、衛兵はシャーマンと医者の二つの遺体と所持品一式を部屋から運び出して行く。
そして、貴族が化物をもう一度一瞥したところで、私の視界と意識は途絶えた。