第二章 キマイラ2 其の二
変更履歴
2010/09/23 誤植修正 召還 → 召喚
2011/01/03 誤植修正 以外 → 意外
2011/05/31 誤植修正 向かえて → 迎えて
2011/06/27 誤植修正 今だ → 未だ
2011/08/18 誤植修正 例え → たとえ
2011/09/03 句読点修正 “、” → “。”
2011/09/23 記述統一 容れる → 入れる
2011/09/30 記述修正 詠唱部分レイアウト調整
2011/09/30 記述修正 ここに有る → ここに在る
2011/09/30 記述修正 しばらくの間 → 暫しの間
2011/09/30 記述修正 私に対しては別の手段で → 私に対しては
2011/09/30 記述修正 意思の疎通が出来たのは、 → 意思の疎通が出来た事に、私は
2011/09/30 記述修正 精霊という立場としては → 精霊という立場として
2011/09/30 記述修正 そのやり方ではまずい気がしていた → そのやり方ではまずい気もする
2011/09/30 記述修正 入れ替えたいのであれば、 → 入れ替えるのに、わざわざ
2011/09/30 記述修正 単純に、殺して魂を → 殺して魂を
2011/09/30 記述修正 主要な動脈と静脈を → 主要な動脈と静脈のみを
2011/09/30 記述修正 心情だった → 心境だった
2011/09/30 記述修正 均一な透明度の → 均一な透明度をした
2011/09/30 記述修正 この時間は → この部位での経過時間は
2011/09/30 記述修正 シャーマンが血塗れになって → 血塗れになったシャーマンが
2011/09/30 記述修正 まずは老人の頭、脳に入れる、と言った方が正しいのだろうか、へと → まずは脳に入れると言った方が正しいのだろうか、老人の頭へと
2011/09/30 記述修正 結果を待っているようだ。ここは~ → 結果を待っており、ここは~
2011/09/30 記述修正 残り部分を → 残る部分を
2011/09/30 記述修正 排水口へと → 排水口らしき床と同じ高さにある穴へと
2011/09/30 記述修正 先程よりも輪をかけて → 先程よりも更に輪をかけて
2011/09/30 記述修正 均一な透明度の → 若干淡い色合いの
2011/09/30 記述修正 老いた魂たる、老人の魂を → 老いた老人の魂を
2011/09/30 句読点削除
2011/09/30 誤植修正 このしかし → しかし
2011/09/30 誤植修正 縫合範囲の割りに → 縫合範囲の割に
2011/09/30 誤植修正 不快や表情をしていれば → 不快な表情をしていれば
2011/09/30 誤植修正 いつの間かに → いつの間にか
貴族と医者は、流血が弱まりつつある老人の切断された首を、頭部を載せた台ごと慎重に持ち上げて、奴隷の祭壇へと運び始める。
それと同時にシャーマンは、未だ鮮血を吹く奴隷の若者の首を台ごと抱え上げると、祭壇から離れた壁際へと持って行き、床に置いた。
たちまち床は血溜りが出来て、みるみるうちに大きくなるかと思いきや、どうやら壁際の床は排水の仕組みなのか、外側に向って行くにしたがって傾斜しているようで、血溜まりはあまり大きく広がる事無く排水口らしき床と同じ高さにある穴へと流れていく。
血塗れになったシャーマンが左の祭壇まで戻ると、その頃には二人は、老人の首を奴隷の首があった場所に置き、断頭台も外し終えて、医者が次の工程と入るところだった。
貴族の顔から先程までの歓喜した表情は消え、医者が行うのであろう、次の難関に対して不安げに硬い表情をしている。
そんな貴族の前を通り過ぎ、二つの祭壇の間から前へと進んだシャーマンは、私が漂い出ている細身の壺の前へとひざまづき、低くて良く響く声で詠唱を始めた。
私は彼の言葉に耳を欹てて、一言も聞き漏らすまいと構えた。
「精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け。
男の、二人の男の、ここに在る、彷徨う魂がここに在る。
魂は、若い魂は、捧げよう、貴方に捧げよう。
魂は、老いた魂は、返して欲しい、我らの元に返して欲しい。
精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け」
理解出来た詠唱の内容は、意外と短かった。
最初と最後の言葉は、常に同じ文言を繰り返すらしい。
一文節の後半を反復する独特な言い回しで口数は多いのだが、一つの単語が長く、語尾や最初の文字を伸ばして話すので、長い時間語っている割には内容が少ないようだ。
それでも私は、この世界の人間の意思が音として理解出来た事にとても驚き、そして感動していた。
今までずっと失敗続きであったから、ロバの紳士の言葉を否定するつもりは無いが、私にはそういった機会は訪れないのではないかと、少々心配していたのだ。
相変わらず無表情に私を見るシャーマンへ、私はあまり考えずに声を出して答えようとしてみたが、この体は全てが煙で出来ているので音を発生させる器官は持っておらず、声を発生させて喋る事は出来なかった。
そこで、このジェスチャーで通じるのかが疑問であったが、とりあえず頷いて見せた。
シャーマンにはその応答が意外だったようで、一瞬目を見開いて驚いたような表情をしたが、すぐに平静を取り戻して新たな詠唱を始めた。
「精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け。
応じるのならば、我が願いに応じるのならば。
従え、我が要求に従え。
掴んで掲げよ、老いた魂を掴んで掲げよ。
掴んで掲げよ、その右の手で以って掴んで掲げよ。
精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け」
あのシャーマンには、頷くというのは承諾とは取られない行為だったのだろうか、貴族との会話で相槌をうっていた気がしたのだが、私に対しては体の動きで確認する方法を取る様に告げてきた。
ここで初めて、この世界の人間と意思の疎通が出来た事に、私は先程よりも更に輪をかけて感動していた。
ロバの紳士とは幾度となく会話を続けていたが、やはりそれとこれとは全く別で、まるで苦労して作り上げた物が完成を迎えて、無事に動作したかのような心境だった。
だが、あまり悠長に感慨に浸っている場合でもなく、シャーマンの指示に従わなくてはならない、いや、従っておかなくては先に進まない。
まずは、老いた魂を見つけなくては。
私は祭壇のある場所から、その真上に当たる天井までを眺め、魂らしきものを探す。
紳士の時の話では、その人間の姿をした白い半透明の姿と言っていたのを思い出しつつ、下には見当たらないので上を見た時、私は困惑した。
天井付近は、換気口らしき小さな穴があるにはあったが、その排気能力が追いつかず、没薬の煙と私の体から登る霧で、ほとんど天井が見えない程に煙っていたのだ。
これではこの中に魂の白い塊があったとしても、どこにあるのか判らない。
ここで私は、シャーマンの言葉をもう一度思い出して考えてみる。
シャーマンは右手で掴めと言っていた、という事は魂は触る事が出来る存在だ、ならばこの煙の中に手を入れて、探っていけば見つけられるだろうか。
しかしそれでは精霊という立場として、そのやり方ではまずい気もする。
手で探って魂を探している様なそんな姿を見れば、このシャーマンは召喚された私が不完全な存在だったとみなして、儀式を中断するのではないかという恐れが私の脳裏に浮かぶ。
何故なら、このシャーマンからは初めにその姿を見てからというもの、ただの一度も感情らしいものを見せていないからだ。
あの貴族のように歓喜していれば、こちらが多少おかしな行動を取ったとしても、逆に儀式達成の為に必死になって手段を講じるであろうし、あの医者のように不快な表情をしていれば、例えば貴族に強制された上での協力ならば、隙あらば失敗させようとするだろう。
しかしこの召喚者はどちらの感情も表していない、故に彼自身がどうしたいかが掴めないが、ただ一つ言えるのは、この儀式が順調にさえ進んでいれば遂行させようとしている、と言う事だけだ。
だからこそ、少なくとも今までの水準以上、このシャーマンが認める程度の精霊らしい行動を取り続けなければならない。
私は数少ないシャーマンからの情報を再度検証して、打開策をひねり出そうと詠唱の言葉を思い出していた。
まず私は生と死を司る精霊だ。
恐らくは、魂を自在にかある程度か判らないが、操れるのではないだろうか。
“嘶くロバ”と同じ手は使えないだろうか、魂に向かってこちらへ来るようにと呼びかけてみるのだ。
これならシャーマンには、妙な動きをしていると怪しまれる事もなく、たとえ失敗しても気づかれまい。
私は頭上の煙に向かって、老いた老人の魂を招きよせようと、強く念じ続けてみた。
煙は確認した当初から僅かな対流を起こして天井を回っていて、まるで雲のようにゆっくりとところどころが蠢きつつ、全体としては移動を続けている。
この動きが一部の場所で乱れ、屯する煙よりも若干淡い色合いの白い塊が、ゆっくりと煙の雲から抜け出して、下の私の元へと近づきつつあった。
それを目にしてひとつ気がついたのが、まずその形状だった。
輪郭などは老人の姿はしておらず、言うなれば丸い歪な雲といった形状をしているのだ。
これはやはり召喚方法や器たる存在が具有する力の差異で、魂の見え方も変化するのかも知れない。
この精霊が扱う魂の形は、こうした肉体の形状を模したものではないのだろうと推測し、その煙の球を招き寄せ右手を上に上げて手で捕まえてみる。
すると、まるでそこにその大きさの物体が有るかの様に、右手に質量を感じた。
私は老人の魂を捕らえるのに成功したと確信して、再びシャーマンに顔を向けた。
シャーマンは私の姿を確認すると、新たな詠唱に入った。
「精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け。
待て、暫しの間そのままで待て。
待て、魂を返す場所が出来るまで待て。
待て、魂を壊さずに待て。
精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け」
魂を返す場所、とは、あの奴隷の体と老人の首の事だろう、あの医者が現在行っている手術の完了まで待てという事か。
私はシャーマンから目を離して、今度は医者の方に目を向けた。
医者は老人の首を運んで奴隷の胴体の所に設置した後、それまでの行動からすると意外な程に、無言で集中して何らかの手術を行っていた。
いつの間にか十を超える燭台が左の祭壇の周囲に配置されて、医者と横たわる奴隷の首の周囲を明るく照らしている。
もう間違いないだろう、彼らが執り行っている秘儀は、反魂、いわゆる蘇生だ。
ただし単に死んだ亡骸に魂を戻すのではなく、肉体を入れ替えて若返らせるのか、或いは肉体から来る寿命を回避させようとしているらしい。
これはある意味、蘇生というよりは合成した人間、人のキマイラの生成と言うべきではないかという気がした。
シャーマンは蘇生対象たる老人の魂を肉体に戻させる役で、あの医者が肉体を若い奴隷と入れ替えて、肉体を復活させる役目を担っている。
それを何らかの方法であの二人に依頼、もしくは強要したのがあの貴族、恐らく老人の子息といったところだろう。
医者は手術を開始してから全く休む事無く、手を動かし続けて患者、と言っていいのか、の頸部を縫合しての接合を行い続けていた。
まずは切断面の最も内側にある、食道を繋いでいるようだ。
私にはそういった知識は無論無いのだが、手際は悪くは無い様に私には見える。
彼はああ見えても、外科医としての腕は良い医者なのかも知れない。
私はここで一つの疑問を感じていた。
単に肉体を入れ替えるのに、わざわざ奴隷と老人の首を付け替えなければ出来ないのだろうか。
殺して魂を離れさせた後に、老人の魂を奴隷の体に入れる訳には行かないのだろうか。
まあ、初めからこれが出来るのであれば、わざわざ首を切り落としたりはしていないだろうから、多分無理なのだろう、この制約は壺の精霊故のものなのか、それとも頭と魂は切り離せないのが如何なる神でも同じ制約なのだろうか。
こういった疑問はここでは判る筈も無いから、戻ってからロバの紳士に尋ねるとしよう。
貴族は奥から持ってきたのか椅子に腰掛けてひたすら医者の手術を見つめていて、シャーマンはと言うと私に対する儀式は一旦休止のようで、私の前から離れて香炉へと香を継ぎ足したり、台座に載った生贄の心臓を確認したりしている。
次の工程へと進むには、魂の戻し先である体の完成を待つより無いらしい。
私は医者の手術を眺めつつ、大人しくその時を待つ事にした。
手術の完了を待つ間、私は気になっていた事を確認する手段について考えていた。
それは残っている筈の奴隷の魂の事だ。
シャーマンからはその魂は私に捧げられているので、どうしようと私の自由の筈だ。
どうせなら糧として取り込んでおいた方が良いだろうと思い、老人の魂と同じ手法で念じてみたが、奴隷の魂が頭上の煙から出てくる気配は無い。
私がここに来てから老人と同時期に殺されたのだから、トンネルの呼び出しに使われてしまったとも思えず、改めてこの部屋を見渡しても見えるところにそれらしき姿もない。
もしや私は二つの魂を掴んでいるのではとも考えて、右手の白い塊を良く見てみるが、形こそ人の姿では無いがそれはまぎれもなく一つの塊だった。
手を上げて確認するのはシャーマンの手前、試す訳にもいかず、私以外に取り込む存在はいないだろうから、自然消滅でもしてしまったのだろうか。
私は、二人の首を切り落とした時の状況を思い返してみた。
貴族とシャーマンがあの断頭台を使って首を切り落とした時、両者の体から白いものが登っていった様な気もしたのだが、溢れる血に気を取られてしまい、実際のところ良く覚えていない。
奴隷の魂は、その理由は何故かは判らないが、もはや跡形もなく消え失せてしまったようだ。
これ以上この件は考えてみても埒が明きそうに無いと判断して、私は再び医者の手術へと目を向けた。
手術にかかった時間は正確には判らないが、燭台の蝋燭は一度貴族の手により取り替えられた。
この燭台に使われている蝋燭はそれほど大きい物ではないので、一本一時間として二時間程度が経過したようだ。
医者の手術は、食道の縫合からその周りの血管の縫合へと進んでいた。
血管といっても、恐らく主要な動脈と静脈のみを繋いでいると思われ、あまり良くは見えないが、どうやら食道の側面に二本ずつ血管らしき穴が見えた。
医者はその二つずつある穴の内側、恐らく動脈だろう、の向かって左側面の血管を縫合していた。
それにしてもこの煙の巨人の視力は素晴らしい、距離にして12m程度はあろう、患者の首の切断面がはっきりと見えるのだから。
血管の縫合にかかった時間は食道よりは短く、約一時間程が経ち、次は脊椎内とその周辺の神経の結合に入った。
これに二時間程費やして、今までよりもかなり慎重に行っていた様な印象を受けた。
そして最後の縫合だろう、首の周囲の筋肉と皮膚の縫合が開始された。
この部位での経過時間は縫合範囲の割に比較的早く約一時間程で完了し、ついに医者はずっと繰り返していた医療棚と祭壇の往復を終えて、手にしていた器具を医療棚へと置くと、額を拭って大きく肩で一度息を吐き、後方に置かれていた椅子へと崩れる様に座った。
椅子に腰掛けてこの時を待っていた貴族は、待ち焦がれていたのだろう、医者へと詰め寄って何かを尋ねている。
医者はそれに対して露骨に鬱陶しげな態度で応じていたが、あれだけ長時間の手術を休みなく行えばその態度は当然とも思えた。
疲れ果てた医者の口から完了したのを確認出来たのであろう、貴族は医者の肩に手を置いて一言声をかけた後、この長時間椅子には座らず地面に直に座り、目を瞑り瞑想していたシャーマンの元へと近づき声をかける。
シャーマンは目を開き、すっと立ち上がって貴族の言葉に反応して返答すると、再び私の壺の前に立ち詠唱を始めた。
「精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け。
時が来た、その力を見せる時が来た。
魂を返せ、その右の手にある魂を返せ。
魂を返せ、この新たな若い肉体に返せ。
精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け」
遂に時は満ちたようだ。
私は身を屈めて、右手に掴んだ未だに蠢いている魂をゆっくりと、左の祭壇に横たわる若い奴隷の体を得た老人の首へと近づけていく。
ゆっくりと近づけているのは単に私の時間稼ぎで、この間にシャーマンからの新たな指示が来るのを期待していた。
シャーマンは私の期待に答え、新たな詠唱を発した。
「精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け。
魂を返せ、元の居場所たる男の頭へと魂を返せ。
魂を返せ、この男の意識の根源たる魂を返せ。
魂を返せ、この男の命と共に魂を返せ。
精霊よ、生と死を司る精霊よ、聞け、我が願いを聞け」
魂は老人の頭部へと戻すのは理解出来たが、命に関してはどうするのだろうか。
彼はもう詠唱をする気配は無く、静かに左の祭壇を見つめ結果を待っており、ここは自分自身で判断するより無いようだ。
この器にそれだけの力は既に秘められていると見て、私は内在した糧の力を右手から放出してみる事にした。
まずは脳に入れると言った方が正しいのだろうか、老人の頭へと掴んでいた魂を押し当てて、それが正しいのか分からないが頭に入れと念じた。
すると、試す前はすり抜けてしまうのではないかと心配していたが、やってみるとむしろ逆で、常にもがく様に動いていた魂は、泥の中に物を押し入れるかの様な手応えと共に、じわじわと頭の内部へと浸透していく。
そしてほとんどその白い姿が見えなくなったのを確認して、掴んでいた手を離して残る部分を押し込みつつ、次に行うべき命を与える作業を試みた。
この体の全身に満ちている糧の力を、右手へと集まるように意識を集中する。
そして右手へと力が集約されたのを確認すると、蘇れと念じつつ、その力を老人の頭に向けて解き放つ。
これで失敗したら、もはや打つ手はなく後は無いだろう、私はとにかくひたすらに命が戻るように念じ続けた。
その間も三人の男達は、三人三様の体で、この儀式の結果を待ち構えている。
期待と興奮の感情を高ぶらせる貴族。
疲労と不安と戦慄の表情を浮かべる医者。
そして依然として表情を出さず無感情のシャーマン。
彼らの求めるこの儀式の結果は一致しているのだろうか、それとも皆異なる展開を望んでいるのだろうか、三人を見てふとそんな疑問が浮かんだ時、老人は唐突に目を開いた。
合成された人型のキマイラが、遂に目を覚ましたのだ。