第一章 キマイラ 其の二
変更履歴
2010/09/23 誤植修正 召還 → 召喚
2011/03/27 語句修正 直径20cm程度 → 直径20センチ程度
2011/04/07 誤植修正 様子を伺いながら → 様子を窺いながら
2011/04/11 小題修正 キマイラ1 → キマイラ
2011/08/28 記述修正 ~鏡像達を左右交互に眺めた。鏡像は~ → ~鏡像達を左右交互に眺めると、鏡像は~
2011/08/28 句読点変換 “。” → “、”
2011/09/11 誤植修正 直径20センチ程度程度 → 直径20センチ程度
2011/09/14 記述統一 1、10、100 → 一、十、百
2011/09/21 誤植修正 綱 → 鎖
2011/09/24 記述統一 一センチ、十メートル → 1cm、10m
2011/09/24 記述修正 二十人ずつに分かれて、それぞれ前後の鎖を持って → 二十人ずつに分かれてそれぞれ前後の鎖を持ち
2011/09/24 記述修正 高い天井を見ると → 天井を見ると
2011/09/24 記述修正 その見た目どおりに → その見た目の印象どおりに
2011/09/24 記述修正 どちらにせよ、少々ここの人間の力を → どちらにせよ、ここの人間の力を
2011/09/24 記述修正 運ばれるのは間違いないだろう → 運ばれるだろう
2011/09/24 記述修正 遂に祭壇の島へと上陸が始まった → 遂に祭壇の島への上陸が始まった
2011/09/24 記述修正 この島は人の背ほど今いる床よりも高く → この島は今いる床よりも人の背ほど高く
2011/09/24 記述修正 大きさ、この島の床一杯の大きさの円が → 大きさで、この島の床一杯に魔法円が
2011/09/24 記述修正 秘文字が描かれていた → 秘文字で埋め尽くされていた
2011/09/24 記述修正 儀式を定めるべきか → 儀式を見定めるべきか
2011/09/24 記述修正 遥かな鏡の奥底まで → 遥かな奥底まで
2011/09/24 記述修正 やはり跳ね橋ほどではないが → 跳ね橋ほどではないが
2011/09/24 記述修正 鏡像は私と一糸乱れず動き → 鏡像は一糸乱れず私と共に動き
2011/09/24 誤植修正 こここれだけの → ここにこれだけの
2011/09/24 誤植修正 出来であろうし → 出来るだろうし
2011/11/17 誤植修正 関わらず → 拘わらず
召喚された大広間を抜けると、この巨大な檻でも二台が並べる程の、横幅がある広い通路へと出た。
大広間の床は、かなり整備されていたようで、移動速度は遅いにも拘わらず、木で出来た車輪はガタガタと揺れが激しい。
通路は緩やかに傾斜しているのだが、この通路が石畳である為に、多くの引き手が必要になっているのか。
だが奴隷達は、それほど力をかけているようには見えない。
通路は、あの大広間と比べると作りも雑で、床の凹凸もそうだが、壁面もやはり地下のせいか僅かに湿気を帯びていて、ところどころに苔が繁殖している。
壁にかけられた松明の間隔はかなり広く、二つの松明のちょうど中央のところでは、光はほとんど届かず、薄暗い。
私は松明の脇を通る度に、天井部を中心に檻の構造を確認する。
この檻は、直径20cm程度の丸太を加工して、表面を滑らかにした後に、何かを焼いた灰だろうか、これを表面に隙間無く塗りつけているようだ。
良く見ると、その灰色の上のところどころに、黒い小さな秘文字らしき文字が書かれている。
どうもこの文字に、何かはっきりとは分からないのだが、妙に引っかかるものを感じる。
今までの召喚でも、こういった文字は床などに書いてあるのを数多く目撃してきた。
確証は無いのだが、この文字は逆さに書いてあるのか、それとも鏡文字になっているのか、そのように感じた。
この疑問はこれ以上考えても、この秘文字を解読出来ないので分からないと判断して、別の箇所に目を向ける。
次に私は、ここに入った際に激しく激突した天井部と、側面の継ぎ目を確認する。
やはり思ったとおり、あの激しい音は単なる打撃音ではなく、檻自身が衝撃で歪んだ音も混ざっていたようだ。
側面の格子になっている丸太と、天井部分の四方の淵の部分とは、側面の丸太が淵の木材に穿たれたくぼみにはめ込まれて固定されている。
そのはめ込まれた部分が、先の衝撃で若干緩み、灰色の塗装がされていない丸太の本来の色が、わずかに見えているのが確認出来た。
やはり、この檻は私の力よりも脆かった様だ。
私はいざという時に備えて、この檻を破壊する際に打撃を与えるべき場所と、そこに効果的に体当たり出来る立ち位置を確認した。
檻の確認をしていると、通路はやがて大きな丸い部屋へと入っていった。
相変わらず、床や壁の質感は変わっていないので、おそらく他の通路と交わる中継地点のような場所なのだろう。
壁面には、今私が運ばれてきたのと同じような入り口がいくつも見えていて、その数は十箇所以上ある。
ここで兵士風の男らが動いた。
男達は、奴隷達に指示を出して、この丸い部屋の中央で檻を停めさせると、壁面の入り口の中の一つを指差した。
奴隷達は無言で、檻に付けられていた鎖のうち、右半分を残して左半分を取り外し、檻の後方の右側へと取り付ける。
どうやら、男が指差した入り口へと、この檻の向きを変えようとしているらしい。
この檻についている車輪は、単に側面についている車軸に、車輪が刺さっているだけの単純な構造で、自在に曲がったり、回転できる構造ではない。
向きを変える場合には、広くて長い場所であれば、緩やかにカーブすることも出来るのだろうが、ここのような狭い場所では、力技で車体を回転させる必要があるようだ。
この数の奴隷達は、この為に必要だったのだろうか。
奴隷達は二十人ずつに分かれてそれぞれ前後の鎖を持ち、兵士風の男の号令に従って、檻を回転させるように檻の内側へ向かって引っ張り始める。
檻の車輪は本来の回転する方向ではない、横からかかる力に悲鳴を上げつつ、ずるずると回り始める。
車輪は半ば引きずられつつゆっくりと回っていき、やがて檻は目的の方向へと向きを変え終えた。
檻が正面を向いたその入り口、いや私から見ると出口というべきか、それは、他の出口とは微妙に違っているのに気づいた。
この出口は、他の出口よりも奥に続く通路が若干暗い気がする。
いや、正確には暗いというよりも、傾斜が下っているせいで、松明の光が見える距離が短い為に暗いと錯覚したようだ。
兵士風の男達は檻の向きを確認して問題ないと判断したようで、再び奴隷達に檻を動かす配置につかせるらしく、先ほど大広間を出た時と同じような言葉で指示を出す。
奴隷達は黙々と再び鎖を付け直して、前後に同数となるように鎖をつけた。
大広間から出る時とは違う指示だったようだ、今度は引き手が前後に必要なのか?
それはつまり、あの通路の勾配が、かなりきつい下りであることを表していた。
案の定、檻は一旦その入り口の手前まで移動させた後に一度停止し、下り坂を降りる準備を始めた。
前方から引っ張っていた奴隷達の一部が、その入り口の脇においてある、大きな三角形をした輪留め、だろうか、それを下りの通路の先に設置している。
まずはあの輪留めまで進めてから、後は加速し過ぎないように、後ろから引っ張る準備を整えて、降りていくようだ。
この通路を下っていく作業は、思いのほか重労働のようで、ここにこれだけの人数の奴隷達が必要になることが分かった。
これだけ重い檻を、慎重にゆっくりと下り坂を進ませる為に、常に後ろから引っ張り、前からは押して、速度を抑止し続けなければならず、奴隷達はそれこそ全力でそれを行っていた。
兵士風の男達も、今までにない緊張した表情をして、指揮を執っている。
このスロープのように下っていく通路は、まだまだ先が見えず、どこまで続いているかが分からないほど深く長い。
私はこの時、ここでひと暴れすれば、なかなか興味深い展開が訪れそうだとも考えていた。
以前に捨てた選択肢だった、逃げ出すのを実行するならば、恐らく今が好機と思えた。
今ここで暴れて檻を破壊し、すばやく檻から飛び降りた後、丸い部屋へと戻って、来た入り口とは別の出口に飛び込む。
少々魅力的な考えだったが、やはりまともに歩くことすら出来ないこの肉体では、そのまま制御されなくなって下り坂を落ちる檻と共に、この通路を滑落する結果になりそうで、それでは無駄に肉体を損傷しただけにしかならない。
やはり大人しく、様子を窺いながら、何かが出来そうな機会を待つことにしよう。
私はそう決断すると、静かに体を横たえたまま、まだ良く見えない通路の先を眺めていた。
下り坂の通路は、最初の大広間から丸い部屋への通路と比べて、十倍はあろうかという長いものだった。
この間にも私に与えられていた力は、肉体の死が進行するごとに比例して弱体化していく。
私はこの力の衰弱する速度と、弱体化の度合いを計算しつつ、目的の場所への到着を待つ。
この檻を破壊可能な力を保持出来ている時刻が、行動を選択する期限となるのは明白だ。
そしてその期限は、はっきりとは分からないが、召喚されてから今までの経過した時間よりも短いと思えた。
目的の場所について、何らかの儀式が始まったら、今度はそれが終わるまで待つのは危険そうだ。
私は次に行われるであろう、何らかの儀式を見定めた段階で、脱出を試みることに決めた。
そして残る力で暴れまわって、彼らを撹乱してみよう。
それで死ぬか殺されるかすれば、今までと同様に戻ることが出来るだろうし、自ら生贄を増やしてみるという検証も出来よう。
私が最後の行動を決定した時、ついに長く続いた通路の先に、新たな部屋への入り口であろう扉が見えてきた。
その扉は両開きで、その重厚な表面には様々な彫刻が施されていて、先ほどいた大広間とは明らかな格の違いを感じた。
前方を指揮していた兵士風の男が、扉に一人先行して近づき、装飾で気づかなかったが、扉に付いていたノッカーで扉を叩く。
その部分は金属で出来ていたようで、かなり大きな打撃音が通路にも響く。
すぐに扉は、その見た目の印象どおりにゆっくりと厳かに開いていき、檻がその扉の前へと着く頃には完全に開門していた。
ついに、目的の場所へと辿り着いたようだ。
檻は歩みを止めずに、その部屋へゆっくりと進んでいく。
その部屋は、最初に召喚された場所を大広間と表現したのが間違いだったと思わせる程の広さで、面積は十倍以上、天井の高さは三倍はあろうかという、広大な空間だった。
まず気がついたのは、床は最初の部屋以上によく磨かれた石材を使用したもので、檻の振動は車輪の歪さから来る緩やかな振動だけとなった。
天井を見ると、全ての壁面は高い天井から地面近くまで達する程の長さを持つ、色々な図柄のタペストリーが吊り下げられている。
その図柄はここでこれから行う事も表していると思われたが、残念ながら、私にはその図柄を理解することが出来なかった。
そしてこの空間の奥には、まるで島のように地面が繋がっていない箇所があり、他の床よりも高くなっているそこが巨大な祭壇だろうと思われた。
その祭壇部分と今進んでいる床の間は広い穴になっていて、その穴の深さはこの位置からは測ることが出来ない。
まるで黒い海に浮かぶ小島のような祭壇は、多分黒曜石かそれに近い光沢のある石で作られていて、側面は白い秘文字に埋め尽くされていた。
その黒曜石の祭壇の幅は、この檻が五台は優に並ぶほどの長さがあったが、そこに直接繋がっている床が見当たらない。
巨大な祭壇の島がある穴の両脇にあたる、こちら側の岸辺とも言うべき箇所に、高い柱が見えていたのだが、よく見るとそれは上げられている跳ね橋の側面で、どうやらあれを下げてあの島へと渡る仕組みのようだ。
跳ね橋の更に奥に当たる部屋の側面に近いところには、跳ね橋ほどではないが、この空間の半分の高さはある細かな装飾が施された、古めかしい柱のようなものが見えた。
これだけの大きさの空間でありながら、今までの倍以上の密度で燭台が立てられていて、明るさは十分確保されている。
更にここには、大量の人間達がいた。
最初の部屋で私を檻へと誘導していた、杖を持つ者達、彼らと同じ姿の人間が数え切れないほど地面にひざまづき、低い声で詠唱している。
檻は、この空間の中央を分断している道を、黒曜石の祭壇へと向かってまっすぐに進んでいる。
祭壇に近づくにつれて、この詠唱する者達の最前列にいる人間が、今まで見てきた姿ではないのに気づいた。
妙に背が高く、角のようなものが伸びている様に見えたのだが、それは間違いではなく、頭部が人間ではなく黒い山羊になっていて、山羊の角が頭部にそびえている。
それにしても精巧に出来た山羊だ、あれは剥製を被り物として作られたものか、彼らがこの儀式を執り行う最も位の高い者、恐らく司祭達なのだろう。
その数は十名程で、杖を持つ者達よりも、明るい緋色のローブをまとい、手には木の杖ではなく、まるで金属の長い槍のような形状の棒を手にしている。
手にした槍状の棒は、儀礼用のものらしく、貴金属を使った装飾が施されているようで、燭台の蝋燭の炎が反射して、キラキラと輝いているのが見える。
檻は、杖を持つ者達がいた道を隔てて、左右に分かれていたところを越えて、山羊の面の司祭達がいる穴の目前に配置された祈祷場所に突き当たると、左へと進路変更して、今度は司祭や穴や祭壇を右手に、左列の杖を持つ者達の最前列を左手に見ながら進んでいく。
山羊の面の司祭達は、通り過ぎていく檻の中の私に目を向けるが、面故に表情が分からないのだが、それほど興味がないのか一瞥しただけで、すぐに祭壇へと体を向ける。
この位置まで穴に近づくと、穴の深さが想像以上で、落ちれば命はないのと、這い上がることも不可能であることがはっきりした。
更に、黒曜石の祭壇に施された側面の装飾は、その穴が見えなくなるところまでもしっかりと描かれていた。
これを人間が作り上げたのだろうか。
私は、ここにいる彼らなのか、それとも別の者達なのかは分からないが、その努力と技術に驚かされた。
もしかすると、召喚した神や悪魔にでもこれを作らせたのかもしれない。
どちらにせよ、ここの人間の力を軽んじて考えるのはよした方が良さそうだと、考えを若干改めた。
檻は、穴の側面の終端で向きを変えて、更に穴の側面を沿いつつ、穴と祭壇を右手にして、この空間の更に奥へと進むようにと回転させられた。
これで間違いなく、私はあの祭壇へ運ばれるだろう。
もうこの頃には、山羊の面の司祭達はきれいに整列して、まるで出番を待つかのように身構えている。
檻が近づいてくる前から、数名の奴隷達が跳ね橋のところで、床に据え付けられている巨大な車輪状のものを回している。
それとともに、跳ね橋はだんだんと大きな軋む音を響かせつつ、地面へと倒れ、近づいてくる。
何故か反対側の跳ね橋の方も、こちらと同じように下げられているようだ。
私はもしやと思い、今いる位置からはちょうど跳ね橋とは反対側にある、先ほどまで装飾された柱と思った物を見た。
それは、装飾がされた巨大な壁、にしか見えない。
その壁の下の方を見ると、これにも車輪がついていて動かせるようになっている。
これと同じ物が向こう側にもあって、恐らくこれから行う儀式で使用するのだろう。
私がこの壁に対する推測をしていると、跳ね橋は下がりきり、遂に祭壇の島への上陸が始まった。
この島は今いる床よりも人の背ほど高く、跳ね橋の勾配を登るのに多少時間がかかったが、無事に登りきって、ついに私は祭壇の島へと辿り着いた。
島の床には、今まで見たこともない大きさで、この島の床一杯に魔法円が幾重にも描かれ、そのそれぞれの円と円の間には、見切れないほどの図形や秘文字で埋め尽くされていた。
私は、ここで再度この肉体の衰弱具合と、残る力の確認を行い、推測どおり最後の足掻く力はまだ残っているのを再確認した。
何故かと言うと、私の本能が、この場所に対してかなりの危険を感じていたからだ。
しかし、この壮大な舞台による儀式が始まれば、彼らの目的は判明する。
それが間違いなく確認できるところまで、やっと辿り着いたのだから、この絶好の機会を捨てることなど選択出来るはずもない。
今すぐにでもここから逃げ出す行動を取るべきか、それともこの儀式を見定めるべきか。
私の心は、直感で感じる恐怖からの逃避と、忍耐の末に得た謎を解明出来る機会の、二者択一の選択肢にどちらも選びかねて葛藤していた。
だが、迷っている間にも準備は進んでいき、檻が、祭壇の島の中央であり、床の模様の中心へと配置されると、兵士風の男と奴隷達は戻っていき、それに入れ替わるように先ほどの車輪がついた壁が、別の奴隷達によって運ばれてくる。
それは左右から同時に運ばれてきて、向きを回転させて床の模様に入る位置で、私の檻が二枚の壁の中央になるように配置された。
その壁と思っていたのは実は裏側で、回転して見えた表は、巨大な鏡になっていた。
よく磨かれた二枚の巨大な鏡が私の檻を挟んで映し出し、双方の鏡の中には無限回廊とも言うべき鏡に映った鏡が、遥かな奥底まで連なっているのが見えた。
私は無限に続く檻の中の自らの鏡像達を左右交互に眺めると、鏡像は一糸乱れず私と共に動き、そして私が止まれば鏡像達も同時に止まった。
それは至極当然のことだ、なにせ鏡に映った姿なのだから。
しかし、何かとても嫌な予感がしてならない。
その時、先程から続いていた低い詠唱が止み、山羊の面の司祭達が一斉に新たな詠唱を開始し、それに呼応して、杖を持つ者達も同調していく。
今まで聞こえていた詠唱とは、何か気迫のようなものが違うと感じた時、鏡像に違和感を感じて鏡を凝視する。
すると、そこには何かが見えた。
この合わせ鏡には映るはずのない、鏡を凝視して止まっている私以外の、蠢く何かを。