序章 其の一 覚醒
変更履歴
2011/08/19 記述削除 本分内小題削除
2011/08/19 改行追加 私は、次なる変化を渇望しつつ~ → 行分割
2011/08/19 改行追加 意識だけで出来ることは → 行分割
2011/08/19 句読点変換 “。” → “、”
2011/08/19 句読点削除 “。が、” → “が、”
2011/08/19 文字変換 半角 → 全角
2011/08/30 改行削除 今目を覚ましたつもりだったが、 → 今目を覚ましたつもりだったが、目を開いても~
2011/08/30 記述修正 たとえ狂気でも。 → それがたとえ狂気であってもだ、
2011/08/30 句読点削除
2011/09/12 記述統一 1、10、100 → 一、十、百
2011/09/12 記述統一 ・・・ → ……
2011/09/13 記述統一 今度は幻覚だろうか → 今度は幻視だろうか。
2011/09/13 記述修正 肉体そのもの → 肉体全て
2011/09/14 誤植修正 沸く、沸いて → 湧く、湧いて
私は、暗闇の中にいる。
一体いつから、ここに居るのだろうか。
そして、いつまで居なくてはならないのだろうか。
この答えは、果たして見つかるのだろうか……
夢も見えない程の深い深い眠りの底から、私は目覚めた。
昨晩までは、通常通りの生活を送り、いつものように、仕事場から自宅へと帰ったはずだ。
そして、家のベッドで眠りにつき、今目を覚ましたつもりだったが、目を開いても目覚める前となんら変わらない、何も見えない暗闇が広がっていた。
突発的な病か何かで、視力を失っているのだろうかとも考えたが、ここ最近の生活では、そんな兆候は全くなかったはずだ。
体調の方も、若干寝不足気味ではあるが、これはいつものことで、それ以外特に気にかかるところはない。
私は起き上がったであろうベッドを、両手でまさぐり探したが、ベッドのシーツらしきものはどこにもない。
さらに周囲に、両手を前後左右上下と探ってみるが、何もぶつかる物はない。
それどころか手を伸ばせる範囲には、何も物が存在していない。
これでとりあえず、ひとつだけ判ったことがある。
この場所が自宅ではなく、どこか別の場所、少なくとも、我が家の寝室ではないことははっきりした。
ここは私の寝室ではなく、それよりも広くて、何もない建物の部屋の中のようだ。
私は、何者かに夜寝ているところを拉致され、今監禁されているのだろうか、という不安が襲ってくる。
しかし誘拐なら動けないように、手足は拘束しておくのが普通なのではないか、という疑問も湧く。
拘束が不要な監禁場所、つまり、牢屋のように、内側から開くことは出来ない部屋、ということか。
私の不安は、膨らむ一方だ。
ここで、いままで全く音がしていないことに気づいた。
完全な無音だ、自分が両腕を動かした時も、物音ひとつしなかった。
寝る前の服装を思い出してみると、なぜかはっきりとは思い出せない、いつもと同じように、寝衣に着替えたはずなのに。
今の状況で混乱してしまい、思い出せないのかも知れない、寝衣は取りあえずおいておこう、今問題とすべきは音だ。
目は見えない状態だ、もしかして、耳も、聞こえなくなっているのではないだろうか、そんな、嫌な予感がよぎる。
まだ声も出していない、声は聞こえるか、いや、声は出せるのだろうか、膨れ上がっていく不安で、すべて悪い方に考えてしまう。
体の状態も心配であったが、ここで、物音を立てても大丈夫かどうかも、判断がつかない。
もしかすると、何かの薬とかで、自分の体は全く身動き出来ないはずで、犯人はすぐそばにいるとしたら。
そして物音を立てたことにより、薬の効果が十分効いていないことが、発覚してしまったら。
この想定が的中すれば、物音を立てることは、貴重な脱出につながる機会を失いかねない、大きな賭けになってしまうのではないか。
私は自ら想像した嫌な推測により、身動きひとつすることも、出来なくなってしまった。
しばらく身じろぎひとつせず、ただただ憶測に怯えていたが、この全く動かないでいる事も、なかなか辛くなってきた。
段々と私の性分ではない、楽観的な考えも浮かんでくる。
単に金縛りで悪夢を見ているだけだ、そのうち目が覚めれば、いつもの朝が来る。
その時はいやな夢を見たなと、苦笑しつつ立ち上がって、朝食の支度をするんだと。
そして職場へと向かい、隣の同僚に嫌な夢を見たんだと、苦笑交じりに話すのだ。
そう、となりの席の同僚の、名前が出てこないな、同僚の、名前、いつも仇名で呼んでいた、仇名、同僚の、同僚?
まだ混乱しているのか、職場で毎日のように顔を合わせているはずの、同僚の呼び名が思い出せない。
気を取り直して、他の社員を思い出そうとするが、名前も性別も姿も、誰一人として思い出せない。
それどころか、その職場すらどこにあって何をしていたのかも、はっきりと判らなくなっている。
過去に関しては、何となくこうしていたという記憶はあるが、その曖昧な部分を鮮明にしようとすると、とたんに霞み、掻き消えていってしまうようだ。
結局私は、周囲のことはすべて、おぼろげな記憶しか思い出せないようだ。
今度は、自分のことを考えてみる。
こちらも周囲の事と同じで、名前がないはずはないのは判っているが、思い出すことはできない。
親や兄弟の名も顔も友や知人も、何一つ鮮明な記憶は、残っていないことがはっきりした。
記憶もほとんどなく、どこかもわからない場所に、閉じ込められている。
このあまりにひどい状況に、悲しくなると同時に、若干自暴自棄な感情も湧いてくる。
どのみち、何もかも失っているのだから、ここで物音を立てたことにより、たとえ殺されたとしても、後悔などしないだろう、と。
私は意を決して両腕を広げ、そこそこの勢いで両手の平を当てて打ち鳴らしたが、音は何一つせず静寂は変わらない。
また、両手が互いの手に触れる感覚もない。
この結果はさらに悪い憶測、いや、事実を追加するに十分だった。
目や耳が機能していないだけでなく手が、恐らく足も、いやそれどころか体の全ての機能、感覚がなくなっている。
体を動かしたと思っていただけで、実際には感覚がなくなっているのか、もしくはその部位そのものが失われているのか、それとも肉体全てが失われているかのいずれかだ。
この後私は体の全てを確認してみたが、どの部位も動かすことは出来ず、存在の確認すら出来なかった。
声も出してみたが、発声そのものが出来ていないのか、声は出ているが耳が聞こえないのかの区別がつかず、これもあきらめた。
こうして私は、まるで意識しかない存在になってしまっていることを自覚した。
これはつまるところ、私は死んだのだろうか。
もう考えるのも嫌になり、眠ることにした。
意識だけで出来ることは、考えることを除けば眠ることだけなのは確認でき、私の意識は途絶えていった。
再び私は目覚めた。
あの忌まわしい悪夢が終わっていることを期待していたが、やはり闇の中にいた。
前日に確認したことを一通り繰り返してみるが、状況は眠る前と何一つ変わっていないようだ。
何も触れず、何も踏めず、何も見えず、何も聞こえず、何も思い出せない。
完全な闇の中に、自分の意識だけがある。
まるで眠る前に目を閉じて、考え事をしている状態とよく似ているなと、ふと思った。
これが死んでしまったために起きていることなら、誰でも死ぬとこうなるのだろうか。
そしてそのうちに、天国や地獄への案内をする、何者かでも出てきてくれるのだろうか。
どうせなら、早く出てきてほしいと願いたい。
この状況は余りにも虚しい。
過去を振り返るべき猶予時間だとしたら、その過去自体が思い出せないのだから、これは不要だ。
天使でも怪物でも、何でもいいから出てきてくれ。
私はそれを切に願ったが、その願いはやはり叶わず、再び眠りに落ちた。
あれから数日が過ぎた。
といっても私が眠り、そして目覚めた区切りを翌日として数えての日数だ。
何しろ時間を確認するすべもないので、この方法で日数を定義し数えておくことにした。
三日目以降も、初日と同様の確認は日課として行いつつ、何者でもいいから出てきてくれと、念じることも行うようにした。
しかし、状況は何一つ変わることはなかった。
百日まで数えたところで、私は日数を覚えておくことをやめた。
この間、何一つ起きずに過ぎ去ったからだ。
ここまでくると、本当にどうでもよくなってくる。
今までの百倍の苦痛がもたらされるとしても、この何も変わらない状態が変わるのであれば、喜んでその苦痛を受け入れたいとさえ思う。
それほどまでに、この何も起きない闇の世界は苦しい。
今ではほとんど、起きてもすぐに眠りにつき、眠れない時でも何も考えずに過ごすようになっていた。
考えられることはとっくに尽きていたし、新しく考えるべき事象は全く起きないのだから仕方がない。
このような眠っているか、或いは何も考えず、まさに無の境地でいる時間ばかりになったころからだろうか。
いよいよ願望がもたらす幻覚なのだろうか、かすかな声、笑い声らしき音が聞こえたような気がした。
しかし、耳自体がないのに音を聞き取れるのはありえない。
唯一残っている意識も狂気へと変わっていき、本当に全てが失われていくのだろうか。
それが最後の変化ならそれでもかまわない、むしろ正気をなくせば楽になれそうだ。
私は狂気にとらわれるのを待ちつつ、時を過ごした。
またしばらくすると、今度は完全な暗闇の中に気のせいか、はるか遠くにとても小さい、一瞬ではあるが白い光が見えたような気がした。
光っていた方向に意識を向けてみるが、何も見えない。
いよいよ視覚においてもやられ始めたか、幻聴に続いて今度は幻視だろうか。
この次は何が起きるのか、どんなものでも構わない。
それがたとえ狂気であってもだ、私は次なる変化を渇望しつつ、眠りについた。