婚約者の妹さんのせいで婚約を解消することになりました
「すまない……今日も妹が熱を出してしまって、寂しがってるんだ……」
放課後。正門前でケレイブ様と待ち合わせをしていた私はもう何度聞いたかは分からない言葉に、また今日もかと正直ショックを隠せなかった。
「……そうですか、ですがケレイブ様はいなくても……」
それでもすがって言葉を発する。
「いや、俺がいないと泣くんだ……」
「では、明日の放課後はどうですか」
「ああ、明日なら行けるかもしれない、また次の機会には必ず……失礼するよ」
私は叫び出したいのをぐっとこらえて、ケレイブ様を見送った。
「ミレイア様……」
お友達が私たちのやり取りを見て心配そうに、声をかけてくれる。
「いえ、分かっているの、大丈夫ですわ」
「……ですが、ケレイブ様の……」
「分かってますわ!!」
つい強い口調で言ってしまう。……お友達は私を心配してくれているだけなのに……。
「……ごめんなさい。今日は失礼するわね」
弱い自分を見せたくなくて、私はその場を逃げるように立ち去った。
公爵家に帰り「1人にして欲しい」と告げると、できたメイドは紅茶の準備だけして、そっと会釈をして立ち去った。
私は鏡に映る自分を見つめる。
蜂蜜色の髪に碧眼の瞳。少しまなじりがつり上がっており、キツイ印象を与える顔立ち。その印象さえ、公爵令嬢としての矜持を持つ私にピッタリな姿だと思っていた。多くの男性から婚約の申し込みが届き、自分で言うのもなんだけれど、美人でモテる女だと自認していた。
それなのにケレイブ様はどうして……
さすがに、こう何度も妹を理由にデートを断られると心が折れてくる。
……どうやったら妹さんに勝てるのかしら。
ケレイブ様の妹さんへの気遣いは異常である。それは私たちのやり取りを見ていた誰もが認めることである。
本当はもっと私に釣り合う男性がいることも分かっている。……でも、諦めきれないのだ。
ケレイブ様と出会ったのは、3ヶ月前。
私は街へお忍びで視察に来ていた。公爵家の教育の一つに自分の目で街を見ることが課せられていたからだ。
ちょうど市が立つ日で人が多く、運悪く人込みの中で護衛とはぐれてしまった。しかも不運は続き、護衛を探していた私は裏道に出てしまい、そこで見知らぬ男性に腕を引っ張られそのまま別の場所へ連れ込まれそうになった。
あまりの恐怖で声も出ず。このまま私の将来は閉ざされてしまう。と覚悟したその時、私の腕を掴んでいた男性が、殴られ壁まで突き飛ばされた。
男性を殴り飛ばした方は、手際よく捕縛し柱にくくりつけると、私の方へと手を差し伸べてくださった。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
心配してくれていることが伝わるその表情を見た瞬間、私は恋に落ちた。
「……はい、あなたに助けていただいたので。あの、後でお礼をしたいのでお名前を教えていただけますか?」
男性は銀髪に金の瞳と大変整った容姿をされていた。
「いえ、私は市の警備にあたっていただけなので、名乗るほどの者ではありません。それにしても、貴方は貴族の方でしょう。護衛はどうされましたか?」
「……はぐれてしまって」
はぐれたことを伝えるのは正直公爵令嬢として恥ずかしかったが、これ以上ご迷惑をおかけするのも心苦しい。
「……そうですか、少々お待ちください」
ピ――
首に掛けていた笛を吹くと、何人かの警備兵が集まってくる。
「俺はコイツを詰所まで連行するから、お前はご令嬢と一緒に行って、護衛を探してあげてくれ」
「分かりました」
来られた警備兵に、指示を出される。
「それでは、失礼します」
軽く会釈をされると、そのまま私を振り返りもせずに去って行った。
私がおそらく高貴な女性だと、気づかれているのに……
その忖度しないあり方も凛として格好良い。
私はケレイブ様の姿が見えなくなるまで見送ると、ケレイブ様の部下の方に聞いてみた。
「あの方はどなたですか?」
「ああ、隊長ですか?サディア男爵家のケレイブ様です」
「……ケレイブ様……」
そして私は父に相談し、父が人となりを調べた上で爵位に差はあるが、私がそこまで望むならと無事に一ヶ月前婚約を結ぶことができた。
幸せの絶頂にあるはずなのに……気持ちが少しも晴れない。ケレイブ様に約束を破られることが辛くてたまらない。
これが恋するという気持ちならあまりに神は残酷である。
明日、明日は大丈夫かもしれない。
かすかな可能性にかけ、私は紅茶に手をかけた。
紅茶はすっかり冷めきっていた。
次の日の放課後、正門前でケレイブ様が立っていた。遠くから見てもそこだけ空気が違うように、立ち姿が様になっている。
「お待たせしました」
私が側に駆け寄ると、淡い微笑を浮かべてくださる。
「いえ、それでは参りましょうか」
今日はデートに行ってくださる!!
久しぶりの良い返事に、心が浮き足立った。
私は笑顔を浮かべると、ケレイブ様が腕を差し出してくださったので、そこにそっと手を添えた。
ケレイブ様が選んだカフェは落ち着いた雰囲気のお店だった。ケーキと紅茶を選び、向かいに座っているケレイブ様を見る。
ケレイブ様は窓の外を見られていたが、私の視線に気が付くと、私に目線を合わせてきた。
「いつもいつも、ご令嬢には私用で振り回してしまい、本当に申し訳ありません」
「いえ、事情は分かっておりますから……」
本当は分かりたくない。でも嫌われるのが怖くて、それ以上は何も言えなかった。
「最近特に妹が体調を崩すようになってしまい……本当に申し訳ない。もう少ししたら、落ち着くと思うのだが…」
心苦しそうに何度も謝られると、こちらも心が痛む。
「お待たせ致しました」
ケーキと紅茶が届き、どこか重苦しかった空気が緩んだ。
「食べましょう」
「ああ……そうか……妹が……ご令嬢、たびたびですまない。妹の体調が急変したらしい。いつもいつも本当に迷惑をかけるが先に出させていただく。支払いは済ませておくから、ご令嬢はゆっくりしていくといい」
そして私はそのままテーブルに1人取り残された。
ケーキをそっと口に入れると、ほんのり甘い。
でも、きっともう私たちは……
ついに、こらえきれなくなって涙が一粒こぼれた。
「……これ」
すっと、ハンカチが差し出される。
見上げると幼なじみのステファンが立っていた。
「……座ってもいいか?」
上手くしゃべれなくて、こくりと私は頷いた。
「ここのケーキ美味いのに、食べずに出ていくなんてもったいないことをするやつだな」
軽口を叩きながら、そのまま手つかずで残されたケレイブ様のケーキを口に入れた。
そして急に真剣な目をして私を見る。
「……なあ、レイア……俺じゃだめか。俺ならお前を悲しませるようなことはしない。アイツほど男前じゃないけど、お前を好きな気持ちは誰にも負けない」
ぎゅと私の手を握ってくる。
「……お前がまだアイツに気持ちがあるのは分かってる。お前が弱ってるところに付け込んでるのも……でも好きなんだ。俺、待てるから」
私は呆然と幼なじみの顔を見た。
同じ公爵家同士、両親も仲が良く小さな頃から一緒に過ごしてきた。年頃になっても関係性は変わらず、兄弟のように思っていた。
「……そんな素振り見せたことないじゃない」
久しぶりに見る幼なじみは兄弟ではなく男の顔をしていた。
「お前は俺のこと兄弟みたいに思ってただろ?だから、お前が俺を意識してくれるまで待つつもりだったんだ」
そんなこと、初めて知った。
「……お前が婚約して……でも、諦めきれなくてお前のことずっと見てたんだ」
握られた手が熱い。
「なあ、レイア。……俺じゃだめか」
私はゆっくり首を振った。
「私、ステフのことそんな風に見たことが無かったから正直まだ、よく分からないわ。……でも、好きだって言ってくれて嬉しかった。ケレイブ様のことは今日で吹っ切れたわ。……私があなたを好きになるまで待ってくれる?」
「もちろん。いつまでも待つよ」
私の涙はいつの間にか止まっていた。
「……アイツのことだけど……」
「分かっているわ。婚約を解消するつもり。……本当はねお父様にも言われていたの。妹さんを半年前に亡くされて心が不安定らしいと。……でも、私が心の傷を癒やせると思っていたわ。だめだったけど……」
「……そうか、お前が納得しているならそれでいい」
「……婚約を解消された女でも貴方は大丈夫?」
少し不安になって聞いてみる。
「あたりまえだろう。何があっても俺にとってはお前が一番だ」
そして、帰宅した父に話をするとその日のうちに婚約は解消された。そして、その後私とステフの婚約が無事に成立した。
◇ ◇ ◇ ◇
婚約解消の日、公爵邸で。
書類に自分の名前を書く。これで終わりと思うと、どこか胸に抱えていた重しが取れた気がした。
「君にはすまないことをした」
深々と公爵閣下が頭を下げた。
「頭を上げてください。……本当は俺の方がお礼を言わないと行けないのに……」
「いや、君には損な役回りをさせてしまった」
そう、俺と公爵閣下は契約を結んでいた。
「言い出したら聞かない娘だから、君の方から婚約を解消するように持っていってほしい。実は婚約者としてふさわしい男が別にいるんだ。君は半年前に妹さんを亡くされていると聞いた。その治療薬の目処がたち、君は出資者を探しているとも。もし、無事に解消できたら私が出資者になろう」と。
そこで恋人と策を練り、死んだ妹を利用させてもらったのだ。天国にいる妹も他の患者が助かることを誰よりも願っていたから。
「いえ、公爵様は解消されていないのにもかかわらず、出資してくださいました。おかげで薬の治験が早くすすみ、間もなく薬が完成して市場に出回るようです」
「いや、それもむしろ公爵家の名声を高めることにつながる。私ばかりが得をしている結果だ。君には不名誉な噂がつきまとうのに……」
「いえ、それも気にしなくて大丈夫です。恋人には事情を伝えて理解してもらっていますから。それにしても、お嬢様はお優しいですね。破棄になっても仕方がないことをしたのに……」
「ああ、自慢の娘だ。人を見る目もある。念の為、婚約者候補のステファンに解消にもっていくよう頼んではいたのだが、それも必要なかったようだしな」
話がつき、俺は深々とお辞儀をした。
「それでは、俺はこれで失礼します」
「ああ、お礼になるかどうかは分からないが、今後も薬の出資は続けよう。本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ天国の妹が喜びます。それではこれで。ミレイア様の幸せを心より願っています」
「ああ、すまないが二度と会うことはないだろう」