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思いの丈

「優しさ」が怖い

作者: 月岡 結

(6/19追記)リアクション、ご評価など下さり、本当にありがとうございます。

一方的な正義の主張ですので、きっとどこかモヤモヤする方もいらっしゃるだろうと思いながら書きました。もし共感していただけたのならすごく嬉しいですし、もし、腑に落ちない部分が多かったとしても、認める必要はありませんが、その不完全さも含めて私の意見だと思って頂けるとすごく嬉しいです。

お読み下さり、本当にありがとうございます。

皆さんには、怖いものってありますか。


オバケ、お母さん、ホラー映画……。


きっと挙げたらキリは無いですが、どれもが心臓に悪いというか、「びっくりする」というイメージが強いでしょうか。


題にある「優しさ」が怖い。と言うのは、私自身の感情でもあり、最近の人間にもよく見られる風潮なんじゃないかな。と思います。

ただ、その「怖い」は、前述の一例たちとは違って、「不安感が強くなる」と言った方が意味合いとしては近いかもしれません。


「優しさ」に触れた経験を、誰もが持っていると思いますが(そう信じたいですが)、大人になると「無償の愛」なんて物の希少性に驚かされる毎日です。


具体例を挙げると議論が一点に絞られてしまいそうなのであえて挙げませんが、「優しさや、正義感を持って行動するほど、不利な立場になる」という傾向が、大人になるにつれて、また近年の風潮的にも強まっているように感じます。


「優しい人から、つぶれてしまう」という言葉がある通り、この社会は、優しい人ほど生きにくい世界です。


優しい人は、なんで優しくいられるのかなと考えた時に、私の中では「優しさを受けて育ってきたから、優しさを与えることも当たり前になっているのだ」という結論に行きつきました。

優しい人たちは、「優しさには、優しさがかえって来る」と自覚の有無に関わらず、思っているのだなと。


でも、世の中って、そうじゃありません。

悪い人だっていっぱいいますし、自分のことでいっぱいいっぱいで、他人に優しさを与えようと思える人の方が希少です。


だから、優しい人は「優しくない世の中」に優しさを吸い取られて、結果自分の中のエネルギーが枯渇して、つぶれて行ってしまうんだと、優しくない私は思いました。


だからこそ、私は他人から与えられる「優しさ」が怖いのです。


お世辞にもコミュ力が高いとは言えない私は、人が何を考えているのか察することが本当に苦手です。


だから、優しさを与えられたら

「この人が、なんで私に優しくしてくれるのか」

が分からなくて、すごく怖くなってしまいます。

そして、その優しさの根幹が、何か私からのリターンを求めているものであれ、そうではなくてその相手の正義感によるものであれ。

その人が思う「優しさに見合う人間」になり切ることができない私は、いつも最初に受け取った優しさを裏切り、だから、その「優しい人たち」は必ず私の前から消えていくのです。


いつか失うのを分かっているからこそ、私は「優しさ」が怖い。


ですが、最近同じような感情を抱いている人は、意外と多いのではないか。と言うことに気が付くことができました。


近年、インターネットの発展により、「間違ったことを一生いじられること」「何かしらの発言には、根拠が必要なこと」に対する意識がすごく高まっているように感じます。


だから、「優しさ」に対するリターンを間違えてはいけないというさらに強まった義務感と、発生源の分からないものに対する得体の知れなさからなる恐怖が、色々な人の心に根を張っているのではないでしょうか。


それに対して、どうこう言う気はありません。

どんなきれいごとを並べたって、それが問題の解決にならないことは知っているからです。


でも、一つだけ言いたいことがあります。


人に優しくしなくたっていいです。


人の優しさに、応えようとする必要だって、きっとありません。


でも、人間として「信念を持って、そこから派生した優しさを持つ人間でありたい」と私は思います。


義務感や、リターンを求めて与える「優しさ」は、有限的なものであり、いつか自分の中で枯渇し、そして「社会に、人に裏切られた」と言うマイナスの感情だけが残ります。


でも、そうじゃなくて。優しさを与えることは「自分の思う世界を実現する為であって欲しい」と思うのです。



私は、優しくない人間です。


でも、絶対に「裏切らない」と決めている人たちがいます。


とある支援をしている、とある場所の子どもたちです。


私には、「子どもには優しくしなきゃ」みたいな義務感とか、「こうしたら、皆いい大人になってくれるかな」みたいな希望があるわけじゃありません。


私が、あの子たちと関わるのは、私の為です。

私には、人に分け与えられる「優しさ」なんて物はないです。

ただ「子どもが死ぬのは絶対におかしい」という信念だけがあります。


だから、絶対に裏切らないし、どれだけあの子たちが道をそれたとしても、悲しむでも、怒るでもなく(そういう感情ももちろん生まれるかもですが)、ただ、どんなことがあっても絶対に味方でいようという気持ちです。


「優しさ」に対して、不器用な人間が多い日本で、これまた「優しい人間が馬鹿を見る世の中」ではありますが。

譲れない「何か」の為に、他者から見て「優しさ」を持つことができる人間が増え、それを利用するのではなくて、自分もそうであるべきだと思える未来があればいいなと思います。


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