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雷の日

 私の父は、王都の東方にあるサイベル伯領騎士団で隊長をしていた。

 曾祖父の代から騎士爵を賜っている父が騎士の仕事に誇りを持っていることは子ども心にもわかっていたので、私も父の仕事が誇らしかった。


 このエルージア王国の東の国境は緩やかな山脈で、その向こうは油断のならない隣国だ。山には恐ろしい盗賊団もいて、時々サイベル伯領へ下りてきて人々を襲う。

 昔は山に瘴気溜まりがあってそこから魔物がやってきたそうだけど、今は瘴気なんてないし魔物もおらず、山を根城にした賊や隣国の動きの方がはるかに現実的な脅威だ。

 王国の東の要衝を守り、王国の人々を守る仕事に就く父は、子ども心にも格好よく見えた。


 山の麓にある町は騎士団を中心に発展していた。騎士団の敷地内には子どものための学校が併設されていて、私は母に連れられて毎日そこへ通った。

 学校には年の近い子どもたちが何人もいて、読み書きや計算を習った。勉強は午前中だけで、午後はみんなで追いかけっこや木登りをして日が暮れるまで走り回った。当番で厩舎の馬や農場の鶏たちの世話をするのも楽しかった。私はそんな平穏な毎日がずっと続くと信じて疑わなかった。

 けれど、その日は突然やってきた。


 午後から激しい雷雨になった日だった。

 悪天候の中、町外れに盗賊団が出たと報告を受けた父は、すぐに騎馬隊を率いて現場へ向かった。

 たまたまその日は領内で土砂崩れがあったことで、騎士たちの多くがそちらに割かれ、父の隊はいつもより少人数での出動を余儀なくされていた。


 校舎内で遊んでいた私たちも、天気のせいで一斉に帰されることになった。

 その頃には、耳ざとい子どもたちの全員が騎士団の状況を知っていた。

 雨が本降りとなる中、馬車で迎えにきてくれた母に、当時九歳だった私は早速その情報を伝えた。


『母上、父上は盗賊団の討伐へ向かわれました』


 稲妻が空を走り、雷鳴が空気を震わせる中。

 日頃は気丈な母が一瞬、ひどく不安そうな顔をした。

 私も急に不安に襲われた。

 父は猛者揃いの騎士団の中でも隊長を任されるほど強かったけれど、この天気だし、人数も少ない。

 そして相手は、最近領内に悪名を轟かせているタチの悪い一団なのだ。


 家に帰っても私は窓の外ばかり眺め、父の帰りを待った。

 雷雨はますます激しくなっていた。


 夜に差しかかろうとする頃、一人の騎士が馬を急がせ、わが家の門をくぐった。

 私は急いで階下に降りた。


 雷が近くに落ち、耳をつんざくような轟音が響き渡る。


 その騎士はあちこちに怪我をして、外套からブーツの先までずぶ濡れだというのに、暖炉の火に当たろうともせず――

 父の死を告げた。



 ◇



 それから私は雷が苦手になった。


 色々な事情が重なり、母は、名門侯爵家当主のイアン・ロヴェット様と再婚することになった。

 母と私はサイベル伯領を出て、王都にあるロヴェット家の屋敷に移り住んだ。

 私が十二歳のときだ。


 ロヴェット家の養女となってまだ間もない頃、激しい雷の日があった。

 迷子になりそうなほど広い屋敷の図書室の隅で、私は一人で震えていた。


 分厚い本を抱えていたけれど読むどころじゃない。雷が落ちるたびに悲鳴を上げそうになるのを必死でこらえていた。両親は外出中だった。

 田舎の騎士家出身で、おてんばでおよそ令嬢らしからぬ喋り方だった私は、伝統ある名門侯爵家の使用人たちからすると論外だったようで、全員から眉をひそめられていた。

 誰も頼れる人はいない。


 そのときたまたま、四つ年上の、関係上は義兄だけど実際は他人よりも遠い存在であるエドガー様が、図書室へ本を取りに来た。

 彼は私を見ると、整った顔をわずかに強張らせた。


 彼に会うのは、初めてここへ来た日にイアンお義父様から紹介されて以来だ。

 それから二週間ほど経っていたけれど、家族そろっての食事のときでさえ一度も顔を見なかった。

 もうすぐ王立学校に入り寮生活を送るのでその準備で忙しいとのことだったけれど、本当は、父親の後妻の連れ子でのうのうと養女となった私のことなんて見るのも嫌で、避けられていたのだと思う。

 使用人たちが、『坊ちゃんはあんなにお母様っ子だったのに、再婚だなんておかわいそうに……』と噂しているのを聞いた。

 だから私と一緒の空間になんて、一秒たりともいたくないはずだ。


 私はすぐに図書室を出ようと立ち上がりかけた。

 けれどその瞬間、どこか近くに雷が落ち、天を切り裂くような雷鳴が響き渡った。


 とっさに手を口に当てて悲鳴はどうにかこらえたものの、足がすくんで動けなくなってしまった。

 ガタガタと体が震える。

 騎士の娘なのに情けない。こんなところを誰かに、特に貴族には、見られたくない。

 田舎の騎士団にもまれて育った私は、騎士やその子どもたちがよく言っているように、心のどこかで「貴族なんて軟弱だ」と思っている部分があった。

 騎士の娘であることは、突然高位貴族の中に放り込まれた私のたった一つの矜持だったのだ。


 当時十六歳だったエドガー様は、そんな私の様子に気づくと、手に取った本を持ってソファに座り、悠然と足を組んで本を広げた。

 そして、本に目を落としながら、ごく落ち着いた声で言った。


「大丈夫だ。避雷針があるから、ここには落ちない」


 私は驚いて彼を見た。

 燭台の炎が鮮やかな金髪を照らし、金色の睫毛の下の美しい青い瞳は本の文字を追っている。


 絶対に、今ここで読まなくてもいいはずだ。

 部屋に戻ってゆっくり読めばいいのに、ここに座って読んでくれている。


 ──私が怯えているから、そばにいてくれるつもりなんだ。


 急に安堵に包まれ、私は固く握っていた拳をゆるめた。

 彼の落ち着いた様子が伝染したのかもしれない。

 避雷針という言葉は知らなかったけれど、言葉の響きから、雷を避けるためのものであることは察しがついた。

 それなら、もう大丈夫。


 そのあとは何も話さなかったけれど、結局彼は雷の音が遠ざかって聞こえなくなるまで、ずっと図書室で一緒にいてくれた。


 あれ以来私は、貴族が軟弱だなんて二度と思わなくなった。



 ◇



 いや、「貴族」とひとくくりにしてはいけないだろう。騎士団の中にも貴族の中にも色々な人がいる。

 けれど私が今まで出会った人たちの中でも、エドガーお義兄様は群を抜いて意志が強く、そして堅物だ。


 二十一歳になった現在のエドガーお義兄様は、周囲の青年貴族たちのようにふらふらと遊び歩いたり、享楽的な恋を楽しんだりということは一切せず、ただひたすら実直に自分の任務を全うしていた。

 仕事が忙しいということも勿論あるのだろうけれど、お茶会や夜会に誘われてもほとんど出席しないことで有名で、高位貴族なのに社交嫌いと言われていた。音楽会や舞踏会にも、ほとんど行ったことがないんじゃないかな。

「エドガー様は王都でも五本の指に入るほどの美形なのにもったいない」と嘆く女性は数知れない……という噂だ。あとの四人が誰かは知らないけれど。




 ところが、私が離婚してロヴェット家に戻った三日後。

 そんなお義兄様が、私を居間に呼び出し、おもむろにこう言った。


「ライサ、来週開かれるロック男爵家の音楽会に出席するぞ」

「…………音楽会、ですか?」


 私は驚いて聞き返した。

 お義兄様は数枚の紙を持ち上げてみせた。私が作成した、スタンリー様の事業に出資した人たちのリストだ。一昨日、リストとともに彼には詳細を説明してあった。

 部下に任務の説明でもするかのような口調で告げられる。


「そうだ。おまえがロヴェット家の庇護下に戻ったことを王都の社交界へ知らしめ、離婚でついたマイナスイメージを払拭し、同時にケンドリックの餌食になった人たちを味方につける。その目的を果たすのに、新興男爵家が主催する盛大な音楽会はうってつけだ」


 ――お義兄様は、当主代理として、私が自分の失敗を挽回するチャンスを与えようとしてくれているんだ。

 それがわかったので、私は気合いを入れて返事をした。


「承知いたしました、お義兄様」

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『お針子令嬢と氷の伯爵の白い結婚』
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