ロヴェット家1
ロヴェット家は王国建国時からの由緒ある名門貴族だ。
代々の国王からの信頼も厚く、堅実で勤勉な家風からか、聖女を多く輩出する家柄でもある。
エドガーお義兄様の亡き母君セシリア様も聖女だったという。
そしてお義兄様ご自身も、国教であるパーシア教の神殿から、名誉ある神殿騎士に任命されるほどのお方だ。
さらに筆頭神殿騎士にまでなり、この国にたった三人しかいない上級聖女である、第三王女オーレリア様の専属護衛を務めるという栄光にも浴している。
昨年の春に神殿騎士となって以来、お義兄様は毎日忙しく訓練と任務に明け暮れ、屋敷に帰る暇もないほどだった。オーレリア様の専属護衛となってからはますます忙しくなったようだし、私も聖女として神殿で暮らすようになっていたため、ここ一年ほどはなかなかお義兄様に会えずにいた。
以前はまるで実の妹のように接してくださり、何度か、私が困っているときには助けてもくださったのだけど、なぜか去年頃から急に避けられるようになってしまっていた。
たぶん、私が至らないせいだと思う。
理由も何もわからず、しばらくは悲しくてたまらなかったっけ──
そのエドガーお義兄様がなぜ私をケンドリック家へ迎えに来たのかというと、イアンお義父様が領地の視察中に落馬して骨折したため、臨時の当主代理をしているということだった。
さすがに当主が負傷して領地運営にも支障をきたすとなれば、筆頭神殿騎士といえど、当主代行をするために休暇を取るくらいの自由は利くみたいだった。
◇
実家に帰った日の夜。
夕食の時間にはまだ早かったけれど、なんとなく落ち着かなかったので、私は自分の部屋を出て大階段を下りようとした。
頭の包帯はまだ取れないけれど、少し休憩してピアの淹れてくれたお茶を飲んだら気分も良くなってきたし、普通に動き回れる位には回復している。
すると、階下の広い玄関ホールに二十人程の使用人が勢ぞろいし、整然と並んでいた。
その正面に立って話をしているのはエドガーお義兄様だ。
臨時の夕礼をしているようだった。
「……よって、当家とケンドリック家との協定は完全に破棄された。今後一切、あの家とは取引禁止だ。ランブリッジ領の特産であるワインも販売厳禁とする。出入りも郵便も全面的に禁止。ライサには常時護衛をつける。ケンドリック家の者とは絶対に接触させるな」
「はっ!」
使用人たちはまるで軍隊のように姿勢を正し、綺麗に揃った返事をした。
相変わらず壮観ね……。
他の貴族家ではなかなか見ないが、このロヴェット家では見慣れた光景だ。むしろこの家で育てられた私は、少し前まではこれが貴族にとっての普通だとさえ思っていた。
イアンお義父様が怪我をするずっと以前から、この家の使用人たちは次期侯爵であるエドガーお義兄様の指示のもとで働いている。お義兄様の厳しさゆえ、この家で一定期間以上働いた者は使用人としての箔がつき、他のどこの貴族家でも「根性のある行き届いた使用人」とみなされて大歓迎されるらしい。
先ほどの命令は厳守されるだろう。そしてその内容を鑑みるに、お義兄様は相当スタンリー様に腹を立てている。私が離婚されたことでロヴェット家の面子を潰されたのだから、当然だろうけれど。
ますます申し訳なく、いたたまれなくなる。
話が終わったようで、使用人たちはそれぞれの持ち場へ戻っていった。
ただ一人、ピアだけがぽつりと残され、お義兄様と向き合う形となった。
お義兄様が鋭いまなざしで問い質す。
「では、ライサが怪我を負った件についてだが」
「は、はい! 私がついていながら、誠に申し訳……」
「お待ちください!」
私は大階段を駆け下り、ピアをかばうようにお義兄様と向かい合った。
長身で体格が良く、見目も良い義兄に青い瞳で見下ろされると委縮しそうになるけど、勇気を出して口を開く。
「お義兄様、私が怪我をしたのはピアのせいではございません!」
「ライサ」
「ピアはケンドリック家でずっと私を支えてくれました。彼女がいなかったら、私はあの三か月間、とても耐えられなかったと思います。この怪我は私の不注意によるもので、彼女とはまったく関係ありません」
お義兄様とピアが、なぜか、目をぱちくりさせて私を見ている。
一つ咳払いをしてから、お義兄様が言った。
「……何か勘違いをしているようだが、俺はピアに罰を与えようとしていたわけではない。当時の状況を詳しく聞こうとしていただけだ」
「えっ……そ、それは、大変失礼いたしました」
羞恥で顔が熱くなる。勘違いで先走ってしまった。
ピアは大きな目に涙をいっぱいに溜めた。
「ライサ様、あたしのためにありがとうございます。……でもあのとき、あたしがおそばについていればとずっと後悔していて……本当にごめんなさい……」
「……ピア、あなたが気にすることは何もないわ」
あのとき、ピアは休憩時間だったし、まったく彼女の非ではない。
私がハンカチを差しだすと、ピアは礼を言ってごしごしと涙を拭いた。
そして、ハンカチを握りしめながら話しだした。
「……あの雷の日、あたしは休憩時間に使用人の食堂でお茶を飲んでいました。食堂には、あたしの他に料理人のマックリーさんと、お掃除メイドのヘレンがいました」
ピアの説明に、ケンドリック家で働いていた職人気質の料理人マックリーさんと、いつもハミングしながら屋敷の中をお掃除していたヘレンを思い出した。
一緒にお茶を飲むくらいだから、ピアはその二人と仲良くやっていたんだろうな。
私のせいで肩身の狭い思いをしていないかと心配だったから、少しほっとした。
「それで、三人でお喋りしていると、二階から言い争うような声が聞こえてきたんです。噂好きのヘレンが真っ先に様子を見に行きました。それからマックリーさんが席を立って、あたしは席が一番遠かったから、最後に食堂を出ました。そしたらライサ様が大階段の下に倒れていて……あたし、心臓が止まるかと……」
じわりとこみ上げた涙を、ピアがふたたびハンカチで拭う。
かわいそうに、どんなに心配させてしまったことだろう。私はピアの肩をそっと抱いた。
彼女は言いにくそうに口ごもった。
「……あの、それで……ヘレンとマックリーさんが言うには、そのう……」
「なあに? どうしたの?」
いつものピアは、はきはきと歯切れのいい物言いをする子だ。
珍しく言いよどむ彼女に首をかしげていたら、お義兄様が口を開いた。
「その二人は見たのだろう? スタンリーの愛人が、ライサを突き落とす場面を」
「……えっ?」
突き落とす?
思いもよらない言葉に、私は目を丸くした。