失われた力2
なぜか、私を迎えに来たのはロヴェット家当主で私の義父のイアン・ロヴェットではなく、義兄のエドガー・ロヴェットだった。
私は呆然と彼を見上げた。
筆頭神殿騎士として、そして第三王女の専属護衛として極めて多忙なはずのお義兄様が、どうしてここに?
お義兄様はまだ頭に包帯を巻いている私を一瞥すると、常に険しさを漂わせる整ったお顔をさらに強張らせた。
眉間のしわが、いまだかつて見たこともないほど深い。
忙しい彼の手を煩わせた上に、高貴なロヴェット家の人間が、あろうことか顔に怪我を負ったことを怒っているのかもしれない。
私は包帯を隠すように顔を伏せた。
お義兄様が固い声で私に尋ねる。
「ライサ、聖女の力を失ったというのは本当か?」
「はい……申し訳ございません……」
申し訳なさと緊張で身がすくむ。
エドガーお義兄様は堅物なことで有名だ。浮ついたことは一切しないし、自他に厳しい。神殿騎士内でも彼の指揮する隊は飛びぬけて訓練が過酷で「地獄のロヴェット隊」と呼ばれ恐れられているらしい。
その彼にどんな叱責をされるのかと肩を小さくしていると、大きな手が伸ばされ、私はビクッと震えた。
でも、お義兄様は壊れ物に触れるようにそっと、私の頭を撫でてくれた。
「今まで、よく頑張ったな」
……え?
今、私を労ってくれたの?
思いもよらず優しい言葉をかけられ、涙がこぼれそうになる。
私が返事をする前に、紙の束を持ったスタンリー様が割って入り、傲慢な態度でまくし立てた。
「見ろ、ロヴェット。ここにある通り、結婚の条件には妻が聖女であることと明記されている。妻のライサは聖女の力を失った。よって、俺は離婚を申し渡す」
さっきとは打って変わって、お義兄様は思わずぞくりと肌が粟立つような声音で、スタンリー様に凄んだ。
「うちの人間に怪我をさせておきながら、よくもそんな言葉が吐けたものだ」
明らかに怯えた顔をしながらも、スタンリー様は虚勢を張るように両手を腰に当てた。
「い、言いがかりはやめろ! あれは事故だった。だからこの離婚も穏便に済ませてやるんじゃないか!」
「穏便にだと? こちらは穏便に済ませるつもりなど毛頭ない!! ロヴェット家は、必ずこの代償を支払わせる」
「ぐっ……」
獅子の咆哮のような剣幕に、スタンリー様が怯んだように後ずさる。
お義兄様は懐から書類を出し、さっきよりも抑えてはいるが不機嫌そのものという声で事務的に告げた。
「これにサインを。ロヴェット家とケンドリック家との協定は完全に破棄され、今後、ケンドリック家は決してライサに関わらないという念書だ。二度と義妹の前に顔を見せるな」
スタンリー様は一瞬ためらったようだったが、サインをした。
それから離婚届にも、スタンリー様、私、そして証人としてお義兄様がサインを認めた。後日、お義兄様が管区の神殿に届け出をしてくださるそうだ。
応接間を出て玄関ホールまで来ると、私はスタンリー様に向き直り、姿勢を正して深く頭を下げた。
「スタンリー様、今までお世話になりました。私はこれでお暇いたします」
「あ、ああ……」
いい思い出は何一つできなかったけれど、騎士だったお父様からは、たとえ一食でも世話になったらきちんと礼を言え、と口を酸っぱくして言われていた。
でも……私を引き取り育ててくれたロヴェット家のためによかれと思ってした結婚が何の役にも立たず、あまつさえ聖女の力を失い、離婚という汚点を残してしまった。
あまりにも不甲斐なくて、この世の終わりのような気分のまま顔を上げる。
スタンリー様はなんだか煮え切らない表情で中途半端に手を上げ、私の方へ伸ばしかけていた。
……どうしたのかしら?
けれど、お義兄様がさっと私の肩を引き寄せて「行くぞ」と促したので、スタンリー様とはそれでお別れとなった。
屋敷の前に停まっているロヴェット家の紋章入りの馬車には、すでに荷物が詰みこまれ、ピアが待っていた。
私とピアが客車に乗りこむ。
詰めればまだ座れるのに、なぜかエドガーお義兄様は客車ではなく、外の御者席に座った。
そのことに少し傷ついた。
まさか、同じ空間にいたくないほど嫌われているの?
馬車は見送りもなしに出発した。
三か月間過ごしたケンドリック家が、みるみる遠ざかってゆく。
窓の外を見ながら、私は今後のことに思いを馳せた。
(まず、帰ったらお義父様とお母様に誠心誠意謝りましょう……でも、こんな失態をさらした私は、これ以上ロヴェット家にいない方が家のためなのかもしれない。そしたら、故郷のサイベル伯領に帰って、お父様がいた騎士団で下働きでもさせてもらえないかしら? 幼馴染のノエルがそこで騎士をしているはずだから、口利きを頼んで……)
物思いにふけっている内に壮麗な侯爵家が見えてきた。懐かしいロヴェットのお屋敷だ。
高くそびえる門をくぐり、長いアプローチといくつもの噴水を過ぎ、白亜のお屋敷の正面で馬車が停まる。
すると、お義兄様がひらりと御者席から飛び下り、客車のドアを開いた。
私が馬車から降りようとしたら、お義兄様が両手を伸ばした。
そして、私を横抱きにして、軽々と抱え上げた。
ふわり、と足が馬車の床から離れる。
心臓が口から飛び出るかと思った。
「おっ、お義兄様!?」
「じっとしていろ。おまえは怪我をしているし、顔色が悪い」
「ですが、重いのでは……」
お義兄様はじろりと私をにらんだ。うわ、綺麗な青い瞳が近い。
「俺がおまえ一人持ち運べない軟弱な男だと?」
「め、滅相もございません! ごめんなさい!」
筆頭神殿騎士のお義兄様に対して失言だったようだ。
私は黙って運ばれるままになった。
うしろから、ピアと御者がにこにこしながら、荷物を持ってついてきてくれる。
そ、そんなに見ないで……!
私は耳まで赤く染まりながら、ロヴェット家に出戻ったのだった。