それから
裁判で判事たちが下した判決は、「離婚は有効」というものだった。
私たちの勝利だ。
強力な縁故によりケンドリック家の圧倒的有利、という下馬評にもかかわらずロヴェット家が裁判に勝ったことで、それからしばらくは社交界の噂も新聞各紙もこの話題で持ちきりだった。
もちろんエドガーお義兄様はそれだけでは済ませず、満を持して、モニカを私への殺人未遂罪で訴えた。
執事のトーマスさんをはじめとするケンドリック家の使用人たちも、当主のベンジャミン様も、その裁判に全面的に協力してくれた。
雷のせいで私の記憶は曖昧なのだけれど、その前に言い争っていた声が聞かれていたことや、モニカが私を突き落とす場面を使用人たちが目撃していたこと、事件後にモニカが倒れている私を助けずにその場を去ったことなどから、有罪判決が下った。
量刑は懲役十年。
モニカは実家の男爵家から縁を切られ、スタンリー様にも捨てられたそうだ。
無事に監獄を出ても二度と社交界には戻れないどころか、生きていくすべを見つけることすら難しいだろう。
さらに、ケンドリック家の商船団へ投資して大損をした人たちも、スタンリー様に対して共同訴訟を起こした。お義兄様は投資はしていなかったけれど、陰に陽に、この裁判への協力を惜しまなかった。
スタンリー様に下った罰は懲役三年。
高位貴族の令息に実刑判決が出ることはきわめて異例だ。
けれども、妻であった私が持つ聖女の癒やしの力をちらつかせてお金を集め、実際には癒やしを施さなかったこと、そして、さも安全でリターンが大きいかのような言葉を弄し、危険で無謀な航路への大口投資を募ったことが重く受け止められたようだ。
ベンジャミン様は、一人息子を社会的に失ったも同然だった。
でも、以前から海運業の経営方針や私との離婚やモニカのこと、また生前贈与の件などで鬱憤が積もりに積もって、息子には完全に愛想を尽かしていたようだ。
私がお義兄様と一緒に、様子見がてらケンドリック家へお見舞いに行ったときはお元気そうで、「後悔はしておらんよ」とさっぱりした表情を浮かべていた。体調も、もう心配はいらなそうだった。ドレス姿の私を見て悪戯っぽい顔で「なんだ、今日は男の格好はしとらんのか? あれもなかなか悪くなかったぞ」などと言っていたけれど、冗談が言えるなら、きっと大丈夫だろう。
ケンドリック家の家督は弟に継がせ、ベンジャミン様は領地のお屋敷に隠居することを決めたという。
◇
それから──ついに王都の聖堂に、読み書きを教える教室が併設された。
まだ一つだけしかないけど、大きな一歩だ。
あの舞踏会では結局裁判への対応に追われてしまい、オーレリア王女の姉君であるアルバン公爵夫人エイダ様とゆっくりお話しする機会はなかった。
けれど、王女は改めて公爵夫人と面会する場を設けてくださり、そこで私は、王都の貧しい子どもたちに読み書きを教える場を設ける必要性を熱く語った。
公爵夫人は元々社会問題に強い関心をお持ちの方だった。
彼女は私の意見に全面的に賛同してくださり、あれよあれよという間に話が進んだ。
まず、公爵夫人は王都の子どもたちのための教育基金を作った。
そして貴族からの寄付を募り、寄付をした貴族には返礼品を用意することにした。
返礼品は、数年に一度の大神聖年に数量限定でしか発行されない、女神札。
国内に三人しかいない上級聖女が特別に祈りをこめた高級レアアイテムで、噓か真か、この札の持ち主は女神パーシアの特別な加護が得られるという。
今回は特別に、上級聖女のオーレリア王女が一手に引き受け、五十枚の女神札に祈りを込めてくださった。王女は仕事の早い方らしく、私がその話を聞いたときにはすでに女神札の完成品が仕上がっていた。
公爵家は長年パーシア教に有形無形の援助をしていることで大神殿との繋がりも深く、神官長はアルバン公爵に頭が上がらない。それに公爵夫人のこのアイデアは、金銭面でも外聞的にもスケジュール的にも何も問題がない。そのため、私の提案はあっさりはねつけた神官長も、公爵夫人のこの提案はもみ手をしながら受け入れたそうだ。
寄付金は瞬く間に目標額に到達した。
もちろんわがロヴェット家も寄付をした。イアンお義父様は、ほくほくした顔で私に女神札を見せてくれた。
そして、王都にある一番大きな聖堂に、まず第一号として初めての教室が設置されたのだった。
今日は週に一度の「女神の日」。
聖女たちが聖堂を巡回し、治癒の会を開く日で、私もその一員として教室が設置された聖堂を訪れていた。
教室には、以前に街中で会った聖女志望の少女メアリーも、彼女の兄と一緒に通っている。
治癒の会を終えた私は、教室の方に顔を出した。
今日の授業も、ちょうど終わったところだ。
メアリーが私に気づいて、笑顔で本の読み聞かせをせがむ。
「あっ、ライサさまだ! ご本読んで!」
「もちろんよ、メアリー。どの本にする?」
「うーんとね……これ!」
「わかったわ」
この教室を設置する際、私は何度かこの聖堂を訪れて準備を手伝っていた。そのときに興味津々で中をのぞいていた子どもたちの中にメアリーもいて、「あのときのおねえちゃん!」と私のことを覚えていてくれた彼女と仲良くなったのだった。
教室の隅の読書スペースに座り、メアリーに本を読みはじめると、他の子どもたちも集まってお話に耳を澄ませた。なんだか、故郷の騎士団を思い出して懐かしくなる。
「……こうして女の子は悪い魔法使いをこらしめて、助けてくれたやさしい青年と幸せにくらしました」
読み聞かせを終えると、座って聞いていたメアリーや他の子どもたちが一斉に喋り出した。
「面白かったあ」
「なんで魔法使いはあんなことしたのかな」
「女の子のことがすきだったんじゃない?」
「だからって魔法でカエルにしちゃうのはさあ……」
にぎやかに感想を言い合う子どもたちの中、メアリーはその本をのぞきこみ、指で一文字ずつなぞりながら自分で読み始めた。そんな姿を見ていると、自然に笑みがこぼれる。勉強熱心なメアリーは、きっとすぐにたくさんの本を読めるようになるだろう。
この教室ができて、本当によかった。
「……それじゃあ、私もそろそろ帰らないと」
「ええーっ、おねえちゃん、もう帰っちゃうの?」
「もう一冊読んで~」
「こらっ、あんたたち、聖女様を困らせるんじゃないよ! さっさと帰って家の手伝いでもしな!」
頭にスカーフを巻いた女性が入ってきて、子どもたちをどやしつけた。メアリーのお母さんだ。
たちまち子どもたちがぴゅうっと聖堂を飛び出していき、聖堂はガランと静かになった。
メアリーのお母さんは、打って変わっておしとやかな声で私に言った。
「ごめんなさいねえ、ライサ様。聖女様のお仕事が終わってお疲れでしょうに、子どもたちに本まで読んでいただいて……」
「いえ、いいんです。私も楽しかったですし」
「まあ、ライサ様は本当にお優しくていらっしゃいますね。この教室を開いてくださったのもライサ様だとか……本当にありがとうございます」
「わ、私はただ、偉い方に提案しただけですので」
私は提案をして、こまごまとした仕事を少し手伝っただけで、神官長や大貴族たちとの交渉など肝心な部分はほぼ公爵夫人が進めてくださった。
けれどもメアリーのお母さんはぐいぐいと身を乗り出して続けた。
「いいえ、その提案というのを普通の貴族様はなさらないですから! おかげでメアリーも『聖典と祈祷書をぜんぶ読んで将来は聖女さまになる』って張り切ってまして、それを見たお兄ちゃんも『メアリーには負けない』ってお勉強を頑張ってるんですよ! 本当に、ライサ様のおかげです」
「まあ……ふふっ、それは良かったです」
メアリーのお母さんは何度もお礼を言って帰っていった。
満ち足りた気分のまま、私も帰ろうと荷物をまとめる。
すると、入口の方から声をかけられた。
「ライサ」
「お義兄様」
顔を上げると、午後の陽光を背に浴び、神殿騎士の制服姿のエドガーお義兄様が立っている。
「どうなさったのですか? 今はお仕事中のはずでは……」
「今日は早く切り上げて、おまえを迎えにきた。大事な話があるんだ。屋敷に帰ったら、聞いてほしい」
「……わかりました」
私に大事な話? どんな話だろう。
逆光を受けたお義兄様はいつもとは違い、どこか決然とした表情を浮かべて私を見つめている。
なんだか、ただごとではなさそうな雰囲気だ。
私はそわそわと落ち着かない気分でお義兄様と馬車に乗り、ロヴェット家へ帰った。




