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政略結婚3

 エドガーお義兄様たちの足音がどんどん近づいてくる。

 ぎゅっと目をつぶりながら、少し……ほんの少しだけ、(声をかけてほしい)という気持ちが、心の底に湧き上がる。


 ケンドリック家では空気のように扱われて利用されるだけの私は人恋しかったし、いくら義兄とは疎遠になったと言っても、いっときはロヴェット家で家族として暮らしていたのだから。


 ――――けれど、お義兄様たちの足音はそのまま遠ざかっていった。


 半分安堵すると同時に、なんだか、とても空虚な気持ちになった。


 この距離だから、きっとエドガーお義兄様とスタンリー様は、互いに相手の存在に気がついていたはずだ。

 わかっていて互いに声をかけず無視を決め込んだ。私がいても。

 ロヴェット家とケンドリック家を結びつけるだなんて、ただの養女でしかない私には、やはりできるはずがなかった。


 ……私の結婚は、一体何の意味があったのかな。


 公園を渡る風が、やけに冷たく感じられた。




 馬車でケンドリック家に帰ると、屋敷の門の前には何人もの平民の人たちが待ち構えていた。


「聖女様が帰ってきたぞ!」

「聖女様、うちの旦那を癒やしてください!」

「いいえ、どうか私の母を!」


 御者は悪態を吐いて鞭を振り回し、人々を追いはらった。

 従僕たちが門を開き、馬車は何事もなかったかのように敷地内に入る。

 私は少し離れて隣の席に座るスタンリー様に尋ねた。


「スタンリー様、あの方たちを癒やして差しあげたいのですが……」

「何度も言わせるな。平民風情に聖女の癒やしの力など贅沢だ。それに俺の知人たちが何人も順番待ちをしているというのに、きみは一向に父上の病気を癒やせないじゃないか。一日に一回しか癒やしの力を使えない低レベルなきみのせいで、投資の勢いが鈍ってるんだぞ!」


 苛々とスタンリー様が膝を揺すり、私をにらみつける。

 私はそれ以上何も言えなかった。


 その夜、また体調を崩されたベンジャミン様を癒やして部屋に戻ると、私は神官長宛の手紙を書いた。


 現在、国に五百名ほどいる聖女は、上級・中級・初級と三段階にクラス分けされている。

 初級聖女は四百五十人、中級聖女は四十七人、上級聖女になるとたったの三人しかいない。

 上のクラスへ行くほど癒やしの能力はアップし、力を使える回数も増える。

 中級聖女は、一日に一回しか癒やしの力を使えないと神殿規範に定められていた。


 これまでにも何度も私は神官長へ手紙を書いた。

 毎日ベンジャミン様を癒やしているために他の人を癒やせないので、一日に複数回力を使う許可をお与えください、と。

 これはあまり知られていないことだけれど、神殿からの認可状を得られれば、中級聖女でも一日に複数回癒やしの力を使うことが可能だ。


 けれど、神官長からの返事は一度も来なかった。




 息苦しい毎日を送っていた私にとって、時折私あてに届けられる差出人不明の贈り物が、唯一の慰めだった。

 それは小さな籠いっぱいの野いちごだった。

 野いちごは私の大好物だ。

 きっと朝摘んだばかりのものなんだろう。果実の黄色や赤がみずみずしくてとても甘い。

 昔、貴族は差出人不明のものを食べないとお義兄様から教わったけれど、新鮮な野いちごを前にして、これを食べてどうなってもいいと思うほどには私は自暴自棄になっていた。

 野いちごは、甘酸っぱくて美味しかった。


 いったい誰が届けてくれるんだろう?

 不思議に思って執事のトーマスさんに聞いても、返ってくる答えはいつも「気がついたら門前に置いてありました」というものだった。

 添えられた無地のカードには「ライサへ」とだけ書かれている。


 一人だけ思い当たるのは、よく一緒に野いちご摘みをした故郷の幼馴染のノエルだ。

 でもノエルは今も遠い東方のサイベル伯領にいるはずだし、王都の貴族の知り合いに野いちご摘みをするような人物なんてさっぱり思い当たらない。というか、貴族は普通、野いちご摘みなんてしない。


 けれどもその贈り主が、私の重苦しい灰色の日々に、ささやかで温かな彩りをくれたことだけは間違いない。



 ◇



 私がケンドリック家に嫁いでから三か月が経った。

 その日は午後から天候が荒れ、雷雲がときおり低くゴロゴロと唸っていた。


 昔から雷は苦手だった。

 雷鳴が聞こえるたび体が竦むけれど、少しでも遅れるとスタンリー様に怒鳴られる。

 私はデイドレスを着てアクセサリーをつけ、急いで身支度をした。

 今日もスタンリー様に都合よく利用されるのかと思うと気が滅入る。

 でも、この結婚が少しはロヴェット家の財政の役に立っていると思えば耐えられた。


 突然、ノックもなしに乱暴にドアが開き、モニカが入ってきた。


「ねぇちょっと、またそんな豪華なアクセサリーをつけて出かけるつもり?」

「モニカさん……酔っているのですか?」


 モニカからは、離れていてもお酒の臭いがぷんぷんしていた。

 まだ昼なのにと思わず顔をしかめた私に、彼女がにじり寄ってくる。


「何よ……文句でもある? あたしはこの屋敷の女主人なのよ。なのに、あんたばっかりいい服着て宝石をつけて、スタンの妻みたいにふるまって! それはあたしの宝石なのよ!」


 実際に正式な妻は私だし、宝石は彼女のものではないのだけど……酔っている相手に何を言っても無駄だろう。


「これから出かける予定があるので……」

「お高く止まってるんじゃないわよ、田舎騎士の娘のくせに!」


 生家を馬鹿にされてカチンと来たけれど、それでも冷静に言った。


「この部屋から出ていってください」

「……あんたのその態度、本当に腹が立つわ。ロヴェット家のために自分が犠牲になってるつもり? 馬鹿ねぇ、あんな協定、スタンが守るわけないじゃない」

「え……?」


 目を見開いた私に、モニカはニヤリと満足そうな笑みを浮かべる。


「知らなかったでしょう? スタンは協定なんてどうでもいいのよ。あの家から預かったワインは船で外国へなんて行かないわ。その辺で適当に売りさばかれるの。船には別の客の荷物を載せて、それでロヴェット家には『外国で売ろうとしたけど元々の品質が悪くて売れなかった』とかなんとか言って相手の落ち度にして、手数料だけせしめるつもりなのよ」


 私はショックでしばらく動けなかった。

 ロヴェット家が手塩にかけた品物が、海を渡らずに適当に売りさばかれている?


 当主のイアンお義父様とお母様、それに次期当主のお義兄は、広大な侯爵領ランブリッジの経営に心を砕いてきた。領民が労働の対価に見合った報酬を得られるようにと何度も領地へ足を運び、一緒に高品質なワインを開発してきたのだ。

 その商品たちが外国へ販路を広げることを、お義父様たちは楽しみにしていたのに──


 私は部屋を飛びだした。

 慌ててモニカが追いかけてくる。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! どこへ行くつもり!?」

「スタンリー様に直接お聞きします」

「待って、さっきのは嘘よ! ちょっとからかってやろうと思っただけ!」


 一転して、モニカは私にすがりついて止めようとしてくる。酔った勢いでペラペラと秘密を明かしてしまったことに今さら気がついたのだろう。

 私は取り合わず、二階の廊下を大階段へ向かって進んだ。

 雨が勢いを増し、雷の音が大きくなっている。

 目の前にモニカが立ちふさがった。


「どいてください」

「嘘だって言ってるでしょう!? ただの冗談よ!」


 モニカは焦って私の腕を掴んだ。必死な形相で、あれが冗談などではなかったとすぐにわかる。

 私はその手を振り払い、きっぱりと言った。


「それは私が判断します」

「……っ!」


 モニカは一瞬ひるんだけれど、すぐに私につかみかかってきて、もみ合いになった。


 窓から入る強い稲光が大階段を照らした。

 その閃光に私の足はすくみ、麻痺したように動かなくなる。

 バランスが崩れて──


 少し遅れて轟いた雷鳴の中、私の体は、階下へ落ちていった。

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『お針子令嬢と氷の伯爵の白い結婚』
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