舞踏会2
なぜ、夜の公爵家の庭園にスタンリー様が?
彼はじろじろと私の全身を眺め回すと、満足そうに前髪をかき上げ、私に笑いかけた。
「久しぶりだな、ライサ」
「……こんなところで何をしているのですか?」
私は木の棒をいつでも振り下ろせるように構えたまま尋ねた。
社交界で評判を落としたスタンリー様が、この格式の高い舞踏会に招待されているはずがない。
彼がこちらへ近づく。
「なあ……そんな物騒なものは下ろせよ。俺はきみに会いに来たんだ」
「私に? なんのご用でしょうか?」
私に棒を下ろす気配がないので、彼は少し傷ついたような顔をした。
でも、こんなに暗くひとけのないところで、元夫とはいえ現在はまったくの他人の男性に話しかけられて、警戒を解くわけにはいかない。
スタンリー様は気を取り直したように両手を広げた。
「迎えにきたんだ、ライサ。再婚しよう」
「お断りします」
「ああ、うれしいだろう……ん? …………ククッ、そうか照れているのか! うぶなところもかわいいな」
私はきっぱりと言った。
「違います。心からお断りいたします。神聖な結婚をないがしろにし、人の心を踏みにじるあなたのような人の妻には、二度と戻りたくありません。それでは失礼いたします」
私はくるりと背を向けると、棒を捨て、全速力で逃げだした。
すると、スタンリー様が追いかけてきた。
なんで追いかけてくるの!?
「待て、ライサ! 拗ねてるのか? 大丈夫だ、今度は大事にするから!」
「結構です! 来ないでください!」
あの人は何を言ってるんだろう。意味が分からなすぎて怖い。
私はドレスの裾をつまみ、スピードを上げた。
足は速い方だ。ヒールの高い靴を履いているとはいえ、子どものころは毎日鬼ごっこをして遊んでいた。簡単には捕まらない自信がある。
でも、ちらりとうしろを確認した刹那、前に人がいてぶつかってしまった。
「きゃっ! 申し訳ございませ……」
「ライサ」
ぶつかった相手はエドガーお義兄様だった。
「大丈夫か?」
「は、はい」
彼は心配そうに私の顔をのぞきこむと、ぎゅっと抱きしめた。
たちまち私の体温と心拍数が跳ねあがる。
ドキドキが止まらないのに、お義兄様がいるから大丈夫という安心感にも包まれる。
「……お義兄様……王女のエスコートは……」
「前にも言ったはずだ。おまえより大切なものなどない」
腕の中に閉じ込められ、低い声で囁かれて、息ができなくなる。
ど、どうしよう……このままでは、心臓が破裂して死んでしまうかもしれない。
そのとき、スタンリー様が追いつき、肩を上下させながら叫んだ。
「ロヴェット、ライサから離れろ! 彼女は俺の妻だ!」
「……は? 寝ぼけているのか? 離婚はとっくに成立している」
まるで地獄の底から響いてくるような不機嫌な声と、目だけで呪い殺すようなお義兄様のまなざしに、スタンリー様は一瞬ひるんで身じろぎをした。
けれどすぐに虚勢を張るように手を腰に当て、グッと顎をそらした。
「離婚は取り消しだ! 離婚をしたのはライサが聖女の力を失ったからだ。今は神聖力を取り戻したのだから、ライサはケンドリック家へ連れ戻す」
ゾッとして肌が粟立った。
絶対にあんなところへ戻りたくない。
お義兄様が激しい怒りをあらわにする。
「ふざけるな! 二度とライサに関わらないと念書も交わしただろう!」
「ふん、そんなもの知るか。俺が『離婚は取り消しだ』と言ったら取り消しなんだ。文句があるなら裁判で片を付けようじゃないか。貴族法院に訴えよう」
貴族法院と聞き、私はひゅっと息を呑んだ。
貴族同士のいざこざを裁く場である貴族法院には、ケンドリック家の親戚が多く在籍する。それに当主のベンジャミン様は王の従弟だ。貴族法院は王権を重んじるため、裁判になったら、絶対的にケンドリック家側が有利になる。
スタンリー様は勝利を確信しているかのように、笑顔でこちらに手を差し出した。
「ククッ……今ライサを渡せば、裁判沙汰にまでしなくてもいい。そっちも法廷で恥をかきたくはないだろう?」
けれど、お義兄様は私を抱きしめた腕を少しもゆるめずに答えた。
「勝てるつもりでいるとは呆れた能天気ぶりだ。それよりも、沈んだ船に投資した人たちへの補償の方法を考えておけ。裁判で身ぐるみはがされる前に」
「なっ……お、俺がそんな目に遭うわけないじゃないか! おまえの方こそ覚悟しておけ、二度と社交界に顔を出せないようにしてやる!」
スタンリー様はそこで、勝ち誇ったように胸をそらせた。
「それから、今さら父上を癒やして取り入ろうとしても無駄だからな! 決着がつくまで、ロヴェット家の者は我がケンドリック家に一切出入り禁止だ!」
あ……これは、いつかトーマスさんがうちで門前払いを食らったことへの意趣返しね……。
でも、父親であるベンジャミン様が弱っているというのに、聖女の力を取り戻した私を出入り禁止にするなんて……本当に自分のことしか考えていない人だ。
「何を騒いでいるのですか?」
凛とした声に振り向くと、二人の女性が立っていた。
そのうしろには数人の護衛騎士。
女性の一人はオーレリア王女だった。今日もその清らかな美しさは輝くようだ。
お義兄様は私から体を離し、礼儀正しい距離を取った。
抱きしめられていたのはお義兄様が義妹である私をスタンリー様から守ろうとしたためで、何もやましいことはないのだけれど、少しほっとする。
もう一人の、今しがた声を発した女性は、オーレリア王女に似ているけれどいくつか年上らしく威厳に満ちていた。
年上の女性は眉をひそめてスタンリー様に視線を向けた。
「わたくしの舞踏会に、なぜわたくしが招待をしていない方が紛れ込んでいるのですか?」
「こっ、公爵夫人、違うのです、これは……」
「つまみ出してちょうだい」
「はっ!」
わめき続けるスタンリー様を、護衛騎士たちが連行していく。
この方が公爵夫人なんだ。
お義兄様と私は公爵夫人に向き直り、それぞれお辞儀をした。
顔を上げると、彼女は私に優しくほほえみかけた。
二十代半ば位の、キリリと濃い眉と意志の強そうな唇を持つ、聡明そうな女性だ。
「あなたがライサさんね? オーレリアから話は聞いているわ」
「お初にお目にかかります、公爵夫人。ライサ・ロヴェットと申します」
その傍らでオーレリア王女は困惑したように頬に手を当て、エドガーお義兄様を見上げた。
「ねえエドガー、わたくしのお姉様にライサの話を聞いてもらおうと思っていたのだけれど、それどころではないようね? ケンドリック家の息子と貴族法院で裁判になったら、あなたたちに勝ち目はないように思うわ」
「いくつか手は打ってあります」
「勝算は?」
「五分五分かと」
「それでは全然足りないわね」
王女が肩をすくめる。
私はぽかんとしてそのやりとりを聞いていた。
なんていうか……さっきのワルツの時とは違い、お義兄様とオーレリア王女の間にあまりロマンティックな空気は感じられない。話の内容のせいかしら?
騒ぎを聞きつけたイアンお義父様も庭にやってきて、慌ただしく王女と公爵夫人に挨拶をすると、お義兄様から事情を聞いた。
いつも穏やかで落ち着いているお義父様の顔が、みるみる険しくなる。
「貴族法院で裁判だと? なんてことだ……」
お義父様の低い声に、私は事態の深刻さをひしひしと感じた。
もしも裁判に負けて私が無理矢理ケンドリック家に連れ戻され、ふたたびスタンリー様の妻にさせられたりしたら、ロヴェット家の面目は丸つぶれだ。
それに、そうなればまた私が聖女として利用されることになるのは間違いない。
すでに社交界ではケンドリック家の評判は地に落ちているから、彼は前回よりもさらにあくどいやり方で投資を募るだろう。
絶対にそんなことはさせない。
とはいえ、ケンドリック家の牙城である貴族法院で、私たちの勝算は薄い。
どうすればいいの……?
きつく拳を握った。
すると、お義兄様が私に近づき、声をかけてくれた。
「心配するな、ライサ。絶対におまえをケンドリックになど渡さない」
真剣な声とまなざしに、心臓をきゅっとつかまれたような気持になる。
誰よりも頼りがいのある、優しい人。
でもそれだけじゃなく、私もお義兄様の役に立ちたい。
だけど、私にできることなんて……。
そうだわ! と、私は顔を上げた。
「お義兄様、お願いがあります」




