舞踏会1
公爵邸での舞踏会の夜がやってきた。
まるで宮殿のように立派な館の窓からはまばゆい光が漏れ、ゴージャスに着飾った人々が誘われるように続々と馬車から降りてくる。
公爵夫人の主催する舞踏会だから、その格式と豪華さは折り紙付きだった。
今夜、王都で一番華やかな場所は、間違いなくここだろう。
エドガーお義兄様はオーレリア王女をエスコートするため、私よりも先に屋敷を出ていた。
もう、この広い会場のどこかにいるのかもしれない。
私は青のドレスを着て、ピアにゆるく巻いてもらったミルキーブロンドの髪を片側から垂らしていた。
青い聖石のネックレスは、少しだけ開いたドレスの首元で美しく光っている。
お義兄様からいただいたネックレスとドレスのおかげか、大人っぽい素敵な女性に見えるような気がする。これなら侯爵家の養女として恥ずかしくないだろう。
イアンお義父様の手を取って、ロヴェット家の紋章入りの馬車から降り立ち、公爵邸の中へと入る。
会場は見たこともないほど壮麗で、行き交う人たちは皆うっとりするほど上品で華やかだった。
お義父様が私のエスコートを申し出てくださって本当によかった。
社交に不慣れな私が一人でいきなりこんな格式の高い催しに出席して、公爵夫人にお会いする前にとんでもないマナー違反をしてしまったら目も当てられない。温和で聡明な侯爵のお義父様が一緒なら、その前に私に注意をしてくれるだろう。
「そんなに固くなることはないよ、ライサ。もっとリラックスしてごらん」
「は、はい、お義父様……ですが、緊張してしまって」
お義父様はそっと私の背中に手を当て、ほほえんだ。
「たしかに皆立派に見えるかもしれないね。でも、人間なんて皆同じさ。喋ってみれば、なんだ、案外普通だなって思うはずだよ」
「そうでしょうか……?」
「ああ。それに、きみも立派なレディだ。胸を張って堂々としていなさい。きみのお母様のように」
そういえばお母様も、出かける前に私に「堂々としていなさい」と、まったく同じアドバイスをくださった。
お義父様とお母様は全然違う人間だけれど、同じところもたくさんある。
たとえば、こうして私を心配してくれるところとか。
一見近づき難いこの会場の人たちも、話してみれば、案外たくさんの共通点を見つけられるのかもしれない。
そう思うと気が楽になった。
「はい。ありがとうございます、お義父様」
お義父様は、笑顔で私にウインクしてくれた。
お義父様はあちこちから声をかけられ、そのたびに私を紹介してくださった。一晩でこんなにたくさんの人と喋ったのは初めてだ。
驚いたことに、「ライサさん、あとで一曲踊ってくださいませんか?」と私にダンスを申し込んでくださる男性が何人も現れた。みるみるうちに、私の前にダンスの申し込みをする若い男性の行列ができていく。予想もしていなかった光景に、私はぽかんと呆気に取られた。
隣のお義父様は複雑そうな顔で「うーん、エドガーに念を押されてるし、断らないと怒られちゃうかな……でもうちのライサがモテるところを見るのはいいものだな……」などとしみじみ呟いていた。
でもお義父様、きっと私はモテているわけではなく、バツイチ聖女という物珍しさか、ロヴェット家の後ろ盾目当てで声をかけられているだけですよ……?
とはいえ今日の目的は公爵夫人と話をすることだったし、まさか誘われるとは思いもしなかったので、舞踏会なのにダンスカードすら持ってきていなかった。
誘ってもらえることはやっぱりうれしい。でも、この会場にいる誰よりも忙しいだろう公爵夫人に話しかけるタイミングを逃したくないので、せっかくだけれど、ダンスの申し込みはすべて丁重にお断りをした。
お義父様の腕に手を乗せ、公爵夫人を捜しながら歩いていると、知っている名前が耳に飛び込んできた。
「ケンドリック家の当主はいよいよ危ないらしいな」
「ベンジャミン様でしょう? スタンリー様が何度か裏金を積んで中級聖女を派遣させたけれど、少しも良くならないんだとか……」
「投資で大損をさせておいて裏金とは呆れる」
「息子に代替わりをしても、あれではやっていけるかわかりませんわね」
「なんでもスタンリーは病床の父親にしつこく生前分与を迫っているそうだぞ。顔を合わせれば金の話をして、頑固に拒む父親に脅迫まがいの言葉を投げつけているとか……」
「まあ、それでは治るものも治らないでしょうに」
聞いていて胸が痛くなった。
ベンジャミン様は高慢で口が悪かったけれど、ケンドリック家の人間で唯一、私を気遣ってくれた人でもある。
もしかしたら彼は、一人息子のスタンリー様からも冷たい仕打ちを受け、心まで弱ってしまっているのかもしれない……。
「ライサ、あっちの方へ行ってみよう」
お義父様の声で現実に引き戻された。
けれど、ホールが広すぎる上に人が多くて、目当ての公爵夫人はなかなか見つからない。主催者ならすぐに会えるだろうと思っていたけれど甘かった。このレベルの舞踏会になると、待ち合わせでもしていない限り、会いたい人に会うのは至難の業だ。
そのうちにダンスが始まった。
音楽が演奏され、カドリールの列が作られて、会場にいる多くの人々が踊りだす。
壁際で、私は段々焦りはじめた。
うかうかしていると公爵夫人に会えないまま舞踏会が終わってしまう。
隣のお義父様が知人に話しかけられ、楽しそうにお喋りを始めた。
ダンスはカドリールからワルツに変わっていた。
ちらりとホールに目を向けると、ワルツを踊る男女の真ん中にぽっかりと空間ができていて、その中心ではまるで舞台の主役のように一組の男女が見事なダンスを披露している。
私はその光景に目を奪われた。
「……お義兄様……」
神殿騎士の正装をした凛々しいエドガーお義兄様が、豪奢なドレスを纏った美しいオーレリア王女とワルツを踊っている。
「ロヴェット家のエドガー様と、オーレリア王女よ」
「まあ、なんて素敵なの……!」
「吟遊詩人の歌に出てくる騎士とお姫様みたい」
「本当にお似合いのカップルね」
近くの人たちの囁きが耳に飛び込んでくる。
会場中が二人に注目しているようだった。
美男美女というだけでなく、ダンスもぴったりと息が合っていて優雅で、あちこちから感嘆のため息が聞こえてくる。
どうして私は他の人たちみたいに、二人を賞賛できないんだろう。
胸が、潰れそうなほど苦しい。
お義父様はまだ知人と話に花を咲かせている。
私はきらびやかなダンスホールに背を向け、外へ出た。
夜の庭園を歩いていると、少し気分が落ち着いた。
「……早く戻らないと」
黙って出てきてしまったので、お義父様が心配しているかもしれない。
それに、早く公爵夫人に会わないと……せっかくオーレリア王女が招待してくださったのだから。
私はふと、いい考えを思いついた。
そうよ……ダンスの合間にオーレリア王女に話しかけて、公爵夫人を紹介してもらえばいいじゃない!
お義兄様と王女は注目の的だった。おそらく主催者である公爵夫人も二人を見ていたことだろう。しかもオーレリア王女は公爵夫人の妹なので、近くにいる可能性も高い。
ダンスとダンスの間は少し時間がある。そのときに少し話しかけるくらいなら迷惑にはならないだろう。
さっきの寄り添うように踊る二人が思い出され、一瞬足が止まりかけたけれど、頭から振り払って会場に戻ろうとした。
そのとき、男性の声が聞こえた。
「おい」
ほんの一瞬、お義兄様が私を捜しに来てくださったのかと思った。
でもそんなわけがない。会場からはまださっきのワルツの曲が聴こえている。
今は夜で、ここは暗い庭園で、屋敷からは少し距離がある。
私は足元に落ちていた木の棒をサッと拾い、しっかり握って構えながら、振り向きざまに叫んだ。
「誰!?」
「おっ……落ち着けライサ! 俺だ!」
「…………スタンリー様?」
夜の庭園の茂みから姿を現したのは、私の元夫の、スタンリー・ケンドリック様だった。




