ノエルと野いちご
その日、私は大神殿を訪れていた。
聖女に復帰するために。
神聖力の査定は問題なく終わり、私は中級聖女の資格を取り戻すことができた。
ところが、ただ戻っただけではなく、なぜか私の神聖力の数値は係の神官たちが驚くほど跳ね上がっていた。
「計測器の針が振り切れるなんて……故障?」
測定係の二人の神官が同時に首をひねる。
聖石のネックレスのせいかと思い、外してもう一度測ってもらった。
けれど、それでも同じ結果になった。
念のためと神官たちが計測器を替えても、やはり同じ結果。
書類には便宜上、計測器の最大数値〈5000HP〉が記入されることになった。
私はあっけにとられた。
以前の私のHPは2500前後だったのに、なぜ?
若い神官が感心したように言った。
「上級聖女の中でも一番の実力のオーレリア王女でさえ4500HP位なので、あなたのHPが全聖女の中でトップですよ」
「ほ、本当ですか!?」
「バカ、上級聖女のHPは部外秘だ!」
年かさの神官が若い神官をどやしつける。
期せずしてオーレリア王女のHPを知ってしまった……。
でも、数字が上だからといって、私が上級聖女になれるわけじゃない。
上級聖女への道は気が遠くなるほど険しい。
中級から上級への昇格基準の一つ、3000以上のHPという点はクリアしたけれど、それ以外にも聖典と祈祷書について大学レベルの筆記試験を解かなければならないし、神官たちの立会いのもとに特別な修練を一週間受けなければならない。
そして、これが最も難しいのだけど、神官長一人と上級神官十人、合計十一人のうち、三分の二以上の承認を得なければならないのだ。
「神官長様にはいい印象を持たれてないだろうから、承認していただけないかも……でも、やってみる価値はあるわね」
測定の部屋を出て、中庭に面した長い外廊下を歩きながら、私はぎゅっと拳を握った。
もしも私が上級聖女になれたら、もっと人の役に立てるし、ロヴェット家の名声も上がるだろう。
神殿での権限も増えるから、聖堂で読み書きの教室を開くことだって、もしかしたらできてしまうかもしれない。
「そしたら、まずは試験対策を……」
「なんの試験?」
考え事をしながら歩いていたので、いきなり話しかけられてビクッとした。
ノエルが外廊下の柵にもたれ、腕組みをしてこちらを見ていた。
「ノエル! どうしてここに?」
「明日サイベル伯領に戻るから、その前に会いにきた」
「もう帰るの……?」
久しぶりに会えたのにもう故郷へ戻ると聞いて、思わず寂しさに胸が詰まる。しばらくは王都に滞在すると思っていたのに……。
私の顔を見ると、ノエルはさらりと言った。
「そんな顔しなくていいよ。おまえも連れてくから」
「えっ?」
ぎゅっと、腕をつかまれる。
昔とは全然違う、大きくてごつごつした力強い手。
一瞬びっくりしたけれど、ノエルの変わらない優しさを感じて、ふふっと笑みがこぼれる。
昔から、ぶっきらぼうだけど面倒見がいいのよね。
「ありがとう、ノエル」
「……ありがとう?」
「ええ。私を元気づけようとしてくれたんでしょう? あなたは優しいから」
「いや……えっと……」
照れているのか歯切れの悪くなったノエルに、私はにっこりと笑いかけた。
「本当にありがとう。でもね、せっかく聖女に戻れたし、上級聖女の試験も受けようって決めたところなの。まだ王都で頑張ることにするわ」
「…………それに、あいつもいるから?」
「えっ?」
「エドガー・ロヴェット。好きなんだろ?」
「なっ……!」
「……顔、真っ赤。相変わらずわかりやすいやつだな」
呆れたように言われ、パッと頬が朱に染まる。
違う、そうじゃないの、と言おうとするのに、なぜか言えない。
「でも、あいつは第三王女の恋人って聞いたけど」
「そ……そうよ。お義兄様は、オーレリア王女と結婚……するから……」
口に出した言葉は、尻すぼみになって消えていった。
オーレリア王女は、とても素敵な人。
でも──お義兄様が王女と結婚したら、嫌だ。
お義兄様に、ずっと私のそばにいてほしい。
家族としてとても大切にしてもらってることは、よくわかっている。
本来なら、それだけで十分のはずだ。
でも、義妹としてじゃなく、私を見てほしい。
そんなことを望んだらいけないのに。
足元の地面を映した視界が滲む。
……そっか。
ノエルに言われて初めてわかった。
私は、お義兄様のことが好きなんだ。
「泣くなよ」
「な、泣いてないわよ!」
うつむいたままごしごしと袖で涙を拭う。
会わなかった五年の間に大きくなった幼馴染は、故郷の騎士服姿で私を見下ろしている。
私は気まずさを誤魔化すように早口で言った。
「別に、分不相応なことは望んでないわ。私は聖女になって王都の人の役に立ちたいの。それだけよ」
「俺はライサと二人で帰りたい」
「えっ?」
急にそんなことを言われてドキリとした。
ノエルは表情ひとつ変えない。
「そろそろ野いちごの時期だからな。あれを見るたび、森に行ってパクパクうまそうに食べてたおまえを思い出すんだ」
「ちょっと、それじゃ私が食いしん坊みたいじゃない!」
「違うとは言わせねぇ」
そういえば、サイベル伯領の騎士団の裏手にある森に野いちごがたわわに実るのは、今ぐらいの時季だ。
それを目当てに、私は学校が終わるとノエルを引っ張って森へ直行していたっけ。
あちこちから聞こえる鳥の鳴き声、野いちごの甘酸っぱさ、少年だったノエルの横顔、あの頃の優しい木漏れ日と、森を渡る緑の風。
そんな思い出が甦り、懐かしさで胸がいっぱいになった。
「……もうそんな季節なんだ」
不意に、森で出会ったあの方のことが頭をよぎった。
野いちごを摘む私たちをあの方がじっと見ていたから、食べたいのかなと思って野いちごを分けてあげた。
そしたら、あの方はお返しに私に祝福を授けてくれて…………あれ? あの方って誰のことだっけ…………?
「ライサ」
思い出そうとしていたら、ノエルに改まった調子で名前を呼ばれた。
顔を上げると、緑色の真剣な目とぶつかる。
「俺と一緒に来い、ライサ。サイベル伯領でも聖女はできるだろ?」
「……ノエル……」
昔からノエルは面倒見のいい性格だった。
きっと、報われない恋をしている幼馴染を放っておけないんだろう。
ハッとした。
もしかして……私がスタンリー様と結婚していたとき、籠に摘んだ野いちごを届けてくれたのは、ノエルだったの?
勢い込んで尋ねる。
「ねえ、ノエルはいつから王都にいるの? 私がケンドリック家にいたとき、もしかして野いちごを届けてくれた?」
「は? いや、俺が王都に来たのは三日前だけど」
「…………そう。ごめんなさい、なんでもないの」
あれはノエルではなかったんだ。
じゃあ一体誰が?
ノエルが私に、ぐっと顔を近づける。
「五年前、おまえが王都へ行ってから、ずっとおまえのことを考えてた。堅苦しい侯爵家なんて性に合わないんじゃないか、貴族たちにいじめられてるんじゃないかって。ケンドリック家に嫁入りして、でもすぐに離婚したって聞いて、いてもたってもいられなくなって会いにきたんだ」
「ノエル……」
「貴族に散々ひどい目に遭わされたのに、これ以上我慢することねえだろ。騎士団へ帰ろう。みんな歓迎する」
苦しくなるほどまっすぐに見つめられる。
私も真剣に答えた。
「ありがとう、ノエル。だけど、私は王都でやりたいことがあるの。それに…………お義兄様がほかの人を好きでもいいの。私は見ているだけで幸せだわ」
精一杯ほほえんでみせたけど、ちょっと情けない笑顔になっていたかもしれない。
上級聖女になってみんなの役に立ちたいというのは本当だ。
それに、エドガーお義兄様が私に優しくしてくれるのは、私がロヴェット家の養女で義妹だからということもちゃんとわかっている。
お義兄様には、王女という恋人がいることも。
勘違いしてはいけないし、困らせてはいけない。この気持ちは死ぬまで隠し通す。
だからせめて、陰からお義兄様を見つめることだけは許してほしい。
そんな私をノエルは馬鹿にしたり、諫めたりはせず。
しばらくじっと見つめてから、私の手首をつかんでいた手を、ようやく離した。
「…………わかった。いっそ攫っちまおうかと思ったけど……また今度にしとく」
「えっと、また今度攫う宣言……?」
「おまえが帰ってきたいなら、いつでも場所はあるから」
そっけない態度だけど、思いやりは十分に伝わってきた。
私はにっこり笑った。
「ありがとう、ノエル。心強いわ」
ノエルはまだ何か言いたそうな顔をしていたけれど、「じゃあな」とだけ言うと、帰っていった。
お読みいただきありがとうございます!
ノエルは正直野いちごは食べ飽きてるのですが、ライサの野いちご摘みにいつも付き合ってくれた気のいい幼馴染です。




