甘い生活
あの馬車の事故以来、エドガーお義兄様が以前にも増して私に甘い。
お茶の時間は、なぜかいつもお義兄様と二人きりだ。
花に囲まれたロマンティックな庭園で、美しい義兄と二人きりでお茶を飲むのはなかなか心臓に悪い。
そしてなぜか毎回私が大好きな野いちごのお菓子が出てくる。
だけど、お義兄様はお嫌いなのか、自分の分には手をつけずに私に丸ごとくれる。
さすがに毎回だと申し訳なくて、一度、厨房へ行って料理長に違うお菓子を出してほしいと頼んだら、いい笑顔で「毎日野いちごの菓子を作れとのエドガー様のご指示なので無理ですね」と断られた。
お義兄様はご自分がお嫌いなのに、毎日野いちごのお菓子を作らせているの?
なぜわざわざそんなことを?
もしかしたら、ワインに続く新しいランブリッジ領の特産品を開発しようとしているのかもしれない。
そうだとしたら、邪魔をするのは野暮というものだろう。
◇
でも、それだけじゃなかった。
お義兄様は目前に迫った公爵夫人の舞踏会のため、屋敷に有名な仕立て屋を呼び、私のためのドレスや靴や髪飾り一式を新たにオーダーしてくださったのだ。
ドレスならすでにピアといくつか候補を決めていたのだけど、どれもお義兄様に却下されてしまった。
厳しいけれど、侯爵家の当主代理であるお義兄様としては、義妹の私に下手なものは着せられないということなのだろう。
それに私が初めて出席する舞踏会だから、他家に見くびられないように絢爛豪華なものにしたいと、余計に気合いが入っているのかもしれない。
ところが、お義兄様が仕立て屋に細かく注文をつけて作らせたドレスは、贅を尽くした最新流行のものではなく……なんというか、お母様の世代のドレスかな? と思うような、襟の詰まった露出の少ないデザインのものだった。
「あのう、エドガー様……今はもっとデコルテを大きく開けたデザインが流行ってるみたいですよ……? これではせっかくのライサ様の綺麗なお肌が宝の持ち腐れに……」
メイドのピアは、居間に届いたドレスを見ると、おずおずとお義兄様に申しでた。
だがお義兄様に怖い顔で一瞥され、震えあがった。
「これでいい。舞踏会でライサの肌を見せる必要などない」
お義兄様はそう言うと、居間を出ていった。
ピアはほっと息を吐いていたが、私は打ちのめされて真っ青だった。
「……ピア……お義兄様に、私の肌など見る価値もないと言われてしまったわ……」
「えっ!? ち、違いますからね? 見てください、このドレスの色を……青と金色ですよ?」
ピアがドレスを持ち上げ、私に見せる。
目が覚めるような上等な青の生地に、差し色として上品な金色のフリルが入っている。胸元の開いた流行の型ではないけれど、夜明けの海のように美しいドレスだ。
「……わかっているわ、ピア。これはロヴェット家の男性の色よね。イアンお義父様とエドガーお義兄様の……これを着ることで私がロヴェット家の庇護下に戻ったと皆様に知らしめ、ケンドリック家のイメージを払拭しようとしているのだわ」
最近、社交界ではケンドリック家の商船団が沈没したともっぱらの噂だ。
聞くだけで恐ろしい話だけれど、現実問題として、スタンリー様に投資させられ大損をした人たちは激怒して連日ケンドリック家に押しかけているらしい。
そんな悪い意味で話題の家と姻戚関係にあったという黒歴史を、お義兄様は早く皆様の記憶から消去したいんだろう。私のせいで本当に申し訳ない。
「ええと……まあ、それもあるかもしれないですけど……むしろ、その…………」
「いいのよ、ピア。お義兄様にこんなに素敵なドレスを仕立ててもらえてうれしいわ」
なぜか目をさまよわせて口ごもるピアに、私はにっこり笑いかけた。
姿見の前で自分で合わせてみると、大人っぽいドレスは意外にも私に似合っている気がした。離婚を経て、私も少しは成長できたのかもしれない。
ピアも気を取り直したように明るく笑った。
「そうですね! それでは、このドレスに似合う髪形を考えましょうか」
「ええ、そうしましょう」
私たちはそれからああでもないこうでもないと、舞踏会でのヘアアレンジについて盛り上がった。
◇
ようやく取り戻した聖女の力でお義父様の骨折を癒やしたときも、お義兄様は手放しでほめてくれた。
「すごいな、父上の足が完全に治っている。ライサは天才だな」
「お、お義兄様、おおげさです」
「いや、本当にすごいよ! 見てくれソニア、ぼくが昔作った古傷まで治っているんだ! こんなに完璧に治癒できるなんて、もしかしてライサは上級聖女になれるかもしれないぞ」
「あなたまでそんな大仰な……まあ、本当ですわね」
ロヴェット家の居間に家族四人で集まり、ソファに座ったイアンお義父様を囲む。
私がお義父様の足を癒やすと、滅多に驚かないお母様も目を丸くしていた。
傷を完全に消すなんて、たしかに上級聖女の領分だ。中級聖女の能力では、通常は、止血して痛みを和らげる程度の治癒が限界なのだから。
あの事故以来、私の神聖力は以前よりもかなりグレードアップしたような気がする。
もしかしたら、お義兄様が買ってくださったこの聖石のネックレスのおかげかもしれない。
意識のなかったお義兄様を癒やせたことも、きっとこのネックレスを身につけていたからなんだろう。そうでなければ、ただの中級聖女の私が、重傷のお義兄様を完全に治癒できた理由が説明できないもの。
お義父様とお母様が居間を出ていって二人きりになると、お義兄様が私に近づいた。
そっと私の前髪を横へ流し、額の傷をあらわにする。
「この傷も治せるのか?」
至近距離で尋ねられて、心臓が早鐘を打つ。
これは義兄として心配してくれているだけ、と何度も心の中で自分に言い聞かせながら、私は平静を装って答えた。
「いいえ、聖女が癒やせるのは他の人だけなので……自分自身は癒やせません」
「そうか……」
お義兄様は端正な顔を曇らせた。私のために心を痛めてくれているんだろう。
私は笑顔で明るく言った。
「お気になさらないでください。怪我をしたおかげで離婚ができて、こうしてまたお義兄様と一緒にいられるのですから。この傷に感謝しているくらいです」
お義兄様は一瞬静止すると、くるりと私に背を向けた。
あれ? 急にどうしたんだろう。
なんだか耳と首が赤いような……?
「どうかしたのですか、お義兄様?」
「……おまえは、どうしてそういうことを平然と……」
「私、何か変なことを言いましたか?」
私は焦った。
一体自分はどんな失言をしたんだろう。離婚したというのに不適切だった?
「ごめんなさい……ですが本当に、私は毎日お義兄様と一緒にいられてうれしくて……もうすぐお義兄様は神殿騎士に戻ってしまいますし、それに……いつかは、オーレリア王女と結婚するのでしょう?」
振り向いたエドガーお義兄様は、苦いものでも呑み込んだような顔をしていた。
最近、お義兄様は夜に出かけることが増えた。
朝帰りをすることもあって、そんなときにはふわりと香水の残り香を身にまとわせていたりする。
どこへ行っていたのか尋ねてもはぐらかされるけれど、きっとオーレリア王女と会っているんだろう。
お義兄様が当主代理の仕事のために王女の護衛を長期間休んでいるので、自由の利く夜の時間をともに過ごしていて、だから扇情的な残り香とともに帰ってくる。
わかっている。
私は義妹として二人を祝福しないといけない。
けれどそのことを考えるだけで、なぜか心を切り裂かれるような苦しさを感じた。
お義兄様が神殿騎士に復帰すれば、こんなに多くの時間を共有することは二度とできなくなってしまう。
それに、もしも王女が侯爵家に降嫁しこの屋敷に住むようになれば、さすがに私はここにはいられない。そうなったら大神殿に戻って、一生聖女として生きていくつもりだ。
聖女の力を取り戻したから、今も希望すれば私は大神殿に戻れるだろう。
でも、きっとこれが人生で最後の、お義兄様と一緒にいられる時間だ。
私の憧れの、一番大切な人。
だから残りの時間を大事に過ごしたかった。
お義兄様は、私とまっすぐに向き合った。
「すまない、ライサ」
「……? 何がですか?」
「今はこんなことしか言えないが……俺はおまえのことを、何より大切に思っている」
「っ!?」
たちまち私の全身は火がついたように熱くなった。きっと顔は真っ赤だろう。
お、お義兄様ったら、「今はこんなことしか言えないが」って……そもそもそういうセリフは、ただの義妹に言う言葉ではありませんよ!?
家族として大切、という意味であるのは、もちろんわかっているけれど。
どこか切実に私を見つめる青い瞳が、暴力的に綺麗で、吸い込まれそうで…………ああ、これ以上は無理だわ!
「わ、私も、お義兄様のことが大切です!」
そう叫びながら、私は脱兎のごとくその場から逃げ出した。
その後、私は気持ちを落ち着かせるため、部屋で祈祷書を開きぶつぶつと読んでいたのだけど、お茶を持ってきてくれたピアが遠慮がちに「ライサ様、本が上下さかさまです……」と教えてくれた。




