沈みゆく船(スタンリー)
「一体なんだってこんなことに……!」
貴族たちから投資を受けて出航した商船団が、海峡で沈没し全滅したと連絡を受けた俺、スタンリー・ケンドリックは、ひどく不機嫌で苛々していた。
新大陸への最短航路を発見したと思っていたのだが、それはこの季節は荒れて危険な死の海路だった。
積み荷を大量に載せた船団が全滅したとあって、損害額ははかりしれない。
しかも正規の航路ではないので、せっかく入っていた高額の船舶保険も下りないかもしれない。
「ああっ、ちくしょう!」
お気に入りのワインをがぶ飲みするが、最後のボトルも空になってしまった。
今が夜だと承知で、執事のトーマスに命じる。
「おい、早く同じものを買ってこい!」
「……それが、当家には売れないと言われておりまして……」
「はぁっ!? うちは侯爵家だぞ? しかも父上は王の従弟、ベンジャミン・ケンドリックだ!」
ふざけているのかと思ったが、トーマスは生真面目なやつで冗談など言わない。
詳しく事情を聞くと、なんでもこのワインはロヴェット家の領地の特産品で巷で大人気なのだが、うちに出入りしている酒屋は「すいません、ケンドリック家には絶対に売るなとロヴェット家からお達しがきてまして……禁を破って売ったのがバレると、取引してもらえなくなっちまうんですよ。人気の品なんで、それじゃあ商売あがったりでして……」などと抜かしたそうだ。
あの憎たらしいエドガーがライサを引き取りに来たとき、あいつはすごい剣幕だった。だからこんな幼稚な嫌がらせをしてくるのか。
ああクソッ、イライラが倍増する。
「…………ふ、ふん、まあいい。どうせどこの夜会でもあのワインが出てくるんだ。タダで飲めるならそっちの方がいいからな。おい、次の夜会はいつだ」
「申し上げにくいのですが、どこからも招待状が届いておりません」
「なんだと!?」
次々に俺を逆上させるようなことを言うトーマスにつかみかかりそうになったが、必死に思いとどまる。
理由を知っているかと聞くと、トーマスは首肯した。
使用人たちの情報網は広く、この執事には部下たちから吸い上げられた貴族社会の情報が集まるので、尋ねればたいがいのことはわかる。
それによると、俺がライサの聖女の力を利用して詐欺まがいの資金集めをしていたという噂、さらに俺の愛人のモニカがライサを階段から突き落として聖女の力を奪い離婚させたという噂が広まっていて、いつの間にかケンドリック家は社交界から締め出されていたらしい。
根も葉もない中傷だ。
俺が知人たちに投資を求めたのは十分な配当収益が見込めると踏んでのことだったし、商船団の沈没は不幸な事故だ。海が荒れたせいであって、断じて俺の責任ではない。
それに、かわいいモニカが俺の妻を階段から突き落としただと?
あいつは勝気だが、いくらなんでもそんな悪魔のような所業をするはずは……。
折しもモニカが居間に入ってきて、空のボトルを振りながら不満げにこぼした。
「ねえ、ワインがないわよ。どうなってるの?」
「……売り切れだそうだ」
「えぇ~っ? じゃあ早くこれと同じものを買ってきてよ。使えない執事ね」
偉そうにソファにもたれ、モニカは長年わが家に仕えている執事をけなす。そんな姿に俺は不快感を覚えた。
いきなり、頭の中に元妻の顔が浮かんだ。
モニカとは違い、いつも従順で素直だったライサ。
下賤な騎士家出身のつまらない女だと思っていたが、近ごろのモニカを見ていると、彼女の清楚な姿がなぜか頻繁に思い出される。
ライサはこの俺を愛していたのだ。
まるで、雪の下にひっそりと咲く冬の花のように健気に。だから俺に愛人がいても耐え、毎日一生懸命に父上を癒やしていた。
その証拠に、去り際にあんな切なそうな顔をしていた。
俺と別れるのがよほどつらかったのだろう……かわいそうなことをしてしまったな。
少しはかわいがってやればよかったと、後悔が押し寄せる。
「ちょっと、何をもたもたしてるの? さっさと買いに行きなさいよ!」
モニカの罵声で我に返った。
トーマスがちらりと俺を見る。さっきと同じ説明をモニカに繰り返す気はないのだろう。俺だってない。
「……おい、どこのワインでもいいから買ってこい」
「かしこまりました」
トーマスが一礼して下がると、モニカは足を組み、忌々しそうに呟いた。
「何よ、使用人のくせに偉そうに……」
実際、トーマスは子爵家の息子なので、男爵家出身のモニカより身分は上だ。
だがそんなことを口にして彼女の怒りを買うほど俺は愚かではない。
居間のドアが開き、壁を伝うようにして、やつれ切った父上が入ってきた。
俺は腰を浮かせた。
「父上! 熱があるのですから、部屋でおとなしくしていてくださいとあれほど……」
「……う、うるさい、この罰当たりめ……! うちの大事な船が、一艘残らず沈むなどありえぬ…………聖女ライサに怪我をさせ、離縁したことで、女神様がお怒りなのだ!!」
息も絶え絶えに吐かれたその言葉が、まるで地の底からの呪いのように聞こえてゾッとした。
だが、女神の怒りなどあるわけがない。
人間が何をしたところで、天上の女神がいちいち見ているわけがないのだ。
「何を馬鹿なことを。ほら、部屋へ戻りましょう」
俺は父上を半ば引きずるようにして、強引に廊下へと連れていく。
モニカは手伝うそぶりも見せない。こんなときライサだったら、きっと率先して父上を支えただろうに……。
父上は死人のように顔色が悪く、体が熱い。体重もずいぶん減ってしまったようだ。
この原因不明の熱病はいつまでたっても治らない。
父上はライサの治癒でないとだめだとずっとごねていた。離婚してから金を積んで何人かの中級聖女を呼んだが、誰もあいつのようには父上を癒やせないらしい。
そんなはずがないだろう。年寄りのくだらないわがままにうんざりする。
どちらにせよ根本的に治すには上級聖女の力が必要なのだろうが、さすがに人間国宝並みにレアな存在の上級聖女は、いくら金を積んだとしても呼ぶことはできない。
父上が王の従弟だとしても。
普通に上級聖女を頼むとしたら、数年待ちになる。
この頃は年かさの使用人にも熱を出す者が増えていた。
父上を部屋のベッドに寝かせたあとですれ違った従僕も、熱っぽい目つきでフラフラと歩いていた。
俺はその従僕を避けながら、顔をしかめて呟いた。
「チッ……俺にうつすなよ……」
あんな苦しそうな病をもらうなど絶対にごめんだ。
ふと、いい考えが閃いた。
トーマスの情報によると、ライサは最近になって聖女の力を取り戻したらしい。
それも、以前よりも強力な力を。
街中で馬車に轢かれたエドガーを癒やしたと、もっぱらの噂だそうだ。
だったら、ライサと復縁してやってもいい。
そうすれば以前のように聖女として父上に癒やしを与えさせることができるし、もし俺が病気になっても安心だ。
それに、あの商船団は不運なことに沈没してしまったが、船なんていくらでも替えが利く。またライサを利用して投資を募り、今度は安全なルートで外国へ向かい、商品を売り捌けばいいだけの話だ。
宣伝として、少しぐらいならライサの癒やしの力を他の貴族たちに分け与えてやってもいい。まあ投資額によるが。
モニカは怒るだろうが、あいつは単純な女だ。どうせ口先三寸で丸め込めるだろう。
「ククッ……待っていろ、ライサ。この俺が、出戻りのみじめなおまえに十一回目のプロポーズをしてやろうじゃないか」
元妻の顔を思い浮かべながら、俺は久しぶりに上機嫌で、夜の廊下を歩いた。




