大切な人(エドガー)
俺、エドガー・ロヴェットは、十二歳だったときに母を亡くした。
そして十六歳になると、父が再婚した。
まだ四十代だった侯爵の父に後妻が必要であることは当時の俺でも理解できた。ただ、高位貴族として、ランブリッジ侯爵としての妻の必要性というだけでなく、父は同じように伴侶を亡くした彼女と人生二度目の恋に落ちたようだ。なにしろその再婚相手に、子連れでロヴェット家へ入ることを許した位なのだから。
義母ソニアには子が一人いた。十二歳のライサという娘だ。
王立学校への入学と入寮を間近に控えていた俺は、正直、降ってわいたように現れた継母と義妹には興味がなかった。
俺が寮に入れば会う機会も減るし、顔を見ずに済む。
どうでもいい、という風にふるまっていたが、内心はやはり面白くなかったのかもしれない。
亡き母の後釜に他の女が納まり、その娘が俺の義妹となり、誇り高きロヴェットの名を名乗ることを、好むと好まざるとに関わらず呑み込むしかなかったのだから。
俺の母セシリアは誰よりも優しい人だった。
優しすぎたから、聖女として人のために無理をして、その命を散らした。
そのとき俺は十二歳の子どもだったが、体調を崩しても大神殿へ行こうとした母を、どんな手を使ってでも止めるべきだったのだ。
どれほど後悔をしようが、どれほど大切であろうが、死んでしまった人間は二度と戻らないのだから。
しかし、いつまでも母の死を悲しむことはできなかった。
生まれたときからロヴェット家の後継者として育てられてきた俺は、幼いころからありとあらゆる教養と社交と処世術、それから剣術と馬術を叩きこまれていた。刻々と移ろう世の中で家門を守っていくつもりなら、それ以外にも学ぶことは山ほどあるし、やらなければならないことも多くある。時間はいくらあっても足りない位だ。
だから父上の都合で出来た新しい家族に関わっている暇も、もちろんなかった。
だが、ある雷の日、図書室の隅で震えている義妹を見かけた。
俺は貴族学校から入学前に出された課題の参考書を探しに来ただけで、目当ての本を見つけたあとは、さっさと部屋に戻って課題をこなしてもよかった。
けれど雷鳴が轟くたび、彼女は小さな拳を口に当てて悲鳴を必死に押し殺している。
そんな少女を一人残して立ち去ることなどできるはずもない。
ソファに座って本に目を落としながら、俺は怯える義妹に声をかけた。
「大丈夫だ。避雷針があるから、ここには落ちない」
返事はなかったが、そのあと彼女は明らかに安堵した様子で、静かに自分の抱えていた本を開いて読んでいた。
しばらくして雷が遠ざかると、もういいだろうと思い立ち上がった。
義妹はパッと顔を上げて何か言いたそうにしていたが、俺はそのまま図書室を出た。
それ以降、俺は義妹のライサから尊敬のこもったキラキラしたまなざしを向けられるようになった。
慣れない王都暮らしで心細いところに苦手な雷に遭ったので、そのときたまたま近くにいた義兄の俺に懐いたのかもしれない。
一度、俺の部屋の前に野いちごの入った小さな籠が置かれていて驚いたが、ライサの仕業だった。屋敷の裏手の森から採ってきたらしい。
毒の危険があるので貴族は差出人不明の食品を口に入れない。
そのことを本人に伝えるとしょんぼりして謝られたので、礼を言って一緒に野いちごを食べた。
食べながら、ライサは野いちごについて熱心に教えてくれた。
「エドガー様、黄色い実の野いちごはとっても甘くて美味しいんです。でも、黄色い花の咲く赤い実は蛇いちごなので、食べても美味しくありません。雨が降った次の日も野いちご摘みには不向きです。それから、野いちごの木には棘があるので、採るときは十分に気をつけてください」
「……そうか、わかった」
彼女がいなければ一生知ろうとも思わなかった知識だ。
森の野うさぎにでも懐かれたような気分だった。
◇
学校の寮から初めて帰省したときは、一か月ぶりに義妹に会うことが、ほんの少しだけ楽しみになっていた。
ところが、ロヴェット家の屋敷に当のライサはいなかった。
なんでもお茶会から帰って以来、ずっと姿が見えないのだという。
心配そうな義母の顔を見ると、自然に「俺も捜してきます」という言葉が口をついた。
屋敷の中ではなく外から捜しはじめたのは、野うさぎという印象のせいだろう。
そしてそれは当たった。
彼女は夕闇の迫る庭園の隅で、一人でなにやらブツブツと本を読み上げていた。
「ご、ごきげんうるわ……しゅう……? わたくしは、あなたさまを……お慕い、申しあげて……」
……何をしているんだ?
物語の貴族令嬢のものとおぼしきセリフの発音はめちゃくちゃだった。これを口にする位なら、黙ってにっこりしていた方がまだマシというレベルだ。そもそも俺の義妹は、どんなにメイド長ににらまれても屋敷の中を走り回る野うさぎのはずでは。
事情を尋ねると、ライサはたどたどしく俺に説明した。どうやらお茶会で失敗をし、令嬢らしくふるまうことの必要性を痛感したようだ。
上流階級は甘くない。どこよりも排他的だし、常に厳しい視線にさらされる。贅沢できらびやかな暮らしを享受する一方、高みに立つ責任は重い。
だが森の野うさぎのようにのびのびと育ったこの少女は、母親の再婚によっていきなりそんな場所へ放り込まれ、周囲に合わせることを求められたのだ。
「……私も……他の令嬢みたいになれるでしょうか……」
たった一人で令嬢らしくなろうともがく十二歳の義妹に、今にも涙がこぼれそうな悲壮な顔で見上げられたら、何を措いても力になってやりたいと思った。
「おまえには向上心がある。望む場所があって、正しい努力をすれば、おまえは必ずその場所へたどりつける」
義妹を連れて屋敷に戻ると、俺はすぐに父上に事情を説明し、彼女のために何人もの家庭教師を手配した。
思った通り、ライサは必死に淑女教育に食らいついていったようだった。
そして次に俺が帰省したときには、お手本のように綺麗なカーテシーを見せてくれた。
「おかえりなさいませ、お義兄様」
「ただいま、ライサ」
彼女の努力に敬意を表し、レディに対する礼を返す。
義妹から「お義兄様」と呼ばれたのは、そのときが初めてだ。
悪くない気分だった。
◇
最初は興味が持てなかった義妹は、いつの間にか、俺にとって大切な存在になっていた。
狭い街中で暴走し猛スピードで突っ込んでくる馬車から、反射的に身を挺してかばってしまうほど。
真っ暗闇の中で、ふいに温かく強い光を感じた。
瞼を開けると、涙目で俺の顔をのぞきこんでくる義妹がいた。
「……ライサ」
「お義兄様っ!」
すがりついて泣きじゃくるライサを抱きしめながら、今度は大切な人を守れたことに、心から安堵した。




