政略結婚2
翌朝から、悪夢のような結婚生活が始まった。
豪華なダイニングルームではスタンリー様と愛人のモニカが上座に着き、妻の私は遠い末席で食事をする。
「がさつな騎士家の生まれの女など、同席させてやるだけでも感謝しろ」
「やだぁ、スタンったら優しいのね」
いっそ別々に食事をしたかったけれどそれは許されなかった。
なんでもケンドリック家のしきたりで、夫婦は一緒に食事をすることがマナーなのだとか。
そこに愛人を同席させないというマナーが存在しないことに首を傾げたくなる。
日中はお飾りの妻として社交に連れ回される。
スタンリー様は私の聖女の力を知人たちに喧伝するのだけど、ではその力で癒やしてほしいと言われると、眉を下げて困ったように笑う。
「生憎ですが、妻は聖女としてのレベルが低く、今日は力を使い果たしてしまっているのです。ですが、次にお会いしたときにはきっと妻が癒やして差しあげますよ。ところでわが家の事業への投資の件ですが……」
それから強引にケンドリック家の海運事業へ投資させるところまでが一連の流れだった。
私はスタンリー様の隣で曖昧にほほえんで立っているだけの、まるで人形だ。「余計なことは喋るな」と念を押されているので何も言えない。私の実家のロヴェット家と提携したことによって事業自体は順調らしく、しっかりとリターンはありそうなことだけが救いだった。
夜は舅のベンジャミン様の部屋へ連れていかれ、癒やしを命じられる。
聖女の力で癒やし、一時的には回復しても、なぜか夜にはふたたび熱が上がっていることが常だった。ケンドリック家お抱えのお医者様が診ても、やはり原因は不明らしい。
私は中級聖女で病気を一度に根本から治す力はないとはいえ、さすがに毎日癒やしていれば、本人の生命力によって体力も病状も回復していくのが普通だ。
そうならないということは、ベンジャミン様の生命力が弱っている、あるいはよほど根の深い病気ということ?
「はぁ……夜の間しか癒やしの効力がもたんとは、役に立たん聖女だ」
「……申し訳ございません」
「フン、何をぼやぼやしている! 終わったならさっさと出ていけ!」
何度癒やしても、王の従弟だという気位の高いベンジャミン様は私に「薄汚い田舎騎士の娘」「使えない聖女」「憎たらしいロヴェット家の養女」などと嫌味を言うばかりで、一度も感謝の言葉をかけられたことはなかった。
ただ、私が部屋を出るときに、なんだか名残惜しそうな顔をされるようになった。
一人息子のスタンリー様がモニカにべったりで、同居しているのにろくに顔も見せに来ないから寂しいのかもしれない。
もちろんそのスタンリー様は、聖女として利用するとき以外、私にも会いに来ることなどなかった。
「こんなのあんまりです!」
ある日、耐えかねたようにピアが叫んだ。ロヴェット家から連れてきた私付きのレディーズメイドだ。
「ライサ様は誉れ高き聖女で、あの愛人なんかよりもずっと上品で素敵なのに! 大体あの女のテーブルマナーなんて全然なってないし、あれならあたしの方が上手に食べられますけど!? ライサ様が騎士家出身で自分は男爵令嬢だって鼻にかけてますが、ライサ様は紛うことなき侯爵夫人だしそのメイドのあたしは子爵家出身なんですが!?」
「まあまあ、ピア……」
私の一つ年下の十六歳のピアは、ピンクブラウンの目と髪の、明るくて仕事もできるいい子だ。そして喜怒哀楽が激しい。
ロヴェット家から嫁入りについてきてくれた彼女は、これまでもよく私のために怒ってくれていたけれど、今日は特に腹を立てているようだった。かわいらしい目が据わっている。
「もう許せません! ロヴェット家に言って、なんとかしてもらいましょう!」
「……いいえ、駄目よピア。私はもうここに嫁いだんだもの。今さらお義父様に迷惑をかけるわけにはいかないわ。それに結婚してすぐに実家に泣きついたりしたら、ロヴェット家の評判に傷が付くかもしれないし」
「でも…………」
ピアがすがるような目で私を見る。
主人である私が虐げられているのでメイドの彼女も肩身が狭いはずだ。申し訳ない。
でも、私は自分を養女として大切に育ててくれたロヴェット家に恩返しをするためにここへ嫁いできた。
中途半端に実家に助けを求めるわけにはいかない。
私は彼女の手を両手で握り、笑いかけた。
「ありがとう、ピア。私は大丈夫よ。あなたが代わりに怒ってくれたおかげで、なんだかスッキリしたわ」
「ライサ様……」
ピアはもどかしそうに私を見つめ、ぎゅっと手を握り返した。
受けた恩は倍にして返せ、というのが騎士をしていた亡きお父様の教えだ。
だから、後妻の連れ子である私を侯爵令嬢としてきちんと育ててくれたロヴェットのお義父様に、恩返しをしなければならない。
再婚するのに邪魔だったはずの私を見捨てず、王都へ一緒に連れてきてくれたお母様にも。
それに、私はエドガーお義兄様にも大きな恩を受けている……ただ、お義兄様の方では私を嫌っているようだけれど……。
広大な領地を持ち、高品質なワインを大量に生産しているロヴェット家と、多数の大型船を所有していて海運業が好調なケンドリック家の協定がもたらす利益は莫大だ。長年いがみあってきた両家だからこそ、その結びつきは絶大な効果をもたらす。
ケンドリック家でどんなに虐げられても、私は逃げ出すわけにはいかなかった。
◇
結婚から一か月が経った。
今日もスタンリー様は私を使って知人たちに投資を呼びかけている。
初夏の王立公園は爽やかな陽気で人出が多く、スタンリー様は知り合いを見つけては片っ端から声をかけている。その日は王立学校の同窓らしい紳士の三人連れに白羽の矢を立てたようだ。
いつも通り、私はお飾りの妻として笑顔を浮かべて立っているだけ。
ふと、話し込むスタンリー様たちの向こう側、数十メートル先の芝生の上で立ち話をしている一団の中に、金髪で背が高く整った容姿の男性を見つけてドキリとした。
エドガー・ロヴェット――私のお義兄様だ。
私は反射的に顔を伏せた。
こんなところでお義兄様に会いたくなかった。
ただでさえ嫌われているのだ。名ばかりの夫が私の聖女の力をダシにして事業のお金を集めていることが知られたら、世間では美形だけど堅物と言われている真面目なお義兄様には、一層軽蔑されてしまう。
私が十二歳のときにお母様がランブリッジ侯爵であるイアン・ロヴェット様と再婚したから、私も王都へ移り住み、ロヴェット家の養女となった。
イアン様には亡くなった前の奥様とのあいだに息子がいた。エドガー・ロヴェット様だ。
両親の再婚で、四つ年上のエドガー様と私も、義理の兄妹となった。
ただ、お義兄様はそれからすぐに王立学校の寮に入った。
卒業後もランブリッジ領の視察や神殿騎士の仕事で忙しく、私も十六で聖女になり王都の大神殿で暮らすようになったので、同じ屋敷で暮らした期間はとても短いのだけど。
スタンリー様と私の結婚式でも、お義兄様は参列はしてくださったけれど、私とは視線すら合わせなかった。
昔は普通に接してくれていたのに、一年ほど前から、私はあからさまに避けられるようになっていた。
きっと、不出来な私は、気づかずに何か彼の気に障るようなことをしてしまったのだろう。
お義兄様たちの一団がこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。
鼓動が速くなる。
私は、どうか気づかないで、と祈りながら息を殺した。