王都市街へ2
聖石を握った手が、炎を握っているように熱くなる。
でも皮膚に痛みは感じない。ただ体内を神聖力が巡る感覚に支配される。どこかに閉じ込められているかのような私自身の神聖力と──とても温かで神々しい、この力は、女神の神聖力──?
閉じた瞼の下が、眩しさに焼け付くようだった。
大きなエネルギー同士がぶつかって弾けて膨らみ、さらにぐんぐんと大きな力になっていく……そんな様子が見えた気がした。
目を開け、握っていた手を開いた。
聖石の中に、夜空の流星のように、いくつもの星が流れていた。
……これは目の錯覚?
少しすると星は見えなくなったけれど、気のせいかさっきよりも聖石の輝きが増している気がする。
マダムは嬉しそうに両手を合わせた。
「まあぁっ、なんということでしょう! 聖石が喜んでおりますわ! ライサ様はきっと、女神様に祝福されたお方なのですね。当店が始まって以来のずば抜けたポテンシャルを持つお客様ですわ」
「え? そ、そんなはずはないのですが?」
女神様に祝福?
ずば抜けたポテンシャル??
今まで大神殿で受けた神聖力の測定でも、いつも私の神聖力は中級聖女としてごく普通の量で、つい先日ケンドリック家で測定された際にはゼロと出た。こんな私がずば抜けたポテンシャルなんて持っているはずがないのだけど……。
これはもしかして新手のぼったくりでは、と不安になって疑い深くキョロキョロ周囲を見回すと、壁には「王室御用達」という王家の紋章の入った立派な証明書が貼られていた。
さすがに王室御用達の店がぼったくりなんてしないわよね……?
「それでは、こちらの最高級のグレードの聖石三点から、お色をお選びくださいませ。赤、青、緑とございますが、どちらがよろしいですか?」
マダムの淀みない声で現実に引き戻される。
彼女はトレーの上段の、一番大きなサイズの三つの聖石を手で示し、私にほほえみかけている。
戸惑って隣のお義兄様を見上げると、あっさりと言われた。
「好きな色を選んでいい」
「は、はい……」
好きな色なんて、今まで考えたこともなかったけど……。
三つ並んだ聖石の真ん中の、清冽な青色が目に飛びこむ。さきほど試しに握ってみた聖石だ。
深い海のような青。
まるで、エドガーお義兄様の瞳の色のような。
「青がいいです」
気がつけばそんな言葉が口からこぼれていた。
お義兄様はわずかに目を瞠った。
あれ……? なんだかお義兄様の目の下が、ほんのりと赤い気がする。
あ、どうしよう、図々しかったかな? お義兄様を困らせてしまった?
お義兄様にはオーレリア王女という恋人がいるのに、ただの義妹の私がお義兄様の色を身につけるなんて、良くないことなのかもしれない。
ところがお義兄様はマダムにはっきりとオーダーした。
「青でお願いします」
マダムは嬉々としてうなずいた。
「はい、青でございますね。承知いたしました。この大きさですとネックレスがお勧めですが、いかがいたしましょうか?」
「あ、あの、お義兄様……」
「ではネックレスを」
「かしこまりました。チェーンはゴールドとシルバーとございますが……」
「お義兄様……」
「ゴールドで」
「かしこまりました!」
お義兄様がてきぱきと注文を済ませて支払いのサインをし、お買い物が終わった。
◇
「本当にありがとうございます、お義兄様」
馬車に乗ると、私はお義兄様に聖石のお礼を言った。
あの聖石はネックレスに加工するのに一週間ほどかかり、完成したら屋敷に届けてくれるそうだ。
お義兄様は平然と答えた。
「気にするな。これまでおまえには何もしてやれなかったからな。他にも欲しいものがあれば言ってくれ」
「お気遣いありがとうございます。もう十分です」
こんなに私に甘いなんて、一体どうしたんだろう?
もしも私が「新しい噴水が欲しい」とでも言ったら、すぐに買ってくれそうな勢いだわ……言わないけど。
お義兄様が青い瞳を私に向けたままなので、そわそわと落ち着かなくなって目をそらし、気になっていたことを聞いた。
「あの、お義兄様はオーレリア王女の護衛をされているのですよね? 筆頭神殿騎士がこんなに長い間お休みをして大丈夫なのですか?」
「今は第二位の騎士が王女を護衛しているから問題ない。さすがに来月には神殿へ戻らないといけないが」
その答えに想像以上にショックを受けた。
あと二週間ほどで月が替わる。
そうしたら筆頭神殿騎士のお義兄様は、上級聖女であり護衛対象であり恋人でもあるオーレリア王女のもとへ戻り、以前のようにほとんど屋敷には帰ってこなくなる。
「きゃっ!?」
突然、馬車が大きく揺れた。お義兄様がとっさに私を抱き寄せ、御者に叫ぶ。
「何事だ!」
「すみません、すれ違った辻馬車がひどい運転で……」
御者の言う通り、窓の外に見えた辻馬車は狭い道なのに猛スピードを出していて、この馬車にほとんどぶつかりそうになっていた。
それを避けたために大きく揺れたのだろう。
お義兄様に抱き寄せられていた私は、心臓をばくばくさせながら「ありがとうございます、もう大丈夫です」と顔を上げ。
窓の外に倒れている女の子が見え、反射的に叫んだ。
「止めてください!」
急停車した馬車から急いで降り、道端に倒れている少女のもとへ駆け寄る。
あちこちにごみが散らばっている未舗装の道に、十歳くらいの女の子が横向きに倒れていた。
「大丈夫!?」
私はそばへ行って膝をついた。
女の子を支え、体を起こすのを手伝う。
よかった……重傷ではなさそう。
でも、起き上がった女の子は自分の肘から血が出ているのを見ると、わんわん泣き出した。
その茶色の頭をなでながら、私はこんな言葉を口にしていた。
「今、治してあげるわね」
祈りを唱え、女神の紋章を空中に描く。
それから彼女の傷に手をかざして、目を閉じる。
────けれども、何も起こらなかった。
私はがっくりと肩を落とした。
あの宝石店で聖石のネックレスに私の神聖力が反応した気がしたので、もしかしたらできるかもと思ったけれど……やっぱり力は使えないのね。
仕方がないのでハンカチを取り出し、それを包帯代わりに女の子の肘に巻いて普通に手当てをした。
お義兄様も馬車から降りてきて、私のそばに立っている。
いつの間にか女の子は泣き止んでいて、じっと私の顔を見つめ、おもむろに口を開いた。
「おねえちゃん、聖女さまになりたいの?」
「え? ええ、まあ……」
聖女になりたい一般人だと思われたようだ。
なんだか痛々しい人みたいだけど、間違いではないので曖昧にうなずいた。
「ふぅん。毎日聖典を読んで女神さまにお祈りをすれば、聖女さまになれるかもしれないよ?」
女の子がニコッと笑って教えてくれた。
私とお義兄様も、その言葉に表情をなごませる。
「教えてくれてありがとう。詳しいのね」
「うん。聖女さまになりたくて、聖堂で神殿の人にどうすればなれるのか聞いたの……でも、わたしはムリだったけど……字、読めないから」
キリ、と胸が痛んだ。
貴族なら、とっくに読み書きができる年齢だ。
「メアリー!」
女の子の兄らしき少年が駆けてきた。
彼は私たちを警戒するようににらみつけ、メアリーと呼ばれた女の子の手を引いて立たせた。
兄に「行くぞ」と言われると、メアリーはハンカチを気にしたように私を見上げた。
私はほほえみを浮かべた。
「それはあげるわ。血が止まるまで巻いておいてね」
「うん。ありがとう、おねえちゃん」
「どういたしまして」
兄妹は手を繋いでどこかへ走って行き、すぐに見えなくなった。
気がつけば、周囲にはぼろぼろの服を着た子どもたちが何人もいて、警戒するようにこちらを見つめている。
聖女や神官になるのに身分は問われない。もしもこの子たちに読み書きができれば、聖典と祈祷書を勉強し、その資格を得られるかもしれない。そうすれば神殿に住めるし、お給料ももらえる。
けれども、この辺りに住む子どもたちのうち、読み書きができる子が何人いるだろうか。
「……帰ろう、ライサ」
「はい……」
お義兄様に促されて馬車へ戻った。
私は故郷では騎士団の学校に通えたし、ロヴェット家に引き取られたけれど令嬢としてのふるまい方がわからなかったときには、お義兄様が家庭教師を手配してくださった。
あの子たちのために、私には何ができるだろう?




