王都市街へ1
庭園でお義兄様とお茶を飲んだ翌日、うちの屋敷の前でちょっとした騒ぎがあった。
どうやら私の元舅のベンジャミン・ケンドリック様が、イアンお義父様宛てに手紙をしたため、それをケンドリック家執事のトーマスさんが直々に持ってきたようだ。
けれども、わが家の従僕は門前でにべもなく突っぱねている。
「お手紙は受け取れません。どうぞお引き取りください」
「従僕なんぞでは話にならない、上の者を出せ! 私はケンドリック家の執事だぞ! 畏れ多くも、王のお従弟君であらせられるベンジャミン・ケンドリック様からのお手紙を持参してやったというのに……」
「お引き取りを。ケンドリック家からの手紙も来客も一切お断りするようにとの、上からの厳命です」
「ふざけるな!」
従僕につかみかからんばかりの勢いのトーマスさんに、二階の窓からこっそり覗いていた私はハラハラしていた。
執事があんな風に門前払いされたと聞いたら、気位の高いベンジャミン様は激怒して、さらにお体に障るのではないかしら……?
すると、目の前がフッと暗くなった。
「見なくていい。ケンドリック家の者など、おまえの目に映す必要はない」
「お、お義兄様っ!?」
いつの間にか隣に来ていたエドガーお義兄様が、彼の大きな手で私の目を塞いでいた。
手はすぐに下ろされたけど、私の動悸はしばらく止まらなかった。
なんだか昨日から、お義兄様との物理的距離がさらに近くなったような気がする。私はドキドキしながら尋ねた。
「よろしいのですか? あのような対応をなさっては、どんな恨みを買うか……」
「気にするな。ケンドリック家に対してはしかるべきタイミングで責任を取らせる。それより、用意はできたか?」
「は、はい」
今日はお義兄様と王都市街へ行き、買い物をすることになっている。
何を買うかはまだ聞いてないのだけど、お義兄様と一緒に買い物に行くなんて初めてだ。
トーマスさんは肩を落とし、帰っていったようだ。
私たちは馬車に乗りこみ、市街地へ向かった。
◇
着いたのは、有名な高級宝石店の前だった。
王都の一等地に建っており、重厚な門構えはとても冷やかしをできるような雰囲気ではない。
お義兄様が躊躇いなくドアベルを鳴らすと、すぐにお洒落な装いの初老のマダムが出てきて、私たちを中へ招き入れた。
「お待ちしておりました、ロヴェット様。本日はライサ様のために、とっておきの聖石を何点かご用意させていただいております。どうぞ奥へ」
「せ、聖石……!?」
私は目を丸くした。
聖石とは、女神の神聖力が宿った宝石のことだ。
それを身につけると、石の内部に宿った女神の神聖力が持ち主の神聖力と共鳴して増幅し、神聖力が大幅にアップする。
人工的に作ることはできず聖地などで偶然発見されるものなので、取り扱っている店は少なく、通常の宝石よりとんでもなくいいお値段がする。グレードの高いものは屋敷が一つ、ぽんと建つほどだとか。レアアイテムなので、聖女の私でも今までほとんど実物を見たことがない。
いくらなんでも、そんな高価なものを買ってもらうわけには──
困惑しながらお義兄様を見上げると、視線がぶつかった。
お義兄様が先に口を開いた。
「おまえは今朝も聖女の修練をしていただろう」
「見ていたのですか!?」
「あの噴水は屋敷のどこからでも見える」
今朝の修練を見られていたと知って、みるみる頬が熱くなる。
昨日、お義兄様の話を聞いた私は、より一層聖女に戻りたいという気持ちが強くなった。
セシリア様が聖女として無理をし、儚くなってしまったというお義兄様の悲しい記憶を、私が塗り替えたいと思ったから。
おこがましいかもしれないけれど、それくらいしか私にできることはない。
だから私は今朝早くに屋敷の前庭の大きな噴水へ行き、昔の聖女たちがしていたという禊に倣って、冷たい水を桶に汲んで頭から何度も浴びていたのだ。夏とはいえ早朝の水は冷たく、私は震えながら行水を繰り返した。
早朝なら誰も起きていないと思っていたのに、まさかその場面をお義兄様に見られていたなんて恥ずかし過ぎる。
しかも、結局聖女の力は回復しなかった。
そんな義妹の私に同情して、お義兄様は当主代理として、少しでも効果があればと聖石を買い与えようとしてくれているんだろう。
「あんなことを続けていては、おまえが風邪を引いてしまう」
お義兄様がきれいな顔を曇らせ、私を見つめる。心臓がどきんと大きく跳ねた。
たしかに風邪は万病のもとと言うけれど……お義兄様、ちょっと過保護ではないでしょうか?
「ですが、とても高価なものなのでは……」
「おまえは侯爵家の財力をなんだと思っている? 聖石の一つや二つぐらい、痛くも痒くもない」
さらりと言われ、改めてロヴェット家のすごさを思い知る。痛くも痒くもないのか……。
お義兄様に促され、ためらいがちに店の奥へと進む。
マダムはソファ席のそばに立って待っていた。
私たちが席に着くと彼女も座り、にっこり笑って聖石の載ったトレーを差し出し、見せてくれる。
「どうぞご覧ください。どれも、神聖力を増幅させる力を持つ選りすぐりの聖石でございます」
「わぁ、綺麗……」
聖石は滑らかな半球形にカットされていて、さまざまな色のものがあり、透明に澄んだものやくすんだものもあった。
一番大きな三つの石は親指の爪ほどの大きさで、一番小さな石は豆粒ほどだ。
「大きく澄んだものほど女神の神聖力が強く宿り、お値段も相応のものとなります。ライサ様は聖女様でいらっしゃるのですよね?」
「あ、ええと……聖女だったのですが、今は神聖力を失ってしまい、資格を喪失しています……」
「まあ、そうだったのですか。それではまず、この一番小さなものからお試しになってはいかがでしょう?」
マダムは下段の隅の、一番小さな豆粒ほどのオリーブグリーンの聖石をつまんでみせた。
正直に言うと、その石はちょっと嫌だった。
元夫のスタンリー様の瞳の色だったからだ。
でも神聖力もない私が選べる立場ではないわよね……と思いつつ、その石を受け取ろうとしたら。
お義兄様がきっぱりと却下した。
「いや、一番大きな聖石にしてください」
「お義兄様!?」
「あら……おほほ。あたくしとしたことが、侯爵家の方にとんだ失礼を。それでは、こちらをどうぞ」
マダムはいそいそと小さな聖石を元の場所に戻し、一番大きなサイズの三つの聖石の中から、親指の爪ほどの大きさの青の聖石をつまんで私に差し出した。
澄んだ色がとても美しく、さっきのものとは段違いに大きい。
きっとお値段も段違いなのだろう……値札はどこにもないけれど。
田舎の騎士家で生まれ育った私は、十二歳で侯爵家に引き取られたとはいえ、高級品にはあまり慣れていない。
背中をつう、と冷や汗が伝った。
「聖石を手に握って、神聖力を込めてみてください。そうするとあなたの神聖力が石の中の女神の神聖力と共鳴して、力が増幅しますよ」
「は、はい。こうですか……?」
私はおそるおそる聖石を手に握り、目を閉じて神聖力を込めた。