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庭園でのお茶会

 端が見えないほど広い庭園の一画に、ガーデンテーブルとチェアが設置され、その脇にティーワゴンが置かれている。

 テーブルの上にはすでに、ティーセットと三段重ねのケーキスタンドが並べられている。

 この庭園は、前の侯爵夫人──今は亡きセシリア様がこよなく愛した場所らしい。

 そして庭園のチェアに座っているのはセシリア様の忘れ形見の、長い足を優雅に組んでいるエドガーお義兄様。


「お待たせして申し訳ございません、お義兄様」


 スカートの裾を持ち上げて早足でお義兄様のもとへ行き、小さくお辞儀をした。

 どうしよう、こんなに遅くなって怒っているかしら?

 出戻ってからなんだかとても優しいお義兄様だけれど、今日こそは叱責されるかも……。


 お義兄様がこちらを向く。

 今日も清々しいほどの美形だ。古代彫刻もかくやというほど整った顔立ちに、午後の日差しに輝くブロンド。深い海を思わせる青い瞳。服装は白を基調にした爽やかなもので、夏の庭園にとても似合っている。


 彼は立ち上がり、私のイスを引いてくれた。


「大丈夫だ、待ってない」

「あ、ありがとうございます……」


 ……怒ってない……? むしろ、優しいわ……。


 私は遠慮がちにお義兄様の向かいの席に着いた。

 どうやら怒られはしないみたいだけど、自分が美しい絵画の中に紛れ込んでしまったようで落ち着かない。

 お義兄様がティーポットを持ち上げ、カップに紅茶を注ぎはじめた。

 私は慌てて腰を浮かし手を伸ばした。


「お、お義兄様、私がやります!」

「いいから、座っていろ」

「……はい……」


 ……うぅ、緊張する。

 お義兄様が注いだ紅茶をお礼を言って受け取り、ミルクを入れて混ぜ、一口飲む。

 温かくて美味しい。

 少しだけ、緊張がほどけた。


「体の具合はどうだ?」

「あ……はい、もうすっかり元気になりました。ありがとうございます」

「そうか」


 短く返事をして、お義兄様が上品に紅茶を飲む。

 私の口元がほころんだ。

 それを見たお義兄様が怪訝そうに尋ねた。


「なぜ笑う?」

「……すみません。昨日も一昨日もこのやり取りをしたなと思って……お義兄様は案外、心配性なのですね」


 私がロヴェット家に戻って以来、毎日お義兄様は私の顔を見るたびに、体の具合について尋ねてくれていた。


 あのロック男爵家の音楽会以来、どうも世間では「ロヴェット家の次期当主は義妹に過保護」という評判が定着しつつあるらしい。ピアからその話を聞いた私は、「まぁ、噂話というのは本当にいいかげんね」と笑い飛ばしたのだが、意外とその噂は当を得ているのかもしれない。

 以前はお義兄様とは疎遠だったので、そんなことは思いもよらなかったのだけど。


 お義兄様は無言だった。

 し、しまった。せっかく心配してくださったのに笑うだなんて、私ったらなんて失礼なことを……。

 慌てて笑顔を引っこめ、謝ろうとしたら、お義兄様が先に口を開いた。


「そうだ。おまえがケンドリック家へ行ってしまってから、心配でたまらなかった」

「……っ!」


 美しい青い瞳をまっすぐにこちらへ向けてそんなことを言うものだから、私はリンゴのように赤くなった。

 けれど、考えてみればお義兄様が義妹の私を心配するのは当たり前だ。

 彼は一族を大切にするロヴェット家の次期当主なのだから。

 私はカップをソーサーに置き、お義兄様に神妙に向き直った。


「……ご心配をおかけして、本当に申し訳ございませんでした。体調も回復しましたので、できるだけ早く神聖力を取り戻し、聖女に復帰して神殿に戻りたいと思います。そして今度こそきちんとロヴェット家の役に立ちます」


 心からの宣言は、喜ばれるどころか眉をひそめられた。


「役に立つ必要はない」

「……え……」


 お義兄様の端正な顔に、珍しく焦りが浮かんだ。


「……待て。そんな泣きそうな顔をするな。おまえには期待してないとかそういうことではない」

「で、ではなぜ……」


 お義兄様は困ったように視線をそらし、「俺は神殿を信じていない」と呟いた。

 それから、こんなことを話してくれた。



 ◇



 エドガーお義兄様の亡きお母様、セシリア様は、侯爵夫人としての仕事の傍ら、神殿の中級聖女も務めていた。

 お義兄様の叔母様も、ひいお祖母(ばあ)様も聖女だった。

 ロヴェット家は名門貴族だけど、代々、高い神聖力を持つ聖女を輩出する家柄としても有名だ。だからこそ、ただの養女の私でさえ神殿の神官たちから熱心に「聖女になりませんか」と勧誘され、聖女になったという経緯がある。


 セシリア様が聖女の力に目覚めたのは割と遅い方だった。元々信心深い方だったけど、イアンお義父様と結婚しエドガーお義兄様を産んでから七年後に自分に強い神聖力があることに気がつき、それから本格的に聖女の修練をはじめたという。


 最初はお義兄様も、母のセシリア様が聖女になることを無邪気に喜んでいた。

 ところが神殿の聖女として傷ついた人々を癒やすうちに、元々体があまり丈夫ではなかったセシリア様は、体調を崩すようになっていった。


 その頃はまだ「中級聖女が癒やしの力を使えるのは一日一回まで」という規則はなかった。聖女たちは神殿に依頼され、あるいは自分の裁定で、女神の癒やしを求める人々を救っていた。

 心優しいセシリア様は、傷病人を見ると放ってはおけなかった。ただでさえ忙しい侯爵夫人の仕事の合間を縫って、貴族も平民も分け隔てなく癒やしを与えていた。多いときには、一日に十人以上の人を癒やしていたそうだ。


 たくさんの人に癒しを与えることと反比例するように、セシリア様の体調は悪化していった。

 我慢強い彼女は、弱っていることを必死に隠していた。ところがある日、とうとう倒れてしまった。

 鷹揚なイアンお義父様も、さすがに妻の聖女としての活動をやめるように言った。幼かったエドガーお義兄様も、もう行かないでと母にすがった。


 でも、神殿にある台帳は癒やしを求める人の名前でいっぱいだった。

 セシリア様の欄にも予約待ちの信者の名前がびっしりと書かれ、一か月先まで予約で埋まっている。

 一日休養を取り、翌朝には少し顔色の良くなっていたセシリア様は、今日も休みなさいと言う夫に「一人だけ癒やしたら帰ってきますから」と頼み込み、大神殿へ行った。


 そしてふたたび倒れ、二度と帰らぬ人となった。


 神殿側は、「私たちは聖女セシリアが一人の信者を癒やしたあとで帰そうとしたが、本人が大丈夫だと言うので、並んでいる他の信者にも癒やしを施すことを許した。けれども何人目かを治癒しているときに崩れ落ちるように倒れ、そのまま意識が戻らなかった」と説明した。


 ただ、そのとき大神殿には二人の上級聖女も臨席していた。

 重病人も癒やせる上級聖女がすぐにセシリア様の治療に当たれば、もしかしたら助かったかもしれない。

 ところが上級聖女たちはそれをしなかった。

 彼女たちの台帳も以前からの予約で埋まっていて、そこに名を連ねていたのは、王族やそれに準ずる人々だったからだ。



 ◇



 お義兄様は話し終わると、すっかり冷めた紅茶を一口飲み、カップを静かに置いた。

 私は膝の上の自分の拳をきつく握りしめた。かける言葉が見つからない。


 中級聖女が日に一度しか癒やしの能力を使えないという制度には、ちゃんと理由があったんだ。

 無理をさせたせいでセシリア様を失ってしまったという、悲し過ぎる理由が──


「……だからおまえに聖女をやめろと言っているわけではない。ただ、俺はおまえまで失うつもりはない。役に立つ必要はないと言ったのはそういうことだ。神殿に戻らず、このまま家にいてもまったく構わない。というか、家にいてくれた方がよほど安心できる」

「お義兄様…………ありがとうございます」


 思い出すのもつらい記憶のはずなのに、全部、私のために話してくれたんだ。


 ガーデンテーブルの上に置かれたお義兄様の手に、私は両手をそっと重ねた。

 端正な顔に驚きが浮かぶ。

 でも、嫌がられてはいないみたい。


 今の自分に聖女の力はないけれど──

 目を閉じ、お義兄様の心が少しでも癒やされますようにと、私は強く女神に願った。


 しばらくすると、手の上に温かなものが触れた。

 パチリと目を開けると、私の両手の上に、お義兄様のもう片方の手が乗せられている。

 大きく筋張った手に力強く握られ、たちまち私の心拍数が急上昇する。

 エドガ―お義兄様はやわらかな表情で私を見つめた。


「おまえは優しいな。ありがとう、ライサ」


 ちょっと恥ずかしかったけれど、私は心からのほほえみを返した。

 セシリア様が愛した庭園のバラが、澄んだ空の下で美しく咲いていた。

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『お針子令嬢と氷の伯爵の白い結婚』
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