お義父様とお母様
ロヴェット家の自室で、私は一心に祈っていた。
室内には夏の花を手折り、水で満たした平らな容器に浮かべた花水盤を、ずらりと並べている。
花の香りがたちこめる室内で、女神の紋章を宙に描き、ひたすら祈る。
……でも、私の中の神聖力が戻る気配はない。
ふと、机の上の大神殿からの通告書がちらりと目に入った。
「ライサ・ロヴェットは聖女の資格を喪失した」というそっけない文面だ。
この事務的な通告書が届いたのは昨日だった。二年も大神殿にいて聖女として必死に働いたのに、紙切れ一枚で縁を切られたことに虚しさを覚えた。
結婚しているあいだも、癒やしを求める人々を無視して舅のベンジャミン様だけを癒やせと命じるスタンリー様に困り果て、私は何度も神殿の長である神官長に手紙を書いた。けれど返事は一通も来なかった。それなのに通告書の送付だけはこんなに早いなんて皮肉だ。
神官長は、ベンジャミン様が王の血筋だからとおもねっていたの? 建前上は、「女神の慈悲は万人のもの」と謳っているのに……。
一面の花水盤に囲まれながら、肩を落として物思いにふけっていたら、ノックの音がした。
「ライサ様、庭園でのお茶のご用意が整いました!」
「……ありがとう、ピア。今行くわ」
まだ修練を続けたい気持ちもあったけれど、このままだらだらと続けてもおそらく効果は期待できないだろう。
私はため息をつき、部屋を出た。
廊下を歩いていると、向こう側から、お義父様とお母様が歩いて来た。
松葉杖をつき、お母様に支えられながら歩くお義父様は、私を見ると穏やかな笑顔を浮かべた。
「やあ、ライサ」
「お義父様……」
お義父様の松葉杖を見ると、私は申し訳なさでいっぱいになった。
「……ごめんなさい。まだ聖女の力が戻らなくて……」
お義父様はにっこり笑った。
「何を言ってるんだ、ライサ。聖女の力を失ったからこそ、ぼくたちの愛娘であるきみがこうして戻ってきてくれたんじゃないか。エドガーも戻ってきて当主の仕事を立派にこなしてくれているし、まさに怪我の巧妙だな……いてて」
「あなた、急に動かないでください」
お母様がぴしりと注意すると、お義父様はなぜかうれしそうにへへへと笑った。相変わらず仲のいい夫婦だ。
ほほえましく見ていたら、お母様が急に私に視線を向けたので、ほほえみを消してビシッと姿勢を正す。
騎士の未亡人から侯爵夫人となって何年も経つけれど、お母様にはいまだに騎士家の台所を預かるストイックな雰囲気があり、それがここ数年に身につけた高位貴族のオーラとあいまって、彼女の前に立つと非常に身が引き締まるのだった。
「ライサ、屋敷のあちこちに花水盤が置かれていますが、あれはあなたの仕業ですか?」
「あ……はい。いけませんでしたか?」
お母様の問いに、私はぎくりと背筋を強張らせた。
朝からたくさん庭の花を集めたので、せっかくだからと、自分の部屋だけではなく玄関ホールや廊下、居間や使用人の食堂にも花水盤を飾った。
家族や使用人のみんなの目も楽しませたいと思ったのだけど……侯爵家にはふさわしくなかったかしら?
お義父様は笑顔を閃かせた。
「とんでもない! ソニアが『綺麗ですね』と見とれていたよ。ぼくは花には疎いけど、あれは見ているだけで癒やされるなぁ」
「ほ、本当ですか?」
「まあ、まだ飾り方には改善の余地がありますけれど……涼しげで、なかなか悪くない趣向です」
いつものようにつんと澄ました顔で、お母様も褒めてくださる。
お義父様はそんなお母様を愛おしそうに見つめ、それから私にほほえんだ。
「ありがとう、ライサ。使用人たちもとても喜んでいたよ。ぼくたちはライサが帰ってきてくれて本当に嬉しいんだ。きみもエドガーも、このままずっと屋敷にいてくれればいいのにな」
お義父様の温かい言葉に、ケンドリック家で傷ついた心が、ほわりと癒やされる。
この家の役に立たなければとがむしゃらに頑張って聖女になり、ケンドリック家に嫁いだけれど、結局私は聖女の力を失い離婚して戻ってきてしまった。
そんな不出来な私をこうして受け入れてくれるお義父様は、本当に懐が深い。
ほんわかした空気をお母様の冷徹な声が破った。
「エドガーさんは本当に立派ですが、すべてを彼に押しつけずにあなたも早く書類仕事を片付けてくださいませ。きちんと処理をしないと、困るのは真面目に働いている領民たちなのですよ?」
「あ、うん、そうだね……」
「わたくしも手伝いますから」
「ソニア……ありがとう!」
お義父様がパッと顔を輝かせた。
私もすかさず手を挙げる。
「それでは、私にも何かお手伝いをさせてください!」
「あなたはお茶の時間でしょう」
お母様がすげなく切り捨てる。
「で、ですが、お仕事の方が大事では……」
「あなたは、私たちだけでは役者不足だと?」
「とんでもございません!」
お義父様が苦笑した。
「エドガーが庭園で首を長くしてきみを待ってるよ。早く行ってあげてくれないか?」
「お、お義兄様が、私を!?」
「ああ。王都の令嬢たちからひっきりなしにお茶会の誘いが届いてるのにまるで興味のなかったエドガーが、今日は朝から使用人たちにお茶の支度を命じていたからびっくりしたよ。それも、茶菓子の種類に至るまで念入りに」
「そうなのですか……?」
私とお義兄様だけでお茶なんて、今までに一回もしたことがないのに、どういうことだろう?
それに、お義兄様は別に私のことを首を長くして待ったりはしないと思うのだけれど……。
とても時間に厳しい方だから、あまり遅く行くと怒られるかもしれない。あっ、もしかして、もう怒っていらっしゃる?
これまでに何度も目にしてきた、時間にルーズなことでお義兄様からこってりと絞られている使用人たちの顔を思い出し、私も同じような顔になる。
青ざめる私をその場に残し、お義父様とお母様はさっさと仕事をしに行ってしまった。
私は急いで庭園へ向かった。
お読みいただきありがとうございます!
お母様のツンデレなところが好きなお義父様です。