政略結婚1
新連載を始めました!
よろしくお願いします。
「いいか、きみの役目は聖女の力で毎日俺の父上の病を癒やすことと、お飾りの妻として社交の場に出ることだけだ」
結婚式の夜。
私の寝室へやってきたのは、新郎のスタンリー・ケンドリック様と、彼の腕にからみつく妖艶な黒髪の女性の二人だった。
スタンリー様の言葉で、そのときまで幸せな花嫁だったはずの私の頭の中は真っ白になった。
聖女として神殿で働いていた私は、スタンリー様から「ライサ・ロヴェット嬢、傷ついた人々を癒やす優しく美しい聖女のきみに一目惚れした」と言われ、十回目のプロポーズで結婚を承諾した。
これまで仲の悪かったロヴェット家とケンドリック家という二つの侯爵家同士を、この結婚で結びつけられるかもしれない。
そう思った私は、悩んだ末、私を養女として育ててくれたロヴェット家に恩返しをしたくて結婚の申し込みを受けた。
恋というほど激しい感情を抱いていたわけじゃない。
けれどスタンリー様は紳士的で優しかったし、私も女性としてそれなりに結婚生活に夢を見ていた。
なのに結婚式の夜に突然そんなことを言われて、私はショックで呆然とした。
しかも、「聖女の力で毎日父上のご病気を癒やせ」だなんて無茶だ。
中級聖女は一度癒やしの力を使うと、翌日まで力を使えなくなってしまう。結婚しても聖女としての活動をしていいと言われていたのに──
私はうつむいていた顔を上げた。
「大神殿は、聖女の力は万人に使われるべきものだと説いています。それでは他の人々を癒やすことが……」
「口答えをするな!」
怒鳴られて、びくりと体がすくんだ。
彼はオリーブグリーンの瞳で私を見下すようににらみつけ、言い放った。
「ロヴェット家のただの養女、しかも田舎臭い騎士家出身の娘が偉そうに、さっそく侯爵夫人気取りか? もったいぶってこの俺に十回もプロポーズさせやがって……この家の女主人はモニカだ。きみじゃない」
スタンリー様の腕にしなだれかかっていた女性が、優越感たっぷりに私に笑いかける。
「うふふ。しっかり働いてねぇ、聖女さん」
無理矢理に別の部屋へ連れていかれ、ドン、と背中を押されるようにして入ったのは、広いけれど陰気な部屋だった。
大きなベッドには年老いた男性が横たわっている。顔色は悪く、熱に浮かされているようだ。
スタンリー様は私の手を引っ張り、男性の枕元へ連れてきた。
「この方が俺の父上、ベンジャミン・ケンドリック──わがケンドリック家の当主であり、王の従弟という高貴な血筋のお方だ。数か月前から原因不明の病に苦しんでおられる」
それだけ言うと、スタンリー様は数歩下がって、私を見張るように腕組みをした。
この頃、王都では原因不明の熱病が流行っている。大聖堂や各地の聖堂で毎週の安息日「女神の日」に開かれる治癒の会でも、同じような症状を訴える人を何人も見た。ベンジャミン様も同じ病なのかもしれない。
私はとにかく彼を癒やすことにした。
理不尽な仕打ちに頭は混乱し、胸の中はモヤモヤでいっぱいだった。
でも、騙されて結婚したのだとしても、目の前に苦しんでいる人がいるなら癒やすことが聖女のつとめだ。
「すぐに楽になりますからね」
そう声をかけると、ベッドサイドに膝をついた。
両手を合わせ、祈祷の言葉を唱える。
「慈悲深き女神の御名において、すべての痛み、呪い、病苦が取りのぞかれんことを。聖なる紋章よ、わが願いを叶えたまえ」
両手の間から白く温かい光が漏れ、室内を明るく照らす。
左右の手を離すと、輝く指で、空中に女神の紋章を描いた。
女神パーシアは水を司る。
指先が薄暗い部屋にキラキラと光の軌跡を残し、水をかたどった立体的な紋章を描きだす。
輝く紋章の下で、私は横たわったベンジャミン様に両手をかざした。
目を閉じ、女神の慈悲を祈る。
どうぞこの人を癒やしてください……と。
「……おお……! 素晴らしい、こんなに楽になるとは……!」
明滅しながら光が消えていくと、ベンジャミン様は自分の体に手を当て、驚いた顔で呟きを漏らした。
よかった。さっきよりも大分顔色がいい。
人間の体は、その大部分が水なのだそうだ。
水を司り、人々に慈悲を説いて癒やしの力を与えるパーシア教は、ここエルージア王国の国教となっている。
熱の引いたベンジャミン様がガバッと勢いよく上体を起こしたので、私は慌てて言った。
「まだ横になっていてください。私の力では病気を完全に治すことは……」
深いシワの刻まれた顔が、じろりと私をにらんだ。
「黙れ、ロヴェットの小娘! 病を癒やしたからと言ってわしに指図するなど、思い上がるでない!」
……せっかく癒やしたのに、なぜ怒られるの……?
けれど、文句を言ったとこで無駄だろう。
ロヴェット家とケンドリック家はどちらも格式高い名門侯爵家で領地も隣接しているにもかかわらず、もう何十年も前から険悪な関係で、社交界でも両家の不仲は有名だった。
両家を同じ催しに招待してはいけないというのは暗黙の了解で、どうしても招待しなければいけない場合などは、主催者は二つの家の席次に何週間も頭を悩ませることになる。顔を合わせれば皮肉の応酬、悪くすればつかみ合いの喧嘩、もっと悪いときには物が壊れ誰かが巻き添えを食らう羽目になった。
そんなロヴェット家の養女の私がケンドリック家に嫁いだことで、めでたく協定が結ばれ、両家の事業の提携がなされた。
実際は、スタンリー様は私を利用するためだけに娶っただけだったけれど……。
「……失礼いたします」
一人、自分にあてがわれた部屋へ戻る。
ふと姿見に映った自分は、見慣れたまっすぐなミルキーブロンドに紫色の瞳。
同じ瞳の色を持つお母様が用意してくださった、美しい花嫁用の寝衣を纏っている。
私は寝衣の前をぎゅっと合わせ、結婚式の夜なのにひとりぼっちだという苦い事実を、ただ呑み込むしかなかった。
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