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第八話「震える膝で、前へ」前編

 的をしっかりと狙い、十文字に伸び……放す!


 ――パァン


 やった! これで二本連続!

 心の中で叫ぶが、まるで的中が当たり前の様に残心を静かに取る。残心を終え、目の前にいる桜井先輩を見る。すると、わたしの表情筋が緩んでいたのか、こんなことを言われた。

「まるで皆中したかのようなニヤつきだね」

 慌てて顔の筋肉たちに、緊張の命令を下す。しかしすぐには戻らないようで、わたしの表情は喜びとも真剣ともつかないそれになっていたらしい、桜井先輩はケラケラと笑いながら、「顔が迷子になってるよ、あははは」とお腹を抱えていた。

 そんなに変な顔になっていたのか……。

「先輩……笑いすぎです。正直、嬉しかったんですぅ」

「ごめんごめん、二本連続で中てたのは初めてだもんね」

 そう、わたしの弓道人生で、二本連続で的中したのは、これが初めてなのだ。

 八代大会まであと六日となるが、正直、大会では一立に二本中てれば上等だと思っている。一人二本で、チーム合計で六本。うん、十分だろう。そこに、三人の中で誰かがプラス一本でも中てれば、七本となる。三人チームで七本は、堂々と胸を張れるレベルだと思う。

 この調子で、コンスタントに二本中てられるよう頑張ろう。


 しばらくすると、佐藤先輩たちがチーム練習を始めたので、桜井先輩に言われて見取り稽古をすることになった。他の一年生たちも皆一様に、見学をする為わらわらと集まり始めた。

 御前の佐藤先輩が打起す。練習とは思えないほどに張りつめた空気の中、ゆっくりと引き分ける。あまりに静かすぎて、隣に座っていた大塚さんの、唾を飲みこむ音が聞こえた。

 総体の時にも感じたが、この緊張感のなか引くというのは、心が強くないといけない。果たして今のわたしに、いつもの練習のように引くことは出来るのだろうか。自信はないし、想像しただけでみぞおち辺りがゾワゾワして、足が震えるようでならない。

 陸上をやっていた時も、緊張とは無縁のまま卒業してしまった。今になって、楽な方ばかりを選んできた自分を恨む。

 ブンッ、という鋭い音に、意識が戻る。佐藤先輩の離れた音だった。


 ――ドスッ


 乾いた音とともに、珍しく佐藤先輩は舌をちょっとだけ出して、笑って見せた。と同時に、中に立っていた矢田先輩が、「御前しっかりー」と、茶化すように言った。

 その光景を見て、わたしたちサイドの張りつめていた空気は、薄いガラスが割れたみたいに一気に解けた。心なしか、全員が、息を吐く音が聞こえたような気がした。みんな緊張していたらしい。

 落の三宅さんは何も言わないが、二人のやり取りを見て微笑んでいた。

 続く矢田先輩は――


 ――パァン


 肩の怪我が治ってからも、総体の時の調子は健在のようだった。得意げに「弓道はこううやってやんのよ、こうやって」と、わざとらしく言った。その場から、笑い声がいくつか出た。

 そして落の三宅さん。みんなが一気に押し黙って、注目する。

 三宅さんは昨日から練習に参加はしていたけれど、昨日は個人で引いてばかりで、チームには入っていなかった。だからこのチームとしての一本目は、みんなも気になる一本となるのだろう。

 三年生チームのゲストの一本目は――


 ――パァン


 一同から「おおお」と、矢田先輩の時には起きなかった軽いどよめきが起きた。矢田先輩が、「やるじゃん」と茶化すと、三宅さんは「こうやってやんのよ」と、既視感のあるやり取りを再現して見せた。するとまた、笑い声が上がった。

 ひとりだけ壁にもたれていた姫木さんを見ると、腕組をしたまま優しく微笑んでいた。そんな彼女の反応を見て、もう“三宅さんとの確執”は無くなったんだなと、そう感じる。そしてなにより、矢田先輩との直接のやりとりを見ていて、長い年月のわだかまりも解けたんだと、胸の奥が暖かくなった。

 その後も、緊張感がないというと語弊があるが、和やかな雰囲気のままチーム練習が終わった。三人はそれぞれ三中で、合計九中という結果だった。

 先輩たちのチーム練習が終わると、次は一年生メンバーが立に入ることとなった。

 まずはAチームの、上戸さん、白井さん、姫木さんの三人。このチームは、姫木さんはもちろん、上戸さんも白井さんも、皆中を経験済みである。いわゆる“勝ちに行くチーム”である。

 Aチームが引いている間、上戸さんと白井さんに指導をしている、真鍋先輩も高柳先輩も、うんうんと頷いていた。上戸さんも白井さんも、普段教わっていることが出来ていたのだろう。わたしも、桜井先輩に納得してもらえるような、良い結果を出したい。それは的中ではなく、射型で、ということだ。

 Aチームの結果は、御前から「二、二、四」という的中数だった。三人で八本は、なかなかいい数字である。大会上位も目指せるだろう。

 そして、わたしたちBチームの番となった。斎藤さん、わたし、浜本さん、という構成だ。

 みんなの視線を浴びながらの立は、とても緊張する。大会でもないのにこんなに緊張していて、わたしは本当に、本番で良い結果が出せるのだろうか。

 射位に立っていると、膝がガクガクと震える。みぞおち辺りがむずがゆく振動しているようにも感じる。矢を番える指もいうことを聞かない。一度、目を閉じてゆっくりと深呼吸をしてみるけれど、効果は無いらしかった。

 御前の斎藤さんが会に入ったので、的を見据えて、ゆっくりと打ち起こす。

 引分けてくる途中、斎藤さんの放った矢が的枠をかすめるのが目に入った。中の役目として、悪い流れは止めなければいけない。正直、中てられる自信はないけれども、本番ではそんなことは言っていられない。ここは、必ず中てなければ。

 会に入り、しっかりと狙いを定める。

 絶対に、中てて見せる。

 勝手(右手)の親指を弾き、離れを切る。気合十分にしっかりと押す。


 ――ドス


 が、わたしの矢はまっすぐに安土に吸い込まれた。残心のまま、浜本さんへ「ごめんなさい」と、泣きマークのスタンプとともに謝る。

 二本目の矢を番え、的の方を見る。背後から、ビュン、と離れを切る音がした。


 ――パァン


 さすが浜本さん。この流れを止めてくれた。

 しかしわたしと斎藤さんは、その後二本目、三本目と外してしまった。浜本さんは二本目は外し、三本目は的中させた。

 そして四本目。斎藤さんは落ち着き、その矢は的枠に当たったものの、しっかりと的にめり込んだ。

 わたしも続かなければ。

 引分けながらも、深く、そしてゆっくりと呼吸を整える。これを外してしまえば、ドス(四本全て外すこと)ということになる。今は練習ではあるけれど、本番だと思うと、一本も中てられなかったという状況は、チームに申し訳が立たない。それどころか、合わせる顔がない。

 この一本は、何がなんでも、中てなければいけない。

 しかし、そんなわたしの気合とは裏腹に、放った矢は、乾いた音とともに的上に刺さった。

 結局一本も中てることが出来ず、射位から離れた。

 残された浜本さんを見守る。さすがに落を任されているだけあってか、その佇まいはとても落ち着いており、見ているだけで“中ててくれそうだ”と感じさせるオーラが漂っていた。落に立つ人というのは、わたしのような人間ではなく、“こういう人”でないといけないと、そう思わされる。

 浜本さんは、そんなわたしの予想した通り、見事に的中させた。

 結果、わたしたちのチームは五中だった。その的中数の中に、わたしの的中は一本も入っていない。浜本さんは、「四本とも、いい射型でした。中っていてもおかしくありませんでした」と、本音か励ましか分からないけれど、言葉をかけてくれた。浜本さんは本当に優しい。


 その後、全チームが引き終わり、その中で唯一ひとりだけドスってしまったわたしは、気にしていないふりをしつつ巻き藁へと向かった。

 矢を番えたところで、三宅さんが声をかけてきた。

「ドスっちゃったねぇ」

 悪びれる様子は一切ないような、屈託のない笑顔でわたしの顔を覗き込んだ。内心、一本も中てられなかったことに落ち込んでいたわたしは、周りが一切見えていなかったらしく、ずいっと近づいた三宅さんの顔に一歩退いてしまった。間近で見ると、猫みたいな笑顔だった。

 わたしは、「あははは」と、苦笑しかできなかった。そんなわたしに三宅さんは、こんなことを言った。

「弓道はね、あたればいいってもんじゃあないのよ」

「はい、それは、分かっています。射型が、大事なんですよね」

 姫木さんの受け売りとなっていたその内容は、とっくに自分の中での“信念”となっていた為、改めて言われて少しだけムッとしてしまった。しかし三宅さんは、「ふぅーん、分かってるんだぁ」と、少々意地悪な(と言うよりかはいたずらな)表情を浮かべた。

「じゃあなんで今、落ち込んじゃってるのかなぁ」

「……それは」

 何も言い返せなかった。何故わたしは落ち込んでいるのだろう。中てることよりも、射型を大事にすればいい。その信念からすれば、さっきの立でわたしは、落ち込むほど酷い射型はしていなかったと思う。なのに、何故……。

「教えてあげよっか。今あなたが考えていること。と、言うか、潜在的な思考、というべきかな」

 わたしが変な顔をしていたのか、「あははは、そんな難しい顔しないでよ」と笑われてしまった。そしてそのまま続けた。

「さっきの立であなたはこう考えていたはず。『これが最後の一本。これを外すと、チームでわたしだけが中てられなかったことになる。それは申し訳なさすぎる。チームのために、せめてこの一本だけでも。』って感じかな」

 全部当たっている。わたしが「そう……かもしれないです」と静かに頷くと、さらにこう続けた。

「だよね。でも弓道ってさ、チームの為、とか言いながら、本音は“自分の為”なのよ。自分の結果さえ良ければ、他のチームメイトの結果が悪くても誰からも責められない」

 そう言われて、正直「そうかも」と思った。射型がどうあっても、やはり的中すれば、誰からも責められないように思う。

「でもね、その考えは非常に危ないの。何故だか分かる?」

 唐突にそう聞かれ、わたしは目を丸くして三宅さんを見た。そして、「うーん」と宙に目を泳がせた。

 的中させたいと思うことが危険というのは、一体どういうことなのだろう。疑問に思ったことを、率直に声に出した。

「中てたいと思うことは、そんなに悪いことだとは思えません。その想いから、『この一本は大事に引こう。射型が崩れないよう、丁寧に引こう。』って思えるじゃないですか」

「そこが落とし穴なのよ」

 三宅さんは、待ってましたと言わんばかりの勢いで、食い気味に返してきた。さらに言葉を続けた。

「いい、その丁寧に引こうっていうのは悪いことじゃあない。でもね、その『中てたい』と思うことが危険なのよ。いまあなたが言っていることは、『中てたい、だから丁寧に引こう』なんだけど、大事なのは『この一本は、誰が見ても“中る”と思わせられるような射型にしよう。そうすれば、きっと的中はついてくる』って思うことなのよ。目的が“的中”という同じものでも、その過程は、“中てるために”か“射型のために”という全く別のものになる。私はもっとも、後者の方は“魅せる為”とも考えているけどね」

 三宅さんは得意気に、片手を顔の横でひらりと泳がせると「その方が、外れてもかっこいいでしょ」と、そう付け加えた。

 わたしはその、“魅せる為”という言葉に、妙に惹かれた。以前いろんな人の射型を見る為に、動画サイトを見漁っていた時期、中ってはいないけれど射型が綺麗な人に惹かれたことを思い出した。

 その人は、とてもかっこよかった。少なくとも、わたしの目にはそう映っていた。それに、「この大会で中っていないのは、たまたまだろう」と思わせるほどでもあった。

「魅せる射型ってね、不思議な力を持っているのよ。中っていないのに、それなりの射型をしていて中っている人よりも、とてもかっこよく見えるものなのよ」

 三宅さんのその“かっこよく見える”と言った言葉に、「わ、わたしもそう思います!」と、思わず大きな声が出てしまった。

 射型を見てかっこよく見えると感じるのは、わたしだけじゃなかったんだと、嬉しくなった。

 “魅せる射型”と聞いて、パッと思い浮かんだのは、やはり姫木さんの射型だ。縦の線も横の線も美しく、射型だけで“この人は上手い”と分かる型をしている。

 どうせ中らないのだ。それなら、射型に全振りでいくしかない。的中は、きっとついてくる。



 そんな想いを胸に練習を続け、いよいよ本番当日となった。

 試合前となると、射型に拘ってはいたものの、やはり大事な一本を外すと桜井先輩からの激が飛んだ。七回目くらいまでは数えていたけれど、もう何度怒鳴られたかは分からない。


 電車を一本乗り継いで辿り着いたその会場は、敷地にある体育館を控室として開放してあった。我々もその片隅に陣取り、早速準備を始めた。

 その後すぐに、開会式のために矢道の芝に整列した。

 辺りを見渡してみたけれど、やはり九条さんは見当たらなかった。姫木さんの言っていた通り、煌永は参加していないらしい。もう一度、九条さんの射型を見たいと思っていたが、今回は叶わなかった。


 開会式が終わると、早速アナウンスが始まり、一番と二番のチームが呼ばれた。わたしたちはパンフレット上、十二番目となっていた。しばらく時間があるようなので、巻き藁を引くことにした。

 同行していくれていた桜井先輩に射型を見てもらったが、いつもの様な厳しさはなかった。「まあ、悪くないね。とにかくあまり力まないこと。いつも通り引けばいい」と、らしくない雰囲気だった。この静けさが、返って怖い。


 そして十二番目だからまだまだ先だと思っていたわたしたちの番が、いよいよ迫ってきた。

 第一控えで、目を閉じ、静かに呼吸を整える。ゆっくりと深く吸い、胸の奥から押し出す。

 うん、ぜんっぜん緊張ほぐれない。いくら呼吸をしても、胸の奥はざわつき、みぞおちのこそばい感じが騒がしい。そして膝はすこし震えている。わたしたちの前で引くAチームの、上戸さんと白井さんは、同じように目を閉じ集中を高めているようだった。姫木さんは目を閉じてはいなかったものの、静かにしていた。いつも通りと言えばそうだけど、きっと、上戸さんと白井さんの邪魔をしないようにしていたのだと思った。

 そしてわたしたちBチームの斎藤さんと浜本さんは、いつのまにか目を開いており、斎藤さんはこちらを見てニコニコしていた。

「初めての試合、緊張するけど、この“初めて”っていう試合は、もう二度と体験できないんだよね。大切に引こうね」

 たしかに、もう二度と、わたしの弓道人生で“初めての試合”はやってこない。成功で終わらせたいけれど、それよりも大事なものを見落とさないように、一秒一秒を大切に過ごそう。

 わたしの初めてのチームのメンバーは、斎藤さんと浜本さん。中でも、浜本さんはわたしを弓道部へ誘ってくれた、いわば“運命の人”だ。わたしは斎藤さんへ「うん、そうだね」と強く頷き、浜本さんを見た。彼女も「そうですね、長い人生、この輝く時間を忘れることのないよう、心に刻みましょう」と、わたしたちを見てにこりと微笑んだ。

 その二人を見て、わたしの中にあった緊張の核が、すこしばかり砕けたように思えた。この二人とチームで、よかった。


 そして第一控えから射場の入口に整列するよう、号令がかけられた。Aチームの後ろにわたしたちBチームが並ぶ。本当に始まってしまうんだ。市内大会と、総体で見ていたように。先輩たちがやっていたような、厳かな雰囲気の中で引かなければいけないんだ。

 アナウンスがかかり、Aチームが入場する。

 わたしはもう一度、大きく息を吸い込み、ゆっくりと鼻から吐き出した。そして、射場へ大きく、一歩を踏み出した。




第八話「震える膝で、前へ」前編 終わり


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