好きとキスは絶やさない
春の夕方は、街に柔らかな風を運んでくる。
私は駅前のベンチに座り、学校帰りの蓮を待っていた。
通りを行き交う人たちは、みな少し急ぎ足で、どこかに目的があるように見える。
そんな様子を眺めながら、私は自分の胸の鼓動を確かめていた。
蓮とは高校二年の夏に同じクラスになり、文化祭の実行委員で一緒になったのをきっかけに親しくなった。
最初は片づけを手伝う時間が同じくらいに重なっただけで、特別な会話もなかった。
けれど、準備作業の合間に何気なく交わした言葉が、今でも胸に残っている。
蓮は段ボールを運びながら、「かすみ、こっち手伝ってくれる?」と笑顔で声をかけてくれたのだ。
たったそれだけのことが、なぜそんなにも心を揺らすのか、当時の私はわからなかった。
一緒に教室を飾るうちに、彼の仕草や笑い声を意識するようになった。
クラスが終わるたび、蓮は「手伝うよ」と言って自分のノートや筆記用具をさっとしまい、私の雑用まで引き受けてくれた。
私が何度断ろうとしても、「いいから」と言って笑顔を崩さなかった。
文化祭が終わった頃には、私の中で蓮への気持ちは明確な形になっていた。
普段はあまり積極的でない私が、自分から「今日は帰り、一緒に帰ろうよ」と声をかけるほどに。
蓮は驚いた顔をしたあと、「もちろん」と返事をくれた。
その優しさに甘えるように、私たちは放課後を自然と共に過ごし始めた。
告白は十一月の頭だった。
放課後の中庭で、私は一歩だけ蓮に近づいた。
そして、小さく震える声で「私、蓮のことが好き」と伝えた。
彼は少し驚いた顔をしてから、「俺も好きだよ」と、明るい笑みを向けてくれた。
初めてのキスは、その翌日の夕暮れだった。
「ちょっと目、つぶって」と蓮が言い、私ははにかみながら静かに目を閉じた。
すると、ほんの少し唇が触れる音がした。
それは、私にとって初めて感じる、温かくて柔らかな奇跡のような瞬間だった。
それから私たちは、ふたりでいるときにはなるべく隠さずに想いを伝えようと決めた。
「好きだよ」と言うたびに、蓮は照れくさそうに笑う。
そして、そのたびに軽いキスを交わす。 そんな些細なやりとりを大切にしていこうと、ふたりで誓ったのだ。
今日も、私は駅前のベンチで蓮を待っている。
少し冷え込む日だったから、マフラーをギュッと首に巻き、風を凌いでいた。
すると、「お待たせ」と蓮の声が聞こえる。
彼は私の隣に腰を下ろし、「寒かったでしょ」と言いながら、自分の手袋を外して私の手をそっと握ってくれた。
その温もりに、自然と微笑みがこぼれる。
「ううん、大丈夫」と返すと、蓮は私の顔を見て「よかった」と優しく笑う。
私はその瞬間、自然と「好き」と言っていた。
そして、蓮は「俺も好き」と当たり前のように答えてくれる。
少しだけ視線を交わして、私たちはそっと唇を合わせた。
駅前のにぎやかな音が少し遠くなり、ふたりだけの世界に閉じこもるような気がする。
けれど、誰かに見られていたってかまわないと思えた。 好きとキスは絶やさない、それが私たちの変わらない約束だから。
帰り道はいつものコンビニを寄り道するのが恒例だ。
夕ご飯前にお菓子を食べるのはよくないとわかっていても、蓮が好きそうな新作アイスを見つけると買わずにいられない。
「今日は何にしようかな」と私が眺めていると、「これ、うまそう」と蓮が指さす。
私は「それじゃ、一緒に食べよう」と言って、同じアイスをふたつカゴに入れた。
コンビニを出ると、もう日は落ちかけていた。
学校での疲れを感じつつも、蓮が隣にいると不思議と元気になれる。
歩きながら開けたアイスを、蓮は一口食べて「冷たい」と笑い、私も同じように笑った。
その一瞬一瞬が、小さな幸せとなって心に積もっていく。
家の近くまで来ると、玄関の明かりが遠くに見える。
「また明日ね」と蓮が言い、私は「うん、明日ね」と小さくうなずく。
その言葉のあとには、やはり「好きだよ」と伝えずにはいられない。
蓮はそれを聞くと「ほんとに、いつもありがとう」と、少し照れたように笑う。
家に帰って部屋に戻ると、スマホの画面には蓮からのメッセージが届いている。
「かすみ、お疲れさま。 今日もありがとう。 ゆっくり休んでね。」
その一言一言に救われるのは、私の方だと思った。
翌朝、学校の昇降口で蓮を見つける。
彼も私を見つけたらしく、「おはよう」と軽く手を振ってくる。
私も「おはよう」と答え、少しだけ駆け足でそばに寄った。
それだけで、一日の始まりが少し特別に感じられる。
教室に入ると、同じクラスの友人たちが私たちをからかうように笑うことがある。
でも、それも慣れてきたし、恥ずかしくもない。
だって大切な人と気持ちを分かち合えるのは嬉しいことだから。
「おはよう、ラブラブさんたち」と言われても、「そうかも」と笑って返すだけになった。
先日の期末テストの結果が返ってきた。
蓮は文系科目が得意で、私は苦手な数学はそこそこでも英語が大の苦手だ。 お互いに教え合おうと言っても、どこか集中しきれず、気づけば雑談ばかりになる。
それでも、一緒にいる時間が無駄だと思ったことは一度もない。
放課後、蓮は私の机に肘をつきながら言う。
「かすみ、週末、一緒に勉強しない?」
私は少し迷ったが、「うん、いいよ」と返事をした。
本当はデートがいいと思ったけれど、こういう時間も必要だと思えるから。
日曜日の朝、いつものカフェで待ち合わせをした。
席に着くと、蓮はメニューを眺めながら「あったかいの飲もうか」と言い、私と同じカフェラテを頼む。
「なにから始める?」と聞かれて、私は英語の参考書を取り出した。
蓮は「じゃあ一緒に音読しよう」と提案して、二人で声を合わせて単語を口にする。
だけど、慣れない勉強で集中力はすぐに途切れ、いつの間にか休憩ばかりになる。
蓮はスマホで野球のニュースを見せてきて、「この選手知ってる?」と話題を振る。
私はスポーツには疎いから、いつも蓮が教えてくれるのを楽しみにしていた。
「へえ、すごいんだね」と驚きながら彼の話を聞く時間も、好きだった。
しばらくして顔を上げると、蓮が真剣に私を見ていることに気づく。
「どうしたの?」と聞くと、蓮は「いや、勉強もいいけど、やっぱりこういう時間も楽しいって思って」と答えた。
それに私も「うん、わかる」とつい笑ってしまう。
その笑顔を見て、蓮は軽く「好きだよ」と言った。
その言葉が耳に届くと、私はやはり胸がキュッとする。
「私も好き」と答え、少しだけ身を乗り出す。
蓮は周りに他の客がいるのを確認して、照れくさそうに小さなキスを落としてくれた。
れは一瞬だったけれど、私にとっては特別な証みたいに感じられた。
カフェを出たあと、川沿いを少し歩くことにした。
春とはいえ、風はまだ冷たい。
蓮は私の手を軽く握り、指先を温めるようにそっと包んでくれる。
「寒いけど、こうして歩くの気持ちいいね」と私が言うと、蓮は「うん」とうなずいた。
桜のつぼみが少しだけ顔をのぞかせている。
満開の季節には、また違う景色を見せてくれるだろう。
それまで私たちは、こうして好きとキスを重ねながら毎日を彩っていくのだと思う。
どんなに些細なことでも共有できるこの関係が、何よりも愛おしかった。
帰り道、蓮は「来週は少し忙しくなるけど、また会えるときに会おう」と言った。
私も同じように部活があるから、お互いに時間が合わない日もある。
けれど、そんな日々の合間にも連絡を取り合い、気持ちを伝えることはできる。
「絶対に好きとキスは絶やさないからね」と、蓮はまっすぐ私を見つめて言う。
私は胸が温かくなるのを感じて、「うん、ずっと」と返した。
たとえ忙しくても、ほんの一言でもいい。
好きと伝えること、触れ合うことを、諦めたりしない。
そうすれば、いつか先が見えなくなったとしても、一緒に歩み続けることができると思うから。
数日後、校舎の長い廊下で蓮とすれ違った。
急いでいて言葉を交わす暇がなくても、彼は笑顔で手を振ってくれる。
私も笑顔を返しながら、唇の動きだけで「好き」とつぶやく。
蓮はそれを読み取って、小さくうなずいた。
教室に戻って席に着くと、心地よい安心感が全身に広がる。
好きって、こんなにも人を前向きにしてくれるんだと実感する。
私たちが交わすキスは、その気持ちを形にしたものだ。
いつでもその瞬間が、私には大切な宝物に変わる。
放課後、偶然蓮と帰るタイミングが合い、一緒に校門をくぐる。
夕日に照らされた並木道を歩きながら、私はふと「蓮、いつか遠い将来になっても、こうして一緒にいるのかな」とつぶやいた。
蓮は少し考えてから、「うん、そう思ってるよ」と静かに答える。
そのとき、私は言葉にできないほどの幸せを感じた。
駅で別れるとき、蓮は「週末、また電話するね」と言い、私は「待ってる」と笑う。
そのまま見送ろうとしたけれど、やっぱり別れ際のキスは外せなかった。
私たちは周りの視線を気にしながらも、小さなキスを交わす。
「じゃあ、またね」と手を振り合い、改札をそれぞれ抜けていった。
家に帰ってからも、頬にかすかに残るぬくもりを思い出し、少し赤面してしまう。
そして、そのまま宿題に取りかかると、意外とやる気が湧いてくる自分に驚いた。
きっと、好きという気持ちが背中を押してくれているのだと思う。
簡単ではない日常も、蓮がいるだけで少しだけ光が射すように感じられる。
私たちの合言葉は「好きとキスは絶やさない」。
それは些細で、けれど力強い誓いだ。 どんな困難が訪れても、この気持ちだけは繋いでいたい。
そう思える相手と出会えた私は、きっと幸せ者なのだろうと思う。
明日になったら、また何気ないことで笑ったり落ち込んだりするかもしれない。
でも、蓮の顔を思い浮かべれば、簡単にはくじけない。
私の好きと、蓮の好きが、きっと何度でも背中を押してくれるから。
そんなふうに考えると、未来が少しずつ楽しみになる。
夜になり、ふと窓の外を見ると、星がいくつか瞬いていた。
スマホを手に取り、「おやすみ、好き」とだけメッセージを送る。
数分後、「おやすみ、俺も好き」と返事が来て、私はそっと笑む。
これが私たちの不変の合図なのだと、また心が温かくなる。
そして私は目を閉じる。
思い浮かぶのは、明日も変わらず私に笑いかけてくれる蓮の姿だ。
好きとキスを、絶やさない。
それだけで、こんなにも世界はやさしい色に染まっていくのだと感じている。