7.にいっ
「めっちゃデカいウ〇コ出たー」
俺は教室に入るなり、適当な理由を付けて逃げた事を悟らせない為に、しっかりお通じ情報を皆に伝える。
だがどうやら現在の空気はそのテンションとは不釣り合いだった様で、女子たちが俺を見る目は冷ややかな気がする。
「ねぇ、あんたこの子の事、ナンパしたワケじゃないの?」
よくよく見てみるとヒロインズは場所を移動し、陽介や碧唯も一緒に渡海さんの席に集まっている。
どうやら俺が居ない間に粗方陽介たちが説明してくれていた様で、俺の虚偽の大大便の報告は只の恥の上塗りになっただけみたいだ。
「今なら聞いてくれそうだから説明するけど、昨日ゴリ塚から渡海さんの面倒を頼まれてんだよ。なんか日本語も分からないらしんだわ。なんならゴリ塚に聞いてみたらいい」
聞く耳を持っていると判断したので、取り合えず簡潔に今の俺の状況を説明すると、今回の件ではヒロインズ筆頭の篠原は深く顔を伏せ、何かを堪える様に細かに震え始めた。トイレに行くのであれば早く行かないと授業に間に合わないぞ。
もう既にHRの予鈴は鳴っている。本来であれば今はHR中のはずだが、ゴリ塚の持ち前のズボラさで自由時間に早変わりしている。
だが流石にそろそろ教室に来る頃合いだ。急がないと本当に間に合わない。その事を伝えようと口を開こうとした俺よりも先に、篠崎の方が口を開いた。
「こ、こ……」
「こ?」
「こんな可愛い子と一緒にいるのが悪いんでショ!このバーカ!」
気遣った俺が馬鹿だったようだ。まさか弁明し誤解が解けた後に逆ギレされるとは。
篠崎はそれだけをはっきり口にすると、勢い良く教室を飛び出し、トイレの方向へと駆けて行った。
それと入れ違いになるタイミングで驚いた顔のゴリ塚がやっと教室へと来て、その男性ホルモン過多な濃い顔を驚きの色に染めて、当事者と思われている俺たちの方を見ながら問うた。
「おいおい……何があったってんだ?」
「ゴリっち……な、なんでもないですよ?お腹痛かったのかな?あはは」
誰もが急な展開に付いて行けぬ中、持ち前の頭の回転力を遺憾なく発揮し、紺色のポニーテールをゆらゆらと揺らしながら、相川が適当な理由で誤魔化した。
正直俺も一から説明するのは面倒だったのでありがたいが、篠崎が何故教室を飛び出して行ったのかが疑問な所だ。
それから時間が無い所為か、かなり単略化されたHRを数分で終わらせると、いやに都合よくチャイムが鳴る。恐らくゴリ塚が内容を計算していたのだろうが、こう云う所がサボりの常習犯の腕前なのだろう。
それから小休憩に入り、一限目が始まっても篠崎は教室へ帰って来なかった。何故出て行き、今何をしているのか。正直言って心底どうでもいいが、このクラスの空気はいただけない。
男女の別なく俺に非難の目を向け、一限目の現代文の若くて美人で評判の金本先生から「どうせこの空気君が原因でしょ、早く何とかしなさい」という無言の圧は厚顔無恥な俺でも流石に顔が引き攣った。
それに篠原から後々俺に何かされたと吹聴されても面倒なので、二限目が始まる前に心当たりのある場所に向かう事にした。
チャイムが鳴ると同時、俺は非難の目を浴びながら悠々と教室を出て長い廊下を渡り、階段を降る。
それから校舎の端まで行き、一つの扉の前で一息付いてから入室する際の第一声を考える。
『夕奈ちゃん、いるー?』
これは没。シンプルに気持ち悪いし。
『おっと失敬w今日はレディスデーでしたかwそれでは某はこの辺でドロンしますぞw』
うん、ないな。言うなら死ぬ。
『こんにちはー篠原さんいますかー?』
これだろ。何故これが最初に出ないのか。
入室の口上も決まったので、早速扉をガラリと開き、練りに練った挨拶を反芻しながら口に出す。
「こんにちはー篠原さんいますかー?」
入室して最初に見たものは、緩くウェーブする金髪の少女、篠原だ。髪と同等の明るさの黄色のセーターを脱ぎ、ブラウス一枚となり保健室の丸椅子に座っている姿だ。
問題であるのはここからで、件の人物はそのブラウスの上ボタンを幾つか外し、襟元がはだけ白磁の鎖骨周辺の肌を晒し、その上中にある黒いナニカすらチラリと覗いてしまっている。
わりぃ、俺死んだ。
普段から俺を目の敵にしている篠原の事だ。こんな現場を活用しない手は無い。
あー何になるんだろう。痴漢か、覗きか、最悪強姦未遂なんかもあり得るな。
だけど待てど暮らせど篠原はその場から動くことは無く、その様子からはどちらかと言えば俺の言動を待っている様にも見えた。
「なにしてんの?なんか用があるなら座ってれば?せんせもう直ぐ帰って来るし」
俺の読みは当たっていたのか、篠原はやはり気にした様子もお咎めも無くそのままの恰好で俺に入室を勧めた。
その際にほんの僅か、シャツを動かし襟元を更に開けた気がしたが、俺はこの先の人生への不安と法廷で不利にならない発言に気を配った結果混乱が一周して、この状況を受け入れてしまった。
だが気にしないとはいえあまり見過ぎるのも流石にどうかと思い、極力視線は外している。
「んでどったの、アンタもサボり?」
何故か篠原は俺の視界に入る様にちょこまかと動き回りながら、謂れのないサボりの共犯か質問してきた。俺はお前みたいにサボったりしないの。
「どったのって、お前がいつまでも帰って来ないから見に来たんだろ」
「そりゃ帰れないっしょ……こんなバカ居ても皆の空気悪くするだけダシ……」
「そうか?バカなのは初めからだからいんじゃね」
「相っ変わらず容赦ねぇー」
どれだけ視線を外しても、諦める兆しすら見せずに映り込んで来る篠原に、俺は諦めた様に動きを止めた。
認識できもしない相手の目を見て話しをしつつ、今回はどうやら本気で落ち込んでいる風だったので、取り合えず煽ってみた。
すると効果はあったのか、少しだけいつもの調子を取り戻しつつあった。
「ねぇ、なんでこんなことになったんだろ……ウチどこかで間違えたりしたんかな……」
元気になったと思った途端先程よりも暗い雰囲気を纏い、なかなかにセンチな態度で俺の袖を摘まんで俯き黙り込んでしまった。
正直言って、やめて欲しい。本来ならこういう役目は明るく陽の元を歩く主人公の陽介が担うべきで、只の舞台装置の俺には荷が重すぎる。
篠原の手を振り払い、役目は終わったと退室することも考えたが、それをしてしまうと俺は決定的に何かが変わってしまう様な気がして、停滞を選んでしまった。
それが、間違いだった。