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3.いっけなーい、遅刻遅刻ゥ!

 閑静な住宅地を、一人の少年が走っていた。


「いっけなーい、遅刻遅刻ぅ!」


 少年は着慣れた制服を身に纏い、桜の花弁が疎らに散らばる道をひた走る。

 短めの黒髪は寝癖を直す時間すら無かったのかボサボサで、朝食を取る時間などなかったのだろう、口にはゆっくりと楽しむ予定であったはずのピロシキを咥えている。


 ピロシキの中身は炒めた野菜や挽肉などが主で、咥えて走るには無理をする必要があるが、少年は器用に絶妙な力加減で口に咥えて全力で走る。


 では何故、彼はこの様な無理をしてまで走っているかと言うと、それは昨夜の行動に原因があった。


 学生たちが新たな学期を迎えるというこの時期に、巷でも人気のゲームの最新作が発売されたのだ。

 少年は数少ない友人と深夜までそのゲームをやり込み、友人が明日に備えて寝た後にも一人黙々とゲームに取り組んだ。


 その結果見事に始業式の今日寝坊し、本来ならば身だしなみを整え、朝食をしっかりと取り挑もうと思っていた始業式の朝、こうして汗を流し走る羽目となっていた。


「ほのふぁふぁひゃひひょうひひおふぁっへひまふほ!」(このままじゃ始業式終わってしまうぞ!)


 口を塞いだまま全力疾走を続けた事で息は上がり、脳は酸素の不足によって冷静な思考を行う事が出来なくなる。

 無駄に過ぎる独り言を漏らしながらも、それでも必死にひた走る。


 そこでいつもの曲がり角に到達し、遅刻の焦りと酸素の不足によって、少年は左右の確認も無く曲がり角を曲がる。


 それは不幸な事故だろう。その角の先には人がいた。


「うおっ!」


「きゃっ!」


 少年は咄嗟の所でぶつかる事は無かった。角の先に居た少女が思いのほか反射神経が良かった事も幸いした。

 だが口に軽く咥えていたピロシキは別だ。急なブレーキを掛けたことにより、少年の口から慣性の法則に従い、放物線を描いて飛んでいくピロシキ。


 そしてその奥に、咄嗟に止まったはいいものの、足腰の踏ん張りが足りず、よろめき後ろ向きに転びそうになっている少女が少年の目に映る。

 少年は加速する思考の中、目の前から今も尚遠ざかる朝食か、転びそうになっている少女か、どちらを選ぶべきかの選択を迫られる。


 昨夜もあまり多く食べていない少年の腹の虫が鳴り始め、視界には中の具材をばら撒きながら飛んで行くピロシキが。だが腹の虫が鳴り終わる頃には、ピロシキは中身を道路にぶちまけ、少女は少年の手で転倒を免れていた。


 咄嗟に腕を掴まれ、少女の崩れる重心を引っ張り支えた事によって、今も変わりなく立っている少女は、今の自分の状況を理解できていないのか、口を開けたまま固まっている。

 そして自らの方向に引き寄せ、密着する体勢になったことにより、自然と至近で向かい合う二人。


 暫しの静寂の後、先に口を開いたのは少年の方だった。


「ふぅ……何とか転ばずに済んだな……あれっ久しぶりじゃん!」


「えっ……あの?」


 気さくに声を掛ける少年に、少女ははたと首を傾げる。


「あれ、初対面だっけ?まぁいっか。そんじゃ気を付けてくださいねー」


 相手の顔すら碌に見ない内に、少年は言いたい事だけを言い、そのまま振り返る事無く走り去る。


 そして少年が去ってからも、相手が見ていないにも拘らず律儀に控えめに手を振り見送る少女は、その場でやや放心してから直ぐにハッとなり、急いでスマホで地図を取り出すとあらかじめ予定していたポイントを再確認し歩き出した。


 そしてその歩き始めた方向は、奇しくも少年が向かったのと同じ方向だった。



 ―――――――――――――――――――――――



「俺の朝飯がァァァ!」


 俺は口寂しくなってしまった口許の感覚を努めて意識しない様にしながら必死に走った。


 何故ならそれは遅刻しているうえ、楽しみに買っておいたピロシキを地面に食わせてしまったからだ!


 さっきは良く分からない人とぶつかりかけたが、少し納得していないところがある。

 それは、この世界はラブコメの様な法則を持っている。それは所謂ハーレムものに近く、俺はその舞台装置の一部でしかない。


 主人公は沢山の女の子を助け導き、楽しい学園生活を送るのだ。

 そしてその主人公というのは俺の友人なのだが、今はあまり詳しく語ることは出来ない。だって今走ってるから。


 そんな事を酸素の回らない頭で考えながらも必死に走り、なんとか学校に辿り着いた。どうやら始業式は終わってしまっているみたいだが、そんな事は関係ないね。なんなら校長の長い話を聞かなくてラッキーまである。


 それから急いでクラス表が張られている場所まで走り、とりあえず自分の名前だけを見つけると、実際に急いだが、更に急いで来ました感を演出する為に全力で階段を駆け上がる。

 朝食を取らずに数十分体を酷使したおかげか、俺の息は限界近くまで上がり、恐らく周囲から見れば顔色も悪いはず。これで担任が優しい先生なら、きっと遅刻した事を叱るより心配が勝つはずだ。


 新しい教室まであと少しと云う所で予鈴が鳴り始める。だがこのままの勢いで行けば鳴り終わるまでには確実に間に合う。


 それに周囲を伺った所まだ教師たちはクラスには来ていないようで、担任が当たりならば、始業式に間に合っていたが、お腹が痛くてトイレに籠っていた位の言い訳は通用するかもしれない。


 教師がまだ来ていないのなら焦る必要も無かったなと、少しだけ無駄な労力を払った徒労を感じながらも、ならばと今度は新しく一年間を過ごす仲間に意識を向けた。

 

 クラス表を流し見しかしていないので、誰が同じクラスになったのかを知らない俺は、初日から遅刻するという悪印象を少しでも払拭しようと、出来るだけ良い笑顔を浮かべて扉を気持ちよく開いた。


「セーーーーッフ!」


「アウトじゃボケェ!」


 笑顔で入室した俺の腹に、恐らく担任になったゴリ塚の拳が思い切りめり込んだ。


 この瞬間、俺は強く思ったね。


 朝、何も食べなくて良かった……って。

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