6 聖女デビュー初日②
今日は、見習い期間が終了したからと張り切っていたのに、午前から医院を訪れる人は少なく、交代で昼食をとっていつ誰が来ても対応できるようにしているのにも関わらず、午後になっても誰も訪れる気配がない。
「患者さんや訪問者が来ないってことは、みんな健康ってことですよね」
私は、実践する機会がなくて残念だと思うけれど、何かしらの症状に困っている人がいないという現状も嬉しく感じていた。
「そうね。風邪が流行していたり、内戦があったりすると患者が多すぎて、聖女が足らなくて困ることもあるけれど、こういうのんびりした日も必要よ。時間が空いた時に薬草辞典や、症例をまとめたカルテを読んでおくことも将来につながるから大切な時間なのよ」
「と言っても、ついついお喋りが楽しくって、集中して調べたり学習したりはできなかったりもするんだけどね」
先輩聖女の3人は、窓を開けて空気を入れ替えて、お茶を淹れてほのぼのと過ごそうとしている。今日は、風も良く通る穏やかな天気で室内にいるのがもったいないくらいの日だ。
そんな時に、医院入り口の木製のドアが僅かにきしむ音を立てながらゆっくりと開き、萌黄色のローブをまとい、フードを深くかぶった人が外に置いてあるマットに革のブーツについた汚れを落としてから入ってくる。
私は、聖女初日だというのに仕事をほとんどしていないので、率先して来訪者に歩みより声をかける。
「今日は、どうなさいましたか? こちらへどうぞお掛けください」
入り口の左横においてある、背もたれ付きの椅子を引いて、入って来た人に椅子をすすめる。ここは、医院に来た方の名前や症状を聞き取りするスペースになっている。平民の人が気軽に来られるようにしているけれど、文字を書けない人がほとんどなので名前は聖女自身で記入することが多い。また、薬師が作り置きしている薬だけ購入する人もいるので、薬を購入しにくる人の可能性もある。
今、入ってこられた人は、見た目で長身な人だとはわかるけれど、フードで顔が隠れているので男性なのか女性なのか全く窺い知ることができない。
ゆっくりと腰をかけた人は、フードを被ったまま、辺りをゆっくりと見回す。
「へ~、前に来た時よりも聖女の数が増えたんだね」
落ち着いた声を耳にして、初めて若い男性なのだと認識することができる。
以前も来られたことがあるなら、回復魔法をかけた聖女がいるかもしれない。私は振り返って、シャーリー聖女、トッシーナ聖女、タチア聖女の先輩聖女の顔を順番に見るけれど、みんなきょとんとして面識はないような感じだ。
あぁ、フードを被っているから、顔がわからないのね。お名前を聞いたら、誰が担当した患者さんかわかるかもしれないわ。
そう思って、入ってきた男性の向かい側の椅子に腰をかけて、問診票に今日の日付けを記入した私は、名前を聞こうと顔を上げる。
「あぁ、今日はね、薬を買いに来ただけなんだ。旅に出る予定の友人が酔い止めが欲しいと言っていてね」
「かしこまりました。すぐにご用意致します。恐れ入りますが、お名前だけお聞きしてもよろしいですか」
誰にどの薬を販売したのか記録する必要があるため、私は問診票に目を落とす。領地ごとに取り決めも違うらしいが、ロントクライン公爵領では貴族が薬を買い占めることがないように、薬の販売も記録しているらしい。どの薬が売れているか知ることで、必要な薬草などを早めに手配して、いち早く風邪の流行を捉えることができるようにしていると教わった。
そのフードをかぶった男性が右手を差し出したので、私はご自分で名前を記入されるのだと思って書くものを渡そうとしたけれど、その男性は問診表の上にサッと手のひらをかざしただけだった。
「え」
私は、驚いて声を出してしまった。聞いたことがあるけれど、目にしたのは初めてだった。瞬き程の時間で一瞬にして宙に浮き出た名前がペタペタとまるで生き物のように自分から問診票に貼りついていった。私が声を出してしまったせいか、フードの下から男性が私の表情を確認しているような気がした。
この方は、魔術師なのね・・・。文字が浮き上がって動き出すなんて、素敵な場面を見ることができたわ!!
でも、さっきのアレは何だったのかしら。
私は、この男性が問診票の上にかざした右手の中指にはめられている指輪から、黒いモヤモヤとした嫌な物が見えた気がした。でも、私はまだCランクではないからシャーリー聖女のように呪いが見えたわけではない。・・・とすると、いったい何が見えたのかしら。
「魔術を見たのが初めてだったのかい?」
無言で考え事を始めた私を促すかのようにその男性は、表情が見えないけれど声をかける。
「あ、失礼致しました! はい。初めて魔術を見たのでびっくりしてしまいました。すぐにお薬をご用意致しますので、もうしばらくお待ち下さい」
いけない、いけない。ついつい考え事をしてしまったわ。ひとまずお薬を準備しないと!
私は、回復魔法を使う出番は無かったけれど、聖女デビュー初日で気分が高揚していたため、ふとした疑問は頭の片隅に追いやって、薬棚に向かっていった。そのため、モヤモヤっと感じていた違和感を口にすることもなく、そのまま忘れてしまった。
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