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別の世界ではただの日常です

分からない

作者: 茅野榛人

「すみません、あの、ここに行きたいんですが……」

「うーん……すみません、ちょっと分からないです」

「……そうですか」

 俺は他の人達より知識が足りていないのであろうか。

 最近、やたらと『分からない』が口癖になっている。

 決して良い事では無いと思われるが、知識を蓄えなければと思うのは、分からないと思った直後だけで、普段は全く持って知識を蓄えようとは考えていない。

 理由は時間が無いからと言うような、仕方の無い理由では無い、単純に、本当に単純に面倒臭いだけだ。

 ただし、知識を蓄えなくても、生きて行く上で最低限必要な知識さえ頭の中にインプットしておけば、何ら問題無く生活する事が出来る。

 俺はそう考えている。

 しかし今日、俺はその考えを否定しようとしている。

 昨日、会社である女性社員を見かけたのだが、社員証を見忘れてしまい、何処の誰さんなのかが分からない。

 しかし俺は、そのたった一度だけ顔を見たあの人に、一目惚れしてしまったのだ。

 直ぐにでも、何処の誰さんなのかを知りたい……そこで俺は今日、会社の人達に昨日見かけたあの女性社員の特徴を言い、何処の誰さんなのかを聞き出そうと考えたのだ。

 俺はまず、会社の同僚の一人に聞いてみることにした。

「あの、ちょっと聞きたい事があるんですけど」

「ん? 何ですか?」

「あの、この会社に、ロングヘア―で、目がぱっちりしてて、左目の下にホクロが一つあって、高身長の女性社員がいるんですけど、知りませんか?」

「ロングヘア―……目がぱっちり……左目の下にホクロ……すみません、ちょっと存じ上げないですね」

「ああ、そうですか、すみません……」

「いえいえ、もし見かけたら、教えますよ」

「ありがとうございます!」

「いえいえ」

 流石に一発目では分からない、今度は別の人に聞いてみる事にしよう。

「……ごめんなさい、分かりません」

「そうですか……分かりました」

 また別の人に聞いてみよう。

「うーん……分かりません……すみません……」

「分かりました……すみません……」


 色々な人にあの女性社員が何処の誰さんなのかを聞いたが、まさかの誰も知らなかった。

 いつもは俺が人に分からない分からないと言っていたが……言われる側はこんなに困るものなのだな……しかし……因果応報だな……。


 仕事を終えて、今日の夕飯の材料を買おうとしたのだが、今日はいつも行っているスーパーマーケットでは無く、初めて入店する別のスーパーマーケットに来ている。

 ここで俺は、ある事を思い出した。

 キッチンペーパーを切らしていたのだ。

 ここでキッチンペーパーも買おう。

 しかし何処に売っているのかを探すのが面倒臭い。

 店員に聞く事にしよう。

「すみません」

「はいはい!」

「あの、キッチンペーパーって、何処に売ってますか?」

「キッチンペーパー……ごめん! ちょっと分かんないや」

「ああ……そ……そうですか……」

「うん! ごめんね……」

「あ、いえいえ、大丈夫です」

 意外な返答だった。

 ここの店員なのに、売り場の場所を知らないとは……忘れたのか、偶然知らなかったのか、ここで働き始めてまだ日が浅いのか、もしくはここにはキッチンペーパーが売られていないのか、いや、キッチンペーパーが売られていないのであれば、売られていないとはっきり言うはず……まあ、謎は残るが、別の店員に聞いてみる事にしよう。

「キッチンペーパー……ですか?」

「はい」

「……」

「どうしました?」

「すみません……分かりません」

「……そうですか……あの、ここには、キッチンペーパーは売られていますか?」

「……すみません! 分かりません……」

「え……そ……そうですか……」

「すみません……本当にすみません……」

「……大丈夫です」

 一体、どういう事だ。

 先ほどから分からないしか返答が無い。

 まさかこの世の人達皆が、俺みたいに何か聞かれても分からないと答えるような世界になっちまったのか?

「ちょっと良いですか?」

「はいはい!」

「あの、キッチンペーパーって何処に売ってますかね?」

「キッチンペーパーね! えーっとねえ……」

 いや、そんな事は無さそうだ。

 ここの客が、俺が最初に声をかけた店員にキッチンペーパーは何処かと聞き、すんなりと案内をし始めた。

 俺はその店員と客を追いかけた。

 キッチンペーパーが売られている場所に辿り着いた。

 何故……何故俺が聞いた時には分からないと言ったのだろうか……。


 何とか仕事を終えて、帰宅する。

 おかしい、あれから俺が質問をすると、絶対に『分からない』と返って来る。

 流石にこれは偶然が重なりに重なっているとは思えない。

 まるで、俺が質問をすると、その質問の答えになる事が記憶から消されているように感じる。

 因果応報……か……。

 そんな事を考えながら鞄の中身を確認していると、俺の財布が無い事に気が付いた。

 盗まれたか……落としたか……何処かに置き忘れたか……いずれにしても、警察に連絡を取らないと。


「そちらに届いてはいないでしょうか?」

 ちょっと待て……嫌な予感がする……。

「……すみません……分かりませんね」

 やっぱりね……。


 絶望した。

 電話をしても何をしても、なくした財布、そして財布の中に入れていたカード類の対処が不可能になってしまった。

 返答が全て分からないになってしまっている所為だ。

 身体がどうにかなってしまっているのではと思い病院に行くも、分からないとしか言われない。

 これは、俺が散々人に分からないと言い続けていた罰なのだろうか。


 つい魔が差して、他人の鞄の財布を盗んでしまった。

 隙を見計らって、持ち主の鞄に戻すしかない。

「すみません……あ……」

「何ですか?」

「あ……ああ……いえ……その……私の黒色の財布をお見掛けしなかったかと思いましてですね……その……拾いになられたりしていませんでしょうか?」

「……いや……分かりませんね……」

「そうですか! わ……分かりました! ありがとうございます……変な事を聞いた失礼をお許し下さい……」

「いえいえ、大丈夫ですよ」


 帰宅して鞄の中身を見ると、黒色の財布が入っていた。

 どうして私の鞄に? 取り敢えず、明日渡そう。

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