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幻想のエトワール  作者: 傘木咲華
第三章 とある夫婦の願い
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3-6 幸せへの一歩

(調の部屋だ……)


 やがて見えてきたのは、ピンクを基調とした可愛らしい部屋だった ぬいぐるみに囲まれたベッドの上に座っているのは、薄桃色のパジャマに身を包んだ女の子。白藍色の髪はショートヘアーで、最近までのルーズサイドテールとは印象が違う。

 でも、確かに幼い頃の調だった。


『お兄ちゃん、見て見て! これ、お母さんがプレゼントしてくれたの!』


 無邪気に笑いながら、調は拓人にくまのぬいぐるみを自慢するように見せつけてくる。その姿を見た瞬間、拓人は思い出した。

 これは調が五歳の誕生日の時の記憶だ。

 くまのぬいぐるみは星良の手作りで、中学生になっても肌身離さず抱きかかえていた。「この子が私の友達なの」とよく言っていた記憶もある。


 それに――もし私が死んじゃったら、私だと思って大切にして――とも言われていた。だから今も、くまのぬいぐるみは調の部屋に置かれている。



(あれ、これは……)


 場面がガラリと切り替わり、今度は病室になる。

 ベッドの上の調は、ルーズサイドテールだった。わりと最近の記憶なのかも知れない。病室には調以外にも拓人、雪三郎、星良の姿があって、家族が勢揃いしていた。


『ねぇ、お兄ちゃん。今日は何の日かわかる?』

『えっ、何だったかな……』

『もう。お父さんとお母さんの結婚記念日だよー』


 不貞腐れたように頬を膨らませてから、調はスケッチブックを取り出す。

 そこに描かれていたのは、雪三郎と、星良と、拓人と、調。家族皆が手を繋いで笑い合っているイラストだった。


 そうだ。

 調は絵を描くことが好きだった。

 だけど恥ずかしがってなかなか見せてくれなくて、この日が初お披露目だったような覚えがある。


『私、絵を描くのが大好きなんだ。……だからね、私もいつか……もっと色んな人に絵を見せられたら良いなって』


 照れ笑いを浮かべながら、調は両親にイラストを手渡す。

 いつか絶対、叶えられると思っていた。そう信じていたから、自分達は笑っていた。


 なのに、今はもう。

 傍から『幻想』を見つめているだけの自分は、下唇を噛むことしかできない。



(……あっ)


 病院の屋上庭園に、満天の星々。

 再び変わった景色は、調と過ごした最後の記憶だった。

 エトワールがいた星空。ペルセウス座流星群。夜に病室を抜け出すのは調にとって大冒険で、瞳の輝きがそれを物語っていた。


『お兄ちゃん、ありがとう』

『僕は別に、調と流れ星を見に来ただけだよ』

『……そっか。それでも、ありがとうね』


 ――ありがとう。


 その言葉は調の口癖だった。「ごめんね」と言ってしまった時は「ありがとう」も一緒に伝えてくれるし、誰かに「ごめんね」と言われてしまうと極端に悲しそうな表情になる。

 調は家族の誰よりも前向きで、しっかり者で、優しさの塊のような人だった。調の明るさに引っ張られて生きてきたのは、きっと拓人だけじゃなくて両親も同じだったのだろう。


 だって、もう、見ることができないのだ。


 どこまでも希望に満ちていた瞳の輝きも。「ありがとう」と微笑む優しい姿も。家族の記念日を全力で祝ってくれる姿も。絵を描く姿も。夢を叶える姿も。


 全部、過去に消えていく。

 何でだよ、と強く思う。

 彼女はまっすぐに生きていた。たくさんたくさん、拓人が想像できないくらいに頑張った。辛い思いだって、笑顔の裏にはいくつもあったのだろうと思う。


「……嫌だ」


 今までずっと心の深い部分に留めていた気持ちが、はらりと零れ落ちる。

 思わず俯くと、二つの雫がテーブルに落ちた。そこでようやく、拓人は『幻想』から戻っていたことに気が付く。


「拓人、星良」


 雪三郎に名前を呼ばれて、はっと顔を上げた。でも、雪三郎の表情も星良の表情もぼやけてしまってよく見えない。

 なのに、わかってしまうのだ。

 二人はきっと、自分と似たような表情をしているのだと。


「拓人、お父さん」


 星良が席を立つと、拓人と雪三郎も自然と動き出す。

 視界がぼやぼやのはずなのに、目が合っているのがはっきりとわかってしまった。


「父さん、母さん……っ」


 やがて星良に優しく抱き締められ、雪三郎に肩を強く抱かれる。

 ただただ、三人で傷を分け合うように抱き合った。すぐに涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃになってしまうし、嗚咽も込み上げてくる。雨夜姉弟に見られてしまっていると思うと恥ずかしいが、そんなことは気にしていられなかった。


「調……何で、どうして…………っ」


 想いが溢れて止まらない。

 こうするべきだったというのは、心のどこかではずっとわかっていたのかも知れない。だけど、怖かった。泣いてしまったら調の死を受け入れたことになってしまいそうで。本当の意味で調と別れを告げることになりそうで。


 だけど、違うのだ。

 ようやく、自分を固く縛り付けていた何かが解けた。

 家族に気を遣って、我慢ばかりして、無理に笑顔を張り付けて、これが調のためだと決め付けて、悲しむことすらできなくて。

 そんなことをしていたら、幸せが遠ざかっていくばかりだ。


 だから、今はこれで良い。

 両親が願った『家族皆が幸せでいられますように』はまだ遠くに感じてしまうけれど。

 でも、たった今。

 拓人達は幸せへの大きな一歩を踏み出せた。

 そう断言できてしまう自分がここにいて、拓人は自然と笑みを零す。


「あぁ、ごめんエトワール。ちょっとティッシュ取ってもらえる?」

「そうだね。ビックリするくらいにぐちゃぐちゃだから、早く整えた方が良いよ」

「……なんだよ、それ。もとはと言えばエトワールの『幻想』が僕達を泣かせに来たくせに」

「でも、キミ達家族には必要なことだったのだろう?」


 ふふんと鼻を鳴らしながら、エトワールは訊ねてくる。いつもの得意げ――というよりもどこか楽しげで、拓人はそっと嬉しい気持ちに包まれる。


「…………へっ?」


 今でこそ、調のように照れずに「ありがとう」を伝えるべき場面だ。

 そう思って口を開こうとしたものの、代わりに出てきたのは素っ頓狂な声だった。


 意味がわからなくて、拓人はまず両親と視線を交わす。

 瑠璃色の瞳はどちらも驚愕に満ちていた。ついさっきまで泣き崩れていたとは思えないほど、両親は動揺を露わにしている。


 雨夜姉弟も同じように戸惑っていた。だって、先ほど『幻想』で見たばかりなのだ。何で、どうして、が頭の中をぐるぐると駆け巡る。

 唯一冷静なのはエトワールだけだった。



「少年……いや、拓人くん。雪三郎さん。星良さん。結衣子ちゃん。深月くん。……私は、キミ達に紹介したい人がいるんだ」



 いつもと変わらない口調のまま、エトワールは手をかざす。

 白藍色の髪をルーズサイドテールにしていて、小柄な身体を薄桃色のパジャマが包んでいる。瞳は優しい印象のあるたれ目で、肌は日焼けを知らない薄卵色。

 ありがとうが口癖で、絵を描くことが大好きな、家族想いの女の子。



「私の友達の、白縫調ちゃんだよ」



 ――そこには確かに、亡くなってしまったはずの調の姿があった。

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