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幻想のエトワール  作者: 傘木咲華
第三章 とある夫婦の願い
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3-1 次の願い

 翌日。ピアノコンクール当日。


 コンサートホールに行くこと自体、拓人にとっては初めてのことだった。

 だから何もかもが新鮮で、「少年、ちょっとは落ち着いたらどうかな?」とエトワールに注意されてしまうくらいにそわそわしてしまう。


 でも、それは深月の出番が来るまでの話だった。

 客席からすると遠くに感じる深月から伝わってくるのは、決して緊張などではなくて。弾む音色から感じるのは、観客ごと巻き込んでしまうほどの楽しさだった。

 表情まではわからなかったけれど、笑顔なのだろうと断言できてしまう。


 雨夜深月という人物はギャップの塊だ。

 男性にしては小柄で、華奢な身体付きで、まつ毛も長くて。だけど口を開けば等身大の男の子で、照れやすくて、家族想いで。ピアノを前にすると、音楽に取り憑かれたように自分の音を響き渡らせる。


 楽しんでいる気持ちが伝わってくるのに、音の一つ一つも自信に溢れていて。「あぁ、こういうのを天才と言うんだな」とさも当然のように思ってしまう。そんな説得力が深月のピアノにはあった。



 とはいえ、表彰式の時間になると流石に緊張した。

 どんなに拓人が凄いと思っても、それはあくまで素人の意見だ。

 コンクールに挑む少年少女は皆、今日のためにたくさんの努力をしてきたのだろう。正直「天才」のバーゲンセールになってしまっていたし、何も深月だけが群を抜いて上手いという訳ではなかった。


(まぁ、一番楽しそうだったのは深月くんだったけど)


 などという意見も、ただの友達としての感想なのかも知れない。

 だからこそ、


「拓人くん……っ!」


 隣に座っていた結衣子に両手を握られ、拓人は大袈裟に驚いてしまう。

 グランプリで深月の名前が挙がって、喜びを露わにした結衣子に手を握られ、やがて「あ、ご、ごめん」と慌てて離れる。

 という一連の流れがあってから、ようやく拓人の中に事実がじわりと溶け込んだ。


 願いその一。『とある姉弟の願い』。

 ピアノのコンクールでグランプリを獲れますように。


 こうして、雨夜姉弟の願いは叶えられた。



 ***



 ホールのロビーまでやってくると、結衣子の表情がはっきりとわかってしまった。目だけじゃなくて鼻まで赤くなっていて、指摘すると結衣子は恥ずかしそうにそっぽを向いた。


 でも、それくらい嬉しいことだったというのは拓人にもよくわかる。

 本当は拓人も友達として深月のことを祝いたかった。しかし、自分なんかよりも結衣子や両親と喜びをわかち合うべきだろう。むしろ自分とエトワールは邪魔者になってしまうかも知れない。

 だからこれは仕方がないことなのだ、と拓人は心の中で言い訳を浮かべる。


「あ、あのさ、結衣子さん」


 若干上ずった声を出しながら、拓人はスマートフォンを取り出す。

 何だかんだ、雨夜姉弟とは再会してから三日連続で顔を合わせている。なのに拓人は連絡先を交換していなかった。

 何せ拓人は友達すらいないのだ。これから仲良くなりたいと思える人を見つけたとしても、連絡先を聞くのはハードルが高すぎる。

 だけど、今ならいける気がした。「深月のお祝いをしたいから」、という理由を付けることができる今なら、何とか。


「深月くんのこと、また今度改めてお祝いしたいからさ、その……」


 と思っていたのに、声はぼそぼそしているし、わかりやすく視線があっちこっちに動いてしまう。

 まったくもって情けない自分の姿があって、拓人はそっと苦笑を浮かべる。


「あ、そっか。まだ、交換してなかったね」


 しかし結衣子はすぐに察してくれたようだ。小さく照れ笑いを浮かべながらスマートフォンを取り出し、自分のSNSのQRコードを表示させる。

 慣れない手つきで読み取ると、自分のスマートフォンの画面に「雨夜結衣子」の名前が表示された。アイコンはデフォルメされた猫だ。もしかしたら、結衣子は猫好きなのかも知れない。

 咄嗟に「可愛い」と思ってしまってから、拓人は慌てて顔を上げる。


「あ、ありがとう。ええと……」

「深月のアカウントはあとであたしから教えておくから。……ごめん。多分今日はもう、両親が深月のことを占領しちゃうと思う」

「うん。それはわかってるから大丈夫だよ」


 深月にとっても家族にとっても、念願のグランプリなのだ。それに、きっと深月の中にも大きな決意があるのだろう。また一歩、夢へと踏み出す日でもある。

 友達と呼べる人の、大事な日に立ち会うことができた。そう思うだけで、胸がいっぱいになってくる。


「またね、結衣子さん」

「ええ、また」


 なのに何故だろう。

 またねと手を振り合うことすら嬉しいはずなのに、心の中はもやもやしていた。


(……本当は、わかってるけどさ)


 結衣子の姿が見えなくなってから、拓人はわかりやすく目を伏せる。

 たった今、一つ目の願いを叶えることができた。そして次は調の願いを……とはならないことは、もちろん拓人もわかっている。


 次に叶えるべき願いは、『とある夫婦の願い』。

 つまりは、拓人の両親の願いだ。

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